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第千七百八十三話 レムとシルヴィール(前)


 ベインとロウファの飲み比べが始まってしばらくしてからのことだった。

「ところで御主人様」

 レムが、唐突に話しかけてきたのだ。

 振り向くと、彼女はなにか質問したそうな表情でセツナを見ていた。黒髪に赤い瞳の少女。この会食の場に相応しいとはいえない彼女は、人目を集めざるをえない。しかし、彼女がセツナの下僕として有名な死神レムだと知れば、即座にその好奇の目を伏せるのだ。レムへの視線がセツナの不興を買うかもしれない。

「なんだ? ちゃんと食べてるか?」

 セツナは問うついでに、彼女がこの立食形式の会食を満喫できているのかも問うた。レムはセツナの側からほとんど離れず、セツナはシドたちと立ち話ばかりしていて、食事をしている暇もなかったからだ。レムは、セツナの気遣いに少しばかり驚いたような顔をした。

「あ、はい。美味しく頂いておりますのですが」

「ん? なにか気になることでもあったのか?」

「先程から御主人様のことを熱烈に見ておられる方がおられまして」

「え?」

「あちらに」

 レムが指し示した先には、会食の参加者たちに紛れて、金髪碧眼の美女が立っていた。きらびやかな衣装で着飾ってはいたが、その凛とした立ち姿には見覚えがあった。というより、忘れようがない。

 シルヴィール=レンコードだった。

 彼女がこの場にいることは、予想通りだ。シルヴィールは、サンストレアの代表としてベノアを訪れ、サンストレアのベノアガルド復帰を騎士団に申し込んだ張本人だった。まさか彼女がサンストレアを代表する立場になっていたとは想像しようもなかったが、よくよく考えてみれば、わからない話ではなかった。マルカール=タルバー統治時代、マルカールの腹心、右腕として働いていたのが彼女だ。マルカール亡き後のサンストレアを収めるに当たって、彼女の知名度、人望を利用しない手はなく、ロウファが彼女にサンストレアの代表という役回りを与えたのだろう。そして、ロウファやサンストレアのひとびととの話し合いの末、ベノアガルドへの復帰を決めたに違いない。

 マルカールという絶対的指導者がいたからこその独立自治だったのだ。マルカールが倒れ、騎士団の保護下に入った以上、独立し続ける意味はなかった。そういう意味から、サンストレアがベノアガルドに復帰するのは、セツナの想像通りでもある。

 しかし、シルヴィールがサンストレアの代表としてベノアを訪れるとは考えもしなかったことであり、セツナは不思議な縁を感じた。

 しかし、彼女は、セツナと目が合うと、すぐさま目線をそらし、素知らぬ顔をした。頬が赤らんでいる。酔っているという風には見えなかった。

「御主人様のお知り合いの方ですよね?」

 レムがずいと身を寄せてきたのは、セツナに問い質すためだろう。

「なんでそういいきれる」

「でなければあそこまで熱烈な視線を送ってくることなどありえませぬ」

「むう……」

 それは、そうかもしれない。

 名誉騎士として表彰されたばかりのセツナに興味を持ち、好奇心から視線を向ける女性がいたとしても、それは熱烈なものにはなりえない。たとえ一目惚れするようなことがあったとしても、だ。どこか遠慮があるはずだし、そうでなければならない。しかし、レムが熱烈な視線と感じるほどの熱量がそのまなざしにあったとなれば、話は別だ。そこには遠慮がない。

「もしや、あの方がシルヴィール様では?」

「ああ、その通りだよ」

 セツナが素直に認めると、レムは、もう一度シルヴィールを見遣り、それから考え込むような表情をした。

「……なるほど」

「なにがなるほどなんだよ」

 質問しながら、悪い予感に苛まれる。

「これはファリア様やミリュウ様に報告することが増えましたね」

「おい」

「やはり御主人様は胸の大きな女の方に弱いのですね……それが少し残念です」

「おい」

 セツナの二度に渡る突っ込みも軽々と無視される。

 セツナは、レムが時折見せる傍若無人振りには閉口せざるを得ない。そして彼女は、自分が疑問に想ったことだけは、口にしてくるのだ。

「それにしても、なにをすればあそこまで思われるのでございます?」

「なにもしてねえ」

「嘘です」

「嘘じゃねえよ」

 セツナは力説したが、レムは信じてくれるどころか、疑念をますます深めるだけのことだった。

「……直接、聞いてまいります!」

「お、おい……レム!」

 セツナが狼狽する中、レムはずかずかとシルヴィールに向かって突き進み、彼女に話しかけた。

 セツナは、手を伸ばしたまま、なにか不穏なものを感じずにはいられなかった。



 シルヴィール=レンコードがどのような人物なのかについては、フロードや騎士たちから様々に聞いている。それこそ、実績や逸話から取るに足らない噂話に至るまで、山ほどだ。

 騎士団は、小さな国のようなものだという。騎士団長という王が君臨する狭い社会。騎士ひとりひとりの一挙手一投足が話題に上り、記憶に留まるのは当然のことのようだ。もっとも、シルヴィール=レンコード自身は、騎士団に所属していたわけではない。騎士団分派イズフェール騎士隊所属の女性騎士だったのだ。

 なぜならば、ベノアガルドの騎士団は、女性の騎士を認めていないからだ。

 根本的かつ絶対的な体力の差だけでも、理由となる。が、それだけではない。女は男と違い子を生むことができる。その事実が騎士団をして、女性は護るべきものであるという考えに至らしめた。子を生み、育てるものを護るということは、騎士団の理念に叶うことであり、騎士道精神の根幹となる考え方だというのだ。

 そのため、騎士団は歴史上、ひとりとして女性の騎士を認めなかった。歴史に名を残すほどの女傑に対しても、その活躍、功績を褒め称えることはあっても、騎士の称号を授与することは決してしなかったのだ。

 それに対して、騎士団の分派であるイズフェール騎士隊は、女性騎士の存在を認めることとした。それは単純にイズフェール騎士隊の戦力を増強するためだったのだろうが、ベノアガルド人の女性の中には、騎士になることを夢見るものが少なからずいたため、騎士隊に参加を希望する女性が殺到したという話だった。それにより騎士隊はそれなりの規模と戦力を誇る組織となったのだ。

 シルヴィールだけでなく、ルヴェリスの妻シャノアも、そのひとりだった。

 騎士隊に所属していた女性騎士であるシルヴィールのことについて騎士団の騎士たちがそれなりに詳しいのは、かつての騎士団と騎士隊に交流があり、互いにその存在を認めあっていたからにほかならない。騎士隊は騎士団の分派であり、対立する組織ではなく、協力体制を築き上げていたのだ。

 シルヴィールは女性の身でありながら、並外れた体力を誇り、優れた剣術の腕を持つ騎士隊指折りの騎士であったといい、彼女に惚れていた騎士団騎士が何名もいたほどだという。性格的には至って真面目だが、融通が効かず、頑固者だという評判で、彼女に惚れた騎士たちはその鉄壁の防御の前に儚くも散っていったという話だった。

 そんな話もある女性騎士が、彼女の主に対しては熱烈な視線を送っていた。

 いや、視線だけではない。シルヴィールがセツナ宛てに手紙を送ってきたのは、一度だけではないのだ。二度、三度とサンストレアの彼女からベノアのセツナ宛ての手紙が届いており、シルヴィールがセツナに感心を持っているということが想像できた。もちろん、手紙の内容についてはわからない。主宛ての手紙を勝手に読むことなど、下僕である彼女にできるわけもない。だが、内容が気にならないわけがなかったし、何度となく送りつけられてくる手紙に想像を掻き立てられたのも事実だ。フロード曰く、シルヴィールがそこまで他人に感心を抱いているのは信じがたいことであり、驚くべきことだというのだ。

 セツナがシルヴィールと知り合ったのは、彼がサンストレアを訪れた際、神人を倒したためにサンストレアの市軍に捕まったからだという話を聞いている。その後、市長マルカール=タルバーによって牢から開放された際にもシルヴィールと言葉をかわすことがあったというが、その程度のことでセツナに懸想するとは考えにくい。なにかあったに違いない。

 そんな風に想像していた時期に、当のシルヴィールが遠目にもセツナに熱烈な視線を送っている様を目撃した。

 レムがいてもたってもいられなくなったのは、当然だった。

 シルヴィールは、一言で言えば美女だ。腰辺りまで伸ばされた黄金色の頭髪、どこか鋭さを持つ顔立ちは近寄り難い雰囲気を発し、青い瞳に北方人特有の白い肌が美しい。騎士として鍛え上げられた肉体を誇るのだろうが、それ以上に豊かな胸やくびれた腰といった女性らしい体つきを隠そうとしない衣装は人目を引いた。フロードにいわせると、彼女がそのような衣装を身につけている姿など想像もできなかったということであり、シルヴィールがこの会食の場にそれなりの決意をもって挑んでいることは想像に難くなかった。

 その決意とは無論、セツナに関するものに違いない。

 この会食が名誉騎士セツナを主賓に迎えるものだということは、シルヴィールも知らないわけがないのだ。

 シルヴィールのセツナへの並々ならぬ好意については、その視線だけで判別できる。間違いなく、ほかの女性たちとは一線を画す好意がそこにはあった。

 だから、レムはシルヴィールに歩み寄り、戸惑い気味の彼女に向かって恭しくお辞儀をした。

「シルヴィール=レンコード様……でございますね?」

 レムの問いに、彼女は困惑を隠しきれないという表情を浮かべた。まさか、セツナの下僕が話しかけてくるとは想像もしていなかったという反応だ。

 レムは、彼女の反応など気にすることもなく、にこりと微笑んだ。



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