第百七十六話 開戦
敵陣の動きに気づいたのは、クオンだった。
彼は、シールドオブメサイアによって拡張された五感が、自陣のみならず、敵陣の些細な変化も捉えていた。
最初にあった変化は、ある意味では小さく、ある意味では大きい。
敵陣後方に召喚武装の反応があったのだ。精確には、武装召喚術の行使を認識している。強大な力の召喚は、クオンのさまざまな感覚を刺激し、警告してきていた。確かに、警戒すべきだ。即座に攻撃してくるようには思えなかったものの、放置することもできない。
「敵軍に武装召喚師の存在を確認した」
クオンがつぶやくと、周囲に集まっていた部下たちに緊張が走った。イリス、マナ、グラハム、それに酔い潰れていたはずのウォルドでさえ目を開き、こちらを見た。クオンは、幹部たちではなく、側に控えていたガンディア軍兵士に命じた。
「左翼と右翼、および本陣に報告してください。敵軍に武装召喚師の存在を確認、注意されたし」
「ただちに」
各部隊への伝令としてクオンの元に派遣されていた三人の兵士は、クオンに敬礼すると、即座に三方に飛び散っていった。敵武装召喚師の存在を認知しておくことは、戦闘に大きく影響するだろう。知らずに突撃して、召喚武装に蹴散らされるよりは、少しでも警戒しておいたほうがいい。たとえその警戒が無意味であったとしても、だ。
「武装召喚師……厄介ですな」
「こちらには三名。しかも、無敵の盾とその双璧だ。相手にならん」
グラハムの心配をウォルドが一蹴する。ウォルドの滑舌はよく、もう酔いから醒めたようだった。そこまで呑んでもいなかったのかもしれず、酔ったふりをしていた可能性すらあった。クオンとイリスにちょっかいをだすために、だ。彼はそういうところでも本気になるところがあるのが、困るところもでもあった。
「かなり強力な召喚武装のようだ。用心に越したことはないし、油断をしてはいけないよ」
クオンが忠告すると、ウォルドは不敵に笑った。
「油断? だれにいってるんです。俺はいつだって油断したことなんてありませんよ」
「戦場では、ですけどね」
「それは否定しきれないが……」
「否定しないのか」
イリスがウォルドの様子に憮然としたようにいった。
クオンは、そんな仲間たちのやり取りを眺めながら、敵武装召喚師への対策を考えていた。クオン自身、自陣最前列にいたとはいえ、敵陣最後列辺りからの反応だったのだ。強力な召喚武装の使い手だと仮定するのは当然だった。
敵武装召喚師が正面から突っ込んでくるなら好都合だ。シールドオブメサイアの力で守り勝つことができる。しかし、敵武装召喚師が右翼や左翼へいった場合は、クオンの盾の力では防ぎきれなくなる。全軍に諸語領域を展開するとしても、敵の召喚武装の能力次第では押し負けかねない。やはり、敵武装召喚師は、《白き盾》が当たるしかない。こちらには、ふたりの強力な武装召喚師がいる。ウォルドのブラックファントムも、マナのスターダストも、敵武装召喚師に引けを取らないはずだ。
そして、ふたつ目の異変を察知した。
「なんだ……? この動きは」
敵陣の各所から、後方に兵士が集まっていくのを、クオンの感覚が捉えていた。
ジナーヴィの強化された聴覚が捉えたのは、馬蹄。それも大群であり、どう考えても味方援軍などではなかった。後方に援軍を頼んだ覚えもなければ、援軍を送るという報告もない。余裕もないはずだ。戦力の捻出に苦労しているのが、大国ザルワーンの現状なのだ。
皮肉なことだ。
広い領土を持つがゆえに、戦力を各地に割かざるを得ず、結果、こういう事態に対して後手に回らざるを得なくなる。ケイオンは兵力は中央に集中しておくべきだと主張したが、セロスに黙殺された過去があるらしい。セロスはミレルバスの忠実な狗なのだと、彼は嘆いていたが、ジナーヴィにとってはどうでもいいことに違いなかった。
ともかく、後方から迫ってくるのは、間違いなく敵軍だった。恐らく、対峙前に消えた戦力とはこれのことであり、後背を衝くために大きく迂回してきたのだろう。
ジナーヴィは、全軍に命じ、弓兵を集めさせた。
恐怖による支配は、こういう時にこそ効力を発揮した。数にして四百名もの弓兵が瞬く間に集まり、彼の周囲に布陣したのだ。だれもかれも、集合が遅れれば、ジナーヴィになにをされるのかわからないという恐怖があったに違いない。
彼の供回りの二百名も、中央の部隊から来た二百名も、そんな顔をしていた。
四百名の弓兵団による迎撃体制は、そのようにして整えられ、ときを待った。いや、待つほどのものでもなかった。
馬蹄を轟かせ、土煙を上げながら、騎兵部隊が本陣へと迫ってきたのは、弓兵が揃ってすぐのことだったのだ。
月光が、中天にある。
そのまばゆい輝きを反射することを恐れたのか、騎兵たちは、外套を纏い、闇に溶けるようにしながら馬を走らせていた。手には長槍や馬上刀を握り、敵陣に切り込もうと意気込んでいるのが、天竜童を纏ったジナーヴィには手に取るようにわかった。
彼は、弓兵の後ろに下がると、敵騎兵隊が弓の射程範囲に入ってくるのを待った。いや、射程範囲ぎりぎりでいい。矢を放ったと同時に射程に入ってくるくらいの距離を見極め、号令する。
「射てえっ!」
ジナーヴィの大音声とともに、四百本の矢が弓の戒めから解き放たれた。大量の矢が月光を反射しながら敵騎兵隊へと吸い込まれていく。人馬の悲鳴と転倒による物音、そして倒れた前列に突っ込んでいくがために起きる悲惨な事故が、敵騎兵隊に襲いかかる。しかし、ジナーヴィはそれを見届けられない。弓兵とともに散開し、矢を回避した騎兵の突撃から逃れる。
四百の矢は、すべて命中したわけではない。地に落ちたものもあれば、切り払われたものもあった。凄まじい技量の騎兵は、後続のことなどお構いなしに聖龍軍本陣に突っ込んでくる。ジナーヴィは、その騎兵が、大振りの馬上刀を閃かせ、逃げ遅れた弓兵を一刀の元に切り捨てるのを見た。
敵騎兵隊の内、無事に矢や事故を切り抜けた連中が突撃してきたのはその直後だ。そのときにはジナーヴィの弓兵たちも立ち直り、矢を浴びせかけていたが、騎兵隊の勢いを殺しきることはできなかった。想像以上に敵騎兵隊の数が多い。数百人どころではなく、千人規模の大群による騎行だったのだ。
四百人の弓兵では、制圧しきれなかった。
ジナーヴィは、騎兵隊から逃れながら自分の浅はかさを悔いたが、嘆いている場合でもなかった。
本陣に雪崩れ込んできた敵騎兵隊に、全軍が浮足立っていた。敵騎兵隊の奇襲については周知していたはずだったが、それでも、実際に目の当たりにしたとなると話は別なのだろう。黒い嵐のように、本陣をかき混ぜている。喚声が上がり、怒号や悲鳴が混じった。戦闘が始まっている。
気が付くと、フェイが、馬車から飛び出していた。両手に小刀が握られている。召喚武装・双竜人。
ジナーヴィは、迫ってきた騎兵を抜刀とともに斬り伏せると、フェイを見た。彼女は嬌声を上げながら、敵騎兵に飛びかかり、首を刎ねていた。
膠着状態が終わったのは、騎兵隊が敵陣後方から奇襲を仕掛けたからだ。
しかし、騎兵隊に相当な被害が出たのは、クオンにだけはわかった。騎兵隊の到達と敵陣の混乱に時差があった。騎兵隊が、攻撃を受けたのかもしれない。
クオンは、敵陣に起こる変化のすべてを追い切れなかった。自軍の右翼と左翼が、敵陣の変化に合わせて動き出している。対岸の敵陣はいま、吹き荒れる嵐のまっただ中の様相を示していた。
「《白き盾》、前面に展開。中央の盾となる」
クオンが命じると、団員たちが大声で答える。
クオンは、彼らの声に背を押されるようにして前進し、川に足を踏み入れた。途端、前方から矢が飛んでくる。しかし、矢はクオンの胸に当たって、地に落ちた。彼は、既にシールドオブメサイサの力を行使していた。
守護領域の対象は、《白き盾》団員。横列に陣形を組み、前進する。たった百人ではあるが、だからこそ強力な防御性能を発揮できるのだ。
「武装召喚」
「武装召喚!」
敵陣への侵攻中、マナとウォルドが、それぞれに召喚武装を召喚した。マナの手には全長八十センチほどの鉄槌が現れ、ウォルドの両腕は漆黒の篭手に包まれる。一対一の格闘戦を主体とするブラックファントムと、一対多を得意とするスターダスト。どちらも強力な召喚武装には違いない。
ふたりが武器を召喚したことで、《白き盾》の士気は否応なく上がった。団員たちは、ふたりの実力を知りすぎるほどに知っている。常に戦場で見てきたからだ。もちろん、イリスの実力も疑いようがなく、クオンの前に立つ彼女の後ろ姿に惚れ惚れするものもいるだろう。彼女の並外れた膂力は、二本の剣を同時に扱っても問題なかった。
幹部の中で、ただひとり、グラハムの実力は知られていない。ベレルの元騎士団長たる彼が直接剣を振るう場面には出くわしたことがなかった。《白き盾》に所属して一月余り。彼は幹部として、スウィールとともに行動することが多く、戦闘よりも別の方向での活躍が見込まれていた。だが、戦場に立つことも嫌いではないらしい。
長剣を手にした姿は、さすがに元騎士団長だけあって様になり、風格があった。
渡河中、敵陣からは矢がつぎつぎと飛来してきたが、そのどれもがクオンたちに傷ひとつつけることなく、力を失い、川底に沈んだ。浅瀬。クオンたちは進軍速度を上げた。敵陣へと突っ走り、騎兵隊の援護を行うのだ。
挟撃。
敵陣は混乱の真っ只中だ。
敵陣に変化があったのを察したとき、ハルベルク・レウス=ルシオンは、白聖騎士隊とルシオンの兵士たちに進撃を命じていた。
川を挟んでの対峙から半日以上が過ぎ、暇を持て余していたときだった。ギルバート=ハーディの奇襲が成功し、敵陣が乱れたのだ。この機を逸する訳にはいかない、左翼に展開する全部隊に命令を飛ばし、ハルベルクもリノンクレアとともに馬を駆った。
騎馬隊ともども川を駆け抜け、敵陣の(こちらから見れば)左翼へと殺到する。喚声を挙げさせ、敵陣の混乱を拡大させる。矢が飛び交い、剣と槍が踊っている。ハルベルクは馬を巧みに操り、敵集団に突っ込むと、槍を突き入れて三人もの兵士を串刺しにした。新調した長槍が役に立った。
リノンクレアも馬上、剣を振るっている。彼女の華麗な剣捌きは、鑑賞していたいものだったが、リノンクレアが敵騎馬兵をふたり切り倒したところで、彼は思考を切り替えていた。白聖騎士隊とともに敵陣左翼を蹂躙するのだ。
まるで乱戦だった。
事前の通達通り、後方からの奇襲があった。大量の騎馬兵が、即席の弓兵隊の餌食となったようだったが、それ以上の騎兵隊が本陣に流れ込んできたらしい。本陣は混乱状態に陥り、その混沌具合はゴードン=フェネックの担当する左翼にまで伝染しかけたほどだ。彼は、麾下の七百名に冷静に行こうと厳命していたが、それでも後方からの喚声には驚かざるを得なかった。
敵のものとも味方のものともつかない悲鳴や罵声、怒号が飛び交い、戦場は瞬く間に混迷の度合いを増していく。
悲鳴のような報告が、彼のもとに届く。
「敵軍、突っ込んできます!」
「だったら迎撃するんだよ!」
ゴードンは、泣きたいのはこっちだと思いながら叫び返していた。
「ついに動き出したな!」
そういって、シグルドが酒を呷ったのを見て見ぬふりをしながら、ルクスは椅子から立ち上がった。グレイブストーンを鞘から抜き、感覚の冴えを認識する。敵陣が慌ただしい。どうやら、騎兵隊による奇襲は成功したようだ。《蒼き風》の前を塞いでいた《白き盾》も、とっくに動き出していた。既に川の中ほどにまで達している。
出遅れている。
その事実が、ルクスを苛立たせることはない。どうせ大した戦果も期待できない戦闘だ。《蒼き風》は、《白き盾》の後ろにくっつき、おこぼれを頂くだけで十分なのだ。それで契約を満たすことさえできればいい。
「整列!」
ジンが副長らしく声を張り上げると、屈強な団員たちが一斉に彼の前に集まった。どいうつもこいつも普通の社会では生きていくのも難しそうな面構えをしている。ルクスも同じだ。普通の人間として生きていくことができないから、彼はシグルドにつき、彼とともに傭兵などをやっている。普通に暮らせるなら、暮らしただろう。そのほうが気楽に決まっている。
しかし、ルクスは傭兵としての道を選んだ。
父の遺したグレイブストーンとともに、剣に生きていこう。
そんなことを考えたこともあったが、いまは、シグルドたちと一緒にいられるだけで十分に幸せなのだと感じていた。だから、戦果は必要ない。契約分程度に働けば、十分だろう。
「おこぼれでもいいじゃねえか、雑魚でもよ。俺たちゃ《蒼き風》だ。その誇りさえ忘れなけりゃ、どんな戦果でも構いはしねえ。行くぜ、野郎ども」
シグルドは、一同を見回すと、不敵に笑った。団員たちが声を上げて同意を示す。獣の咆哮のような大音声が、戦場を震わせた。
その痺れるような空気の中で、ルクスは頬を緩めた。
(《蒼き風》はいいところだな)
だから、ルクスは生きていられるのだ。