第千七百七十四話 絆(二)
騎士団本部であったベノア城が壊滅し、廃墟と化した直後、騎士団はその本部を以前、イズフェール騎士隊が拠点として利用していた施設へと移していた。
もっとも、イズフェール騎士隊の拠点だった施設は、騎士団がベノア城を本部として利用するようになった革命以前、騎士団の本部であった施設であり、騎士団の本部に戻っただけのことだ。騎士隊がベノアを去ってからというもの、騎士団によって管理されこそすれ、放置同然の状態だった施設は、現在、騎士団総出で手入れされている最中だという話だった。放置されたままだったイズフェール騎士隊に関連する物品が撤去または処分され、ベノア城廃墟の中から確保された騎士団所有の物品が多数運び込まれ、騎士団本部としての体裁が取られていった。
新・騎士団本部は、ベノア城と同じベノア中枢区画にあるため、特に大きな違いはなかった。
しかし、ベノアの象徴でもあったベノア城が綺麗さっぱりなくなったということは、ベノア市民の心理に与える影響は計り知れないだろう、と騎士団は考え、いずれベノア城跡地に騎士団本部を建設するべく計画を練り始めているとのことだ。
ベノア城の再建ではなく、騎士団本部施設を建設するつもりなのだ。
『ベノア城はベノアガルド王家の象徴でもありましたから、なくなることそのものについては問題がなかった。むしろ、なくなって良かったといっていいでしょうね』
オズフェルトは、ベノア城が廃墟となったことについて、そのような感想をそう述べた。しかし、そのために多くの命が失われたことには、深い悲しみを覚えるものだといった。
シヴュラの亡骸から変じた真躯の爆発が騎士団本部ベノア城を粉微塵に吹き飛ばしたのだ。そのとき、騎士団本部にいた人間のほとんど全員が爆発に巻き込まれ、命を落としている。騎士団本部に残っていた騎士や、避難さえしていなかった本部職員、関係者ーー百二十名に及ぶ犠牲者への哀悼の想いは、騎士団長オズフェルトの決意を新たにするものだったようだ。
ネア・ベノアガルドとの戦いが終息したことを市民に向かって宣言した際、騎士団本部における被害について言及したオズフェルトは、もう二度と同じようなことがあってはならない、と声を励ましていったものだ。
また、市民への演説では、ハルベルト=ベノアガルドの背後にアシュトラなる神がいて、ハルベルトがその神に操られていたことは明かされなかった。神の実在に対し、疑うものの少ない世界においても、神の関与、干渉への言及は混乱を引き起こす原因になりかねない。
ネア・ベノアガルドの指導者にして国王ハルベルトが倒れ、ベノアガルドを巡る諸問題のひとつが解消に近づいたいま、新たな混乱の種を蒔くことになんの意味もなかった。
ハルベルトの離反に端を発するネア・ベノアガルドの問題は、ハルベルト個人の意志によるものであると発表された。それこそ、ハルベルトの望むところだろうとシドやオズフェルトは考えているようだ。ハルベルトは自分のしでかしたことを他者のせいにするような男ではない、と。それこそ、彼が師事し、敬愛したシヴュラの騎士道に準ずるのであれば、どのような理由があれ、己がしたことに責任を持つのは当然の道理なのだ。
死んだからといって、なにもかもが許されるわけではない。
シドもベインもハルベルトに対し、理解を示しているが、それは彼がアシュトラに操られたという事実であり、アシュトラの誘惑を振り切れず、結局はなすがままにされてしまったということについては、決して許されないことだという考えを持っていた。いかに神の力が強大で、神の誘惑が強烈であろうと、それを振り切ってこそベノアガルドの騎士である、というシドたちの結論にセツナが口を差し挟む道理はなかった。
しかし一方で、騎士団はハルベルトを騎士団騎士として葬ることに決めた。ネア・ベノアガルドの王ハルベルト・レイ=ベノアガルドとしてではなく、騎士団騎士ハルベルト・ザン=ベノアガルドとして、だ。騎士団籍を復帰させることについて、騎士団幹部たちの間で議論さえ起きなかったという。
ベノアガルドの騎士団は、救済を掲げる。
革命以前はベノアガルド国民の救済を大儀とし、旗印とした。革命以降、救済の対象はベノアガルド国民だけでなく、イルス・ヴァレ全土、ありとあらゆる生命へと拡大した。それは、人間のみならず、たとえ皇魔であっても救ってみせるという意思表示であり、当然、敵対者にも向けられてしかるべきものだった。
つまり、騎士団を離反し、敵対したハルベルト、シヴュラの魂もまた救済するべきであるという考えが、騎士団幹部共通の想いだったということだ。無論、国民からの反発もあるに違いない。しかしそれでもすべてのものを救うという騎士団の理念が生き続けている以上、それを蔑ろにするべきではない、と、現騎士団長オズフェルト以下、幹部たちは考えているのだ。
話を戻す。
ハルベルトがセツナたちによって討たれたことにより、ネア・ベノアガルドに関する問題が完全に解決したわけではないということも演説の中で伝えられている。しかし、ネア・ベノアガルドはその行動力、求心力の源であったベノアガルド王家再興の大儀を失った。ハルベルトがベノアガルド王家最後のひとりだったからだ。これにより、ネア・ベノアガルドは、今後、力を失い続けていくしかないだろうというのが大方の予想だ。
少なくとも、すぐさまベノアガルド領土への再侵攻を企むようなことは考えられないだろう。ネア・ベノアガルドは大儀だけでなく、シヴュラ、ハルベルトの二大戦力を失い、さらに多くの戦力の流出に見舞われている。神人を戦場に投入するような組織についていこうとするものなど、そういるものではない。
たとえベノアガルドへの再侵攻を考えていたとして、即座に立て直せるわけもなく、しばらくは無視していても構わないだろうというのが騎士団の下した結論だった。
ベノア城跡地で行われた戦争終結の演説には、多くのベノア市民が集まり、騎士団の発表と騎士団長オズフェルト・ザン=ウォードの演説に熱心に耳を傾けていた。演説により、“大破壊”直後から今日に至るまで、常にベノア市民を不安にさせていた事態がふたつも解決したことは、騎士団の信頼回復に大いに力を発揮するだろうというのは、演説を聞く市民の反応からも窺い知れた。騎士団がベノアガルド国民のために骨を砕いていることは、それら開示される情報からも明らかだ。その上で、騎士団に協力したセツナとレムのことも公表され、セツナたちの活躍のおかげであるとも表明されている。
セツナもレムも、自分たちの活躍について感謝される必要さえないと想っていたし、すべて騎士団の手柄にしてもいいとすら考えていたのだが、そういうところでひたすらに生真面目な騎士団は、セツナたちの活躍を事細かに公表した。サンストレアの神人騒動を収めたのも、ストラ要塞におけるネア・ベノアガルド軍との戦いに勝利できたのも、セツナのおかげであると明言したのだ。すべてが騎士団の手柄であれば、信頼回復も加速するはずなのだが、そんなことよりも情報を性格に伝えることのほうが大事であるという考えがオズフェルトら騎士団幹部にはあったようだ。
セツナとレムは、ベノア市民にも既に名を知られていたが、演説の場で大きく脚光を浴び、万雷の拍手と歓声でもって受け入れられた。
そんな終戦報告が終わってからのことだ。
セツナたちは新・騎士団本部に場所を移し、そこでオズフェルト、ルヴェリスにネア・ベノアガルド軍との戦いの詳細についての報告をした。シドが纏めた報告書だけでは、細部まではわからないからだったし、省かれていたこともあったからだ。
そして、セツナはその場において、ハルベルトを操っていた神アシュトラこそがベノアガルドの混乱の元凶であるという持論を展開した。神人と化してなおその正体を隠し、市長として名声を集めていたマルカール=タルバーもまた、アシュトラによる操り人形だったのではないかというセツナの推測は、オズフェルトたちにも受け入れられた。
神人でありながら自我を保ち、なおかつ白化症患者を神人化させる能力を持っていたという状況証拠が、そういう推論に至らせる。
神人は通常、自我を保つことができない。自我を保てないからこその神人であり、脅威なのだ。仮にだれもがマルカールのように自我を保っていることができるのであれば、神人を恐れる道理はない。マルカールのように自我を保つということは、力を制御するということなのだ。どれだけ強大な力を持つ存在であっても、自我を保ち、無闇矢鱈に危害を加えないのであれば、恐怖の対象にはなりえない。だが、現実問題として、自我を保つことのできた神人はこれまでのところマルカール以外確認されておらず、マルカールだけが特別であると考えるほかなかった。また、マルカールのように神人化を誘発させる能力を持つ神人も確認されていない。
アシュトラ神の存在が確認されるまでは、マルカールが特別だったのだろうと考える以外にはなかったが、アシュトラ神が積極的に干渉しているという事実が判明したいまとなっては、マルカールが特別だったわけではないのではないか、と思わざるをえない。
アシュトラ神は、セツナを足止めするため、ネア・ベノアガルドの兵を神人化させている。神ならば、神人化を誘発させることができたとしても、おかしくはなかった。神人化とは、白化症の末期症状といっていい。白化症に肉体の大部分を侵蝕された人間の成れの果てが、神人なのだ。そして、白化症とは、神の力、神の気である神威を浴びたものが発症する症状なのだ。
神威は、この世のほとんどの生物にとって猛毒であり、その毒に侵されたものは例外なく変容していくのだという。
神ならざるマルカールが神人化を誘発させていたのは、自我を獲得した神人であるという特別性故の能力だったのではなく、アシュトラがマルカールにそういう能力を与えていたか、常にアシュトラが操っていたと考えるのであれば、納得がいく。そして、アシュトラがマルカールを操っていたのであれば、マルカールがセツナと黒き矛の支配に拘っていたのも理解できるというものだ。
アシュトラは、魔王の杖とも呼ばれる黒き矛に執心だった。黒き矛を確保するために戦いを起こしたとさえいっていたのだ。マルカールを通して黒き矛を奪取しようとしていたとしてもおかしくはなかったし、それならば辻褄が合うというものだ。そして、マルカールがアシュトラに支配されていたのであれば、彼がサンストレアへの被害も考慮せず、セツナとの戦いに全力を発揮したという事実にも納得がいく。
セツナが、会議室でそのような憶測を述べると、オズフェルトたちは異論を挟む余地はない、とした。
そして、セツナは、こうも告げた。
「アシュトラが黒き矛に執心ということは、もし今後、アシュトラが現れたとしても、狙うのは俺でしょう」
アシュトラは、セツナに対し、恨み言を散々吐き捨てて姿を消した。黒き矛を手に入れるためだけでなく、恨みを晴らすためにも、セツナを狙ってくるに違いない。
「ただ、俺だけとは限りません。奴は、無関係な他人を巻き込むことに遠慮がない。むしろ、無関係な人間も死者も関係なく巻き込み、そこで翻弄される人間たちの有り様を見て心底愉しんでいるような、最低の存在です」
アシュトラは、セツナが苦しむ様だけを見て喜んでいるようなマユラ神よりも何倍も質が悪そうに思えてならなかった。少なくともマユラ神は、セツナを操ろうとはしていない。救いという名の死をもたらそうとしたことこそあったものの、それ以上の干渉はほとんどなかった。その点、アシュトラは積極的にハルベルトに干渉し、ハルベルトの心が傷つき、壊れていくようなことを率先して行っていたのだ。そして、ハルベルトの魂が壊れゆく様を見て、喜んでいた。
邪悪極まりなく、吐き気すら催すほどだ。
「俺がここにいれば、騎士団や、無関係なベノアガルドのひとたちまで巻き込んでしまいかねない」
セツナと黒き矛を確保することを最優先に考えるからといって、セツナ以外のものに危害を加えないかというと、そうは考えられなかった。アシュトラのことだ。きっと、セツナの心を傷つけるような手を打ってくるに違いない。それがどういったものかは想像もつかないが、レムや身近なひとびとが巻き込まれる可能性は考慮しなければならなかった。
ただ、どう考慮したところで、対処のしようがないのもまた、事実だ。相手は神。とてつもなく強大な存在であり、絶大な力を持っている。黒き矛であれば戦えることはわかったものの、神の力による遠大な策謀には対抗のしようがなかった。
故に、無関係な人間が巻き込まれるような状況にいるべきではない。