第千七百六十三話 亡き王家のための葬送曲(十六)
「わたしはわたしですよ。ハルベルト・レイ=ベノアガルド」
クラウンクラウンが大仰な身振りで、自身を指し示しながら告げた。声も態度もハルベルトそのものであり、ベインには、セツナのいっていることよりもハルベルトがいっていることのほうが正しく思えてならなかった。そもそも、ハルベルト以外のだれがクラウンクラウンを用いるというのか。クラウンクラウンの変化は確かに異様ではあるが、それがハルベルトであることを否定することには繋がらない。フェイルリングのときとは違い、ハルベルトの魂は、確かにそこにあるのだ。
「違うな」
しかし、セツナは頑なに否定した。黒き矛の切っ先をクラウンクラウンに向け、冷ややかにいう。
「あんたは、ハルベルトさんじゃあない」
「なにを血迷ったことを……」
「そこにハルベルトさんがいることは認めるが……」
黒き矛の穂先が光を帯びたかに見えたつぎの瞬間、光の奔流が放たれた。
「違う」
セツナの冷徹な声が聴こえる中、光の奔流は虚空を貫いていく。またしても、クラウンクラウンを捉えきれない。ただし、今度は空間転移ではない。左方向への高速移動。ワールドガーディアン並みに巨大化したとはいえ、鈍重になったわけではないようだ。むしろ、速度も上がっているようだった。真躯の場合、質量が即ち力となる。顕現する真躯が巨大であればあるほど、発揮しうる力も膨大となる。その力とはただ攻撃するための力だけではない。移動するための力も、防御するための力も、質量に依存する。だからこそ、どの真躯もワールドガーディアンには敵わない。敵うはずがない。圧倒的な質量差という現実があるのだ。
真躯とは、救力の集合体といっても過言ではない。実体を持つ救力と言い換えてもいい。質量が大きければ大きいほど、そこに費やされている救力も膨大だということだ。巨大だからといって鈍重にならないのは、そのためだ。ベインのハイパワードやドレイク・ザン=エーテリアのディヴァインドレッドが巨大ながらも速度でほかの真躯を凌駕しうるのも、そこに理由がある。
真躯にとって質量こそがすべてといっても、言い過ぎではないのだ。
故に、いまのクラウンクラウンは、ハイパワード以上かつ、ワールドガーディアンに匹敵するほどの力があると見て、間違いない。
「セツナ殿、気をつけろよ。いまのクラウンクラウンは尋常じゃねえ。少なくとも、ワールドガーディアンに近い力があっても不思議じゃあない」
「わかっています。あれは……あの力は……」
セツナは、翅を羽撃かせると、一気にクラウンクラウンへと殺到した。クラウンクラウンは、右手に剣を左手に盾を構え、セツナに対応する。ハルベルトの咆哮が響き渡った。
「わたしは、ハルベルト・レイ=ベノアガルド。ベノア王家を再興し、このベノアガルドに平和と安定をもたらすものだ!」
クラウンクラウンの全身が光を発したつぎの瞬間、その周囲の空間が歪んだ。全部で五つの歪み。ベインは、先程のことを思い出して、嫌な予感を抱いた。そして、その想像がまさに実現する瞬間を目の当たりにした。五つの歪みの中から滲み出すようにして、五体の真躯が出現したのだ。紅蓮の炎を体現するかのような真躯フレイムコーラー、二本の剣を携えし騎士デュアルブレイド、右腕が長槍と一体化したランスフォース、水晶のように透き通るミラージュプリズム、なによりも猛々しく豪壮なディヴァインドレッド――いずれも“大破壊”とともに命を失った十三騎士たちの真躯だった。無論、偽者だ。今度は、確認を怠らない。ゼクシズ・ザン=アームフォートも、フィエンネル・ザン=クローナも、カーライン・ザン=ローディスも、テリウス・ザン=ケイルーンも、ドレイク・ザン=エーテリアも、そこにはいない。全員が全員、偽者なのだ。だが、だからといってその力が本物よりも弱いかというと、どうだろうか。少なくとも先程のワールドガーディアンは、本物と遜色のない力を発揮していた。ベインが覚悟しなければならないほどの力を見せつけたのだ。五体が五体とも、本物と同等の力を持っているのであれば、さすがのセツナも危ういのではないか。一体でもベインが相手をするべきだろう――そう考えた矢先だった。
「それがハルベルトさんの言葉なら否定する気はないが……」
セツナは、五体の真躯の出現を意に介することもなかった。フレームコーラーが放った爆炎を華麗にかわし、デュアルブレイド、ランスフォースの連撃をかわし、ディヴァインドレッドの大剣を潜り抜け、ミラージュプリズムの幻影を突破する。そして、クラウンクラウンに肉薄した彼は、黒き光の矢となった。
「あんたの言葉なんだろ?」
そして、黒き光の矢は、クラウンクラウンが咄嗟に翳した剣と盾をあっさりと破壊し、そのまま胸甲を突き破った。それだけでは、終わらない。クラウンクラウンの胴体を貫かなかったセツナは、巨大な真躯の体の内に留まると、黒き矛を振り回したのだ。無数の剣閃が奔り、穂先より発せられる光芒がクラウンクラウンの巨躯をずたずたに引き裂いていく。その間、五体の真躯は為す術もない。攻撃対象たるセツナは、クラウンクラウンの中にいるのだ。攻撃のしようがない。
黒き矛から発振される莫大な力の奔流がクラウンクラウンを瞬く間にばらばらにした。兜が真っ二つに割れ、肩が、腕が、足の指までもが切り離され、荒れ狂う破壊の力の中で打ち砕かれていく。それはさながら小さな災害といっても過言ではない。いや、小さくとも、その中にはただの自然災害などいうに及ばないほどの力が渦巻き、荒れ狂っている。巻き込まれれば、ベインのハイパワードでさえただでは済むまい。
彼はその瞬間ほど、セツナが協力してくれたことに感謝したことはなかったかもしれない。敵に回せばこれほど恐ろしい相手はいない。ハイパワード以上の力を持つだろう強化されたクラウンクラウンをいとも容易く破壊し尽くしたのだ。現状の騎士団が束になって戦えばなんとかなるかもしれないが、ベインひとりではとても敵いそうになかった。それだけに、彼は興奮を覚える。強いものを目にすると、昂揚を抑えきれなくなるのが悪い癖だった。
やがて、力の嵐が収まると、光の粒子が舞い散る中をセツナがゆっくりと降下する様が視界に入ってきた。彼は、その腕に人間態となったハルベルトを抱いていた。
「馬鹿な……わたしが……こんな……!」
ハルベルトの愕然とした声が聞こえて、ベインは、セツナが勝利したことを確信した。しかし、それですべてが終わったわけではないことは、なんとなく理解できていた。
セツナがいった“あんた”がハルベルト本人を指すものではないことは、ベインにも察することはできた。それがなんであるかはわからない。ハルベルトに真躯を強化するだけの力を与えた存在がいるとすれば、それであるのかもしれない。いや、ほかに考えつかない。ハルベルトがミヴューラから与えられた力だけしか持っていないのであれば、クラウンクラウンを強化し、また、十三騎士の幻影を生み出すなどということなどできるはずもない。
まるで神のようだ。
まるで、救世神ミヴューラの如き力というほかない。無論、ミヴューラそのものではない。ミヴューラは、“大破壊”を境に姿を消している。神を滅ぼすことはできないというのだから、生存しているはずなのだが、その存在を確認することはできていない。十三騎士とミヴューラは繋がっているが、それはミヴューラからの一方的な繋がりであり、十三騎士がミヴューラとの繋がりを確認することなど恐れ多くてできるわけもないのだ。
つまり、ミヴューラ以外の神になる。
ミヴューラ以外にも、この世には数多の神が召喚された。聖皇ミエンディア・レイグナス=ワーグラーン。“大破壊”の原因のひとつとなった人物が用いた召喚魔法により、イルス・ヴァレには異世界の神が無数に召喚されているのだ。それらは皇神と呼ばれたが、いつごろからかひとびとの前から姿を消した。
だが、到底考えようのないことだ。ミヴューラ以外の神が、ハルベルトに力を貸す理由がない。ハルベルトは、ミヴューラの加護を得ているのだ。ミヴューラは、皇神であったが、聖皇に反論したことで神卓に封印された神であり、神々の中でも忌み嫌われた存在であると自負していた。聖皇に付き従う神々を卑下するミヴューラにとって、皇神に嫌われることほどの誉れはなかった、ということだが、それはつまるところ、皇神たちがミヴューラの息のかかった人間に手を貸す可能性は極端に低いことを示している。
そんなふうに考えを巡らせながら、周囲を見やる。セツナに差し向けられていた五体の真躯は、クラウンクラウンの消滅と同時に消え去っていた。クラウンクラウンの力によって作り上げられた偽者だったということだろう。
「御主人様ーっ!」
「セツナ殿!」
地上の破壊跡に降り立ったセツナの元へ、レムとシドが駆け寄っていく。どうやら、亡者騒動も収束したようだ。亡者たちも、クラウンクラウンの能力によって動かされていたということになる。どれだけ破壊しても立ちどころに再生し、復元する不滅ぶりは、神のようなものの加護を受けているというのならば納得出来ない話ではない。
ベインも、真躯を解いた。同時に疲労感に全身を苛まれ、目眩さえ覚える。クラウンクラウン、銀熊騎士、ワールドガーディアンとの連戦は、ベインの巨躯に相応しい体力を限りなく奪い去っていた。ただでさえ真躯の顕現は体力・精神力を使うのだ。クラウンクラウンを斃すために多大な力を使い、銀熊騎士の撃破にもさらなる力を消耗している。ワールドガーディアン戦も、残る力の限りを尽くさんとした。結果、ベインは力を使い果たしたといってもいい。もう、真躯は使えないかもしれない。シドと同じだ。
そうなれば、後のことは、オズフェルト、ルヴェリス、ロウファに任せるしかないだろう。無論、救力と幻装を用いることはできるため、真躯の必要のない戦いならばなんの問題もないが。
ベインは、前方のセツナがハルベルトを地面に横たえる光景を見ながら、目を細めた。セツナの赤い瞳は、愕然としたままのハルベルトを見つめながら、訝しんでいる様子だった。気になることがあるのだろう。そしてそれは、彼のいっていた“あんた”と関係する。
真躯を破壊され、人間態に戻ったハルベルトの姿は、騎士団を離反する以前よりも痩せているようにみえるものの、それ以外に変わったところは見受けられなかった。派手な黄金色の鎧があまりに似つかわしくなく、彼が無理をして王者を気取っていたのではないかと思えてならない。ハルベルトの性格を考えれば、目的のためであればどのような無理でも押し通すだろうことは簡単に想像できる。
「終わったのでございますね、御主人様」
「いや――」
セツナがレムの言葉を否定しようとしたその瞬間、ハルベルトの手がわずかに動いた。目が開く。
「いや……まだです」
「え?」
「まだ、終わりじゃあない」
ハルベルトがうめきながら、体を起こそうとする。だが、彼の体は微動だにしなかった。力がないのだ。
「わたしは……まだ……」
「ハルベルト……」
シドが顔を背けたのは、ハルベルトが力を使い果たしていることを悟っていたからだろう。十三騎士の魂は、絆によって結ばれている。ハルベルトの魂がいまにも力尽きかけていることくらい、十三騎士たるシドにも、ベインにもわかるのだ。
ハルベルトは、ベインのハイパワードとの戦闘で、すでに力尽きかけていた。ハイパワードの全力攻撃を受けたのだ。魂を粉砕されてもおかしくないほどの一撃をなんとか耐えしのいだが、それでどうにかできるわけもなかった。戦いが終わり、彼を加護していた力が消えてなくなれば、力尽き、死ぬしかなくなる。
それでもなお土を掴み、足掻こうとするハルベルトの執念には、鬼気迫るものがあった。同時に哀しみだけが胸に広がっていく。
ベインも、思わず目を背けた。
「いや、おまえはここまでだ」
「父上……?」
ハルベルトが顔を向けた先には、ベインもよく知る人物が立っていた。
アルベルト・レイ=ベノアガルド。
革命によって討たれたベノアガルド王国最後の王。