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第千七百八十六話 ふたりの問題(中)


 ルヴェリス・ザン=フィンライトの人生は、決して順風満帆といえるようなものではなかった。波乱万丈というに相応しい。だれに話したとしても、彼と同じ人生を歩みたいと想うものはいないだろう。だれが好き好んでこのような辛く苦しいことばかりの人生を歩みたがるものだろうか。

 だが、ルヴェリスだけは、もしもう一度人生があるのであれば、まったく同じ人生を歩みたいと想っていた。

 確かに自分の人生は波乱に満ち、失意と絶望の連続ではあったし、心身ともに傷つき、疲れ果て、終わりを求めることもなくはなかった。けれども、この人生でなければ得られないものもまた、確実に存在したのだ。

 シャノアという掛け替えのないひとと巡り会えたのは、彼がこのルヴェリス=フィンライトとして生まれ落ちたからにほかならない。

 シャノア=ウェルクールは、ベノアガルドの名家フィンライト家の分家に当たるウェルクール家の令嬢だ。知り合うだけならば、ベノアガルドの貴族と付き合いのある家に生まれるなり、騎士団に入るなりすればいいだけのことだ。が、彼女と真に理解し合い、終生の友として、魂の伴侶として同じ道を歩むことを望むのであれば、ルヴェリス=フィンライトとして生まれる以外にはありえなかった。

 シャノアは、生まれながらにしてルヴェリスの婚約者だったからだ。

 ウェルクール家の娘は、フィンライト家の人間に嫁ぐという習わしがある。それは、ウェルクール家がフィンライト家の分家であり、両家の繁栄のために結ばれた約束にして儀式のようなものだった。その儀式さえ続けていれば、フィンライト家、ウェルクール家の将来は安泰だろう――古くからの言い伝えを否定する考えは、両家の人間にはなかった。

 シャノアがなぜフィンライト家の家督を継ぐであろう長男ではなく、次男のルヴェリスと婚約することになったのかについては、単純な理由がある。

 フィンライト家の長男――つまりルヴェリスの兄には既に別の分家の娘との婚約が結ばれていたからだ。フィンライト家は、いくつもの分家を持つ。そしてそれらすべての分家と、ウェルクール家と同じ約束を取り交わしているのだ。そして、分家は、自家からフィンライト家の嫡男との婚約者を出すことに躍起になった。なぜならば、フィンライト家はベノアガルドにおける名家であり、有力貴族だからだ。フィンライト家との繋がりが深くなるということは、それだけ恩恵が得られるということでもある。

 フィンライト家は、王家に繋がり、ベノアガルドの政治腐敗に深く関わっていたのだ。ルヴェリスが生まれたころ、フィンライト家の権勢は凄まじいものであり、シギルエルを実質的に支配していたといわれるほどだ。それほどの力を持つ本家と結びつきを強くすることが分家にとって急務だったのは、想像に難くない。

 そして、つぎに重要なことは、ルヴェリスとシャノアが同年に生まれたということだ。ふたりが相次いで生まれたのは、大陸暦四百七十四年の夏のことであり、フィンライト家はこれを慶事とし、即座にルヴェリスとシャノアを婚約させた。

 つまり、ルヴェリスが物心ついたときには、シャノアという婚約者がいたということだ。そして、それは彼にとって掛け替えのない出来事だった。彼女がいなければ、彼女が支えてくれなければ、ルヴェリスはルヴェリスでいられなかっただろう。

 

 革命と呼ばれる政変がベノアガルドを震撼させたことは、いまだ記憶に新しい。

 十年ほど前のことになる。

 ベノアガルドを席巻していた政治腐敗を一掃するべく立ち上がった若き騎士たちによる武装蜂起は、瞬く間にベノアガルド全土を新たな色に塗り替えていった。王家をはじめ、有力貴族や騎士団、富豪など、政治腐敗に携わったものたちがベノアガルドから一掃されたことで、ベノアガルドはあっという間に生まれ変わってしまった。

 その一掃された有力貴族には、当然、フィンライト家も含まれている。フィンライト家は、先にも述べた通り、ベノアガルドの腐敗に深く関わることで権勢を誇っていた。フェイルリング・ザン=クリュースら革命派騎士が打倒するべき対象として、王家のほかに上げた有力者の中でも特に扱いが大きかったというくらいだ。

 ちなみに、クリュース家、ウォード家といった革命派騎士の家も、同じように討滅対象として上げられ、革命の日、血祭りにあげられている。腐敗を根絶するには、それくらい過激かつ徹底的にやらなければならなかったのだろうし、それについてはルヴェリスも納得してはいた。

 ルヴェリスは、フィンライト家の人間だが、殺されなかった。次男だったことが免罪符になったわけではない。腐敗――つまりフィンライト家の仕事に一切関わっていなかったことにより、死を免れた。もし少しでもフィンライト家の仕事を手伝っていれば、酌量の余地なく断罪されていたことだろう。その点では、彼を次男だからという理由で家の仕事に関わらせようとさえしなかった親には、そのときばかりは感謝したものだ。もっとも、ルヴェリスの失意に満ちた半生は、父が彼を見離したことによるものであり、彼が芸術家を目指したのもそこに起因しているのだが。

 ルヴェリスは、兄や父が革命派によって処断されたことにより、フィンライト家の家督を継ぐことになった。なってしまった、というべきだろう。彼は、家督など継ぎたくもなかった。フィンライト家は、名家とは名ばかりの汚辱にまみれた家になってしまっていたからというよりは、芸術家の道を閉ざされることに絶望したのだ。とはいえ、分家のためにも本家を護らなければならないという理由もあり、彼は家督を継ぎ、フィンライト家の当主となった。

 そのとき、もしシャノアが側にいてくれなければ、彼はまったく別の選択をしていたかもしれないのだ。

 シャノアが側にいて、支えてくれるからこそ、彼は立っていられた。ひとりの人間として、ひとりの男として、地上に存在することができた。 

 すべては、シャノアのおかげだった。

 彼女が献身的に支えてくれるからこそ、自分は自分であり続けることができる。その想いは、昔からなにひとつ変わっていない。

(どうして……そんなことばかり思い出すのかしらね)

 ルヴェリスは、ただ、シャノアを見つめていた。赤みがかった髪に藍色の目というなんとも華麗な組み合わせが、子供の頃から好きだった。よく彼女の髪の毛をいじっては怒られたものだ。彼女としてはしっかりと髪型を決めているというのに、ルヴェリスの気分次第でめちゃくちゃにされては、怒られるのも当然だろう。しかし、そうやって彼女が気恥ずかしそうに怒る姿を見るのが楽しくて、つい調子に乗ってしまったことが多々あった。だからといって彼女の髪型が気に食わなかったことは一度もない。ただ、シャノアの髪と目の色が好きだったのだ。

 その気持ちはいまも変わらない。

 変わらないからこそ、その血走った目を見るのが辛くてかなわなかった。常軌を逸した目。視線が定まらず、瞳孔が開きっぱなしになっていた。呼吸が荒い。

 シャノアは、ルヴェリスに殺意を剥き出しにしていた。

 それは、そうだろう。

 ルヴェリスには、シャノアの気持ちが手に取るようにわかる。

 いや、もちろん、完全無欠とはいかない。ルヴェリスとシャノアは、生まれたときからの婚約者であり、何十年、支え合ってきた間柄だ。半身といってもいいくらいには分かり合えているつもりだ。しかし、それは一方的な思い込みに過ぎない。やはりどうあがいても他人は他人なのだ。完全無欠に理解し合えるわけもない。十三騎士のように魂が結ばれていても、心は擦れ違い、想いはぶつかり合う。他人ならばなおさらだ。どれだけ長い年月を一緒に過ごし、互いを思い遣り続けてきたとしても、完璧に相手の心情を把握することなど、夢のまた夢だろう。

 それでも、ルヴェリスには、シャノアがなぜ、彼を殺そうとしているのか、わからないわけがなかった。

 ルヴェリスがシャノアの立場であったとしたら、同じような行動を取ってしまったかもしれない。そう結論付けるのは、シャノアの気持ちが痛いほどわかるからだ。

 ルヴェリスは、シャノアが腹を痛めて産んだ子を、ふたりの愛の結晶というべき存在を手に掛けた。それも、一度ならず二度までも。一度目は神人化した我が子の命を断ち、二度目は、亡者として現れた我が子を消し去った。それも、彼女の目の前で、だ。時間もなければ余裕もなく、ほかに取れる方法もなかった。

 仕方がなかった――などと言い訳をしたくもない。

 シャノアは、一度目の我が子の死を目の当たりにしたことで、心を失った。そこから今日に至るまで、少しずつ前進しているかに思われたそのとき、突如として訪れた運命の皮肉には、ルヴェリスも絶望するほかなかった。まさか、我が子をもう一度、この手で殺さなければならなくなるなど、だれが想像できるだろう。

 身を切るような想いで、我が子を手に掛けた。

 自分の心を殺すのと同じだ。

 そして、真躯を維持することもできなくなったとき、彼は、シャノアのことを思い出した。シャノアは一部始終を見ていた。亡者となった彼らの子は、シャノアを殺そうとしていたのだから、その場に彼女がいるのは当然のことだ。シャノアは、瞬時に理解しただろう。彼女の目の前から我が子を二度までも消し去ったものが、ルヴェリスだったという事実を。

 シャノアがルヴェリスをも拒絶し、その中で憎悪や殺意を膨れ上がらせていったのだとしても、不思議なことではなかった。

 だから、ルヴェリスはシャノアが花瓶を投げつけてきたとき、理解した。彼女の中の殺意がもはや抑えきれないくらいに膨れ上がり、暴走したのだ、と。そして、彼は彼女のなすまま、組み敷かれた。

 刀身を握る手に刃が食い込み、流れ出した血が刀身を伝って切っ先から零れ落ちる。切っ先は震え、零れる赤い雫の落下点は定まらない。衣服の広い範囲が赤く染まっているのは、そのせいだ。ルヴェリス本人の血ではない。シャノアの血なのだ。殺そうとするものが血を流している。それも段々多くなってきている。このまま血を流し続けるのは、彼女の体にとってもよくないことだ。多量の出血は命の危機に繋がる。

 だから――というわけではないが、ルヴェリスは、シャノアに向かって口を開いた。

「なにを迷っているのよ」

 シャノアが、びくりとした。

「わたしを殺すんでしょう。あの子を奪ったわたしを殺したいんでしょう」

 シャノアの目から伝わる殺意は、痛々しいほどに純粋で、狂おしいほどに切ない。

「だったら、迷うことなんてないじゃない」

 逃げも隠れもしない。防ごうとも思わない。受け入れるだけだ。

 これは彼女とあの子を守れなかった自分への罰なのだ。



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