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第千七百八十七話 ふたりの問題(後)


 騎士団は、革命以降、その理念として救済を掲げた。

 だれであれ、救いを求めるものに対し手を差し伸べ、救ってみせることこそ、騎士団騎士の本懐たるべきであるという考えは、革命以前の騎士団とは根本的に異なるものだ。

 ベノアガルドの騎士団は本来、ベノアガルドの国と民のためだけのものであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。だが、革命以降の大変革は、騎士団の本質を大いに変えた。護るべき対象を拡大したというべきか。

 騎士団の救済対象は、ベノアガルド国民だけではなかった。他国民であれ、救いを求めるのであればその対象とした。国が救援を求めるのであれば、遠征することも一考だにしなかった。救済することがすべてであり、その手段こそが目的そのものだったのだ。

 それもこれも、革命によって新たに騎士団長の座についたフェイルリング・ザン=クリュースが神卓の間にて、救世神ミヴューラとの邂逅を果たしたことに起因する。救世神ミヴューラの使徒となったフェイルリングは、ミヴューラの目的を叶えるために騎士団を利用することとした。つまり、ミヴューラの力を限りなく増大させるため、騎士団に信仰を集めようとしたのだ。そのために救済を掲げた。救いを求める声に手を差し伸べることにより騎士団の評判を高め、成果によって評価を上げ、大陸全土に騎士団の存在を知らしめることにより、騎士団に救いの声を求めるものが増大することが最大の目的だったのだ。

 そうすることにより、騎士団の中心にある救世神ミヴューラの力は否応なく高まり、ミヴューラが視た破局を防ぐことができる――そう信じたのだ。

 だが、破局を完璧に防ぐことはできなかった。

 ミヴューラが見せたように滅亡こそしなかったが、大陸はばらばらになり、終末思想に取り憑かれるものが現れるほどに世界は荒れ果てた。

 ベノアガルドを護ることさえできなかった騎士団は存在意義を問われ、信頼を失った。当然だろう。救済を掲げる騎士団がだれひとり救うことができないまま、“大破壊”に翻弄され、蹂躙されたのだ。もちろん、ミヴューラやフェイルリングたちが赴かなければ、“大破壊”どころでは済まなかったのだろうということは、十三騎士たるルヴェリスたちにはわかっている。セツナの証言によって、“大破壊”で済んだのはまぎれもなく僥倖としかいいようのないものだということが明らかになった。世界は滅亡する可能性があったのだ。

 だが、だからといって、“大破壊”後の世界で平然と生きていけるほど、人間は強くない。

 ましてや、奇跡的に無事に生まれたはずの我が子が怪物と化したために殺さなければならかった彼には、この世界ほど苦しいものはなかった。

 ずっと、死にたかった。

 十三騎士として、死ぬわけにはいかない。救世神ミヴューラや、フェイルリングたち魂の絆で結ばれた同胞たちとの約束もある。死んではならない。十三騎士としての役割を果たすまで、泥水を啜ってでも生き抜いてみせなければならない。

 そんなことはわかっている。

 わかりすぎるくらいにわかっているのだ。

 だれもが同じように苦しんでいることくらい、知っている。

 騎士団長を任され、“大破壊”後のすべての責任を負ったオズフェルトは何事もないように超然と振る舞っているが、そう見せているだけのことだ。シドだって副団長としての責務に押し潰されそうになりながらも足掻いているのだし、ベインやロウファも同じようなものだ。だれもがこの絶望的な世界で、失意の底に沈み込んでいったとしてもなんらおかしくはなかった。だれもがそうだ。ルヴェリスを含めて全員が、同じように救いがたい絶望を抱いている。

 それでも、彼らは騎士団騎士であり、神に選ばれた十三人の騎士なのだ。沈んではいられない。絶望してはいられない。前に進まなければならない。だれよりも先頭に立ち、希望に満ちた未来を目指さなければならないのだ。

 たとえそれが根拠なき欺瞞に満ちた希望であったとしても、血塗られた絶望の荒野を突き進むことと同義であったとしてもだ。

 ルヴェリスも、そうだ。

 神卓の間においてミヴューラと邂逅を果たしたとき、彼は己の使命を知った。ミヴューラの使徒として、救世のために身命を賭すと誓い、約束したのだ。この身も、この心も、魂までもが、この世のために捧げられるべき供物であると認めたのだ。なればこそ、今日まで過去を振り返ることなく駆け抜けてきた。ただひたすらに前進し続けてきたのだ。

 最愛のひとを傷つけ、我が子を手にかけてもなお、立ち止まることは許されなかった。そのことで自分の心が深い痛みを負ったところで、気にするべきではなかった。それは個人の問題だ。他者を救うために魂を捧げたのであれば、己が傷つくことなどどうだっていいことだ。

 そう想い込むことで、己を騙し続けてきた。

 それにも、限界が見えた――。

「わたしを殺しなさい。あなたの思うままに。あなたの望むままに」

 ルヴェリスは、シャノアの青い瞳を見つめ続けた。一切目を逸らさす、彼女の瞳の奥に渦巻く殺意、憎悪、絶望といった負の感情のすべてを認め、受け止めた。その上で、彼は彼女の決断を受け入れようと想った。

 それは十三騎士としてあるまじき結論だ。

 十三騎士は、他者を救うために戦い続けなければならないのだ。みずから命を差し出すことなど、あってはならない。それは神との、ミヴューラとの約束を反故することであり、騎士たちとの魂の絆をも踏みにじる許されざる行いだった。

 それでもルヴェリスはいいと想った。

 疲れ果てた魂を休ませたいから、などという個人的な理由ではない。

 これもまた、ひとつの救いなのではないか。

 彼は、そんな風に考えるのだ。

 絶望の果て、凶行に及ぶしかなかったシャノアの魂を救うには、こうするしかないのではないか。少なくとも、ルヴェリスにはほかになにか方法があるとは思えなかったし、たとえあったとしても、いますぐ実践できるものでもないだろうと考えた。

 いや、それ以前に、彼はもう、シャノアの憔悴しきった顔を、姿を見ていられなかったのだ。最愛のひとが心の底から傷つき、絶望のどん底で希望の影さえ見えないままさまよい続けている。救いの手を差し伸べようにも、その手は空を切るばかり。声をかけても響かない。思いやっても、届かない。なにをしても無駄で、むしろ逆効果だった。ただ彼女の心の中の憎悪を膨れ上がらせ、殺意を増大させていた。

 この悪循環を断ち切るには、彼女の絶望の根源であるところのルヴェリスの命を断つ以外にはないのではないか。

 ルヴェリスは、そこまで考えた上で、彼女の刃が胸に突き立てられるのを待っていた。その間、セツナや執事たちが介入してこないことが嬉しかった。邪魔されたくはない。これは、シャノアの魂を救うための儀式なのだ。そのために自分の命ひとつ捧げるくらい、安いものだ。オズフェルトたちの負担が増えてしまうが、ベノアガルドを包んでいた暗雲は、セツナのおかげもあって払われた。今後、ルヴェリスの存在がなくとも、大きな問題はない。

 死は、おそろしくはない。

 父と兄の死に様を見たとき、自分の死も実感した。そのときから、彼の中の死生観は壊れたといっていいのだろう。革命以降の人生は、余生といってもよかった。だから騎士団に入ってからも、好き放題に生きた。芸術家の道を閉ざされた鬱憤をほかのことで晴らしながら、騎士団幹部として、十三騎士としての役割を果たしてきた。

 これが、最後の務めだと思えば、悪いものではない。

 最愛の人の魂を救うことができるのなら、なおさらだ。

 シャノアがただじっとこちらを見据えていた。手で掴んだ剣の切っ先の震えが止まる。ついにそのときがきたのか。ルヴェリスが覚悟を決めた瞬間、刀身が魔晶灯の光を反射した。刃が虚空を奔り、切っ先が眼前を過ぎ去る。耳元で床が突き破られる音がした。

「なにを……しているのよ」 

 ルヴェリスは、間近に迫ったシャノアの顔を見つめながら、微笑んだ。

「イズフェール騎士隊の“剣の姫”と謳われたあなたが、二年程度でそこまで衰えるわけがないでしょ。ちゃんと狙いなさい。心臓は、ここよ」

 彼は、自分の心臓の上に手を当てて見せた。

 すると、なにを想ったのか、シャノアは剣から手を離し、倒れ込むようにしてのしかかってきた。体力がないのだ。もはや、体を支えることさえできなくなっていたようだった。ルヴェリスは、健康体そのものだったころのシャノアを思い出して、涙が流れるのを止められなかった。胸の上に埋めた顔を上げてきたシャノアは、血まみれの両手をルヴェリスの首にのばしてくる。肉が削げ落ち、痩せ細った手では、剣を握っていることすら困難を極めただろう。

 そんな手では、ルヴェリスの首を絞めて殺すことなどできるわけもない。

 ルヴェリスは、シャノアがもはや復讐を果たすことすらできない状態になっていたことを理解して、ただただ涙した。

「ほら、ちゃんと食べないから、わたしを殺すことだってできないのよ」

「ああっ……!」

 シャノアは、ルヴェリスの首をそのか細い手で絞めつけようとしながら、言葉にならない叫び声を上げた。そうして彼女が声を発するのは、我が子を失って以来のことであり、ルヴェリスは、彼女の中の行き場のない怒りとも悲しみともしれない激情を感じた。

「あああああっ……」

「シャノア……」

「あああ……」

 叫ぶ力さえなくした彼女は、そのままルヴェリスの上で涙を零した。ルヴェリスを見つめながら涙を流す彼女の表情は、絶望の中でもがき苦しんでいる人間そのものであり、彼は、無意識のまま、彼女の華奢な体を抱きしめていた。

「いいのよ、シャノア」

 ルヴェリスは、シャノアの嗚咽を聞きながら、ただひたすらに彼女のことを想った。両腕で抱きしめたシャノアの体は、想った以上にか細くて、か弱くて、それだけで悲しくなってしまった。以前からわかっていたことだ。シャノアは、ルヴェリスいるときにしか食事を取らなかった。ルヴェリスが所用で家を離れると、何日であろうとなにも食べず、痩せ細っていった。それくらい、あの後の彼女はルヴェリスに依存していたのだ。それが、ルヴェリスさえ拒絶したあとは、どうか。もはやなにも食べないことが当たり前となり、極限状態に陥らない限りは、執事たちが用意した食事さえ口に入れなかった。

 ルヴェリスがシャノアの部屋を訪れたのは、無理にでも食べさせようと想っていたからだ。

 このままでは、シャノアの体が持たない。

 遠からず命を落としかねなかった。

「あなたはなにも悪くない。こうなったのは、あなたのせいじゃない」

 そういって、シャノアは泣き続けるシャノアの頭を撫で続けた。

 ふたりの問題が解決したわけではない。

 なにも解決していないといってもいいだろう。

 ただシャノアが心に溜め込んでいた想いを吐き出しただけのことであり、ルヴェリスがそれを受け止めただけのことだ。なにも変わっていない。なにひとつ。

 それでも彼は、一歩、前進したと想ったのだ。

 少なくともシャノアが抱え込んでいたものを吐き出すことができたのだ。これまでなにをいってもろくに反応も見せず、ただ依存し、ただ拒絶するだけだった彼女が、本心をぶつけてきた。それは彼にとって極めて辛い現実であり、絶望的なものではあったが、覚悟していたことでもあったのだ。

 彼女に恨まれ、憎まれ、殺意さえ抱かれていたという事実を認め、受け入れたとき、彼は、はじめて彼女のことを真に理解できたのだと想った。それがたとえ一方的な思い込みであったとしても、ただの勘違いだったとしても、これまでよりはずっと近づいたはずだ。

 それが一歩。

 たった一歩だ。

 これまで永遠に近く隔絶されていた距離を、ほんの一歩、歩み寄ることができたというだけのこと。

 しかし彼はそれでいいと想った。それ以上望むべくでもないのなら、いまはそれで十分だ。一歩、一歩、少しずつでも歩み寄っていければ上出来ではないか。一度は完全に隔絶され、もう二度と近づくこともかなわないのだと諦めかけていた。

 その道が見えたのだ。

 それもただの気のせいかもしれない。思い込みかもしれない。彼女はただ感情を発露させただけで、ルヴェリスに歩み寄ったわけではないのかもしれない。

(それでも――)

 それでも、と、彼は縋るような想いで、彼の胸で泣きじゃくる愛しいひとを抱きしめた。



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