第千七百八十四話 レムとシルヴィール(後)
「あ、ああ。そうだが……あなたは?」
戸惑い気味に問いかけてきたシルヴィールに対し、レムは笑みを浮かべたまま、口を開く。
「わたくしは、レムともうします。この度、名誉騎士を授与されたセツナ=カミヤの下僕にございます」
無論、いうまでもないことだろう。セツナに並々ならぬ関心を持つ彼女が、セツナの周辺について調べないわけがない。セツナがレムと合流し、ベノアに滞在しているということくらい知らないわけがなかった。事実、彼女は別段驚いた様子もない。それどころか、納得したような表情をした。
「やはり、そうだったか。噂には聞いている。死神殿」
「死神だなどと……わたくしはセツナ様のただの下僕にございます。セツナ様の命令に従うだけが取り柄で、それ以上のことは」
「では、わたしに話しかけてきたのも、その、せ、セツナ殿の命令なのか?」
「いえ……これはわたくしの自発的な行いにございます」
「そ、そうか……」
どこかがっかりしたような様子のシルヴィールを見て、レムの直感が働く。シルヴィールは間違いなくセツナに好意を抱いている。それも並々ならぬものであるということが、シルヴィールの言葉、表情の端々から窺い知れる。
「御主人様は煮え切らぬ方でございます故、ときにこうして下僕たるわたくし自身が動かねばならぬときがあるのです」
「そうなのか?」
「はい」
にこりと告げる。
レムは、セツナの話題となると飛びついてくるシルヴィールになんともいえない感情を抱いた。
セツナが同性、異性に関わらず人気者になること自体は、別段、問題でも何でもない。女性がセツナに特別な感情を抱くのも、決して悪いことではない。セツナがそれだけ魅力のある人間だという証明ともなるし、仕えているレムの鼻も高い。しかし、冷静な考えからくるそういった判断とは別に、感情はその通りとはいかない。レムはレムで、セツナのそういった部分にやきもきせざるをえないのだ。
レムもまた、セツナに魅せられたひとりだ。
下僕として自分を律することで感情を抑えているものの、時折、どうしようもなく抑えがたくなることがある。そういうとき彼女はセツナにわざとらしく甘えたりできるミリュウが羨ましく思ったものだし、そうすることで感情をぶつけることがどれほど困難なものであるかを理解し、途方に暮れたものだ。
そういう意味では、二年もの眠りが彼女の肉体にもたらした異変は、悪いものではなかった。肉体的には疲れ果てた日々だったが、どんなときも常にセツナが側にいてくれただけでなく、少し疲れたような顔をすると、それだけで彼が血相を変えて気遣ってくれたのが、単純に嬉しかった。セツナには昔からそういうところがあったものの、あの期間はそれが顕著だったのだ。
そういう時間は長くは続かなかったものの、そのおかげで彼女はセツナへの想いを再確認できた上、セツナが自分を想ってくれているという事実も認識できたのは間違いない。
それだけで満足していればいいのに、セツナに並外れた好意を抱く女性がいるということを知るといてもたってもいられなくなったのは、やはり、あの濃密な時間のせいなのかもしれない。
感情に抑えが効かなくなる瞬間が増えた。
(まったく、御主人様も罪作りな方でございますこと)
レムは、シルヴィールと世間話をしながら、彼女がセツナに対し、とてつもない好意を抱いていることを察した。
セツナが平々凡々な人間ならば、そうはならなかっただろう。シルヴィールは頑なな女性騎士だ。平凡な男に興味を抱くとは思えない。が、セツナは平凡な男ではなかった。絶大な力を秘めた召喚武装・黒き矛の使い手であるだけでなく、その人生も決して凡庸なものではない。彼は異世界の人間なのだ。異世界からこのイルス・ヴァレに召喚されるという、世にも奇妙な人生経験を持つ彼が特異な魅力を持つのだとしてもなんら不思議ではなかった。無論、彼自身の性格もある。
困っているひとがいると見過ごせないというところが、セツナの魅力といってもよかった。
それがシルヴィールにとってのセツナの第一印象だということも、彼女から聞いた。彼女がセツナと出会ったのは、サンストレアを襲った神人災害を不法侵入を犯してまで飛び込んできたセツナが解決した直後のことであるといい、そのときの詳細を知ったシルヴィールがセツナに興味を持ったのは当然だったのかもしれない。いまの時代を生きる人間にとって、神人がどれほど恐ろしい存在であるかは想像に難くない。セツナは神人がどういうものか一切知らなかったというが、たとえ神人の恐ろしさを理解していたとしてもサンストレアの被害を見過ごすことはなかっただろうし、たとえ黒き矛を圧倒するような存在が相手だったとしても、黙ってはいなかっただろう。
ともかく、そのようにしてセツナと出会ったシルヴィールがなぜここまで熱烈な視線を送るようになったのかを知るべく、レムは、彼女との会話を続けた。続ける内、シルヴィールの研ぎ澄まされた刃のような凛然とした姿の内に秘められた情熱を感じた、
「セツナ殿には感謝しているのだ。セツナ殿がいなければ、サンストレアはいまもマルカールの支配下にあったのは間違いない。わたしもきっと、マルカールのことを疑いもせず、付き従っていただろう。わたしだけではない。サンストレアのだれもが、マルカールを偉大な市長として仰ぎ続けていたはずだからな」
シルヴィールは、語る。
「セツナ殿がマルカールの正体を暴き、打倒してくれたからこそ、サンストレアはマルカールの呪縛から解放され、今日、こうして名誉騎士殿の誕生を祝うことができるのだ。感謝しかない」
シルヴィールのその一連の言葉は、本心からのものであり、なにひとつ嘘ではないのだろうが、レムにはどうにも引っかかりを覚えた。それはシルヴィールの立場上の想いであり、シルヴィール個人の感情ではないのではないか。
「それだけでございますか?」
「それだけ、とは?」
「シルヴィール様は、御主人様についてどう想われておられるのでございましょう?」
「わ、わたしの意見などどうでもいいことだ。わたしはサンストレアの代表として……」
「代表としてではなく、シルヴィール様個人の想いをお聞かせくださいませ」
「な、なぜそうなる」
シルヴィールが狼狽えながら頬を赤らめたのを見て、レムは確信をもって攻め立てた。
「セツナ様の下僕として、これだけは知っておきたいことでございます故」
レムがそういうと、シルヴィールは、困り果てたように視線を虚空に泳がせた。しばらくして、覚悟を決めたように口を開く。
「……尊敬している」
「尊敬、でございますか」
「あ、ああ。尊敬だ。セツナ殿の献身的ともいえる働きがなければ、わたしもサンストレア市民も、真実を知ることもなかったのだ。セツナ殿がいなければ……」
「それは先程もおうかがいいたしました」
「う……だが、そ、それがすべてだ」
「本当なのでございます?」
「本当だ!」
シルヴィールは顔を赤らめながらもそれ以上の詮索は不要だとでもいわんばかりに言い放ってきたため、レムは追求を諦めざるを得なくなる。あまりにも追求しすぎれば、彼女の不興を買い、セツナからも嫌われかねない。シルヴィールはともかくとして、セツナに嫌われては生きてはいけない。レムはセツナの下僕としての人生を愉しんでいるのだ。
すると、思わぬ声が聞こえた。
「なにを話し込んでんだ?」
「御主人様」
レムがはっと振り向くと、セツナが直ぐ側に立っていた。静止を振り切ってシルヴィールに突貫したレムのことが気になって落ち着いていられなかったに違いない。それでもしばらくは様子を見てくれていたのだから、レムはセツナのことがますます好きになる。
「セ、セツナ殿……」
「やあ、久しぶり、シルヴィール。元気だったか?」
「あ、ええ……その、ご覧の通り……元気そのものです……」
セツナを目の前にした途端、突如としてしおらしくなってしまったシルヴィールの反応を見て、レムは彼女の本音を理解した。シルヴィールは間違いなく、セツナに惚れ込んでいる。それがどういった経緯によるものかはついぞわからずじまいだったが、レムは確証を得ることができて、多少満足した。
「元気ならなによりだ」
「セツナ殿もお元気そうで……あ、そ、それから、名誉騎士の授与、心からめでたく存じ上げます」
「ん……ああ、ありがとう」
もじもじするシルヴィールの姿を見ていると、本当に頑固で融通の効かない女性騎士なのか、と疑いたくなるのだが、フロードの評価が外れているとも想い難く、恋する乙女とはこのようなものかもしれない、とも思い直す。もしかすると、シルヴィールにとっての初恋だったりするのではないか。だからこうまでぎこちない態度になってしまうのではないのだろうか。いや、単純に、セツナのことが好きすぎるのか。
いずれにせよ、シルヴィールの初々しさには、レムもなんだか温かい気持ちになってしまい、胸中で苦笑した。恋敵の出現に警戒していたのではないのか、と、自嘲せざるをえない。実際には、そうはなりえないことが明らかになって、ほっとしている自分を認める。
「ところでシルヴィール、ひとつ質問があるんだが」
「な、なんでしょう?」
「レムに変なこと吹き込まれなかったか?」
「い、いえ……なにも……」
「そうか。それならいいんだ」
「御主人様、それではまるでわたくしがありもしないことを言いふらして回っているようではございませんか」
「違うのかよ」
「そんなことはあまりしたことがございませぬ」
「あまり、っておまえ」
「それではシルヴィール様、御主人様とのお時間をお楽しみくださいませ」
「おい」
「は!? あ、ちょっと――」
レムの発言を理解した瞬間、シルヴィールは顔を真赤にして慌てふためいたが、そのときには彼女はふたりの側から離れていた。シルヴィールがその想いを遂げられることは、あるまい。セツナの態度から、そう感じる。セツナは他人の想いに決して鈍感な人間ではない。むしろ、敏感といってよかった。そんな彼がシルヴィールの想いに気づいていないわけがないのだ。それなのにセツナはシルヴィールの想いに気づいていないふりをしている。
セツナは、シルヴィールと添い遂げるつもりはない。
そうである以上、なんの心配も必要なかった。
もっとも、たとえセツナがシルヴィールを受け入れたとしても、レムが心配するような事態にはなりえないという確信はあったのだが。
それでも、確認することができたのは収穫だった。
セツナは、決して変わってはいない。