第千七百七十九話 名誉騎士(三)
騎士団本部大広間にて、騎士団史上六人目となる名誉騎士の称号授与式が催されたのは、大陸暦五百六年一月十五日のことだった。
その日に催されることになったのは、ネア・ベノアガルドとの戦いに決着がついた戦いから十日が経過し、ネア・ベノアガルドの動向、イズフェール騎士隊の反応が明らかになったからだ。ネア・ベノアガルドは、国王だったハルベルト・レイ=ベノアガルドが戦死したことを受け、喪に服するため、騎士団に休戦協定を申し入れてきたといい、騎士団側はそれを一も二もなく受け入れた。騎士団としては、ネア・ベノアガルドと争う意味がないため、どのような理由であれ、休戦協定が結ばれるのは喜ばしいことだったからだ。その上、ベノアガルド王家再興の大義を失ったネア・ベノアガルドはこのままゆっくりと衰退していくに違いないという考えもある。
クリュースエンドのイズフェール騎士隊は、ベノアガルドとネア・ベノアガルドの戦いに一応の決着がついたことに対し、騎士団の勝利を祝福することで己の立ち位置を明白にした。騎士団の敵ではない、という立場だ。
イズフェール騎士隊は、元々騎士団の分派だ。革命を許容しながらも、救世を理念とすることに納得できなかったものたちが集まって組織された。当時の騎士団長フェイルリング・ザン=クリュースは、イズフェール・ザン=オルトナーの意見を尊重し、分派としての騎士隊の活動を公認していた。騎士隊も騎士団を否定するのではなく、ベノアガルド国民のためだけの組織としての騎士隊であることを遵守することで、立ち位置の違いを訴えていたという。それがなぜ騎士団と袂を分かつことになったのかは、“大破壊”前後の騎士団の不甲斐なさによるものだとオズフェルト現騎士団長は嘆いていた。
マルカール=タルバーのサンストレア独立運動を止められなかった騎士団には、ベノアガルドを任せることができないということで騎士隊は騎士団と決別、クリュースエンドを本拠とした。それから二年あまり、騎士団と騎士隊の間には不穏な空気が流れていたものの、騎士隊が騎士団領を脅かすことはあるときを境になくなっていた。騎士隊としては、騎士団と敵対するよりも味方につくほうが得策であると考え始めたのかもしれない。
そのことは、ネア・ベノアガルド戦後の騎士隊の反応からも窺い知れたし、授与式に騎士隊代表が参加するということからもわかった。
授与式の当日、ベノアガルド首都ベノア全土が大騒ぎになったのは、そういう理由もあっただろう。
セツナが騎士団史上六人目の名誉騎士に認定されることについては、既に公式に発表されており、ベノア市民、ベノアガルド国民に知れ渡ることとなっていた。国民の間で話題になることも多く、肯定的な意見ばかりがセツナの耳に飛び込んできていた。否定的な意見はほとんどない、と、フロードやマリアなど会うひとびとに聞かされた。
『ベノアガルド国民にしてみれば、“大破壊”以来の不安のふたつを解消してくださった大恩人なのですから、当然でございましょうな!』
フロードは、そういうと、まるで自分のことのように喜んでくれた。名誉騎士に関する話は、彼の口から聞いたのが初めてだった。フロードも、セツナが名誉騎士に相応しい活躍をしたと想ってくれているのだ。だから、全身で喜んでくれている。それがセツナには嬉しかったし、フロードのひとの良さには心が暖かくなった。
『名誉騎士夫人か。悪くないね』
マリアが、いつものような軽口を叩けるくらいには精神的に安定してきているのが見て取れたのも、セツナには嬉しいことだった。
『夫人とはなんじゃ?』
『最愛のひとってことさ』
『マリアはときどきよくわからぬことをいうのじゃ』
難しい顔をするアマラのことが可愛らしくてたまらないといった反応のマリアが、セツナには可憐に見えてならなかった。
そんな風にして、ベノアで過ごす日々の中、セツナは自身に関する様々な噂話や評価を聞き、ベノア市民にとって、ネア・ベノアガルドがどれだけ深刻な問題だったのかを思い知った。革命以前の悲惨さを知っているベノアのひとびとにとって、その再来となるかもしれないネア・ベノアガルドの勢力拡大ほど恐ろしいものはなかったのだ。ただでさえ、ベノア市民は騎士団の力に不信感を抱いていたのだ。万が一にでもネア・ベノアガルド軍が騎士団を打ち破り、ベノアガルド全土を支配下に収めた暁には、ベノアガルドは政治腐敗の昔に立ち戻ってしまうかもしれなかった。
ネア・ベノアガルドが掲げたのは、ベノアガルド王家の再興であり、その大義に惹かれるようにして参集したのは、政治腐敗の恩恵を受けていたものや、王家への忠誠心に厚いものばかりだった。つまりは、革命以降のベノアガルドに否定的な連中ばかりであり、そんな連中がベノアガルドを思うままにできるようになれば、革命を覆し、政治腐敗の時代に逆行するだろうと見るのは当然の道理だった。
そうなれば、国民は虐げられるだけの存在に逆戻りすることになる。
ベノア市民、ベノアガルド国民がネア・ベノアガルドを恐れるのは、当たり前のことだったのだ。
そして、ネア・ベノアガルドの支配者であった裏切り者の騎士ハルベルト=ベノアガルド率いるネア・ベノアガルド軍の撃破にもっとも貢献した、と、騎士団が発表したセツナに対し、ベノアガルド国民が賞賛と感謝を態度でもって示すのもまた、理屈にかなったことだ。
国民にとって、“大破壊”以来ベノアガルドを包み込んでいた暗雲がようやく晴れ始めたといっていいことなのだ。
セツナが名誉騎士に認定されることが決まってからというもの、彼がフィンライト邸を出てベノア市内を歩き回ると、道行く市民から声をかけられることが多くなった。セツナの外見は特徴的だ。ぼさぼさに伸び放題の黒髪に赤い目、拘束衣に見えなくもない装束など、どれをとっても普通ではなかった。それにレムが付き従っている。黒と白を基調とした可愛らしい給仕服を身に着けた少女を侍らせるものなど、規律に厳しい騎士団が統治するこの都市にはセツナを除いていない。
それらひとびとの声というのは、温かいものばかりだた。セツナのおかげでベノアガルドの将来に希望が見えた、とか、これからは安心して生きていける、とか、革命以前に戻らなくて良かった、とか、セツナ様万歳などと恥ずかしげもなくいってくるものも少なくはなかった。そういった声が高まると、出歩くのも気恥ずかしくなってくるのだが、レムはむしろ、率先してセツナを外に連れ出そうとした。屋敷に篭っていても仕方がないということもあるし、レムとしては、ベノアの町並みを見て回りたかったに違いない。二年もの間、夢ばかり見ていたのだ。現実を満喫するには、市内を出歩くのが一番だ。
もっとも、出歩いた先に見えるのは“大破壊”の被害も痛々しい町並みであり、そういった風景を記憶に留めることが気晴らしになるのかといえば、そんなわけがあるはずもなかった。ただ、”大破壊”の非情な現実を目の当たりにして、二年あまり現実離れしていた自分たちの境遇を振り返り、胸に痛みを覚えるだけなのだ。
それでもなにもしないよりはいいというレムの意見を信じて、セツナは町に繰り出し、ひとびとの声に耳を傾け、自分が成したことの意味を理解した。
そういう風にしてベノアでの日々を過ごし、授与式の日を迎えたのだ。
授与式当日、つまり大陸暦五百六年一月十五日、ベノアは、まるでセツナを祝福するかのような快晴に包まれていたーーとは、フィンライト邸を訪れたフロードの言葉だが、確かにそういっても過言ではないくらいの好天に恵まれたのは事実だった。
セツナとレムの世話係を自認するフロードがフィンライト邸を訪れたのは無論、セツナとレムを式典会場となる騎士団本部に送り届けるためだった。彼がセツナたちのために用意した馬車には例の如く騎士団の紋章が刻まれ、その上から派手すぎるといっていいほどの装飾が施されていた。その上、客車に屋根や覆いがなく、外から丸見えだった。どうやら、セツナが馬車に乗っていることを主張するための趣向であるらしい。
「今日の主役はセツナ殿ですからな!」
フロードはそんな風にいって、セツナとレムを馬車に乗せた。
執事、使用人たちに見送られながらフィンライト邸を後にしたセツナたちは、一路、騎士団本部へと向かった。その道中はまさに行進といっていいほどのものであり、華麗な式典用の武具を身に纏った騎士たちが、これまた派手な馬鎧で着飾った馬に跨り、馬車の前後に列を成したのだ。
「これはいったい」
「聞いておられなかったですかな」
御者台にて手綱を握るフロードが、セツナたちを振り返ると、にこやかに笑った。
「騎士団が名誉騎士を認定するのは、およそ百年ぶりのこと。騎士団のみならず、ベノアガルドを挙げて歓迎するべき出来事なのですからして、この程度の行進を組むのは当然のことでございましょうな!」
「そういやそうだったな」
セツナは騎士団の歴史を綴った書籍の内容を思い出して、ぽつりとつぶやいた。名誉騎士は歴史上、五名存在する。そのいずれもが現代からおよそ百年以上前の人物ばかりであり、ベノアガルド建国から数百年の間に認定され、表彰されてきた人物たちだ。
そしてこのおよそ百年とは、まさにベノアガルドが政治腐敗におぼれはじめてからの年月であり、政治腐敗を一掃した革命後、ようやく六人目の名誉騎士が誕生することとなったのだ。
その六人目がベノアガルド国民でもなければ騎士団騎士でもないという事実は、ベノアガルド国民にとっても、騎士団にとっても、それほど重要なことではないらしい。重要なのは、生まれではなく、なにを成したかということだ。
ベノアガルドにどのような貢献をもたらしたのか、それがもっとも重要であり、その点においてセツナは革命にも匹敵するほどのことを成し遂げた、と騎士団側は評価しているらしいという話を聞いている。ベノアガルドを存亡の危機から救ったといっても過言ではないのだ。もしセツナがベノアガルドに協力していなければ、遅かれ早かれベノアガルドはハルベルト(アシュトラ)率いるネア・ベノアガルドの軍勢によって攻め滅ぼされていただろう。その可能性については、異論を挟む余地はない。どれだけベノアガルドが戦力を結集し、近隣国と協力体制を結ぶことができたとしても、アシュトラ神の力に対抗できるわけもないのだ。
そういわれればセツナとて納得せざるを得ないし、名誉騎士の表彰も受ける以外の選択肢はなかった。ここでセツナが受け取らなければ、セツナには名誉騎士こそ相応しいと熱弁を振るい、騎士団幹部たちを説得した騎士団長オズフェルト・ザン=ウォードの顔に泥を塗るだけでなく、騎士団幹部の意向に従う騎士団騎士たち全員に良からぬ感情を持たれることになりかねない。
名誉騎士の称号を授与されることによる利はあっても、害はないのだ。あるとすれば、騎士団に対して悪印象を持つものに対したとき、心証が多少なりとも悪くなることくらいか。それも、別段大したものではあるまい。少なくとも、セツナの今後の戦いに悪影響をおよぼすものとも思えない。もっとも、名誉騎士を受けることにしたのは、利害以上にオズフェルトの熱い想いに応えるためであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
騎士団騎士たちによる華々しい行進の真っ只中をセツナとレムを乗せた馬車が進む。沿道にはベノアガルド中から集まったのであろうベノアガルド国民が、救国の英雄とも呼ばれるようになってしまったセツナの姿を一目見ようと人集りを作っていた。そういった観衆の取り締まりや行進経路の警備も騎士団所属の騎士たちが行っており、青と白を基調とする騎士団制服を着込んだ騎士たちが馬車の行く先々に点在し、観衆を見守っていた。
やがて、フィンライト邸のあった区画を抜けると、楽団が行進の列に加わった。管楽器、打楽器に寄る演奏が騎士たちの行進をよりいっそう盛り上げ、観衆の声がひたすらに高まっていく。セツナの名を呼ぶ声もあれば、英雄と叫ぶものもいる。感謝の声も聞こえるし、泣いているひとの姿もあった。ベノアガルドを包み込んでいた終わりの見えない不安が少しでも和らいだということが、そういった様子から窺い知れる。それだけでも、セツナはベノアに残った甲斐があったと想った。もし、あのとき、オズフェルトの協力要請に応じず、リョハンへ行く方法を探すことに専心していれば、どうなっていのか。
想像するだけで暗い気分になった。
きっと、この行進を見学しているベノアガルド国民の多くが晴れ晴れとした気分になることもなく、ネア・ベノアガルドとの不毛な戦いが続いたことだろう。
ネア・ベノアガルドは王を失い、大義を失い、力を失った。
ベノアガルドの空は晴れた。
頭上に広がる青空のような爽快さはないかもしれないが、少なくとも、これ以上不毛な戦いに苦心する必要はなくなった。
それだけのためにセツナはこの地に残ったようなものだ。
馬車に揺られながら、その結果だけには胸を張っていられると想ったセツナは、隣に座るレムがそわそわしている様子に微笑んだ。