第千七百八十話 名誉騎士(四)
セツナとレムを乗せた馬車を中心とする行進は、騎士団、楽団を加えると、そのまま中枢区画へと至った。
廃墟と化したベノア城跡地を真ん中に抱く区画においても、沿道には数え切れないくらいのひとが集まり、行進の様子を見ていた。そのころになると、セツナは沿道からの声に手を振って応えられるくらいの余裕がでてきており、そうやって反応を示すたびにレムにからかわれるのが少しばかり気に食わなかったものの、観衆が喜んでくれることの嬉しさのほうが大きかった。
観衆の声に反応するようセツナを促したのは無論、正騎士という立場がありながら御者役を買って出たフロードであり、彼の進言に従って手を振ったところ、レムがおもしろおかしそうに笑うものだから、つい怒ってしまいそうになったのだ。もちろん、観衆の手前、表情に出して怒ることなどできるわけもないが。
行進は、騎士団本部に至るまで続き、本部のある丘を登る坂道では騎士団の正騎士たちが列をなして待ち受けていた。式典用の華麗な武具を身に着けた騎士団騎士たち。
眩しいくらいに装飾の施された蒼白の甲冑を纏う騎士たちが、ただセツナを式典会場である騎士団本部に迎え入れるためだけに待っていてくれたのだ。セツナが感動を覚えたのは、騎士団に残り続けている騎士たちの高潔な思想や気高い精神性を知っているからだ。騎士としての誇りを魂に刻むようなひとたちがこともあろうにセツナを名誉騎士として迎え入れようとしてくれている。
まるで騎士団そのものがセツナの名誉騎士授与を祝福してくれているようで、目頭が熱くなった。
馬車が坂道を登りきると、そこは騎士団本部の敷地だ。四方を堅牢な城壁に囲われた小さな砦といってもいい作りであり、現在はセツナたちを迎え入れるため開かれた城門を閉じれば、砦として機能することは想像に難くない。騎士団本部の城壁の四ツ角にはそれぞれ塔が立っている。都合四つの塔は、小高い丘の上からベノア全域を睥睨しており、監視塔としての役割を果たしているらしい。本部内もまた、四つの塔の監視下にあるといってもよく、この騎士団本部内で事件が起きることはほとんどないとのことだった。
だから安心していい、とはフロードの言だが、安心もなにも騎士団の警備に不安ひとつ抱いていないのがセツナだった。完全に安心しきっていたし、周囲を警戒することすら放棄していた。無論、それには従者のレムが常に側にいて、細心の注意を払ってくれているということを知っているからだ。レムがいる限り、セツナの身に危険が及ぶようなことはあるまい。余程のことでもない限りは、だ。そして、その余程のこととなれば、セツナが召喚武装でも身につけていなければ防げないほどのものとしか考えられない。常時黒き矛を召喚することなどできるわけもなく、常にそんな厳戒態勢ではいられなかったし、いる必要もないと考えていた。
必要に迫られたとき、対処すればいい。
そう、考えている。
正騎士たちが立ち並ぶ門を抜け、騎士団本部の敷地内に入ると、行進も終わりが見えてきた。騎士団本部本館へ続く通り道に行進に参加した騎士たちが展開し始めたのだ。前列、後列の騎士たちがセツナたちを乗せた馬車を離れ、馬車の通り道を作るようにして左右に整列すると、楽団がその前列に並んだ。フロードが馬車を操り、騎士や楽団のひとびとが見守る中、まっすぐに進む。そして本館前に辿り着き、停車すると、本館前で待ち受けていた正騎士たちが馬車の元へと歩み寄り、セツナたちに下車を促す。セツナは正騎士に促されるまま馬車を降りると、レムをともない、本館へと誘われた。
あまりの仰々しさに驚きの連続だったが、緊張することはない。このような式典には、もはや慣れきっていた。ガンディアでは様々な祭礼や式典に領伯として参加してきたのだ。大舞台で緊張するような愛嬌は、いまのセツナにはなかった。たとえあれから二年以上もの年月が流れたからといって、身に染み付いた慣れというものが消え去ることはないのだ。
本部本館に入ると、壁際に立ち並ぶ騎士たちの多さに圧倒された。従騎士から正騎士に至るまで、すべての階級の騎士のうち、現在、ベノアにいるもののほとんどがこの式典に参加しているという話をフロードから聞かされていたが、本部本館内の様子を見て、大袈裟な話ではないことがわかった。
本部務めの騎士の中には、セツナにとって顔見知りといっていい人物もいる。ベノア滞在中、セツナとレムは騎士団本部を訪れることが少なくなかった。騎士の中には、セツナに手ほどきを受けたい、などといってくるものいて、セツナは騎士たちとの訓練に付き合うことで交流をはかってきたのだ。そうするうち、何人もの騎士と知人となった。そうやって知り合った騎士たちもまた、騎士団本部本館の通路に立ち並び、セツナが名誉騎士として認定されるこの日を祝福してくれていた。まるで自分のことのように喜んでくれているものもいる。そんな反応を目のあたりにすると、受けて良かったのだと心から思えたし、騎士団騎士の心映えの美しさ、気持ちの良さに心が洗われる気がした。
セツナは、ベノアガルドの騎士でもなければ国民でもないのだ。まったくの部外者といっていい。かつて敵国であったガンディアの領伯を務め、先の騎士団長フェイルリング・ザン=クリュースの協力要請を拒絶し、戦ったことさえあるのだ。その後、ガンディアとベノアガルドは同盟を結ぶこととなったとはいえ、セツナのことを悪し様に想う騎士がいても不思議ではないし、セツナのこの度の活躍を受け入れられないというものがいたとしても、なんらおかしいことではなかった。
だが、騎士団騎士にそのようなものはいないようなのだ。
“大破壊”以降、騎士団がどれほど苦境に立たされようと、救済の理念と大義を信じ、騎士団騎士であり続けることに誇りと自負を持ってきた騎士たちなのだ。過去のことは過去のことと水に流せるくらいの器量がなければ務まらないのだろうし、革命以降の新生騎士団は、そういう騎士たちを育て上げてきたに違いない。
そんな風に感じ入りながら歩いていると、先導する正騎士ふたりが同時に足を止めた。貴公子のような若い騎士と年季の入った、フロードよりも年上の騎士だ。彼らは、セツナたちを振り返ると、これまた同時に左右に移動し、道を開けた。目の前には大きな扉が聳えていた。
セツナとレムは、現在騎士団が本部として利用している施設には、これまで何度も足を運んでいる。ベノア城騎士団本部が廃墟と化し、騎士団本部を移して以来、オズフェルト以下騎士団幹部に話があるときは、ここを訪ねなければならなかったからだ。
この扉の先にも、何度か足を運んだことがあった。
扉の先には、聖騎士の間と呼ばれる広間がある。正騎士ではなく、聖騎士の名を冠する広間は、騎士団が古くからなにかしらの式典を催すときにのみ使われてきたといい、この度の名誉騎士の授与式が聖騎士の間で行われるという説明もフロードから受けていた。
ふたりの騎士が、扉を開く。
聖騎士の間は、本部本館一階の最奥に位置する。ベノアガルド様式の建築技術の粋を結集して作り上げられたという半球形の広間であり、天井の中央が硝子窓となっていて、そこから外光を取り入れている。その一箇所以外に採光用の構造はなく、全体的に暗いため、広間の中心にまるで光の柱がそびえ立っているように見えた。そして、その光の柱の中に騎士団創設者イストレル=サールンの彫像が立っているのだ。さながら光輝を放つ騎士は、聖騎士と呼ぶに相応しく、聖騎士の間という命名にも納得しかなかった。
注目するべきは、そこだけではない。
中心の騎士像以外にも、広間の円周に沿うようにして十二体の騎士像が立っているのだ。それら十二の騎士は、イストレル=サールンとともに騎士団創設に尽力した人物であるという。それら十二騎士の末裔がベノアガルドにおいて有力貴族となり、また、騎士団騎士を輩出する名門となったりしたそうだ。ウォード家やルーファウス家、クリュース家の家祖も名を連ねているらしい。それら十二騎士の視線が交わる中心にイストレルの彫像が立っているところに聖騎士の間の美しさがある。
もっとも、セツナたちはそんな聖騎士の間の美しさを堪能していられるわけもなかった。
聖騎士の間には、これまで姿を見せなかった騎士団幹部やベノアガルドの要人たち、式典に参列するべくベノアガルドを訪れた国外からの賓客が、セツナたちの到来を待ち受けていたのだ。半球形の広間を埋め尽くすような式典参列者の数には、さすがのセツナも緊張を覚えた。
中でも聖騎士像の前に立つオズフェルトの真剣な眼差しには、歴戦の猛者をして心揺さぶられざるをえないほどに力強いものがある。彼は騎士団長であり、ベノアガルドの権力の頂点に立つ人物といってもいい。彼が率先してセツナに名誉騎士の称号授与をいい出したという話もある。この式典において真剣になるのは当然のことだ。
騎士団長オズフェルトの周りには、副団長シド・ザン=ルーファウス、騎士団幹部ルヴェリス・ザン=フィンライト、同ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコート、同ロウファ・ザン=セイヴァスが式典用の衣装に身を包んでいた。
さすがに神に選ばれた騎士たちというべき風格があり、セツナは思わず息を呑んだ。
(御主人様……)
レムの囁きによって、セツナははっとした。
広間に集った参列客も、聖騎士像前の騎士団幹部たちも、セツナが歩き出すのを待ちわびているのだ。彼は、心の中でレムに感謝すると、緊張を振り払うようにして一歩、踏み出した。その瞬間、彼の心を縛りかけていた緊張の鎖が解け、身が軽くなった。
泰然とした足取りで、聖騎士像へ、光の柱の元へと向かう。観衆が固唾を呑んで見守っているのがわかる。騎士団幹部たちの視線もまた、自分に集中している。シドのなんともいえないくらい嬉しそうな目には、セツナ自身も嬉しくなってしまう。ルヴェリスも、喜んでくれている。ベインも笑顔だったし、ロウファも疲れた顔を見せなかった。
「よくぞ参られた。セツナ=カミヤ殿」
そういってセツナを迎えたオズフェルトの声は、どこまでも優しかった。