第千七百六十二話 亡き王家のための葬送曲(十五)
ベインは、横薙ぎの斬撃によって魂もろとも断ち切られるのを覚悟していた。覚悟するほかなかった。諦めではない。諦めようが諦めまいが、認めるしかないのだ。ワールドガーディアンの極大剣は、救力によってさらに巨大化していた上、速度がハイパワードの回避速度を凌駕していた。剣が虚空を奔り、剣閃が視界を切り裂いていく。諦観ではない。ただの現実認識。故に彼は絶望もしていなかった。ただ、ワールドガーディアンとハイパワードの、フェイルリング・ザン=クリュースと自分との力量差を実感していただけのことだ。
だから、水平に薙ぎ払う光がハイパワードの巨躯に触れる寸前、突如としてその凄まじい速度の斬撃を止めたことに疑問を抱いた。その直前、閃光が爆ぜ、爆音が鳴り響いている。大気が震撼し、衝撃波が荒れ狂った。一瞬、なにが起こったのかわからなかったが、真躯の視界は、遥か前方、極大剣の鍔元で光の刃を受け止める存在を認識していた。
まず認識したのは、その長い黒髪が悪魔の翼のように広がっていたことだ。つぎに拘束衣のような黒衣の上に纏う黒き鎧であり、鎧の背甲から生えた暗色の蝶の翅だ。そして、極大剣を受け止める黒き矛の存在を認めたとき、彼はようやく、目の前で起こっている出来事を把握したのだ。
(セツナ殿か!)
ベインは、ワールドガーディアンの全力を込めたであろう一振りを受け止めて見せているセツナの後ろ姿に衝撃を受けるしかなかった。それ以外の反応が存在し得ない。絶望したわけでもない。諦めたわけでもない。ただ覆しようのない最後を受け入れていただけのことだ。しかし、その受け入れた現実がこうも容易く否定され、新たな未来が目の前に展開したとき、人間という生き物はただ呆然とするほかないらしい。
ベインは、蝶の翅の力で虚空に浮かぶ男が黒き矛を旋回させ、極大剣を弾き返す様を見て、さらに愕然とした。受け止めるだけでなく、勢いを殺し、さらに撥ね退けたのだ。ハイパワードの全力を持ってしても不可能であろうことを平然とやってのけた事実に驚嘆を禁じ得ない。セツナと黒き矛が真躯に匹敵する実力を持っていることは知っていた。それもシドのオールラウンドを撃破せしめたという事実があるのだ。彼と黒き矛の力は、神の加護たる真躯に並び立つものであり、それは人間の次元にあるものではない。だが、いま彼の目の前で繰り広げられた出来事は、その認識を改めなければならないほどのものだった。
セツナが黒き矛を用いて倒したシドのオールラウンドは、なんといっても全力ではなかった。根拠地であるベノアガルドから離れたマルディア・サントレア付近で真躯を顕現したところで、全力を発揮することはできない。制限されるのだ。制限された真躯に打ち勝っただけでも十分過ぎるほどの実力を証明したことになるのだが、それにしても、まさかワールドガーディアンに拮抗するほどの力を持っているとは思い難い。
もちろん、セツナがオールラウンドと戦ったのは二年以上前の話だ。そこから鍛錬に鍛錬を積み上げればさらに強くなることも不可能ではない。しかし、人間の持てる力には限度がある。人間個人の力など、たかが知れているのだ。どれだけ鍛え上げたところで、救力を持つ騎士には敵わないし、真躯を超えるなど不可能だ。つまるところそれは、セツナが用いる召喚武装・黒き矛がそれだけ強力であるということにほかならない。黒き矛カオスブリンガーが真躯に匹敵する力を持っていて、それを引き出すことができるようになった、ということなのだ。
黒き矛は、救世神ミヴューラが危惧したほどのものだ。神が危険視するほどの召喚武装。どれほどの力が秘められているものか、想像もつかない。もしかすると、真躯ではなく、神そのものに匹敵するほどの力が秘められているのではないか。
(魔王の杖……)
ミヴューラは、黒き矛を指して、そう呼称した。それがなにを示す言葉なのかまでは教えてもらえなかったが、その呼称だけで、黒き矛がとてつもない代物であることが窺い知れた。
ベインがそんなことを考えている間にも、事態は急変する。
ワールドガーディアンが弾かれた極大剣を翻し、大上段に掲げたのだ。すぐさま、振り下ろす。セツナ、ベイン、ストラ要塞をもろともに巻き込み、破壊し尽くすための一撃。あっという間に落ちてくる。ベインが声を上げる暇もなかった。一瞬の出来事。一瞬のうちに光が閃き、轟音とともに極大剣が根本から、折れた。黒き矛が振り上げられている。セツナガカオスブリンガーの一閃によって、極大剣を叩き折ったのだろう。さすがのワールドガーディアンもたじろいだように見えた。その隙を見逃すセツナではなかった。翅が羽撃き、黒き鱗粉が舞う。直後、黒き光の矢がワールドガーディアンの胸甲に大穴を開けた。矢とは、セツナそのものだ。矛を掲げて突っ込み、分厚い真躯の体を貫いていったのだ。ワールドガーディアンの向こう側が見えるほどの大きな穴。それでもワールドガーディアンは、活動を停止しない。セツナを振り向きながら、折れた刀身に救力を集め、光の刃を形成する。光の極大剣。だが、それがセツナに振るわれることはなかった。莫大な光の奔流がワールドガーディアンを縦に両断したからだ。さすがのワールドガーディアンも真っ二つにされれば、どうしようもない。左右に分かれるようにして崩れ落ち、そのまま光の粒子となって消えていく。
真躯形態の十三騎士を滅ぼすには、同じ性質の力である救力を叩き込む必要があるが、真躯そのものを破壊するだけであれば、別性質の力であっても構わない。もっとも、並大抵の攻撃ではびくともしないのが真躯であり、セツナがあっさりと貫き、切り裂けたのは、黒き矛がとてつもない破壊力を発揮したからにほかならない。
前方、中空に浮かぶセツナは、黒き矛を振り下ろした体勢のまま、消え行くワールドガーディアンを見下ろしている。ワールドガーディアンを両断した光は、間違いなく黒き矛の力だ。その光はもはや消失しているが、ほかに考えようがない。ワールドガーディアンを両断するほどの力を持った光。そんなものを放ってなお、セツナには余裕がありそうに見えた。
彼は、体勢を立て直すと、すぐさまベインの元に近寄ってきた。そして彼は、思わぬことをいってくるのだ。
「遅れてすみません!」
第一声が、謝罪だった。ベインは茫然とした。謝られる道理など、どこにあろうか。しかし、彼は話を一方的に続けてくる。
「神人が後から後から出てくるものだから、処理に手間取りました!」
「はっ……」
ベインは、なんだか笑い飛ばしたくなった。自分の覚悟が馬鹿馬鹿しくなるほどに彼の存在そのものが頼もしかった。漆黒の鎧を身に纏い、黒き矛を携える青年以上に頼りがいのある人間がこの世にいるだろうか。
「いや、最高の瞬間だったぜ、セツナ殿!」
ベインは、振り抜いたままの拳を引き、姿勢を戻しながら、セツナを手放しで褒め称えた。言葉で賞賛するだけでは物足りないくらいだが、いまはそれしか表現の方法がない。それくらいのことを彼はやってのけている。それも平然とだ。ベインでさえ、極限に力を引き出したところでできないであろうことをやり遂げた上で、まだまだ余裕がありそうなのだ。セツナ=カミヤとは、どれほどの存在なのか。ベインは、想像しようもないと想った。
「さすがはシドが惚れるだけのことはある」
「はい?」
「いんや、こっちの話です」
「そうですか? それならいいんですが」
セツナは怪訝な顔をしたものの、それ以上追求しては来なかった。ほっとする。もっとも、シドがセツナの実力、精神性に惚れていることくらい、彼自身理解しているかもしれないが。
「それにしても、あのワールドガーディアンを一蹴するとは」
「偽者に負けるわけありませんよ」
「偽者……」
セツナの反応に、ベインは、きょとんとした。偽者。
「本物のワールドガーディアンは、あんなものじゃあなかった」
セツナは、遠くを見るような目で、いった。二年以上前、ベノアにてワールドガーディアンと対峙したときのことを思い出したのだろう。
「偽者……そうか。そういえば」
彼は、茫然とする。
(閣下の魂は、感じなかった)
ベインは、自分がどこまでワールドガーディアンの存在を大きく見ているのかを認識して、苦笑した。十三騎士は、ミヴューラの祝福により、魂同士が繋がっている。どれだけ遠く離れていても、生きている限りはその魂を認識することができるのだ。ベインたちがガンディアに向かったフェイルリングら六名の死を認識したのは、魂の繋がりが途絶えたことによる。魂の繋がりが途絶えるということは、生命活動が停止するということにほかならない、それによりフェイルリングたちの死は確定的となった。直後、“大破壊”が起き、騎士団は激動の時代に突入するのだが、それはともかく。
ベインがフェイルリングの魂の確認を怠ったのは、クラウンクラウンの強化に続くワールドガーディアンの出現で気が動転していたのだろう。連戦による精神的な消耗も大いに関係するところだ。疲れ果てたところにクラウンクラウンが変容し、ワールドガーディアンが出現したとあらば、混乱するのも道理かもしれない、と、思い直す。シドさえも、ワールドガーディアンが偽者だと見抜いていなかったようなのだ。直接対峙しているベインが見抜けなくとも仕方のないことだろう。
もっとも、ワールドガーディアンが偽者であろうとなかろうと、あの極大剣は間違いなく救力と同質の力であり、ハイパワードが切り裂かれていれば、ベインの魂も粉砕されていたのは疑いようのない事実だった。ストラ要塞に振り下ろされていれば、シドたちも死に、要塞は全滅を免れ得なかったのだ。
セツナが間に合ってくれたからこそ、ベインは生き延び、ストラ要塞も全滅を免れた。
そこに偽者か本物かの違いはない。
ベインは、だからこそ、セツナへの感謝と賞賛を惜しまなかった。
「あれがハルベルトさんの真躯ですね」
セツナがクラウンクラウンに視線を向けた。クラウンクラウンは、セツナとワールドガーディアンの戦闘に手を出さなかったが、それは両者の戦闘についていけなかったからだろう。ベインと同じだ。あれほどの速度の戦いとなると、手のだしようがない。たとえ速度についていけたとして、ワールドガーディアンほどの力もないはずのクラウンクラウンには、援護さえできなかっただろう。
「ああ……真躯クラウンクラウン。だが、様子がおかしい」
「ええ。それは、わかっています」
「セツナ殿。邪魔をしないで欲しかったのですがね」
「邪魔?」
セツナが、クラウンクラウンを睨みつける。その血のように赤い目が強く輝いているように見えた。
「邪魔をしているのは、あんただろう」
矛が一閃し、光の奔流が虚空を薙ぐ。クラウンクラウンを狙った光の奔流による、斬撃。だが、薙いだのは虚空であり、クラウンクラウンは、ベインの背後に転移していた。魂の絆を利用した空間転移。これがある限り、ハルベルトを捉えるのは難しい。
「わたしが、邪魔をしている、と?」
「そう、あんただ」
セツナは、ベインの背後に視線を注ぐと、これまでにないくらいの敵意をハルベルトに向けていた。しかし、その発言は、ベインには到底理解できないものだった。
「あんたはだれだ?」
それはまるで、ハルベルトに向けられた言葉ではなかったからだ。