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第千七百五十八話 亡き王家のための葬送曲(十一)


「あれはいったい……」

「正体は不明ですが、あの鎧は、銀熊甲冑と呼ばれるものです」

 シドは、動揺を隠せないベインとハルベルト、そして悠然と佇む銀甲冑を見遣りながら、胸騒ぎを禁じ得なかった。銀熊甲冑とは、その見た目からの呼称だ。獰猛な熊を模し、さらに英雄的な装飾が施された意匠は、さながら熊の騎士を想起させる。丸みを帯びた厚めの装甲は、どこかハイパワードに似ていなくもない。無論、銀熊甲冑が似ているのではなく、ハイパワードのほうが似ているのだが。

「銀熊騎士バイル・ザン=ラナコート様の代名詞ともいえる鎧で、わたしが物心ついたときには騎士団本部に飾られ、騎士団本部がベノア城に移ったときには鎧も移されました。銀熊騎士の名を知らぬ騎士はいないでしょうし、あの甲冑を見たことがない騎士もいないはずです」

 それほどまでに丁重に扱われているのは銀熊騎士が、騎士団史に残る活躍をしたからにほかならない。その当時、ベノアガルドはすでに政治腐敗の真っ只中であり、騎士団も毒されていたといわれている。しかし、バイル・ザン=ラナコートは、騎士団騎士たるものどうあるべきかを常日頃考えており、国民の安全を護ることにこそ優先するべきものがあるという結論に達し、常に国土防衛に目を光らせていたという。

 彼がいたからこそいまのベノアガルドがあるのだ、というのは、ベノアガルドの騎士団に入ったものならばだれもが学ぶことであり、銀熊騎士たれ、と叩き込まれるのも慣例だった。そして、彼の献身的かつ能動的な騎士道精神は、救済を理念と掲げるようになった騎士団にとっても模範とするべきところが多々あるということで、彼の甲冑が騎士団本部に飾られている。

「そのお名前、もしかして」

「ええ。銀熊騎士バイル・ザン=ラナコートは、その名の通り、ベインの祖父に当たる方です。ベインは、銀熊騎士に子供の頃から散々鍛えられたといっていましたし、そのことをなにより誇りとしていました。だからみずからバイルの孫を名乗っている」

 ベルバイルとは、バイルの孫という意味だ。つまり、ラナコート家のバイルの孫ベインというのが、彼の名前なのだ。そこに騎士を意味するザンを加えて、ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートと彼は名乗る。当然のことだが、銀熊騎士バイルの孫であることを主張しているのは、バイルの名声を利用しているからではない。彼がそのような姑息な真似をする人間ではないことは、シドはよく知っている。そんなことをするくらいなら死んだほうがましだと彼はいい、実行するだろう。気性の荒い彼のことだ。

 そして、その気性の荒さを、誇り高きバイルの孫を名乗ることで自制しているという面も多分にあるように想えた。どれだけ荒れたときも、バイルの孫であることを思い出せば、冷静さを取り戻せる――彼は、それほどまでに祖父バイル・ザン=ラナコートのことを尊敬し、神聖視していた。

 だから、シドは不安を抱くのだ。

 もし、彼の目の前に出現した巨人がバイルそのものだとすれば、ベインは、戦えるのか。ベインを信頼していないわけではない。むしろ、ベインの気性をだれよりも知っているからこそ、彼の胸中を想い、痛みを覚える。彼が子供の頃から憧れ、目指し続けた騎士の姿が目の前にあるのだ。

 仮にそれが偽物ならば、ベインは容赦なく破壊し、さらに怒り狂うだけだろうが、彼の反応を見る限り、完全な偽物というわけではなさそうだった。ベインは、銀熊甲冑から響く声を聞いて、祖父と判断している。

 ハイパワードは、完全に動きを止めていた。

「友の心配をしている場合ではないぞ、シド」

「父上の仰るとおりだぞ、弟よ」

 左後方から投げかけられてきた声に、シドはただ、愕然とした。銀熊甲冑がバイル・ザン=ラナコートであるという可能性に直面した瞬間から予想していた事態ではあるのだが、それはそれとして、現実になれば衝撃のあまり、頭の中が真っ白になるのは致し方のないことだ。

 振り向けば、白髪の男がふたり、銀の鎧に身を包み、佇んでいた。

「父上、兄上……!」

 革命の中で命を落としたはずの父シグ・ザン=ルーファウスと兄シン・ザン=ルーファウスが、シドの前に立ちはだかったのだ。

 これもまた、ハルベルトの協力者である死者使いの能力に違いなかった。



「じじい……なんで……!」

 ベインは、ハイパワードの視界の中心に銀熊甲冑を捉え、震えるような想いで叫んだ。

「なんでだよっ!」

 勇猛な熊を想起させる銀の甲冑は、ベインにとって極めて特別な代物だった。祖父バイル・ザン=ラナコートの代名詞ともいえるそれは、ラナコート家にとっても重要な存在であり、彼の父ビレル・ザン=ラナコートも、銀熊甲冑を元にした鎧を作らせ、子供の頃のベインによく自慢したものだ。まるで子供のようにはしゃぐ父と、そんな父を面白おかしそうに眺める祖父の姿は、いまも脳裏に焼き付いている。ベインにとっての原風景のひとつだからだ。

 銀熊騎士バイル・ザン=ラナコートの英雄譚こそ、ベインが騎士を目指したきっかけであり、気性の荒い自分を抑えながらも騎士を続けていられる理由だった。その銀熊騎士がいま、眼の前にいる。ハルベルトの配下により、亡者となって蘇っただけでなく、真躯の如く巨大化している。

「なぜ……か」

 銀熊甲冑が、クラウンクラウンの前に出る。ベインは、思わず後退しかけて、辛くも足を止めた。すぐ後ろにストラ要塞の城壁がある。下がれば、ハイパワードの踵で破壊しかねない。要塞を囲う城壁が堅牢だが、真躯の力はそれを軽く上回る。要塞如き、ただ歩くだけで破壊し尽くすことも不可能ではない。シヴュラがそうしなかったのは、シドを奮い立たせるためだろうし、ハルベルトはベインの迎撃にあっただけのことだ。

「騎士がなぜなどと問うべきではないと教えたはずだぞ。もう忘れたのか?」

「それは、上からの命令に対してのものだろうが!」

 ベインは、即座に言い返し、バイルを睨んだ。バイルの教えを忘れることなどあるわけがない。バイルの教えこそ、ベインの騎士道の元になったものだ。ベインがバイルの教えを純粋になぞることができるようになったのはここ数年のこととはいえ、バイルの教えがなければいまのベインがいなかったのは紛れもない事実であり、バイルの教えを根幹にしているからこそ、ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートは存在しているのだ。

 銀熊騎士が鷹揚にうなずく。

「なるほど。よく覚えておるようだ。安心したぞ、暴れん坊」

「いつまでも暴れん坊扱いしてんじゃねえよ!」

 ベインが叫び返すのは、そうでもしなければやっていられないからだ。バイルの懐かしい声音があまりにも優しく、彼の心を包みこんでいく。涙が出そうだった。人間態で対峙していれば、泣いてしまっていたかもしれない。それくらい、心が揺さぶられている。

「いまでも、暴れ回っておるのだろう。知っておるよ」

 まるでベインのこれまでをずっと見てきたかのような口ぶりに、彼は息を止めた。バイルは、もう随分前に亡くなっている。それこそ、ベインが騎士になる前に、だ。ベインが騎士団に入る前年、バイルは、眠るようにして息を引き取っている。騎士団史に燦然と輝く銀熊騎士の最期が安らかなものであったこともまた、銀熊騎士の伝説に華を添えた。ベノアガルドのために身命を賭し続けた騎士が、天寿を全うできたのだ。騎士として最高の名誉であるとだれもが褒めそやしたが、王家も騎士団も腐りきっていたこともあってか、バイルの死に対し、なにが行われることもなかった。そのことでベインがベノアガルド政府を多少なりとも恨んだのは、紛れもない事実だが、いまは関係のない話だ。

「暴れて……ねえよ」

 声が、上擦っていた。

 バイルの死は、ベインにとってこの上ないほどの衝撃をもたらした。ベインは、バイルに騎士としての教えをもっと学びたかったし、騎士道を説いて欲しかった。ベインにとっての騎士とはバイルそのひとだったのだ。それ以外のだれも、彼にとっての騎士ではなかった。父ですらだ。だから、なのだろう。バイルの死後、ベインは荒れた。生来の気性のままに暴れまわり、騎士団一の危険人物として名を挙げられるようになった。“狂乱”は、そのころからの陰口といっていい。

「本当かのう?」

 バイルが疑り深くなるのもわからなくはない。バイルが生きていたころでさえ、ベインは暴れん坊として知られていた。気に入らないことがあればすぐに暴力を振るってしまった。子供のくせに大人みたいな体格があったせいもあって、手がつけられなかったということもあるのだろう。子供の頃から、ベインは忌み嫌われ、家族からも腫れ物のような扱いを受けていたものだ。そんな中にあっても、バイルだけはベインに対して構えること無く接してくれ、厳しく躾けてくれたものだ。だからベインはバイルが好きだったし、バイルのようになりたいと願い、自制心を身に着けようと努力した。

 けれど、なかなかうまく行かなかった。

 バイルを貶めるものに対して、つい、手が出た。

 バイルは、ベインが子供のころに騎士団を引退している。まだ五十代だったはずだ。騎士を辞めるには若すぎるという声もあった。あとになってわかったことだが、引退しなければならない事情があったのだ。騎士団は、ベノアガルドの政治腐敗に汚染されていた。銀熊騎士として、騎士団最高峰の騎士として讃えられるバイルにさえ、その魔手が及ばんとした。バイルは、騎士としての誇りを汚すくらいならば、と騎士であることを辞めたのだ。

 そういう事情を知らないものがバイルの引退に対し、暴言を吐くことが少なくなかった。これもベインが騎士団幹部になってから判明したことだが、当時の騎士団は、銀熊騎士の英雄譚があまりにももてはやされていることに危機感を抱き、わざと貶めようとしていたようだ。銀熊騎士の影響力を失わせることで、騎士団の制御を幹部の手に取り戻そうというのが目的らしい。

 ベインは、騎士団の事情などは知らなかったものの、バイルが不当に貶められていることは直感で理解した。そういった場面にでくわすたび、怒りのままに暴力を振るった。それでバイルが喜ばないことは知っていたし、そうすることがバイルの名をさらに貶めることも理解しながら、感情を止められなかった。ベインにとっては、バイルがすべてだった。

「俺は……いまの俺は、騎士団幹部なんだよ。暴れてなんかいられねえんだよ」

「ほう……殊勝な心がけではないか。らしくない」

「らしくなくても!」

 確かに祖父のいうとおりだろう。

 らしくない。

 ベイン=ラナコートらしくはない。感情を制御し、本能を支配し、気性を律し、騎士団幹部として振る舞うなど、昔の彼を知るものからすれば、ありえないことだろう。それこそ、天地が引っくり返っても起こり得ないような出来事だとでも思われていてもおかしくはない。それほどのことだ。

「それがいまの俺なんだよ」

 ベインは、銀熊甲冑を見つめながら、そういうほかなかった。ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコート。ラナコート家のバイルの孫、騎士ベイン。それがいまの自分だ。その名を思い浮かべるだけで、荒ぶる感情を抑えることができた。偉大なる祖父の名を己の名に含める、ただそれだけのことがこれほどまでに力を持っているとは、想像もしていなかった。まるで呪文だった。心を制御する魔法だった。

「だからもう、心配いらねえってんだよ!」

「ふむ。おまえが心配だから、わたしがここにきたと想っておるのか」

「まさか……」

 ベインは、バイルが悠然と腰に帯びた剣の柄に触れるのを見て、拳を握った。そんな優しい話があるわけがない。そんな甘い話で終わるわけがない。それくらいわかっている。それくらい、わからないはずがないのだ。だからこそ、魂が叫んでいる。魂が、悲鳴を上げている。

 バイルをこの手で倒さなければならない。

 祖父を手にかけなければならない。

「そんなわけ、ねえよな!」

 振り切るように拳を構えた。ハイパワードの武器は、拳だ。とてつもなく巨大な籠手と一体化した手甲こそが、最大の武器なのだ。籠手は盾にもなるが、拳による攻撃の威力を飛躍的に高める機能がある。それが籠手の後部噴射口だ。救力を噴射することで拳撃を加速させ、打撃の威力を何倍にも増大させることができるのだ。その一撃はクラウンクラウンの外装を貫き、胸に大穴を開けるほどのものであり、真躯ですら耐えきれないほどに強力だ。眼前の銀熊騎士が、クラウンクラウン以上の防御力を持っているのであれば話は別だが、同程度ならば、容易く貫ける。

 銀熊騎士が剣を抜き、柄を両手で握り、正面に構える。刀身に熊の紋章が刻まれた剣。銀熊騎士の剣そのものが巨大化しているようだった。鎧にせよ剣にせよ、本物ではあるまい。ベインの心を揺さぶるための偽物。だが、銀熊騎士の声はバイル・ザン=ラナコートそのものだったし、声から感じる心も、バイルのものであるとベインは認めていた。本物のバイルが目の前にいる。

「そうだ。それでいい」

「よくねえっての!」

 ベインは吼えた。

「なんであんたなんだよ! なんで、親父じゃなくて、あんたなんだよ!」

「あれでは、ビレルでは、おまえの弱点にはなるまい」

「はっ……」

 ベインは、バイルに見透かされて、泣きたくなった。バイルだけだ。バイルだけが、ベインのことをわかってくれている。バイルだけが、ベインの心理を知ってくれている。その通りだ。父では、ビレル・ザン=ラナコートでは、ベインの心を攻撃することはできない。ビレルは悪い親ではなかったが、バイルのように心から尊敬したいと思えるようなひとでもなかった。バイルがあまりにも眩しすぎたせいもあるだろう。バイルの光が、ビレルの輝きを飲み込んでいたのかもしれない。なんにせよ、ビレルが目の前に現れたしても、ベインは苦もなくそれを打ち倒しただろう。

 バイルを前にしたような葛藤はありえない。

「ふざけんなっての! まるであんたじゃ、じじいじゃ、俺の弱点みてえじゃねえか!」

「違うのか?」

「っ……!」

 当然のように問われて、ベインは返答に窮した。

(違わねえ。違わねえよ)

 胸中で、叫ぶ。

(あんたは俺の誇りで、俺の始まりだった)

 すべてが始まったあの日、あのとき、あの瞬間――。

(あんたがたとえ偽物で、本物でなかったとしても、俺は……)

 ベインは、拳に力を込めながらも、銀熊騎士が踏み込んでくるのを見ているしかなかった。

 心より尊敬する祖父を手に掛けることなど、できるわけがなかった。

 それがベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートの騎士道だった。



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