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第千七百六十九話 亡き王家のための葬送曲(二十二)


 ストラ要塞南東部の大地は、シヴュラのエクステンペストとの戦いから先程まで続いた連戦によって、徹底的に破壊され、以前の風景が思い出せないほどに変わり果てていた。エクステンペストの引き起こした大嵐が大地をえぐり取り、木々を消し飛ばし、草花を吹き飛ばした上、ハルベルトのクラウンクラウンとベインのハイパワードの激闘、セツナとアシュトラの戦いが極めつけとなって、荒れ果てた大地に決定的な一撃を叩き込んだかのようだった。無数に大穴が飽き、不毛な大地と変わり果てている。

 元々、荒野ではあったのだが、それ以上に酷い有様となってしまっていた。仕方のないことだ。真躯同士の戦闘となれば、周囲の環境に配慮することなどできなくなる。ましてや、黒き矛と神の戦いとならばなおさらのことであり、ストラ要塞を巻き込まずに済んだのは僥倖といわざるをえない。もし、アシュトラがセツナのみにこだわらず、ストラ要塞一帯を消滅させるつもりでいたら、被害はこの非ではなかっただろう。

 最小限の被害で済んで、良かったのだ。

 レムとともに荒涼とした大地を見回りながら、セツナはそんなことをつぶやいた。戦いが終わった直後。シドたちと無事の喜びを分かち合った後のことだ。シドもベインも生き残った。フロードも、騎士たちの多くも、無事だ。ストラ要塞の住人はだれひとり欠けていないということも騎士の報告からわかっている。犠牲は、まさに最小限度に抑えられた。

 真夜中。冬。吹き抜ける風は、とてつもなく冷たく、戦いで熱せられた体にはちょうど良かった。

「これで最小限……でございますか」

「ああ」

 レムのおずおずとした疑問にセツナは間髪入れず肯定した。脳裏には、神の力を見せつけられた瞬間の光景が浮かんでいる。いまから何年も前のことだ。あれも冬の出来事だった。クルセルク戦争。後にマユラと名乗った神が見せた圧倒的な光景。神が放った光が、地平の果てまで大地を削り取っていく絶望的といってもいいような情景は、神の力を見せつけられた瞬間だった。

「おまえだって覚えてるだろ。クルセルクでマユラがやって見せたこと」

「……はい」

「あれだって、マユラにしてみりゃあ児戯に等しいことだったんじゃねえかって感じがするしな」

「あれが児戯……」

「神様の力ってのはさ、俺達が想像する以上に強大なもんだ」

 マユラとアシュトラが同じだけの力を持っているわけではないだろうし、常に超然としてたマユラと比べると、セツナの挑発に揺さぶられるようなアシュトラには、マユラほどの絶望感はなかった。それでも、力を引き出せるようになった黒き矛でなければ対抗できない存在であることは間違いなく、真躯を用いることもできないシドとベインや、騎士たちだけではどうすることもできなかっただろう。たとえ真躯を用いることができたとしても、まともに戦えたかどうか。

 セツナは、いまも握りしめる黒き矛を見下ろした。

(神に対抗しうる唯一の力……か)

 禍々しい形状をした漆黒の矛は、夜の闇よりも一層深く、暗い闇そのもののようにそこにある。

「では、そんな神様を撃退した御主人様は、いったいなにものなのでございましょう?」

「ただの人間だよ」

「人間如きが神様を撃退できるのです?」

「人間如きでも、俺にはこれがあるからな」

 セツナは、レムの疑問に対し、黒き矛を掲げるようにした。それは、レムとの絆の象徴でもある。彼女の命は、黒き矛を通して、セツナから供給されているのだ。

「黒き矛が在る限り、負けることはないさ」

 もう二度と、負けない。

 心折れることもない。

(もう、二度と……!)

 黒き矛が折れたあの瞬間、音を立てて崩れ去った心は、地獄の炎に灼かれて鍛え上げられた。心だけではない。心身ともに鍛え直されたのだ。

 もし、クオンと対峙するようなことがあったとしても、今度は負けないだろう。今度は、セツナが盾を破る番だ。

 もっとも――。

(あいつは……もう)

 クオンは、死んだのだろう。

 フェイルリングたちとともに、この世界を護るために命を落としたのだ。

 星明りの下に広がる荒野の寂寥感になんともいえない気分になりながら、セツナは、ストラ要塞に足を向けた。

 見回った限りでは、警戒の必要はなかった。

 ネア・ベノアガルド軍は、ストラ要塞の警戒網から既に撤退していた。セツナひとりに蹂躙されただけでなく、頼みの綱のハルベルトが敗れ去った以上、ストラ要塞を目指して進軍などできるわけもない。そもそも、セツナがネア・ベノアガルド軍との戦いに足止めされたのは、何十人もの兵士が神人化したからであり、ネア・ベノアガルド軍に損害をもたらしたのはセツナよりも、その何十体もの神人によるところが大きい。神人化こそハルベルト(アシュトラ)によって引き起こされたものの、制御まではされなかったのだ。その結果、ネア・ベノアガルド軍に被害が出た。

 神人は、見境なく攻撃する。

 セツナが神人を無視してストラ要塞に急行していれば、ネア・ベノアガルド軍は壊滅していたかもしれない。救力や幻装を用いることのできる元騎士がいないわけではなかったとはいえ、数が数だ。さすがに何十体もの神人を相手にすれば、厳しいことこの上ない。

 ネア・ベノアガルド軍は敵だったが、神人を放置することはできなかった。神人によってネア・ベノアガルド軍が蹴散らされたところでなにも惜しくはないし、むしろ手間が省けるくらいではあったが、その後、制御を失った神人がどこへ向かうとも限らない。ストラ要塞のみならず、シギルエルやサンストレアを襲う可能性だって十二分にあった。神人は、災害と同じだ。

 放っておくことは、できない。

 その結果、セツナのストラ要塞への到着が遅れに遅れたが、ぎりぎりのところで間に合ったのは幸運に恵まれたというほかないだろう。

 ついさきほどまで戦いの喧騒に包まれていたストラ要塞はいま、静寂に包まれている。


 戦闘が終わって、それほどの時間が経過したわけではないが、彼はとてつもない疲労感と喪失感の中にいた。ネア・ベノアガルドとの戦いにおけるすべてが、たった一柱の悪神によって引き起こされたものだということが判明したいま、覚悟を決めたシヴュラとの死闘までもが無意味なものだったということがわかってしまった。

 最初からすべてがわかっていれば、シヴュラを斃す必要もなければ、敵対する理由もなかった。もちろん、ハルベルトともだ。

 だが、もちろん、そんな道があろうはずもんかったのもまた、事実だ。アシュトラは、神なのだ。みずからの存在を認知させず、隠し通すことくらい余裕だったのだろう。あのとき、あの場に姿を見せ、正体を表したのは、そうすることでハルベルトを絶望させるためであり、シドたちを嘲笑し、失意の底に突き落とすためにほかならない。アシュトラは、人間の心が傷つく様を愉しんでいるようだったのだ。

 ハルベルトが敗れ去ることさえも織り込み済みだったのかもしれない。敗北し、すべてを失ったハルベルトに真実を突きつけることで絶望させる。そんな悪意がアシュトラにあったのだとしても、不思議ではない。

 言い知れぬ怒りがシドの心を震わせていた。

 ストラ要塞は、負傷者の搬送や治療、亡者として暴れ回っていた死体の処理に駆け回る騎士たちが大勢いて、シドは、それらを正騎士たちに指示したあと、ハルベルトの元に向かっていた。ハルベルトは、まだ生きているものの、すべての救力を使い果たした以上、残された時間は少ない。その残されたわずかな時間を用い、話し合わなければならない。

 ハルベルトが搬送されたのは、ストラ要塞内の一室だった。フロード・ザン=エステバンと要塞付きの医師がハルベルトの容態を見ていたが、シドが室内に入ると、席を外してくれた。その際、医師が見せた沈痛な表情からは、ハルベルトの余命が幾ばくもないことを告げていた。

 実際、鎧を脱がされ、寝台に横たえられたハルベルトの様子は、痛ましいというほかなかった。外傷はない。無傷なのだが、見るからに弱りきっているのだ。いまにも命の灯が消えかけている、そんな様子だった。その彼が、こちらを見た。

「終わった……のですね」

「ああ。アシュトラはセツナ殿に敗れ、去ったよ。セツナ殿によれば、要塞周辺にはいないそうだ」

 そして、アシュトラが報復を望むとしても、ベノアガルドではなく、セツナ自身にだろうという彼の見立てを伝えた。アシュトラの望みは、ベノアガルドの人間を弄ぶことから、黒き矛の確保へと向かったということのようだ。黒き矛は神にとっても重要なものであるらしいことが、アシュトラやミヴューラの発言からもわかっている。黒き矛。またの名を魔王の杖。神にとっても恐るべき力を秘めた存在がなぜ、セツナというひとりの人間の手に支配されているのかは、よくわからない。たまたま偶然なのか、それとも、必然なのか。いずれにせよ、セツナと魔王の杖には感謝するしかない。

 シドが話している間、ハルベルトは、じっとこちらの目を見ていた。ハルベルトの目は、綺麗だった。まるで憑き物でも落ちたような、そんな透明さがあった。澄んだ湖面のような青。王子のころからなにひとつ変わらない純粋さが、そこにある。

 アシュトラなる神をして穢れなき純真さと褒め称えるほかなかったほどだ。アシュトラの策謀によって失意の底に沈んだいまも、その純真さは失われていない。いやむしろ、以前にもまして輝いている様子さえあった。

「セツナ殿には感謝してもしきれませんね……」

「まったくだ。彼がいなければ、ベノアガルドはどうなっていたかわかったものではないな」

「わたくし自身、どうなっていたのか……」

 ハルベルトは、力なくつぶやく。いまにも消え入りそうな声は、彼の生命力がもはや失われる寸前であることを告げていた。

「きっと、自分を見失ったまま、神の傀儡として迷妄し続けていたのでしょう」

 そして彼は、ゆっくりと語りだした。

 邪神によって紡がれた無意味な戦いの始まり、その終わりに至るまでのすべてを。

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