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第千七百六十八話 亡き王家のための葬送曲(二十一)


《おまえは……!》

 アシュトラが恨みがましく睨みつけてきたことで、セツナは、勝利を確信した。アシュトラから完全に余裕が失われていることがわかったからだ。ついさっきまでセツナを見下し、自分が負けることなど考えてもいなかったであろう神が取り乱している。そこに付け入る隙があるはずだった。

《なぜだ! なぜおまえが生きている!》

 アシュトラの叫び声は、さながら悲鳴にも似ていた。

《滅ぼしたはずだ! 消し去ったはずだ! この時空から完全に消滅したはずだ! おまえという存在そのものを跡形もなく消失させたぞ、わたしは!》

「んなこと、知るかよ」

 セツナは、ぶっきらぼうに告げることで、アシュトラをさらに煽ろうとした。取り乱し、余裕のなくなった神をさらに揺さぶれば、セツナの勝利は盤石なものとなりうる。冷静さを失えば、どれほどの強者であっても弱者になりうるのだ。もっとも、神ほどの存在が混乱したところで、普通倒せるものではない。黒き矛カオスブリンガーあればこそ、神に対抗しうるのだ。

 もっとも、セツナの言葉に嘘はない。先程のアシュトラの攻撃をどのように対処したのか、記憶がないのだ。無意識に回避したのか、それとも、黒き矛が自動的に護ってくれたのか。おそらくは後者だろう。黒き矛は、神に対して尋常ではないくらいの怒気を発している。黒き矛としては、セツナを失うわけにはいかないのだ。現代において、セツナ以外のだれも黒き矛を扱うことはできない。

《馬鹿な……! 馬鹿げている……馬鹿げているぞ!》

 アシュトラは、満身創痍のまま、全身を震わせた。右手の指を失い、左腕を切り捨て、背中を切り裂かれている。アシュトラいわく簡単に復元できるはずが、それをしないのどういう了見なのか。回復するまでもないと判断してのことか、なんらかの理由があって回復できないのか。人間を見下しきった神のことだ。前者以外に考えられるわけもない。神にとっての肉体と人間にとっての肉体は、どうも意義の異なるもののようだ。アシュトラの戦い方を見る限り、手足がなくとも魔法めいた力を用いることに問題はなさそうだった。神なのだ。人間と同じように考えてはいけない。

 しかし、そのわりには、アシュトラは自身の体を傷つけられたことで怒りを感じていたようだし、痛みを覚えているような様子さえあった。だからこそ、セツナはアシュトラとの戦闘に手応えを感じ、同時にこうも想ったのだ。

「あんた……本当に神様なのか?」

 それこそ、セツナの素直な感想だった。

《なにをいう……わたしは神だ! 人間に望まれ現出したわたしが神以外のなにものでもあろうはずもない!》

「そのわりには、たかが人間に切られた程度で取り乱し過ぎなんじゃないのか」

《なに……!》

「神様なら、もう少し余裕を持てよ」

 セツナは、アシュトラの金色の目を見つめながら、矛を掲げた。切っ先を神様に向ける。

「次元が違うんだろ?」

《おのれ……!》

 アシュトラが、吐き捨てるように、叫ぶ。

《おのれおのれおのれおのれおのれ……おのれえっ!》

 アシュトラの全身からまばゆいばかりの光が噴き出し、周囲の大地が割れ、粉塵が舞い上がった。セツナは咄嗟に飛び退くと、アシュトラから噴き出した力の膨大さに目を細めた。さすがは神としか言いようがないほどの力が全身を貫き、セツナの心を震わせる。冷や汗が流れている。舐めてはいけない。侮ってはいけない。見下してはいけない。その瞬間、セツナは殺されるだろう。相手は、神だ。その事実を否定することはできない。そしてその事実は、セツナとアシュトラの絶対的な力の差となって現れるのだ。

 油断した瞬間、消し滅ぼされる。

 莫大な量の光の渦の中、アシュトラがこちらを睨んでいた。逆巻く神の力は、小さな天変地異といっても間違いあるまい。触れた瞬間、立ちどころに消し飛ばされるのは、周囲の大地への影響を見てもわかろうものだ。

《呪ってやる……!》

 アシュトラのその一言を聞いた瞬間、セツナは思いもよらず寒気を覚えた。ぞくりとするようなまなざしだった。言葉だった。力を、感じた。

《呪ってやるぞ、セツナ=カミヤ……!》

 アシュトラの呪詛は、続く。

《わたしの全存在を賭けて、おまえのすべてを呪ってやる! ふはははっ!》

「……負け惜しみかよ」

 セツナはそう言い返すのが精一杯だった。アシュトラが紡ぐ呪詛の言葉は、まるで強大な力の波だった。力の波が、セツナを捉えて離さない。黒き矛が震えた。黒き矛と黒き鎧がセツナを護らんと反応しているかのようだった。セツナ自身の心の震えが収まる。アシュトラから流れ込んできていた力が消えて失せたからだろう。

 しかし。

《後悔してももう遅い! おまえはいま、呪われた!》

 アシュトラは、勝ち誇るように告げてきた。圧倒的な力の渦の中から、彼の高笑いが響いてくる。

《わたしが呪った。呪ってやったのだ。おまえの人生に光明などないことを知るがいい……! おまえの運命に希望などないことを恐れるがいい……! おまえは呪われた。神に呪われたのだからな……!》

 アシュトラの宣告に対し、セツナは、なにも言い返さなかった。返す言葉も見つからないというべきか。呪われたというが、セツナの身にはなんの変化もなかった。体調が悪化することもなければ、体力が奪われたということもない。先程感じていた寒気も、黒き矛と鎧のおかげもあってなんということもなくなっている。

 ただの負け惜しみだろう。

 セツナは、そう判断し、アシュトラが光の渦の中で哄笑する様を眺めていた。アシュトラは、セツナを嘲笑い、愉悦に体を震わせている。莫大な力が際限なく噴き出し、光の渦はまるで竜巻となって夜空へと伸びていく。

《ふはっ……ふははははっ……ぐふぅ……!》

 突如として、アシュトラがその場に崩れ落ちた。噴き出していた光が消滅すると、アシュトラの体からも光が失われる。背に負っていた光輪が地に落ちた。

《なっ……馬鹿な……これはっ……!?》

 アシュトラは、愕然としていた。自分の身になにが起こっているのか、まったく理解していないような様子だった。無論、セツナにわかるはずもない。セツナも、アシュトラの身になにか異変が起きているということしかわからなかった。そしてなぜそんなことが起きているのかなど、想像することさえできない。

《おおおおおおおおおっ――!》

 アシュトラは、断末魔の絶叫の如き雄叫びを上げ、セツナの眼前から姿を消した。

「消えた……? なんなんだ……いったい」

 ただ目の前から消えただけではなかった。

 周囲四方、セツナが黒き矛を通して感知できる範囲内にアシュトラの気配はなく、戦場から完全に離脱したということがわかる。もちろん、また襲い掛かってくる可能性がないとはいいきれないが、あの離脱直前の様子から想像する限り、すぐに再来するようなことはなさそうに思える。アシュトラ自身に予期せぬ出来事が起きていたようなのだ。それが解決するまでは、再びベノアガルドの地に訪れることはあるまい。

 そもそも、ベノアガルドのことよりもセツナのことにこそ注力しそうではある。セツナがベノアガルドを離れれば、アシュトラがベノアガルドに興味を示すことはなくなるのではないか。アシュトラは、魔王の杖こと黒き矛に執着を見せていた。

「御主人様!」

 甲高い叫び声に、セツナは少しばかり驚き、振り向いた。レムらしくない悲痛な叫び声だったからであり、彼女が血相を変えてこちらに駆け寄ってくるのを見て、また驚く。

「ご無事でございますか!?」

「……見ての通りさ」

「無事なのでございますね?」

「ああ。なんの心配もないよ」

「良かった……!」

 ほっとしたレムは、目に涙さえ浮かべていた。

 アシュトラは、神だ。それは疑うまでもない。ミヴューラに匹敵する力を持っていたことは、アシュトラの様々な能力を思い起こせば、疑念を差し挟む余地もなかった。そんな神との戦いを見守らなければならなかったのだ。その心中、察するに余りある。

「ああ……心配をかけて済まなかったな」

「いいえ……! わたくしは御主人様が御無事であることだけで十分でございます……!」

「うん……ありがとう」

 セツナは、レムを軽く抱擁して、感謝を伝えた。

 戦いは終わった。

 少なくとも、セツナはそう実感していたし、その認識に間違いはないものと想った。神の気配はなく、敵対者もいない。ネア・ベノアガルド軍は、ハルベルトの敗北を認識すれば、シギルエルへ撤退することとなるだろう。そして、ベノアガルド王家唯一の生き残りであったハルベルトが息を引き取れば、ネア・ベノアガルドの主張する正当性は完全に失われる。ネア・ベノアガルドは、ベノアガルド王家の再興を大義として掲げ、それによって人材も戦力も集まっている。ベノアガルド王家がハルベルトの死によって消滅すれば、自然、その纏まりも崩壊せざるを得ない。

 戦いは、終わった。

 ハルベルトの命数は、もはや尽きる寸前だった。



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