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第千七百七十二話 人を呪わば


《しかし、そのザマはなんだ?》

 ディナシアは、明らかにこちらを見て、嘲笑うような表情をしていた。

 アシュトラを含め、神の多くは、人間に酷似した姿をしていることが多い。ディナシアも例外ではない。ディナシアは、白髪金眼の男という外見をしていた。蓮華の花の如き光背が彼の神としての力の大きさを示している。アシュトラとの力の差は膨大といっていい。もっとも、神としての力の差がどれだけ大きかろうと、そのことでアシュトラがディナシアを妬むことはない。神の力の差とはつまるところ、人間の信仰心の差と言い換えてもいいのだ。

 邪神として祀られるアシュトラと生命を司る神として信仰されるディナシア。人間にとってどちらが信仰しやすいかというと、後者だろう。邪神、悪神を信仰しようという人間の絶対数は、決して多くはない。

 だが、だからどうということはないのだ。

 神と神は、たとえ敵対し、戦うことになり、互いに全力を尽くしたとして、決着がつくことがない。

 神は神を滅ぼせない。

 故にアシュトラは、ディナシアとの予期せぬ遭遇を果たしたいまも、動揺を覚えることはなかった。ただ、ディナシアの表情に疑問を抱く。彼はなぜ、自分を憐れむような表情をしているのだろうか。

《なぜ、そのような姿をしている?》

 ディナシアは、怪訝な顔をしながら、ゆっくりと降下してきた。

「これは……」

 アシュトラは説明しようとしたが、止めた。なにをいったところで、言い訳にしかならない。その上、黒き矛のセツナと接触し、戦闘となり、傷つけられたなどといえば、ディナシアに笑われるだけだ。神が人間に圧倒されるなどあってはならないことだ。神は、決して人間に敗れることはない。神が神を滅ぼせないのと同じように、それは絶対の法理なのだ。この世の基本的な法則であり、掟といっていい。人間が神に打ち勝つことはなく、神とは常に人間の上に存在するものなのだ。だからこそ、アシュトラは、ありえないことだといまでも想っていた。

 そう、人間に負けたのではない。

 黒き矛――魔王の杖に敗北を喫したのだ。

 全身を苛む痛みは、魔王の杖の効力に違いない。“魔”の力が毒となって神の肉体を侵蝕し、猛威を振るっている。どれだけ肉体を再構築しても変容させても消え去らない毒などあるものだろうかという疑念はあるものの、ほかに考えようがなかった。故にこそ彼は、セツナへの怒りと憎しみを増幅させ、呪いの言葉を吐き続けるのだ。

 ディナシアは、毒を取り除くために試行錯誤の上肥大していったアシュトラの肉体を眺めながら、なにかを察したかのように目を細めた。

《ああ……そういうことか》

「なん……だ……」

 アシュトラは、ディナシアの表情と言葉に違和感を持った。それは“魔”の力を感じ取ったという反応ではなかったからだ。“魔”はすべての神にとって相克するべき存在であり、すべての神々の“敵”といっていい。もしディナシアがアシュトラの肉体から“魔”を感じ取ったのであれば、アシュトラに“魔”の力の発生源を問いたださんとするはずだった。“魔”は、ディナシアにとっても他人事ではない。

 ディナシアは、やはり予期せぬ言葉を吐いてきた。

《呪ったな》

 冷ややかな声だった。

《人間を、呪ったのだろう。貴様は》

 アシュトラとディナシアを隔絶する、冷徹な響き。

 アシュトラは、ディナシアを仰ぎ見ながら、彼の発した言葉の意味を理解しようとした。いや、言葉の意味そのものはわかる。ただ、なぜそのことで詰られているのか、アシュトラにはわからないのだ。詰られているのかどうかさえ。単純に呆れられているようですらある。

《神が神たる所以を知らぬわけもなかろうに……呪ってしまったか。余程怒りに駆られたと見える。どれほど追い詰められた? どれほど無様な醜態を曝した?》

 ディナシアは、アシュトラを嘲笑った。アシュトラは、ディナシアを睨み、迫ろうとしたが、ディナシアはそんな彼をさらに冷笑し、後ろに下がった。無意識に伸ばした巨腕が空を切る。

《いや、いまの姿ほどの醜態はないか》

「貴様……わたしを愚弄するか!」

 叫ぶ。

 声が喉から出ているような、そんな感覚は違和となってアシュトラを襲う。

《なにをいったところで、なにをしたところで、貴様はわたしに届かない》

 ディナシアの姿が、ひときわ眩しく感じた。神と神の間では、神々しさなど感じることなどありえない。格の違いこそあれど、神は神だ。神威に目が眩むような神など存在するわけがなかった。それなのに、アシュトラはいま、ディナシアの発した神威に眩さを感じ取り、畏れさえ抱いてしまった。わけのわからない感覚だった。疑問が洪水のように沸いて、混乱が起こる。自分の身に起きていることの正体がますますわからなくなっていく。“魔”に毒されただけではない。それならば、ディナシアの神々しさに怯えることなどありえない。

 ディナシアが、静かに告げてきた。

《貴様はもはや神ではないのだ》

「なに……!?」

 彼は、声を裏返らせた。

 ディナシアの冷ややかなまなざしに射竦められ、その瞬間、彼はディナシアの言葉が嘘ではないということを思い知った。神が神の視線如きに負けるわけがない。たとえディナシアのほうが格上であっても、厳然たる力量差があったとしても、だ。神属であるということは、そういうことだ。そして、神々の戦いがいかに不毛なのかも、その一事でわかるだろう。神々の戦いに決着はつかない。

 だが、アシュトラは、ディナシアの視線ひとつに屈した。 

 その瞬間、彼は己が神ではなくなったというディナシアの言葉を認めざるを得なくなった。神が神ではなくなることなど、ありえるものか――などと叫ぶことはできない。

《神とは、ひとの祈りによって現出せしもの。ひとを祝福こそすれ、呪詛するものではない。神がひとを呪ったとき、神は神ではいられなくなる。それが法理》

 ディナシアは、続ける。冷ややかに。この世の根本法則を、説く。

《貴様は、ひとを見下すあまり、その法理を忘れたのだろうな。それは貴様の失態以外のなにものでもない。だれが悪いのでもなく、貴様が悪いのだよ》

「わたしが神ではなくなっただと……わたしが……!」

《そういっている》

「なにを馬鹿な……! 見よ、この溢れる神威を……!」

《それはただの力だ》

 ディナシアの声は、ただただ冷徹だ。

《まあ、この世のどの生物よりも優れたものであることは認めよう。だが、神から堕ちた貴様の力は、次元の壁を超えることはできない》

「ふざけるな……!」

 アシュトラは、ただ叫んだ。ディナシアがいった言葉の意味はわかる。わかるが、受け入れられるかどうかはまた別の話だ。神がひとを呪ってなにが悪い。いや、違う。そもそも彼が呪ったのは人間ではない。人間の姿をした“魔”だ。なんの問題もない。なんの間違いも犯してはいない。神が呪ったからこそ、“魔”は“魔”となったのだ。再び呪おうとなにが問題なのか。“神”と“魔”とは、互いに呪い合い、憎しみ合い、滅ぼし合う存在ではないのか。

 アシュトラの中の様々な想いが、彼の喉から咆哮となって噴出する。

 神は、肉声を発することはない。そのことさえ、アシュトラは考えられなくなっていた。

「わたしは神だぞ……! 偉大なるもの、大いなる支配者、影の王、夜の主催者と呼ばれたわたしが神の座から降りることなど……!」

《己の姿を見てもそうといえるのならば大したものだが……見えてはいないか》

「なにを……!」

 アシュトラは、ディナシアの皮肉に無数の歯を剥き出しにした。大きく突き出た顎の中に並ぶ無数の牙は、鋭く尖っており、神以外のものであればどんなに硬い金属であっても物質であっても噛み砕くだろうこと請け合いだった。そして、黒く変色した外皮に覆われたその外見はさながら黒きドラゴンだったが、アシュトラは己の姿を見ることなどできるわけもない。頭に血が上っている。神であったときですら肉体を持ったがために冷静さを失うことの多かったアシュトラにとって、神であることを失い、低次元の存在へと堕ちたいま、冷静さを保つことなどできるわけもなかった。

 彼の全身を苛んでいた痛みが“魔”の毒などではなく、神属からの堕天を示していることに気づいたとき、アシュトラの中のなにかが音を立てて壊れたのだ。

《アシュトラよ。かつてわたしとともにヴァシュタラの一部であったものよ。いまや神ですらなくなった貴様を放っておく理由はなく、生かしておく道理もない。我らを裏切り、逃れたのだ。その報い、受けてもらうぞ》

「ふざけるな!」

《ふざけるな? ふざけているのは貴様だ》

 ディナシアは、ただただ冷ややかだった。だがその冷酷無比な反応は、アシュトラの感情を激しく昂ぶらせるだけだ。

《神の本分を忘れ、ひとを呪った貴様ほどふざけた存在もあるまい》

「おおおおおお……!」

 アシュトラは、もはや本能の制御さえできなくなっていた。本能の赴くままにその何倍にも膨れ上がった肉体を躍動させ、ディナシアに襲いかかる。神と神の戦いは不毛であり、決着がつくことはない。だが、アシュトラが神ではなくなったというのであれば、話は別となる。神ならざるものの力ならば、神に届く可能性は皆無とは言い切れない。

 巨大化した腕の一振りは、暴風を巻き起こし、いくつもの竜巻を生み出したが、ディナシアには軽々とかわされた。上空に逃れたディナシアは、アシュトラを見下ろし、冷然と告げてくる。

《どれだけ強大な力であろうと、神の前では無力》

 アシュトラは、吼え、力を解き放った。神威ならざる力は、無数の火球となってディナシアに襲いかかる。ディナシアは避けようともしなかった。迫りくる大量の火球を目前にして、薄ら笑ってさえいる。

《もっとも、いまの貴様に神の力を用いるまでもないがな》

 一陣の風が吹いた。

「なんだ……!?」

 アシュトラは、無数の火球が立ちどころに吹き飛ばされてしまったことに愕然とした。そして、複数の気配を察知して、視線を巡らせる。七つの光がアシュトラに向かって飛来するのが見えた。

《我が矢は順調に育ちつつあるということだ》

 光がひとつ、矢の如くアシュトラの肉体を貫いた。背中から腹を貫通する一撃。凄まじい痛みは、神の体からただの肉体へと変容したがためのものだろう。神ではなくなったということは、あらゆる感覚が特別ではなくなっている。重力を感じ、疲労を感じ、痛みを感じる肉体になってしまった。死ぬほどの痛みの中で肉体を再構築しながら、彼は翼を広げた。ようやく、自分がどのような姿に変容したのかを認識したのだ。

 黒きドラゴン。

《“魔”を討つ神の矢ならば、悪しき竜へと変容した貴様を討つに相応しかろう》

「おおおおおおおおっ――!」

 アシュトラは、すべての力を振り絞り、虚空を翔けた。

 とにかくここから逃げ出さなければならないと想った。一刻も早く離れ、ディナシアから逃れるのだ。でなければ、ディナシアの力によって根本から消滅させられてしまう。神の力の前では、神以外のものは無力だ。

 怒り狂いながらも、どこか冷静さを残した思考が、彼に逃げの一手を打たせた。ディナシアは憎い。滅ぼしたいほどに憎いが、現状では立ち向かえない。立ち向かっても、滅ぼされるだけだ。ディナシアが敵対者に容赦するわけがないのだ。

 逃げなければならない。

 口惜しいことだ。神であったはずの自分がなぜ、神に追われなければならないのか。

 彼は、咆哮しながら曇天へと向かった。

 雲が裂け、七つの光が見えた。


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