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第千七百八十五話 ふたりの問題(前)


 百年ぶりの名誉騎士誕生の夜、ベノア中がお祭り騒ぎの真っ只中にあった。

 騎士団本部での会食を終えたセツナたちは、騎士団所有の馬車に乗り、フィンライト邸へと向かった。騎士団本部に寝泊まりすることもできたが、見知らぬ騎士団本部よりも見慣れたフィンライト邸のほうがいいというセツナとレムの意見が合致したため、騎士団本部を離れることとなった。

 ちなみに、会食の席で行われたベインとロウファの飲み比べ対決は、ロウファの勝利で終わった。ベインの敗因は、勝負に至るまでに飲みすぎていたことのようであり、戦後、そのことを指摘されたベインは悔しさのあまり酔い潰れるまで飲んだという話だ。そんなベインを嘲笑ったのがロウファであり、彼は度々ベインに勝ち誇り、そのたびに口惜しがるベインの姿を拝むことができた。結果は結果だ、というさっぱりしたところは、ベインの美点だろう。

 シルヴィールとは、世間話に留まった。彼女はセツナの名誉騎士授与を自分のことのように喜んでくれたほか、セツナへの感謝を何度も言葉にした。また、こうして再会できたことを心より喜んでいるというようなこともいってきた。彼女の並々ならぬ好意を肌で感じながらも、決して応えることはできないという想いがセツナの中にあり、それが態度にでないようするので精一杯だった。

 そんなこんなで会食が終わることには、セツナもほろ酔い気分だった。

 馬車にはフロード・ザン=エステバンも同乗しており、道中、彼がベノアのお祭り騒ぎについて色々と語ってくれた。夜も更けてきたというのにお祭り騒ぎが一向に終わる気配を見せないのは、彼が昼間いったようにベノアガルドが暗雲から開放されたという事実が、ベノアに集まったベノアガルド国民の心を解放しているからなのだろう。溜まりに溜まった鬱憤を晴らすように、だれもが今日の祝祭を愉しんでいる。それ自体は喜ばしいことであったし、悲嘆に暮れていた市民、国民が活気を取り戻すことほど騎士団にとっても嬉しいことはない、とフロードはいった。

“大破壊”から今日に至るまで、ベノアガルドはあまりにも悲惨な日々を送ってきたのだ。そのベノアガルドが直面していた様々な問題が解決した今日くらい、羽目をはずしたってなんの問題もないだろう。だれもがそう考えているようであり、馬車の行く先々で歓喜の宴が開かれていた。

 フィンライト邸に到着すると、ルヴェリスと執事たちがわざわざ出迎えてくれた。フロードと軽口を叩き合って別れると、そのままフィンライト邸に入った。

 ルヴェリスがセツナたちよりも先に帰っていたのは、シャノアのことがあるからだろう。

 セツナはそんな風に察したものの、なにも聞かなかった。シャノアについて言及するのは、憚られることだ。少なくとも、シャノアが回復するまでは。

 そんな日が訪れるのか、という疑問も口にはできない。シャノアの精神状態が元に戻る可能性がどれほどあるのか、医師であるマリア=スコールにもわからないという。精神の問題なのだ。肉体的な病であれば薬を処方するなり、療養するなりして解決するかもしれない。しかし、精神的な病に確実に効く治療法は確立されていなかった。

 しかもここのところ、ルヴェリスとシャノアの関係は悪化の一途を辿っていた。

 原因は、ベノアを襲った亡者騒動にある。

 ネア・ベノアガルドを影から操っていた神アシュトラがハルベルトを絶望させるために仕組んだのであろう亡者騒動は、ストラ要塞のみならず、ベノアをも席巻した。死者がつぎつぎと蘇り、騎士たちを混乱に陥れたのだ。オズフェルトは己の父と対峙し、それを討ったといい、ほかの騎士たちも自分に関係する亡者と遭遇したという。

 ルヴェリスは、フィンライト邸に亡者が出現したのを認識し、急行した。そこで彼が目撃したのは、彼がかつて殺した我が子の姿をした亡者であり、シャノアはその亡者を前に涙を流していたというのだ。無論、ルヴェリスは亡者を討った。討たなければならなかった。亡者は、正確に彼らの子を再現していたからだ。つまり、神人化し、シャノアに襲いかからんとした。ルヴェリスが討たなければ、もう一度手にかけなければ、シャノアは殺されていたのだ。

 辛かっただろう。苦しかっただろう。それこそ、血を吐くような想いだったに違いない。それなのにルヴェリスは、気丈に振る舞い続けていられるのだから、彼の精神力の強さは凄まじいものがあるというほかない。

 だが、それはルヴェリスの話だ。

 シャノアは、違う。

 ルヴェリスは、真躯の力でもって神人化した我が子の亡者を殺したが、真躯を維持し続けることができず、シャノアの前に姿を曝してしまったのだ。目の前で二度までも我が子を殺された上、殺した張本人がルヴェリスであると認識したとき、シャノアはルヴェリスをも拒絶するようになった。

『当然の帰結なのよ、これは』

 ルヴェリスは、苦しい内心を隠すようにいった。

『わたしがこの手であの子を殺したんだものね』

 殺したのはそのとおりなのだが、ルヴェリスにはほかに方法がなかったのも事実なのだ。殺さざるを得なかった。殺さなけれれば、手にかけなければ、シャノアのみならず数多くの犠牲者が出たのは想像に難くない。

 神人は、害を成すだけの存在だ。

 神人の力を制御することのできたマルカールだって、神に操られていただけかもしれないのだ。神人が人間と分かり合える可能性は、いまのところ、ない。そして、神人化したものを人間に戻す術もない。可能性を信じて確保し、隔離しておくこともできない。

 ルヴェリスの判断はなにも間違ってはいない。そのときにはそれが最善だったのだ。だが、必ずしも最善が受け入れられるわけではないのもまた、事実だ。シャノアにとっては、ルヴェリスとの愛情の結晶である我が子の変容も、その子を目の前で殺されたという現実も、到底受け入れがたいものであり、彼女の心を壊すには十分過ぎたのだろう。

 そして、それが再現された。

 それもまたアシュトラが引き起こしたものであり、画策したものであるとすれば、なんとも皮肉で、言い様のない怒りを覚える。

『だれかを恨んだって仕方のないことよ。だれが悪いんじゃない』

 ルヴェリスは、努めて平静を保ちながら、いった。

『わたしたちの問題だもの』

 ふたりの問題なのだ、と。

 セツナは、ルヴェリスと軽い会話を交わして、自分たちの寝室に向かった。そのとき、ルヴェリスがシャノアの部屋に向かうのを見たが、なにもいわなかった。なにかかけられる言葉でもあればいいのだが、そのようなものがあろうはずもない。

 ルヴェリスの気持ちも、シャノアの心情も、想像すればするほど苦しくなっていく。どちらが間違っているということではない。ルヴェリスもほかの選択肢はなかったのだし、シャノアがそうなったのも仕方のないことだ。

 ふとした瞬間、ふたりのことを考えてしまうのは、ルヴェリスとシャノアにはいい思い出ばかりがあるからだろう。シャノアといえば、ラグナのことを気に入り、彼女とよく遊んでいたことを思い出す。ルヴェリスもそうだ。ベノアでの勾留中での思い出の多くは、フィンライト邸でのものだった。そしてそのほとんどすべてがいい思い出として残っている。

 シャノアがルヴェリスと仲良くしている光景を思い出すたびに涙が出そうになる。

 もう、あの日々は戻っては来ないのか。

 そんなことを勝手に想像しては、悲しくなった。

「御主人様……」

「ああ」

 レムに促されて、寝室に入ったセツナだったが、その瞬間、なにかが割れるような音が聞こえて、即座に反応した。聞こえてきたのは、シャノアの部屋の方からだった。


 シャノアの部屋前に辿り着くと、床に散らばるガラス片が視界に飛び込んできた。駆け寄って見ると、ガラス片のほか、床が濡れていて壁際に花が落ちていた。だれかがガラス製の花瓶を投げつけたのだろう。それがだれなのかは、考えるまでもない。

 ルヴェリスに向かって、シャノアが投げつけたに違いなかった。シャノアの部屋には、最近はルヴェリスさえ立ち入ることができていない。執事たちも、食事を部屋の前まで運ぶので精一杯だというのだ。シャノアは、以前からルヴェリス以外を拒絶していたが、ルヴェリスさえも拒絶したいま、だれとも会おうとはしなかった。無論、セツナたちもだ。

 部屋の扉は開かれたままであり、セツナがおそるおそる中を覗き込むと、衝撃的な光景が繰り広げられていた。

「ルヴェリスさん!」

「ルヴェリス様、シャノア様!」

 セツナとレムのふたりが同時に叫んだのは、目の当たりにした光景のせいだった。

 ルヴェリスがシャノアによって床に組み敷かれており、その上で刃を突きつけられていたのだ。それは想像しようもない光景だった。ルヴェリスとシャノアの体格差は一目瞭然であり、それはつまり、体力差を示してもいる。シャノアはイズフェール騎士隊が誇る女性騎士だったが、それは二年以上前の話であり、ルヴェリスと結婚して以降、騎士隊を辞め、家庭に入っている。日課の鍛錬こそ続けていたというが、それも“大破壊”後の様々な事情が彼女に忘れさせた。常日頃肉体を鍛え続けているルヴェリスが、もはや体を鍛えることすらできなくなったシャノアに力で負けるわけもない。ルヴェリスは、シャノアのなすがままにされ、組み敷かれたのだろう。

 そうとしか、考え様がなかった。

 ルヴェリスは、かつて十三騎士と呼ばれた騎士団幹部のひとりであり、その実力は折り紙付きだ。たとえシャノアが鍛錬を続けていたとしても、組み伏せられる相手とは思えなかった。たとえ一瞬の隙をついて組み伏せられたとしても、即座に逆転できるくらいの実力差はあるはずだ。でなければ、騎士団幹部など務まるまい。だが、ルヴェリスはいまもなお、やせ細ったシャノアに組み敷かれたままであり、微動だにしなかった。じっと、シャノアを見ている。シャノアの血走った目、激しく上下する肩、荒い呼吸は、彼女がルヴェリスに対する感情の昂ぶりを抑えきれなかった結果、このような現状になっているのだろうということが伺える。手には剣が握られていた。シャノアが愛用していた長剣であり、騎士隊を辞めてからも自室に飾っていたものだ。しかし、剣の使い方さえ忘れたのか、彼女は剣の柄ではなく、刀身を両手で握っていた。当然、刃が手のひらに食い込み、皮膚を裂いている。血が刀身を伝い、震える切っ先から零れ落ちて、ルヴェリスの白い私服を赤く染めていた。

 セツナがシャノアの凶行を止めるべく室内に入ろうとしたその瞬間、ルヴェリスの目がこちらを見た。

「ふたりとも、部屋に入らないでね」

「なにをいっているんですか!」

「そうです!」

「駄目よ。これは、あたしとシャノア、ふたりの問題なんだから」

 ルヴェリスは、苦笑を浮かべた。決してそんな顔を見せられるほど余裕のある状況ではない。無理して、笑っている。

「あなたたちが関わっていい話じゃあないのよ」

 ルヴェリスはそう言い放つと、長いまつげに縁取られた目を自分に跨る最愛の女性に向けた。

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