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第千七百五十五話 亡き王家のための葬送曲(八)

 

「オズフェルトか?」

 背後から呼びかけられた声に、彼ははっとなった。エクステンペストの爆散によって破壊し尽くされ、廃墟同然となったベノア城の中心近く。星降る夜空の下、突如として彼の鼓膜を叩いた声は、聞き覚えのある声だった。聞き覚えのあるどころか記憶に焼き付いた声だ。だが、もう二度と肉声を聞くことはできなくなっていたはずの声であり、だからこそ彼の心には動揺が走る。鼓動が早まり、苦痛が走る。

「こんなところでなにをしておるのだ」

 声は、幻聴などではなかった。確かな肉声。肉体から発せられた音。動悸が激しくなるのも仕方がなかった。振り向く。視界に飛び込んでくるのは、廃墟の上で茫然と佇むひとりの老紳士だ。声を聞いた瞬間、オズフェルトの脳裏に描き出された姿形がそのまま、そこにあった。なにひとつ違わない。服装さえも、彼の想像通りのものだった。彼の知っているその人物は、普段から白の礼服を身につけていた。そうすることで威厳が増すものだと信仰してさえいたからだ。権力は着飾るものであると嘯いてさえいた。

「父上……?」

 オズフェルトは、その男の不明瞭とでもいいたげな表情を見て、呆然とするほかなかった。その評定、顔立ち、唇の歪み方に至るまで、なにもかも彼の知っている男のそれだった。エグバード=ウォード。ウォード家先代の当主であり、彼の父親だ。肌が青白く見えるのは星明りのせいなのか、それとも、生気がないからなのか。いずれにしても、血の気のない肌には違和感があった。

「どうした? わたしの顔になにかついておるのか? いや、それよりもまず、どうしたのだ? この惨状はいったい……」

 エグバードにとっては、オズフェルトの反応よりもベノア城の現状のほうが重要なのは当然といえた。彼にとっては、跡取り息子よりも自分のことのほうが最優先事項であり、それはウォード家の方針としてあたり前のことだったし、オズフェルト自身、そのことで不満を感じたこともなかった。ウォード家においては、当主たるエグバードがすべてにおいて優先される。エグバードの意見こそがウォード家の方針となり、エグバードが正義だった。たとえば黒も彼が白といえば白となったのだ。まさに、ウォード家の王様というべき人物だったが、それは彼の権力志向がそうさせたというだけではなく、ウォード家に代々受け継がれてきたものであるらしい。

 そんなエグバードそのままの反応を見せる目の前に人物に、オズフェルトは、疑問をぶつけるほかなかった。

「本当に……父上なのですか?」

「なにをいっておるのだ。わたしがわたし以外のだれかに見えるのか?」

 エグバードが、尊大な態度で睨みつけてくる。その表情、言動のどれをとってもエグバード=ウォードそのひとであり、別人などではなかった。だが、彼にはとても信じられない光景なのだ。

「いえ……しかし」

「しかし、なんだ?」

「父上は、もうこの世にはいないはずです」

「……ふむ?」

 エグバードは、オズフェルトの発した言葉を聞いて、眉根を寄せた。難しい顔をすると、途端に本来の知性が垣間見えてくる。エグバード=ウォードは本来学者肌の知識人だったという。それがいつごろからか権力欲に取り憑かれ出し、オズフェルトが物心ついたころには権力闘争の怪物と成り果てていた。実の息子さえ、政争の道具にしようと企み、同い年の王女と繋がりを持たせるべく奮闘していたほどだ。その奮闘は実を結びつつあったのだが、結局は、革命によって台無しになった。

 オズフェルトと恋仲であった王女アリエル・レーウェ=ベノアガルドは、革命のために命を落としている。

 胸が痛むのは、エグバードを目の当たりにすれば、革命を思い出さずにはいられないからだ。

 ベノアガルドを政治腐敗から救うという大義を掲げて行われた革命では、大量の血が流れた。血を流す必要があった。旧体制を打倒し、新体制へと移行するためには、多かれ少なかれ犠牲がつきものだ。旧体制派が意固地であればあるほど、流れる血は増えざるを得ない。不必要なほどの命を断った。二度と腐敗を繰り返させてはならないという教訓を国に植え付けるために必要な犠牲である、とフェイルリングはいった。それらの犠牲を忘れてはならない、とも。

 手が震えるのは、あの日の記憶が蘇るからだろう。体が覚えている。あの日の雨の音。血のにおい。悲鳴。怒号。叫喚。混乱。剣の重み。斬る感触。殺した実感。革命の痛み。虚しさ。すべて、思い出せる。

 エグバードは、しかし、胡乱げな表情でこちらを見るのだ。

「なにをいうのかと思えば、くだらん冗談だな。おまえも少しは諧謔を勉強したほうがいいのではないか」

「冗談ではありません」

「現にわたしは生きているではないか。なにも変わらん。わたしの人生は順風満帆だ」

 胸を張って、エグバードはいってくる。そんな彼の自信に満ちた表情は、生前のエグバードそのままであり、オズフェルトは混乱しかけた。まるで本物の父親が目の前にいるようだった。蘇ったのではないか。そんなありえないことを考えてしまうくらいには、目の前のエグバードからは当の本人の気配しか感じられなかった。

「しかし、これはいったい……なにがどうなっておるのだ。なぜ、城が……?」

 廃墟と化した王城を何度も見回して、ふと、思い出したようにオズフェルトに視線を向けてくる。エグバードの目には、疑念が浮かんでいた。

「いや、そもそも、おまえは本当にオズフェルトなのか?」

「父上……」

「ああ、わかっている。おまえはオズフェルトだ。それはわかる。わたしの魂がいうのだ。おまえは、わたしの息子だ。しかし……わたしの知っているオズフェルトはもっと、そう……若かったはずだ」

 エグバードのいいたいことがわかった。

 彼の記憶の中のオズフェルトと、いま目の前にいるオズフェルトが微妙に一致しないのだ。それもそうだろう。エグバードがたとえ本人であっても、その記憶は死んだ瞬間に止まっているのだ。そこから更新されることなどあろうはずもない。つまり、彼の記憶の中のオズフェルトは、革命の日のオズフェルトのままなのだ。あれから何度も季節が移り変わり、オズフェルトの人生も移ろいだ。年を取った。見た目も変わろう。別人というほどではないにしても、だ。

「九年も経てば、年も取りましょう」

「九年……? なにをいっているのだ?」

「わたしが父上を手にかけてからの年月をいっているのです」

「おまえが、わたしを……?」

 エグバードは、苦い顔をした。吐き捨てるようにいう。

「質の悪い冗談だな」

 無論、オズフェルトは、冗談をいったつもりなどはなかった。この手には、エグバードの首を刎ねた感触が残っている。目には、怒り狂うエグバードの顔が焼き付いていたし、耳には、オズフェルトを呪う彼の断末魔が刻まれていた。父を手にかけて殺したのだ。呪われて当然の運命。革命という綺麗事のためには、みずから率先して手を汚さなければならない――フェイルリングの覚悟は、オズフェルトをして、親殺しを躊躇させなかった。

「わたしは、フェイルリング・ザン=クリュースの革命に賛同し、父上、あなたを討った。討たねばならなかった。あなたは、ウォード家の当主だった。ウォード家は、ベノアガルド王家と繋がり、国を腐敗させていた元凶のひとつだったから」

 革命のためだ。

 国をより良くするためならば、悪魔ともなろう。

 革命派の騎士たちはだれもがそのような覚悟と決意を持っていた。たとえ未来永劫呪われようとも、腐敗を根絶し、国と民を救うことこそ、この世の正義と信じたのだ。

 フェイルリングは、率先して親を斬っている。クリュース家も、腐敗を免れ得なかった。ウォード家、クリュース家だけではない。ベノアガルドの貴族という貴族は、王家や騎士団とともに利権を貪り、政治腐敗を進行させていたのだ。国を良くするためには、国を蝕む病巣を取り除くほかない。それは、王家だけではなかった。王家という国の柱に群がるものたちも、もろともに消し去らなければならなかった。でなければ、第二第三の王家が誕生するだけのことだ。同じことの繰り返しを防ぐためには、根本から変えなければならない。

 それが革命であり、そのために革命派は権力を欲さなかった。ただ、腐敗を一掃し、その後は国民に任せようとしていた。しかし、それまで政治を王家や貴族に任せていた国民が国を運営することなどできるわけもなく、国民が成熟するまでは、騎士団が代理人を務めることとなったのだ。

「大義がため、あなたを、皆を討たねばならなかった」

「……ああ、そうだったな」

 エグバードが目を細めたかと思うと、拳を握りしめた。手や肩が震えている。怒りだ。怒りが彼の瞳の中に渦巻き始めていた。

「いま、思い出したぞ。オズフェルト……!」

 声にも、怒気が混じっていた。腸が煮えくり返るとはまさにこのことなのだといわんばかりの表情であり、声音だった。

「そうだ、おまえはわたしを裏切り、王家を裏切り、国を裏切り、家名に泥を塗るだけでは飽き足らず、地に貶めたのだ……!」

 オズフェルトは、なにもいわなかった。なにもいわず、父の亡霊の戯言を聞いていた。聞くだけで、底冷えするような感覚を抱く。心が寒い。空々しく、そして、虚しい。いかにも父がいうような言葉だった。本当に父が生き返ったとすれば、同じことを吐き、同じように詰ってきただろう。それがわかるから、悲しいのだ。

 死んだところでひとの本質は変わらないのだろう。死んだからといって改心などするはずもないのだ。それが理解できてしまったから、なおさら、彼の心は冷えていく。エグバードはむしろ、そんなオズフェルトの反応が気に食わないのかもしれない。彼の父親は、彼の想像通りに激昂し、声を上擦らせていく。

「そう、そうだ。おまえだ。おまえが、おまえさえいなければ、わたしは栄華を、ベノアガルドの真の支配者になることも夢ではなかったのだ……! おまえさえ、おまえさえ……!」

「まことに申し上げにくいことですが、父上」

 オズフェルトは、冷ややかな目で、父を見ていた。冷えているのは目だけではない。身も心も冷え切っている。

「わたしがいようといまいと、革命はなされ、あなたは討たれたでしょう。フェイルリングは、革命のためなれば容赦などするひとではなかった。王家であれ、親であれ、国を腐らせ、民を苦しめるものにかける情けなど持ち合わせてはいないのです」

「おまえは!」

 エグバードが、指を突きつけてくる。

「偉大なるウォード家の当主であるわたしに向かって、そのような言葉を吐くのか! 天に唾するとはまさにこのことではないか!」

「天……ですか」

「そうだ! ウォード家は、ベノアガルドの名門中の名門であるのだぞ! だれもがウォード家をして、ベノアガルドの支柱と見ていた。そのことは、おまえも知っておろう!」

「ええ」

 オズフェルトは、エグバードの言を肯定しながらも、胸中では別のことを想っていた。

(狭い天地だ)

 ベノアガルドという狭い世界しか知らない人間ならではの発言だとしか、思えなかった。世界は、ベノアガルドだけで成り立っているわけではない。大小無数の国々が織りなした小国家群でさえ、世界のごく一部でしかなかった。そのことは、“大破壊”直前に起きた最終戦争が身をもって実感させた。この世には、想像を超える数の人間がいて、それを従える勢力が存在していたのだ。理屈では知っていても、実感としてはわからないことだった。

 要するに、オズフェルトも狭い天地しか知らなかったのだ。

 だから彼は、そのことそのものは笑わなかったし、エグバードの無知は仕方のないことだとも理解していた。エグバードは所詮、ベノアガルドという小国の一貴族に過ぎなかったのだ。そんな彼に世界の広さを認識しろというのは酷な話であったし、現実味のない話だ。

「いずれは王家さえも支配し、ベノアガルド全土を掌中に収める算段だったというのに! おまえのせいですべてご破算だ! どうしてくれる!」

「どうもこうもありませんよ」

 オズフェルトは、エグバードの絵空事のような話を聞き続ける気にもならなかった。冷え切った心を抱えたまま剣の柄に手をかけ、エグバードに歩み寄る。エグバードが反応するよりも早く、彼は告げた。

「わたしはわたしの信じた正義に殉ずる。それだけです」

 剣を抜き、収める。

 エグバードの首が彼の眼前に舞うのは、これで二度目だった。しかし、一度目とは違い、血は出なかった。エグバードの体そのものが幻のように消え失せたからだ。しかし、幻ではないのは、斬った感触から明らかだった。実体を持つ幻などあるはずもない。

(これは……なんだ?)

 オズフェルトは、だれもいなくなった虚空を見やりながら、目を細めた。シヴュラの死体を操った能力と同じ能力によるものとも思えるし、そうでもないようにも思えた。似ているとすれば、死を操るという点だが、明らかな違いがあるとすれば、シヴュラの死体は、本物の死体だった。エグバードは、実体を持った別のなにかだ。墓地に埋葬された彼の亡骸ではなかった。

 そのとき、こちらに向かって接近してくる気配に圧倒される感覚があった。見ると、真躯フルカラーズがオズフェルトのいる廃墟に向かって、跳躍してくるところだった。真躯は巨大だ。それが飛びかかってくるのだ。圧力も感じよう。

「団長!」

 ルヴェリスの真躯が目の前に着地すると、衝撃と振動でその場にこけかけた。

「急いでいるようだが、なにかあったのか?」

「ベノア中を死者が歩きまわっているんです!」

「……そうか」

 オズフェルトは、ルヴェリスの真躯から地上に視線を戻し、市内を見回した。そこかしこから聞こえる声は、死者と遭遇したひとびとの悲鳴や叫び声なのだろう。そしてその死者とは、先程のエグバードのようなものに違いない。

「そうか……って、えらく冷静ですね、団長」

「わたしもいま、死者を葬ったところだ」

「え?」

「エグバード=ウォードが黄泉帰ったのでな。また、黄泉に還って頂いた」

「団長……」

「それで、市内の状況は?」

 オズフェルトは、ルヴェリスの気遣いを感じ、心の中で感謝しながら話を進めた。自分のことよりも、ベノア市内のことのほうが重要なのはいうまでもない。

 おそらくは、ハルベルトの攻撃なのだ。

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