第千七百五十七話 亡き王家のための葬送曲(十)
救力の最大解放たる真躯の顕現は、一瞬にして終わる。顕現が始まれば止める手立てはない。攻撃する隙にはならない。たとえベインが最高速度で打撃を繰り出したところで、顕現の際に生じる救力の壁がそれを阻む。故にシドもベインも、彼の真躯が実体化するまで見届けなければならなかった。たとえ一瞬のこととはいえ、敵がその最大能力を発揮する瞬間を見届けなければならないのは苦痛というほかない。
巨大な宝冠にも見える甲冑が特徴的な真躯だった。いつ見ても奇抜な姿であり、外套のような光背とともに王者を象徴しているように見えなくもない。大きな盾と剣は、ハルベルトの幻装がそのまま巨大化したような形状をしている。大きさとしては、ベインのハイパワードよりは小さいものの、その王冠めいた外装のせいでクラウンクラウンのほうが横幅があった。だからどうということはない。真躯の力は、その質量よりも救力の多寡で決まる。救力が多ければ多いほど巨大化するのも事実だが、巨大化しすぎると戦いにくいこともあり、大きさはある程度抑えることが多かった。フェイルリングのワールドガーディアンなど、ハイパワードなど比較にならないほど巨大だ。
それはフェイルリングの救力がベインと比べもにならないほど膨大であり、真躯に反映されるからにほかならない。
だからといって、ベインのハイパワードとハルベルトのクラウンクラウンが弱いかというとそうではない。真躯の力は、通常、人間が持ちうる力ではない。神の力を借りているといっても過言ではないのだ。武装召喚師が束になっても敵わないだろうし、皇魔が何万と押し寄せても真躯一体で事足りる。それほどの力をハイパワードもクラウンクラウンも秘めている。
シドは、二体の巨人の戦いの邪魔にならないよう、睨み合うふたりの間から遠ざかった。真躯同士の戦いとなると、救力を使えるとはいえ、ただの人間に過ぎないシドに立ち入る隙はなかった。真躯同士が激突する余波だけでひとは死にうる。巻き込まれないように距離を取らなければならなかったし、ストラ要塞への被害を考えると、戦闘自体、要塞の外で行って欲しかった。ベインのことだ。わかってくれてはいるだろうが、ハルベルトがベインの思惑通りに動いてくれるかは別問題だ。ハルベルトは、ストラ要塞がどうなろうと知ったことではあるまい。
ハイパワードが踏み込む。それだけで要塞が揺れ、地上の亡者と格闘する騎士たちも戦々恐々とした。
「はっ、てめえの真躯が、俺様のハイパワードに敵うものかよ!」
「反論しようもありませんね」
ハイパワードの猛烈な打撃を盾で捌きながら、クラウンクラウンを駆るハルベルトはいう。
「クラウンクラウンの力では、あなたには敵わない。あなたのハイパワードは、わたしのクラウンクラウンよりも戦闘に特化しているのだから、敵うはずもない」
閃光を帯びたハイパワードの拳を大きく飛び退いてかわしたクラウンクラウンが要塞を事も無げに踏み潰す様を見て、騎士のひとりが悲鳴を上げた。クラウンクラウンが剣先をハイパワードに向ける。牽制。ベインは気にもせず、飛び込む。ハルベルトはまたしても後退した。要塞の外へ。ハイパワードと正面からぶつかり合うのは得策ではないという判断。間違いではない。
「そもそもわたしのクラウンクラウンは戦闘向きじゃない。戦闘よりも後方支援に向いている。それがわかっているから、わたしは戦力を欲した」
「それがこれか! この亡者どもが、てめえの欲した戦力か!」
ベインが要塞内を一瞥しながら、叫ぶ。墓地周辺では、未だに亡者と騎士たちの格闘が続いている。レムが何人もの亡者を要塞の外へ運び出してくれていることもあり、かなりの数が減っていた。
「亡者……?」
クラウンクラウンが不意に動きを止めた。シドは、亡者を捌きながら、ハルベルトの反応に注目する。彼はベインの言葉をまるで理解していないような態度。それがシドには解せない。ネア・ベノアガルド軍の尖兵としてストラ要塞に襲来し、落命し、死後亡者となった元騎士団騎士たちは、まず間違いなくハルベルトの思惑でそうなったはずなのだ。たとえハルベルトの能力でなかったとしても、把握していないわけがない。彼の配下が勝手にそのようなことを行うとは思い難い。そういう独走を規律を重んじる彼は許さないだろう。
「なにを――」
呆然としているかのようなクラウンクラウンの顔面にハイパワードの拳が叩き込まれる。籠手の後部噴出口から噴き出した火がハイパワードの殴打を加速させ、さらに拳に纏う救力が一撃の威力を強烈なものへと高めている。クラウンクラウンの兜が粉砕され、大きく陥没した。亀裂が周囲に走り、光が爆ぜる。
「てめえこそなにいってやがる! 死を冒涜し、騎士の誇りさえも穢したてめえを俺は許さねえ!」
ベインが続けざまに叩き込もうとした左拳は、ハルベルトが後方に飛び退いたことで空を切った。クラウンクラウンの兜は大きくひしゃげたままだ。救力による痛撃。いくら真躯とはいえ、即座に復元するのは困難だ。真躯の戦いとは、常に一撃必殺の攻撃を叩き込みあうというものにならざるをえない。
「あなたに許しを請おうなどと想ってもいませんが、仰っている言葉の意味がわからない以上、どうしようもない。亡者? いったいなんのことです」
「わからねえだと?」
ベインは、ハルベルトを睨みながら、吐き捨てるようにいった。そして、彼はストラ要塞の墓地を指し示す。墓地のシドたちは、未だ亡者と苦闘を続けている。レムのおかげでかなり楽にはなっているものの、無制限に再生する亡者を相手に戦い続けるのは、いかに騎士団騎士とて骨が折れるものだ。
「あの連中を見てもわからねえのか? てめえが寄越したてめえの兵だろうがよ!」
「それが……どうかしたと?」
「あいつらは死んでんだよ! 俺が殺した!」
「死んでいる……? 殺した……だったらなぜ、動いているんです?」
「それは、こっちの疑問だろうが!」
ベインが吼え、ハイパワードが唸る。大地を揺らすほどの踏み込みとともに右の籠手後部噴出口がまたしても火を噴く。超加速とともに繰り出される拳は、他所に注意を向けているものに避けきれるものではない。ハルベルトは、飛び退きながら、避けきれないことを悟ると、盾で自身を庇った。閃光を放つハイパワードの拳がクラウンクラウンの盾に叩き込まれた瞬間、救力同士の激突によって強烈な爆発が起こった。天地が震撼し、衝撃波がストラ要塞にまで吹き付ける。シドは、吹き飛ばされないよう踏ん張りながら、ハイパワードの拳が盾を貫き、クラウンクラウンの左手を破壊したのを見ていた。ハイパワードの攻撃力は、真躯の中でも図抜けている。火力で並び立つのはドレイク・ザン=エーテリアのディヴァインドレッドか、フェイルリング・ザン=クリュースのワールドガーディアンくらいのものだ。
後方支援に特化したクラウンクラウンが防ぎきれるものではなかったし、たとえ救力で防壁を構築したとして、ハイパワードの渾身の一撃の前では意味をなさないことがわかる。
圧倒的な攻撃力こそがハイパワードの、ベイン・ベルバイル・ザン=エーテリアの持ち味なのだ。そして彼の力は、“狂乱”によって加速度的に向上する。猛り狂う本能が彼の力を際限なく引き出し、ハイパワードの救力を限りなく増大させていく。莫大な量の救力が、クラウンクラウンの盾を撃ち抜いたハイパワードの巨躯に満ちあふれていた。おそらく、とぼけている――とベインは見ているであろう――ハルベルトへの底知れぬ怒りが、彼の中で狂乱を呼び、力を引き出しているのだ。こうなれば、もはや彼は手がつけられない。なにものにも止められない。
勝負は決まった。
「これは……いったい……」
「まだいってやがるのか!」
怒号とともに、ハイパワードそのものが加速する。ハイパワードは、他の真躯に比べても巨大で、質量も大きいものの、だからといって鈍重というわけではない。むしろ、速さそのものも真躯の中で上位といってよかった。攻撃力、防御力、速度――白兵戦において、ハイパワードに匹敵する真躯のほうが少ないのだ。加速するハイパワードにクラウンクラウンが反応できるはずもない。全体重を乗せた体当たりを喰らい、クラウンクラウンの巨躯がのけぞる。
「全部てめえのやったことだろうが!」
ハイパワードの手がクラウンクラウンの後頭部を掴み、引き寄せ、頭突きと食らわせた。クラウンクラウンの兜が粉砕され、頭部そのものが吹き飛ぶ。
ハイパワードは、シドのオールラウンドやシヴュラのエクステンペストとは異なり、白兵専用の真躯だ。雷を操ったり、嵐を起こしたりといったことができない代わりといってはなんだが、近接戦闘におけるハイパワードの実力はオールラウンド、エクステンペストを軽く凌駕している。ハルベルトの認識している通り、後方支援に長けたクラウンクラウンがハイパワードに敵う道理はない。
「自分のやったことくらい、責任持って最後まで面倒見やがれってんだ!」
魂の叫びとともに繰り出されたハイパワードの両拳が、超加速し、クラウンクラウンの胸を貫く。救力が炸裂し、閃光が奔った。圧巻としか、いいようがなかった。
クラウンクラウンには、対応のしようがなかっただろう。ハルベルトへの、いや、己自身への怒りがベインの力を存分に引き出していた。ベインは、怒り狂うことで際限なく強くなれる。故に救済の戦いにおいて、彼は本領を発揮し得ない。“狂乱”しようがないからだ。
怒りが、“狂乱”の箍を外す。
シドは、巨人同士の戦いのあざやかな決着にほっと胸を撫で下ろした。ベインが負けることは考えてはいなかったものの、ハルベルトの得意とする搦め手にはまれば、ベインとて苦戦する可能性は大いにあった。そして、ベインが苦戦している間にハルベルトの攻撃がこちらに向けば、どうなっていたか。いかにシドたちであっても、真躯の攻撃を受ければ死ぬしかない。
ベインがハルベルトを圧倒してくれたおかげで、クラウンクラウンの攻撃がシドたちに向くこともはなかった。
しかし、気になることがあったのも確かだ。
ハルベルトは、まるで自分がしでかしたことを認識していないような素振りを見せていた。自軍の兵士たちが亡者と化して動き回っていることを知り、動揺さえ見せたのだ。そこがベインにとって付け入る隙になったからこそ、クラウンクラウンは為す術もなくハイパワードの攻撃を喰らった。もし、ハルベルトが気を取られていなければ、もっと善戦したはずだ。抵抗もせず大破するなど、いくら力量差があるとはいえ、ありえないことだった。クラウンクランも真躯であり、ハルベルトも十三騎士に名を連ねたひとりだ。弱いわけがない。
ハイパワードが大破したクラウンクラウンの胸部から両手を抜く。胸から上が吹き飛ばされたクラウンクラウンの巨体は、しかし、まだ完全に死んだわけではない。膨大な救力の直撃を受けてなお、その腕は動いていた。
「さすがに……お強い」
ベインを賞賛するハルベルトの声がどこから聞こえているのかというと、クラウンクラウンの巨体そのものからだ。真躯は、いわば救力そのものだ。人間のように発声器官があるわけではない。救力によって大気を振動させ、言葉を発生させているのだ。もちろん、言葉を発する程度で救力を消耗することはない。ただ、救力の一時的な高まりが感情を昂ぶらせ、声を大きく響かせることはままある話だった。怒りに駆られ、吼えたけるように叫んだベインのように。
「ったりめえだ。俺様がてめえに負けるかよ」
ベインが、勝ち誇るでもなく、告げる。実際、ハルベルトに勝ったところで嬉しくもなんともないのだろう。彼は戦闘狂であり勝利への執念はそれはもう凄まじいものではあるが、同僚であり、彼なりに可愛がっていたはずのハルベルトとこうして殺し合う羽目になった結果を喜ぶほど、彼の心は幼稚ではない。
膝をつき、手をつくクラウンクラウンを見下ろすハイパワードの様子から、ベインの嘆きが聞こえてくるかのようだった。
ハルベルトを可愛がっていたのは、なにもシヴュラだけではなかった。人懐っこく、だれかれなしに教えを請うハルベルトの姿は、彼がかつて王子であり、主筋にあったという事実を騎士団幹部に忘れさせ、彼との日々を過ごさせた。傲岸不遜なベインも気難し屋のロウファも、ハルベルトに対しては甘く、優しい言葉をかけたものだ。シドもそういう自分がいたことを認めなければならない。
ハルベルト・ザン=ベノアガルドという好青年には、だれもが甘やかしてしまいたくなるくらいの愛嬌があったのだ。
騎士団を裏切り、シヴュラを差し向け、亡者をけしかけてきたことに対し、猛然たる怒りをぶつけたベインだったが、決着がつけば、それはそれなのだ。ハルベルトとの思い出が、彼の手を止めた。もうこれ以上手を下すまでもない、と彼は判断している。ハイパワードの全力を叩き込んだのだ。現存する真躯の中で最大の力を持つであろうハイパワード渾身の一撃。クラウンクラウンが消し飛ぶほどではなかったものの、その損傷は魂の深部にまで及んでいることだろう。真躯同士の戦いの決着とは、こういうものだ。どちらかが倒れるまで、ではない。
どちらかの魂が破壊され尽くすまでだ。
ハルベルトの魂は、いまや崩壊寸前といったところだろう。あの一撃に耐えられるものなど、いるはずもない。
クラウンクラウンは結局、その本領を発揮することなく終わった。だが、それで良かったのだ。ハルベルトにこれ以上の罪を重ねさせないためには、ここで幕引きするべきなのだ。
シドは、ベインがこちらを見たのを認識して、うなずいた。ハイパワードが拳を引き、構えを解く。大破したままのクラウンクラウンは、もう攻勢に出ることはない。このまま、消滅に向かっていくはずだ。
「やっと……終わった……」
「真でございますか?」
「ああ……これで、亡者も――」
「それが……」
レムの申し訳無さそうな表情に、シドは我に返った。ベインとハルベルトの決着に現を抜かしている場合ではないことに気がついたのだ。亡者は、未だ活動し続けていた。騎士たちとの戦闘の中で散々切り刻まれながら、何度となく再生し、何度となく立ち向かってくる。レムが“死神”を駆使して要塞の外へ隔離した亡者たちも、いつの間にか戻ってきている。
亡者は、ハルベルトの能力ではない。それはわかっている。ハルベルトにせよ、クラウンクラウンにせよ、そのような能力はない。“王道”と“詭道”。それこそハルベルトの能力を示す言葉だが、“王道”は無論のこと、“詭道”にも死者を操るような能力を示したものではなかった。だからこそ、最初からそれはハルベルトではなく、彼の配下の武装召喚師なりなんなりの能力であると見ていたし、ストラ要塞に向かって進軍中のネア・ベノアガルド軍の中にその使い手がいるものだとシドたちは見ていた。だからこそセツナを行かせたのであり、セツナならばあっさりと該当の術者を見つけ出し、撃破してくれるものだと信じていた。セツナがシドの想像を超えることはあっても、下回ることなどあるわけがない。あってはならない。あるべきではない。
セツナはまず間違いなくネア・ベノアガルド軍を制圧し、こちらに向かっているはずだ。死者の使い手がいたとすれば倒しているに違いないのだ。それなのに亡者が動いているということは、術者がネア・ベノアガルド軍の中にいなかったということだ。だとすれば考えられることはひとつ。シギルエルに留まり、遥か遠方から死者を操っているということ――。
シドが想像を巡らせていたときだ。
不意に異変が起きた。大気が震えたかと想うと、衝撃波がストラ要塞を襲った。亡者や騎士の何人かが吹き飛ばされるほどの衝撃だった。なにが起こったのかと顔を上げると、胸から上が吹き飛んだままのクラウンクラウンの後方に、真躯とほぼ同等の大きさの銀甲冑が出現していた。
「あれは……」
「なんでだ……?」
シドとベインはほぼ同時に反応した。巨大な銀甲冑の形状には、見覚えがあったのだ。騎士団本部に飾られた甲冑は、騎士団騎士ならば知らぬ者がいないほど有名であり、高名な騎士の代名詞ともいえる鎧だ。その騎士ならばだれもが知る鎧がなぜ、クラウンクラウンの背後に巨大化して出現したのかなど、神ならぬシドにわかるはずもなく、小さな混乱が生まれた。ベインはさらに大きく混乱しているに違いない。
「いうようになったな」
「……は?」
熊を模した銀甲冑から聞こえた声に、ハイパワードを駆るベインが間の抜けた声を発した。
「暴れん坊め」
銀甲冑の声は、ハイパワードがベインであることを見抜いているようだった。そして、ベインのことをからかうように笑っていた。
「じじい……てめえハルベルト、なにしやがった!」
「え……? わたしは、なにも……」
クラウンクラウンの反応を見る限り、本当になにもしていないようだったが。
「なにもしていないわけがねえだろ! だったらなんで、死んだはずのじじいがここにいるんだよ!」
ベインの絶叫は、魂の慟哭にほかならなかった。