第千七百五十九話 亡き王家のための葬送曲(十二)
銀光が閃く。
鋭くあざやかな斬撃。子供の頃に見て、憧れた剣の軌跡そのものだった。何度も真似をして、結局ものにすることのできなかった剣筋。彼の剣撃は荒々しく、無造作であり、剣舞のように美しいバイル・ザン=ラナコートの斬撃を模倣することすらできなかったのだ。どれだけ矯正しようとしても、地が出てしまう。生来の気性が、攻撃という行為の中に表れてしまうからだろう、とミヴューラはいった。そういうものなのかと彼は想い、それ以来、バイルの真似事は止めた。止めざるを得ない。真似出来ないのだから、真似をしても仕方がない。荒ぶる気性そのままに殴りつけたほうがいくらかはましだ。
(やっぱり、すげえよ)
銀熊騎士の斬撃を左の籠手で受け止め、容易く寸断されるのを目の当たりにして、彼はただ、祖父の技を賞賛した。心からの賞賛だった。ベインには決して真似のできない太刀筋だった。あざやかで、つい見惚れてしまうほどの剣閃が虚空を切り裂き、腕ごと籠手を切り離す。腕の断面から救力が漏出し、その先の銀熊騎士を鮮烈に彩るようだった。
銀熊騎士の兜から漏れる眼光は鋭く、突き刺さるようだった。容赦などするものか、という気概が溢れている。
バイルは、そうだろう。
バイルは、たとえ相手が年端もいかない孫であったとしても容赦しなかった。騎士を目指すものに手加減などできるわけがない、というのがバイルの考え方であったし、なればこそ、ベインは急速に成長することができたのだと想っている。バイルの限度を知らないくらいの厳しさがベインをここまで強く、負けず嫌いの性格にしたといっても過言ではないだろう。
そんなベインですら、認めることがある。
(あんたにゃあ、かなわねえ)
太刀筋において、バイル以上のものを見たことがない。
ベインは、これまで、数え切れないほどの戦いを経験している。訓練から実戦、人間との戦いから皇魔、ドラゴンとの戦いまで、様々な戦闘を乗り越えてきた。その過程で、無数の剣の使い手を見てきている。それこそ、フェイルリング・ザン=クリュースも剣の使い手だったし、現騎士団長オズフェルト・ザン=ウォードは“光剣”の異名を持つほどの剣の腕前を誇る人物だ。オズフェルトの剣撃は、確かに目を見張るものがあり、“光剣”の二つ名に異論を挟む余地はなかった。だが、ベインにとってバイルと比較しうるものではなかった。別のものだ。“光剣”は、さながら剣が光を発しているかのような太刀筋であり、銀熊騎士の舞のような剣閃とはまったく別種のものなのだ。
銀熊騎士は、さながら舞うように敵を斬る。
その隙だらけに見えて一部の隙もない剣撃にこそ、銀熊騎士の騎士道があるのだ。
敵も味方も、銀熊騎士の剣撃に見惚れたものだという。銀熊騎士が騎士団内において持て囃されるのは、そういうところにもあった。
華があるのだ。
「なにをしておる」
銀熊騎士が、剣を構え直し、こちらを睨んできた。兜の奥に輝く双眸は、人間の目ではない。発光する目。真躯と同じだ。金色の目。人間ならざるものの目。
「なに……って」
「わたしはおまえの敵だぞ、暴れん坊」
からかうようにいってきたの、そうでもしなければベインが奮い立たないことを知っているからだろうが、だからといって奮起できるような状況でもないことも、知っているはずだ。
「……できるかよ」
右腕だけで構えながら、告げる。できるわけがない。
騎士団騎士としては、騎士団幹部としては、戦わなければならない場面だ。敢然と立ち向かい、倒さなければならない。それはわかっている。それくらい、わからないベインではない。覚悟もある。決意もしてきた。救済のためであれば家族を手に掛けることくらい、覚悟しないわけにはいかないのだ。だが、それでも、できないことがある。
「そこがおまえの限界なのか?」
「……ああ」
肯定する。
「これが俺の限界で、構わねえよ」
騎士失格でも、構わない。
ミヴューラに見離され、騎士団から除名されても、いい。そうなったとしても、だれを恨むこともないだろう。自分の甘さが招いた結果だと受け入れよう。仕方のないことだ。
祖父を討つことなど、ベインにはできない。
「あんたを斃すくらいなら、あんたを手に掛けるくらいなら、あんたを滅ぼすくらいなら……いっそ」
「甘えたことをいうものではないぞ」
バイルの声は、その言葉とは裏腹に、この上なく優しい。その事実がベインの心を激しく揺さぶるのだ。
「ベイン。おまえは心優しい子だ。そのことは、わたしがだれよりもい一番知っている」
「なにを……」
「わたしへの悪口を聞けば手が出たと聞く。わたしはそのたびにおまえを怒ったが、心の中では、嬉しかった。喜んではいけないことだとはわかっていたが、喜ばずにはおられんかったよ。おまえがわたしを愛し、尊重してくれているからこそ、悪口を許せなかったのだろう?」
「……ああ」
「優しくなければ、そうはならん。ただ優しいだけでも、な。おまえは、優しすぎるから、わたしを倒せないというのだろう。わたしに倒される方がましだと。だがな、それではわたしの教えを受け継いだことにはならんぞ」
バイルの叱咤とも想えぬ優しい声音には、ベインは言葉を失うくらいに感動していた。激しく心が揺れ動き、洪水となって意識の内を席巻する。止めようがない。
「いうたであろう。何度も。耳が痛くなるくらい何度もな」
バイルとの修業の日々が脳裏を過る。何度も何度も何度も――木剣を持って挑んでは、地べたに叩きつけられ、壁に打ち付けられた。バイルが年を取り、ベインが成長しても、その差は決して埋まらなかった。一度だって、勝てたことがなかった。ベインの中で、バイルは最強の存在だった。そのバイルの言葉が記憶に残らないわけがない。
「おまえだけがわたしの後継者足りうる、と」
「……うん」
うなずく。
子供のように。
「目指したよ、じいさん。俺は、あんたを目指した。あんたになろうとした。銀熊騎士に並び立つような騎士になろうとしたんだ」
騎士団に入ったのも、そのためだ。いずれは正騎士となり、騎士団の中で認められ、バイル・ザン=ラナコートに肩を並べるほどの騎士になるべく、精進しようとしたのだ。幼き日。騎士団とはどのような組織なのか、なにも知らなかったころの青い記憶。
「でも、無理だった。できなかったんだ。俺のような半端者には、あんたのようになれる素質がなかったんだ。あんたのように、だれもが目標になるような騎士には……」
「それでいい」
「は……?」
「おまえは、わたしではない。おまえは、わたしほど薄情でなければ、わたしほど世間を見切ってはいない。わたしほど、この世に絶望してはいまい?」
「絶望……?」
「わたしはね、ベイン。この世に絶望していたのだよ」
バイルの思わぬ告白に、ベインは、呆然とした。バイルからそのような言葉を聞くことになるなど、想定しているわけもない。
「腐りきった世に。だれもが正当に評価されず、だれもが不当に貶められ、金と権力がものをいうベノアガルドに心底呆れ果てていた。なればこそ、わたしはわたしの騎士道を追求した。要するにわたしは、騎士の中の騎士などと呼ばれるほどのものではなかったのだ。鍛錬と追求のみに時間を割き、その結果、銀熊騎士の英雄譚が出来上がったといってもいい」
銀熊騎士は、剣を掲げ、その切っ先を見上げながら、いった。銀熊騎士の英雄譚。騎士道をまっすぐに突き詰めた騎士の物語は、当時のベノアガルドですら広く知られ、親しまれた。銀熊騎士の甲冑が騎士団本部に飾られたのも、バイルの評判を利用することに意味あると騎士団が判断したからだったし、それほどまでに影響力を持っていたからだ。だが、その騎士道物語がまさか、そのような心境の中で築き上げられたものだとは知る由もなく、ベインは、驚きをもってバイルを見ていた。
「おまえのように優しく気高い人間が、わたしと同じになられては困るのだ」
「じいさん……」
ベインは頭を振った。
「俺は!」
そして、全身全霊を込めて、叫ぶ。
「あなたがいうような優しい人間じゃあない! 思うままに暴力を振るうだけの最低野郎だ! 騎士の風上にも置けねえ、そんな野郎だ!」
「知っておるよ。おまえが暴力を振るうのは、理由があるときだけだということくらい、知らぬわけがない。おまえは、理不尽に力を振るったことなどあるまい。おまえは優しい子だからな」
銀熊騎士の目が、優しく微笑んだように見えた。錯覚だろう。双眸の輝きは、常に一定だ。兜に表情があるわけもなければ、素顔は兜に完全に隠れている。表情などわかるはずもない。だが、それでも、声の優しさは、表情なのだ。感情表現なのだ。バイルの感情がまっすぐに伝わってくる。目の前にいるのは、偽物のバイルではない。本物――。
「わたしとは、違う」
「俺は……俺は……!」
「おまえは、おまえのままでいいのだ。なにを悩むことがある。なにを迷うことがある。なにを苦しむことがある。心優しいおまえは、その優しさのままに強くなり続けて欲しい。そうすればきっと、わたしなど比べるべくもない騎士になれるはずだ。わたしの騎士道をおまえの騎士道へと昇華できるはずなのだ」
「俺の騎士道……」
拳を強く握る。騎士道とはなにか。それは、騎士としての在り方であり、生き方だ。ひとによって、騎士によってその考え方、目標は大きく異なる。革命以降、騎士団の理念は救済ひとつに絞られた。騎士道も、そこが最終目標となった。だが、それは最終目標であって、そこへ至るまでの道程となる騎士道は、騎士ひとりひとり異なるものだ。十三騎士と呼ばれた騎士団幹部は、魂の深部で繋がっていたし、だれもが救済のためだけに命を投げ打つ覚悟を持っていた。しかし、それぞれに異なる騎士道を持っていたし、それで良かった。
己の騎士道を貫いた先にこそ、目指すべき救済の道がある。
だれもがそう信じたし、そこになんの間違いもなかった。
では、ベインの騎士道は、どこにあるのか。
「そのためにはまず、どうすればいいか、わかっているな」
「……ああ」
握りしめた拳に力を込める。騎士道。祖父バイル・ザン=ラナコートの威風堂々たる姿を見て、学んできたこと。騎士とはどうあるべきか。ベノアガルドにおける騎士とはどのようなものを指すのか。弱きを助け、強気をくじく――それこそ、バイルの掲げる騎士道ではなかったか。そのために死に物狂いで自己を期待あげ続けてきたのではなかったか。そのために勝利を求め、戦い続けてきたのではなかったか。戦闘狂? 違う。それは自分の本質ではない。
弱者を救うための戦いにこそ、自分の生きる道がある。
この肉体も、この精神も、そのためだけに鍛え抜いたのだ。
「さあ、ベイン。わたしにおまえのすべてを見せてくれ。わたしもおまえにわたしのすべてを見せよう」
「ああ。わかったよ、じいさん」
力が湧く。
魂が吼える。
「俺はいま、あなたを超える。超えて征く!」
「よくぞいった! それでこそ我が孫よ! 来い、ベイン!」
バイルの剣が光を放つ。
「銀熊騎士の本領、その目にしかと焼き付けるがよい!」
ふたりの巨大な騎士が、同時に動いた。