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第千七百七十七話 名誉騎士(一)


 マリアとアマラの無事を確かめることができたセツナは、マリアが今後も白化症の治療法の研究に邁進すると威勢よく言い放ったことにほっと胸を撫で下ろした。別館を失い、受け持っていた白化症患者全員が神人として処理されたことに失望したマリアが、医者としての自信を失うのではないか、というのが一番の心配だったからだ。

 そんな懸念は、アマラの相手をしているマリアを見る限り、杞憂に終わるように思えた。アマラという可憐な精霊は、マリアにとって心の支えになっている。アマラが側にいて、マリアを囃し立ててくれている限り、彼女のことは心配無用だろう。ただ、そんなアマラに対しても弱音を吐くことのできないマリアのためにも、たまには自分が顔を出し、愚痴を聞いてやるべきだ、とセツナは想った。もちろん、ベノア滞在中の間だけのことになるのだが。

 セツナがそんな風なことをいうと、

『それでも、十分だよ』

 マリアが、はにみにながらいったものだ。

『こうして旦那が顔を見せてくれるだけでほっとするんだから』

 そんな彼女の発言からは、以前の調子を取り戻しつつあることがわかって、素直に嬉しかった。

 マリアが本来の有り様を取り戻してくれれば、なんの心配もいらなくなる。

 

 マリアとアマラに見送られながら医術院を後にしたのは、夕日が空を赤く染め上げる頃合いであり、一台の馬車がセツナたちを待っていた。騎士団所有の馬車であることは、車体に刻まれた紋章からわかる。剣が納められた盾の紋章こそ、騎士団の紋章なのだ。その馬車の前にはひとりの騎士が立っていて、彼はセツナたちを認識するなり、大きく手を振り回してきた。

「セツナ殿―っ、レム殿―っ、こちらですぞー!」

 その騎士がフロード・ザン=エステバンであることは、遠目にもわかった。身振り手振りが大袈裟なのが彼の特徴だったし、騎士団がセツナたちの元に派遣する騎士となれば、ほかに考えようもない。フロードは、いつの間にかセツナ専属となっていた。

 ロウファ・ザン=セイヴァス配下の騎士である彼の任命権はロウファにあるという話であり、ロウファからセツナのことはフロードに任せるようにと騎士団長に上申されていたのかもしれない。それくらい、フロードはセツナたちに付きっきりだった。フロードは、正騎士だ。救力のみならず幻装を使うことのできる正騎士は、騎士団の戦力としても重要な存在であるはずで、セツナは彼に自分たちの案内人かつ護衛のような役回りをさせていることを申し訳なく想っていた。もっとも、フロードにそんなことをいうと笑い飛ばされるのがおちなのだが。

「そう叫ばなくてもわかるんだけどな」

 セツナは、フロードに近寄りながら、レムにだけ聞こえるような声で囁いた。するとレムが妙に真面目ぶった顔でいってくるのだ。

「ですが、フロード様の活気の良さは、御主人様にも見習ってもらわなければなりませんね」

「なんでだよ」

「最近の御主人様は陰気臭くて困りますので」

「え……」

「あら、ご自身ではお気づきになられませんでしたか?」

「本音なのかよ……」

「はい!」

「明るくいうことかよ!」

「はっはっは、なにごとも元気が一番ですぞ!」

 フロードが大笑いをしたのは、セツナたちの話し声が彼に聞こえるほどの距離にまで歩み寄っていたからだ。そしてフロードは大袈裟な身振りで己を誇示する。

「わたくしのように!」

「本当、フロードさんは元気だよ」

 セツナは、半ば呆れる想いで、中年の正騎士を見た。フロードはそんなセツナの反応にも臆さない。

「元気だけが取り柄ですからな!」

「またまた」

「いやはや」

「うふふ」

「なんだよ」

 セツナがレムの笑い声に振り向くと、彼女はいつものように微笑みを浮かべていた。

「いえ。御主人様も、フロード様が相手では元気にならざるを得ないようで、それがおもしろくて」

「ならばますますわたくしが気張らねばなりますまいな!」

「そのとおりでございます!」

「そのとおりなのかよ!」

 セツナは、フロードとレムのノリについていけず、ただ叫んだ。


 フロードが迎えに来たのは、セツナたちをベノア滞在中の宿所となる場所まで案内するためだということだった。

 ベノア中枢区画の大医術院からベノア上層区住宅街へと馬車は進む。夕闇に覆われていくベノアの町並みを見ていると、どうにも心が落ち着かなかった。町並みに刻まれた“大破壊”による被害の後は、いつみても痛ましい。幸い、アシュトラが引き起こしたのであろう神人騒動が被害をもたらしたのは、ベノア中枢区のみであり、他の区画が蹂躙されるようなことこそなかった。だからといって、喜んでばかりいられるかというとそうでもないだろう。

 もしまたアシュトラがセツナを陥れんとしてきたとき、どうなるのか。

 想像するだけで寒気がした。

 アシュトラは、人間のことを実験動物かなにかとしか考えていないようだった。ハルベルトを絶望させるために彼を操り、ネア・ベノアガルドなる国を作り上げたのだ。セツナを絶望させるためにあらゆる手段を講じてくる気がしてならない。アシュトラだけが相手ならばまだどうにかなる気もするが、ほかのなにか、だれかを利用されると、どうなるものか。

 そんなことを考えているうちに、セツナたちを乗せた馬車が辿り着いたのは、ルヴェリス・ザン=フィンライトの屋敷だった。

 セツナとレムは、渡海手段が入手できるまでベノアに滞在することになったが、その際の寝泊まりはどこでするのかについては、ルヴェリスが安請け合いしてくれた。

『慣れ親しんだ場所のほうがいいでしょ』

 ルヴェリスの気遣いには感謝するほかなかった。確かにその通りだ。フィンライト邸には、長らく世話になっていたし、レムにとってもほかの場所で寝泊まりするよりは、気楽だろう。ルヴェリスは、話のわかるひとだったし、レムのことを気に入ってくれてもいた。彼がラグナにしたように、レムもまた、着せ替え人形のようにして、様々な衣服を着せては、喜んだ。ラグナと違うのは、レムがそのことを愉しんでいたということだ。ラグナは衣服を着ること自体嫌がっていたから比べるのは間違っているのだが。

「では、わたくしはこれにておさらばでございますな」

 フィンライト邸の門前で馬車を降りると、フロードがどこか名残惜しそうにいった。そんな風にいってくれるフロードのことがセツナは好きだったし、感謝のしようもなかった。だから、というわけではないが、セツナはフロードに笑顔を向けた。

「わざわざこのためだけに迎えに来てくださったんですね」

「わざわざ、などと」

 フロードは、そういうと、急に居住まいを正した。そして、先程までとはまったく異なる真面目な表情になった。

「セツナ殿。貴殿はネア・ベノアガルドの真の支配者を討ち、ベノアガルドおよび騎士団を窮地から救ってくださった英雄。救済者といってもいい。本来であれば、わたくし如きが相手にするのではなく、騎士団幹部が丁重に相手しなければならないほどのお方です」

「それほどのことでは……」

「いえ、それほどのことです」

 断固として、いってくる。その真剣な眼差し、気迫には、セツナも言葉を飲み込まざるを得なかった。

「騎士団長以下すべての騎士にいえることですが、だれが神に敵いますか。あの場にいただれひとりとして、アシュトラなる邪神を撃退する術を持ち合わせておりませなんだ。貴殿を除いて!」

 フロードは、ストラ要塞の戦いの一部始終を見ている。亡者の出現、ハルベルトの到来と真躯クラウンクラウンの顕現から始まる大攻勢。それに対抗したベインのハイパワードの力も目の当たりにしているのだが、だからこそ、そういい切れるのだろう。ハイパワードは確かに強力無比な真躯だが、アシュトラには敵わなかっただろう。

 真躯とは、ミヴューラの加護なのだ。救世神ミヴューラの力の一部といってもいい。その程度の力では、神に拮抗することこそできたとして、凌駕することは不可能に近い。

 幻装を用いることのできるフロードには、そういうこともわかったようだった。

「貴殿だけがそれをなすことができた。貴殿のみが、邪神アシュトラを退け、ハルベルト殿の魂に救済をもたらすことができた。ベノアが今日も仮初の平和を享受できているのも、貴殿が協力してくれたおかげなのです。そのことは、騎士団騎士たるもの全員が認識するべきことであるし、理解する必要のあることでしょう」

「フロードさん……」

「貴殿がいなければ、ベノアガルドはあの邪神の思うままにされていたのですからな。感謝してもしきれません。わたしが騎士団長ならば、セツナ殿をして名誉騎士に任命するところなのですが」

「あら、そんな勝手なことをいって、だいじょうぶ?」

「フィンライト卿……」

 フロードが振り向いた先に、彼がいった通りルヴェリス・ザン=フィンライトが立っていた。いつの間にか開いていた門の内側から出てきたようだ。夕日が彼の姿を赤く染め上げている。

「なにが、問題なのですかな?」

「随分強気ね」

 フロードの強硬な反応に、ルヴェリスはどこか困ったような顔をした。彼としては、そのような反応を望んだものではなかったようだ。しかし、フロードは強気な態度を崩さない。セツナがフロードの今後が心配になるほどだった。

「わたくしは、当然のことをいったまで。騎士団は、セツナ殿に対する限りない感謝を言葉だけでなく、行動で示すべきでしょう。騎士団は、そういう常識的な考えを述べることさえ許されないような、そんな愚かな組織ではないと存じ上げておりますが、如何?」

「だれも意見をいってはいけないなんて、いっていないでしょう」

「しかし、立場を弁えるような発言をなされた」

「それはそれ。秩序の問題よ。騎士は秩序の中に生きるもの。秩序無くば、法無くば、騎士は騎士たり得ない。それは騎士団という組織においてもそうよ。従騎士が正騎士に対し、思うままに振る舞えばどうなるかしら?」

「……騎士団の結束は一瞬にして崩壊しますな」

「そういうことよ」

 そういって、彼は肩を竦めた。それから、ゆっくりと言葉を続けてくる。

「だからといってあなたの意見を否定するつもりはないし、そのことについては、団長閣下も同じ考えよ」

「では……?」

「追って、発表することになるけれど……」

 ルヴェリスの目線がフロードからセツナに移った。夕日を浴びて輝く瞳は、いつになく綺麗だった。

「セツナ殿、あなたに名誉騎士の称号を授与する運びになったわ」

「俺が……」

「名誉騎士でございますか?」

「名誉というだけあって、騎士団に所属するわけではないから安心してね。ただの名誉なのよ。本当にただの称号にすぎないわ。あなたをベノアガルドにとどめ置くものではない。ただ、騎士団からの感謝の印よ」

 と、ルヴェリスはいったものの、そう簡単に授与されるものではないことは、彼やフロードの口ぶりから把握できた。

「受け取って、もらえるかしら?」

「俺でよければ、喜んで」

 セツナは、そこで遠慮するほど愚かではなかった。

「もちろんよ。あなた以外、だれが名誉騎士に相応しいというのかしら。ねえ?」

「はっ……!」

 フロードが感極まった様子だったのは、オズフェルトもまた、彼と同じような考えを持っていたということを知ったからなのだろう。

 騎士団は、良い組織だ、と騎士たちは口をそろえていう。騎士団幹部や正騎士はおろか、末端の従騎士や騎士団本部で働く職員、使用人に至るまで、だれもがだ。だれひとりとして不平を漏らすものがいない。なんといっても巨大な組織だ。不満がないわけがないのだが、セツナの耳には届いてこなかったし、セツナが見える範囲では、風通しのいい組織のように思えてならない。騎士団幹部と正騎士が軽口を叩き合うこともあれば、意見をぶつけ合うことも日常風景だった。幹部は正騎士の意見を尊重し、なればこそ正騎士たちも幹部を尊重した。互いに尊重しあっているからこそ、不満が少ないのかもしれない。

 騎士団の騎士たちと触れ合ううち、セツナはそんな風な認識をしていくようになっていた。



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