第千七百五十三話 亡き王家のための葬送曲(六)
「どいつもこいつも何度も起き上がりやがって! さっさとくたばっちまえってんだ!」
怒号とともに振り下ろされた拳が、閃光を発しながら亡者の後頭部を貫く。亡者の頭部はそのまま地面に埋め込まれるようになったものの、背筋だけで体を跳ね上げ、踵でもってベインの顔面を蹴りつけようとする。その足をベインの左拳がたやすく粉砕する。それでもなおもがき続ける亡者の腹を踏みつけながら、ベインが叫んだ。
「頭をぶっ壊しても動きやがるぞ、おい!」
ベインの叫び声には言い知れないやるせなさが混じっていた。
彼がいま格闘している相手は、亡者だ。
数日前、ストラ要塞を襲ったネア・ベノアガルド軍の兵士、その死体だった。無論、それら死体は、戦後、ストラ要塞内の共同墓地にしっかりと埋葬していた。放置していたわけではないし、放置していたからといって死体が動き出すことなどあろうはずもない。なんらかの外的要因がネア・ベノアガルド軍将兵の死体だけを動かし、ストラ要塞に混乱をもたらした。
当然、ストラ要塞の騎士団部隊は、それら亡者の群れに対し徹底抗戦することとなる。セツナもレムも戦いに駆り出され、物言わぬ死者の集団との戦闘に入っていた。
戦闘が始まってまだ数分も経っていない上、ベインのように亡者に対し(人間にすれば)致命的な攻撃を叩き込んだところで、亡者は活動を停止するどころか、動きを鈍らせることもなかった。心臓を貫いても、首を切り飛ばしても、平然と突っ込んでくるのだ。
「どうなっているのでございましょう?」
レムが五体の“死神”によって複数の亡者を押さえ込みながら、怪訝な顔をした。大鎌でもって斬り刻み、細切れの肉塊にしたところで、止まらなかった。なんとばらばらになった体がゆっくりと復元を始め、最後には元通りになって戦闘に参加するのだ。これでは、通常の攻撃方法では対処しようがない。
それは、セツナも同じだ。黒き矛の絶大な力でぶちのめしたところで、結局は復元するまでの時間稼ぎにしかならない。その時間稼ぎもほとんど意味がない。亡者の数は数百体を越え、それらがストラ要塞内の各所で暴れ回っている。ストラ要塞側の騎士の内、戦闘に参加できるもののほうが圧倒的に上回っているとはいえ、それでもこちらの戦力に対し脅えもしなければ、怯みもしない亡者の群れには数の力はほとんど無意味だった。たとえ一時的に圧倒できたとしても、亡者はその腐臭漂う肉体を再生し、挑んでくるのだ。
どんな強烈な攻撃も、亡者には意味をなさない。
主戦場となったストラ要塞内の墓地周辺は、そんな絶望的な事実を突きつけられ、暗澹たる想いになったであろう騎士たちが何百人もいて、必死になって亡者と格闘していた。シドもいるし、フロードもいる。正騎士たちは幻装を、准騎士たちは救力を用い、亡者を相手にその圧倒的と言ってもいい実力を見せつけていたが、亡者たちは一切臆することがなかった。まったくもってこれっぽっちも、亡者の動きに変化がない。ただひたすらに攻め寄せ、撃退されるの繰り返しだ。
「レム殿」
「はい?」
「あんた死神なら、こいつらを地獄へでも連れて行ってくんねえか」
ベインが亡者の側頭部を殴りつけ、閃光とともに吹き飛ばしながら、いった。レムは、そんなベインの軽口に微笑みながら、空を舞う。軽快な身動きを見る限り、レムは完全に本調子を取り戻していた。二年間の眠りによる筋肉の収縮とはいったいなんだったのか、と思うほどの躍動。セツナに甘えるためだけの口実だったのではないか――そんなありえないことを考えてしまうくらいには、レムの身体能力は素晴らしかった。空を舞い、亡者から亡者へと飛び移るようにして攻撃を続ける。攻撃のたびに亡者の首が飛び、胴体が真っ二つになった。それでも致命傷にはならないが、一時的に動きを鈍らせることができる。具体的な解決法がないいま、そうやって時間稼ぐ以外にはなかった。
「それができましたら、まず真っ先に御主人様を連れて行くのでございますが」
レムがセツナのすぐ側に着地するなり、にこりと笑う。
「なんでだよ」
「なるほど、そりゃあいい」
「いいんですか」
ベインの大笑いに半眼になりながら、セツナは、眼前の亡者を黒き矛の石突で殴りつけ、叩き飛ばした。亡者の死体が面白いように飛んでいく。黒き矛の力ならば亡者を撃破することそのものは容易いことだ。しかし、亡者は際限なく再生し、復元する。まるでセツナが死なない限り、無制限に蘇生するレムのように。
つまり、亡者たちを操るなんらかの外的要因を排除しない限り、無限に再生し続けるのではないか。
そんな恐ろしい結論に至り、セツナは目を細めた。
騎士たちの士気の低下が著しい。
亡者となったネア・ベノアガルド軍の兵士は、大半が元騎士団騎士であり、ストラ要塞の騎士団騎士たちにとっては元同僚に他ならない。元同僚の成れの果てともいえる亡者たちとの戦闘ほど心苦しいものはないのだ。相手が生きているのならばまだしも、死者となってまで傷つけなければならないとなると、士気が低下するのは当然だろう。このまま戦闘が長引けば、負けるのはこちらの方だ。亡者たちがもし、指揮官を倒さない限り無制限に再生するのであれば、そうならざるをえない。
「レム殿は、セツナ殿のことを大層慕っておられるようですな」
「もちろんでございます」
レムは、フロードの質問に微笑みを浮かべると、“死神”たちを周囲に呼び戻した。弐号から陸号までの五体の“死神”。並び立つと壮観というほかない。
「御主人様ほどわたくしのことを想ってくださる方はほかにおられませんので」
「だったら尊重しろよ」
「しております。ただ、独占したいときがあるというだけにございます」
「そのための地獄行きか」
「地獄でなら、だれの邪魔もされず、御主人様を堪能できましょう?」
レムが、艶然と笑いかけてくる。その表情は本気とも冗談とも取れず、セツナは、少しばかり戸惑ったものの、亡者をなぎ倒しながら彼女の言葉を否定した。
「そうでもねえよ」
「あら?」
「地獄ほど邪魔の入るところを俺は知らねえ」
セツナの記憶の中の地獄ならば、縁のある死者が怒涛の如く押し寄せ、堪能どころの話ではなくなる。フロードが笑いかけてくる。
「まるで地獄に行ってきたような口ぶりですなあ」
「まあ、人生経験、豊富ですから」
「ほう」
フロードは亡者を切りつけながら、目を細めた。やはり元同僚の亡骸を傷つけなければならない戦いは、フロードにもきついものがあるのだろう。
「別に不真面目とは思わないが、いまは目の前の事態に集中して欲しいのだが」
などといってきたのは、シドだ。雷光を帯びた剣は亡者の屍肉を焼くのだが、その焼痕もゆっくりとだが確実に復元してしまうことがわかっている。つまり、たとえ炎で焼き払っても無駄だということだろう。黒き矛の破壊光線でも意味がなかった。上空に向かって打ち上げた亡者を破壊光線で消滅させようとしたが、無駄に終わった。復元してしまったのだ。
死者を操る術者を探し出して倒さない限りはなにをしても意味がない。
「そりゃあわかってるがよお」
「どうすればいいのでございましょう」
「こういう場合、術者がいるに決まっている。そしてその術者は、十中八九、ネア・ベノアガルド軍のもので、ネア・ベノアガルド軍の進行に合わせて行動を起こしたに違いない」
シドの台詞を聞いて、セツナは瞬時に全神経を集中させた。黒き矛を手にしていることによる超感覚、そのすべてを最大限に駆使し、ストラ要塞を取り巻く状況を確認する。亡者どもが動く音、騎士たちの裂帛の気合、戦闘音、ストラ要塞の住人たちの話し声、足音、風――再建中の城壁の向こう側へ意識を向け、さらに先へ。荒野を進む軍靴の音が聞こえてくる。行軍している。数千の足音。おそらくは、ネア・ベノアガルド軍の残存戦力。
セツナがシドに目をやると、彼の振るった雷光剣が複数の亡者をなぎ払い、感電させたところだった。
「ばっちりです、ルーファウス卿」
「ということは?」
「南東からネア・ベノアガルド軍の軍勢が接近中」
「推測通りですね」
シドは自分の推測が当たったことにも嬉しそうな顔はしなかった。ストラ要塞の惨状を見れば、そうもなろう。いまこの状態でネア・ベノアガルド軍の本隊が攻め寄せてくればどうなるか。士気が極限に近く低下した騎士たちでは、打ち負かされるのではないか。
ベインが亡者を殴り飛ばしながら、怒声を上げる。
「ハルベルトの野郎、もう手段を選ぶ気もねえってか」
「シヴュラが差し向けられた時点でわかっていたことだろう」
「ああ。そうだな……!」
理解していても、それでも信じたくなかったのかもしれない。ベインの表情には、そんな彼の心情が見え隠れしていた。
「全騎士に告ぐ。現状を打開し、ネア・ベノアガルド軍との戦闘に備えよ」
「備えるったって」
「口答えは不要」
「はいはい」
「まずはこの亡者どもの掃除からだ」
シドが雷光剣を構えながら告げると、ベインが両拳に力を込めた。
セツナは、そんなふたりを見てから、レムを一瞥し、亡者の群れを見回した。数はまったくもって減っていない。どれだけ強烈な攻撃を叩き込んでも、どれだけ肉体を損壊しても、亡者には意味をなさない。亡者を掃除するにはどうすればいいのか。どうすれば、状況を改善することができるのか。
答えはひとつしかない。