第千七百六十四話 亡き王家のための葬送曲(十七)
「おまえは、ここまでだったのだよ」
生前のアルベルト・レイ=ベノアガルドとなにひとつ変わらぬ姿をしたその男は、アルベルトの声、アルベルトの表情で、ハルベルトに告げた。金髪碧眼。ベノアガルドに住む多くの北方人同様、きめ細やかな白い肌が特徴的な男。容姿だけではない。背格好、服装までもアルベルト王そのままであり、ベインは、懐かしい夢でも見させられているような気分になった。もっとも、ラナコート家の長男程度の男と国王の面識など、そうあるものでもなければ、思い出などあろうはずもない。夢に出て来ることなどありえない。
目の前に現実として、それはいる。アルベルトの姿をした、まったく別の存在。本人であるわけがなかった。
「あれは……」
「陛下だ。アルベルト・レイ=ベノアガルド」
「陛下? 革命によって討たれたという?」
「ああ……どう見ても間違いない」
ベインは、セツナの疑問を肯定しながらも、内心では否定していた。アルベルトがここにいるわけがない。アルベルトは死んだのだ。革命の日、フェイルリングによって討たれ、その死体は家族ともども王家の墓に埋葬された。王家の血筋で生き残ったのは、ハルベルトただひとりなのだ。
アルベルトが、これまで見てきた亡者たちのようになんらかの力によって蘇ったのではないか、という可能性は、アルベルト本人の言葉によって否定された。アルベルトは、なんらかの力によって操られているという風ではなかった。バイルや他の亡者たちとは様子が違う。意思を持っている。瞳に力があった。
ハルベルトが、アルベルトに向かって手を伸ばす。
「父上……どうして」
「どうもこうもあるまい。おまえは敗れ、死ぬのだ。素晴らしい結末ではないか。実に面白い余興だったぞ、我が子よ」
「余興……?」
ハルベルトの愕然とした反応に対し、アルベルトは、冷然と見下ろすような目をしていた。声音も冷ややかだった。まるで父親としての感情を持ち合わせていないような冷淡さ。そこに違和感を禁じ得ないのは、ベインの知る王家の内情と大いに異なるからだ。
ベノアガルド王家というのは、政治腐敗の象徴だったとはいえ、家族そのものの仲まで腐りきっていたわけではない。むしろ、政治腐敗が深刻化すればするほど、ベノアガルド王家一族の仲は深まっていったのではないかといわれているほどだ。家族身内に甘く、無関係な他人に厳しい王家が頂点にあったからこそ、腐敗は極まっていったのだろう。腐敗を嘆き、命を賭して忠告や進言をするものを廃し、挙句には刑死させるほどになっていったのもうなずける。たとえばハルベルトの身にもしものことがあれば、それに関与したものはどのようなものであっても極刑を免れ得なかったであろうほど、家族に対しては甘かった。それがたいしたことのないできごとであってもだ。
そんな家族関係とは程遠い言葉を、アルベルトは吐いている。ハルベルトが絶望のあまり、凍りつくのも無理はなかった。
「おまえはいっていたな。世界が壊れ、滅びゆくを見て、いっていたぞ。騎士団はなんのために存在するのか、自分はなんのために騎士団に入ったのか、とな。おまえはいったはずだ。民を護るため、国を良くするためだけに騎士団に入り、だれよりも気高くあろうとしたはずだと」
アルベルトが、笑う。その瞬間、端正な顔に刻まれた酷薄な笑みにベインは戦慄を覚えた。とても人間がするような表情ではなかった。少なくとも、ベインがこれまで見てきたどんな悪人でも、そんな表情にはなりえなかった。人間であることをやめなければ決してできないような、邪悪そのものといっても間違いではない笑顔。魂が、警告を発した。
「だからわたしはおまえを導いた。おまえに力をくれてやった。騎士団以上の力を。この国に安定をもたらしうるだけの力を。そして、この国を混乱させるだけの力をな」
「あなたはなにを仰っているのですか……父上……」
「まだわからんのか」
絶望的な表情で、それでもなお縋ろうと手を伸ばすハルベルトを、アルベルトはただ嘲笑った。
「おまえは、わたしの声に耳を傾け、この国を滅茶苦茶にしたのだよ」
そして、彼は告げてくる。この騒動の真相を。
「ベノアガルド王家の再興も、そのための騎士団からの離反も、シギルエル制圧、シクラヒムへの侵攻も、この度の決戦も、なにもかも、わたしがお膳立てしたことだ。おまえは気づかなかったのか? 死んだはずのおまえの家族がなぜ、おまえにだけ視えていたのか。なぜ、おまえを愛し、おまえが望むままに生きることを望んでいた家族たちが、おまえの希望たる騎士団を潰そうとしていたのか。王家再興などとだれも望まぬことをおまえに願っていたのか。すべては、わたしが紡いだ茶番だからだよ」
「茶番……」
「そう、茶番だ。なにもかも、ただの茶番だ。上手くいくなどと思ってもいない。上手くいかせる必要もない。ただの児戯のようなものさ。おまえたち人間も、子供の頃によく人形遊びをしたものだろう? あれと似たようなものだ。わたしの人形は人間そのものだったということだが」
アルベルトの告白は、場に沈黙をもたらした。
ハルベルトは、絶句し、硬直していた。それはそうだろう。彼は、これまでのなにもかも、自分が考え、自分が望み、自分の意思でやってきたことだと想っていたはずだ。それがすべて否定された。アルベルトの姿をしたなにものかが彼を操っていただけのこと。ハルベルトにとって、これほど悔しいことはあるまい。これほど絶望的なことはあるまい。
ベインは、歯噛みし、拳を握った。ハルベルトの心中、察するにあまりある。いや、わかっている。ハルベルトがこの国になにをしたのか。ハルベルトの思慮のなさが結局はベノガルドに混乱をもたらし、多くの騎士とともにシヴュラの命をも散らせたのだ。許されないことだったし、ベインはいまでもハルベルトを許してはいない。許すつもりもない。怒りはいまだ胸の奥で燃え盛っている。しかし、それでもハルベルトを裏から操っていたのであろう黒幕が姿を表し、ハルベルトの覚悟を嘲笑えば、怒りはそちらへ向けざるを得ない。
ハルベルトは、気のいい青年だった。それこそ、シヴュラを父のように慕い、常について回るような、子犬のような青年で、だれもかれもが彼を好いた。ベインもそのひとりだった。
彼がなんの理由もなく騎士団を裏切ることなどありえないことだ。
そう、理由がなければ、ハルベルトは騎士団に残り、シヴュラとともにベノアガルドの復興に全力を尽くしたはずなのだ。
あり得たかもしれない未来図に、ベインの心は慟哭した。
アルベルトは、ハルベルトを見ているのも飽きたかのようにセツナに視線を移した。
「セツナ=カミヤ。知っているぞ、おまえのことは。まさか生きていたとは思わなかったがな。そして、生きていたとして、この地に現れるとは予想してもいなかった」
「あんたは、なにものだ。なんで俺のことを知っている。それにこんなことをしてなんの意味がある?」
「質問が多いぞ。まあいい。時間は無限にある。おまえたちとは違ってな」
アルベルトの姿をしたなにものかに対し、セツナは警戒を隠さない。黒き矛を握りしめ、いつでも攻撃できるような体勢に入っていた。レムも、シドも、そしてベインもだ。アルベルトがハルベルトを裏から操っていた黒幕であると判明している以上、手加減など不要だった。ハルベルトが用いた力のうち、真躯クラウンクラウンの能力を除く大半はアルベルトのものとしか考えられない。亡者も神人化もなにもかも、アルベルトの姿をしたなにものかの能力であり、それはつまり、この男の力が途方もないものであるという証左だった。真躯の能力を引き上げた上、ワールドガーディアンを再現せしめたのだ。神に匹敵する能力――。
「意味などないよ。いっただろう。ただの児戯だと。児戯に意味などあるまい? 遥か未来、懐かしい思い出話にさえならないただの遊びだよ。退屈しのぎにはちょうどよかった。この世界はあまりに退屈だからな」
彼は、平然と言い放つと、ただ冷笑した。だれを笑ったのか、考えずともわかる。ハルベルトであり、ベインたち騎士団騎士を含めたすべての人間だろう。アルベルトの姿をしたなにものかは、人間ではない。
「つぎの質問。なぜおまえのことを知っているのか、についてだが、逆に聞くが、おまえのことを知らない神がいるとでも想っているのか?」
「神……」
「そうだよ。わたしは、神だ」
宣言とともにアルベルトの全身が光に包まれたかと思うと、変容が起こった。質量にさしたる変化はない。外見が大きく変わっただけのことだ。人間そのものだったアルベルトの姿から、人外の存在への変容。双眸から金色の光が漏れ出、金色の髪がそのまま眩しい光を帯びた。顔の造作が中年男性から少年めいたものへと変わり、衣服が燃えて消えたかと想うと、光が全身から発散していた。均整の取れた体型は、人間として見れば理想的なものといえるかもしれない。背後に光の環が出現し、全身に奇妙な紋様が浮かび上がった。それによって、変容が終わったのだろう。彼は口を開き、いった。
《我が名はアシュトラ。おまえたち卑小な人間の遥か高みに君臨する大いなる存在よ》
全身からまばゆい光を放つそれは、確かに神と呼ぶに相応しい威圧感と力強さを兼ね備えていた。