第千七百五十二話 亡き王家のための葬送曲(五)
真躯エクステンペストが巻き起こす暴風の奔流の中で、彼は、なにが起こっているのか理解できないでいた。通常、ありえないことが目の前で起こっている。シヴュラは、死んだ。シドとの戦い、真躯同士の苛烈な死闘の末、魂を打ち砕かれて、死んだ。故に彼の亡骸は無傷同然のまま本部に運ばれ、安置されていたのだ。
それが突如として動き出した。これは、まだ納得できる。死体を操る能力の使い手がハルベルトに与しているのだろう。だが問題は、その死体のシヴュラが真躯を顕現したことだ。
シヴュラは、力を使い切って死んだのだ。
真躯を顕現するには、二年前のあの日、ミヴューラから与えられた力を使うしかない。その力には限りがあり、自力でどうにかできるものではない。そもそも、死者にそのようなことができるわけもない。魂さえも残っていない、ただの亡骸になにができるというのか。
要するに、シヴュラが真躯を顕現することなど、たとえ操られていてもありうることではなく、故にオズフェルトは、吹き飛ばされる羽目になったのだ。あらゆる状況を想定したとして、こんなことはありえない。可能性がないのだ。
こんなことがあるわけがない。
だが、現実に目の前で起きている。
その事実を認めるよりほかはない。でなければ、空想に逃げることになる。そこに勝利はない。
救力によって暴風圏から脱した彼は、エクステンペストの起こす竜巻が、元々半壊状態のベノア城に致命的な一撃を叩き込みつつあることに目を細めた。渦巻く暴風がベノア城をなす石材を削り取り、吹き飛ばし、巻き上げ、調度品や様々なものをも巻き込んで空に舞い上げている。そのような光景がストラ要塞でも繰り広げられたという報告をシドから受けていた。ストラ要塞よりもひどい状態になっているのは自覚するが、いまさらどうすることもできない。
ゆっくりと息を吐く。
真躯の虚ろに輝く瞳は、オズフェルトを見ていた。死者を操るなにものかは、シヴュラの死体にオズフェルトを殺させたいらしい。あるいは、オズフェルトをこの場に留め置きたいのか。いずれにせよ、時間稼ぎが念頭にあるのは間違いないようだ。
(神人によるベノアの破壊を邪魔させないためか?)
だとすれば、オズフェルトひとりを足止めしたところで、どうしようもない。ルヴェリスならば、神人が何体いようと負けるわけがないのだ。ルヴェリスの真躯フルカラーズは、他の真躯同様強力無比だ。ただの神人相手に遅れをとるはずもない。ハルベルトの指示の元、死人使いが動いているのであれば、それくらい理解しているはずだが。
ハルベルトの狙いがわからない。
ただベノアを混乱させるだけではないのか。騎士団本部に致命傷を与えたところで、それで騎士団の活動に支障が出るかというと、そんなことはなかった。騎士団は変わらず存在するのだ。市民が騎士団への不信を強めることになるかもしれないし、マリアの立場も悪くなるかもしれない。だが、その程度ではただの嫌がらせに過ぎない。ハルベルトがそんなことに力を入れるとは、思い難い。
ハルベルトの望みは、ベノアガルド王家再興のためのベノアの奪取であるはずなのだ。
(それが本当に彼の望みならば……の話だが)
オズフェルトには、疑念がある。
彼は本当にベノアガルド王家の再興を望んでいるのか、という疑問だ。
ハルベルトは、確かにベノアガルド王家唯一の生き残りであり、そうである以上、家の再興を心の何処かで願っていたとしても不思議ではなかったし、彼がベノアガルド王家再興をいい出したときにはそのときがきたかと覚悟したものだが、よくよく考えてみると、最初から王家を見限っていた彼に限っていえば、そんなことがありうるのか。
ハルベルトの本心からの願いではないのではないか。
もちろん、ただの推測にすぎない。確証などあろうはずもない。現に彼はベノアガルド王家再興のために二年近くを費やしている。いまさら彼の言動に疑問を挟むのは問題外だ。
だが、こうもちぐはぐな戦いが続いていると、考え込まざるをえないのだ。
ハルベルトは、みずから滅ぼされようとしているのではないか。
そんな馬鹿げた発想に至るのは、シヴュラの死体さえも利用するという騎士の風上にも置けぬ行為のせいかもしれない。
ハルベルトは、シヴュラに騎士道のなんたるかを学んだはずだ。シヴュラの騎士道の継承者たるはずなのだ。それなのに死者を冒涜するような戦いをしてみせる彼には、騎士としての誇りも矜持も感じられなかった。
騎士団から離反したとき、そのような想いは振り切ったとでもいうのかもしれないが。
オズフェルトは、そう想いたくなかった。
(ハルベルト。君は、これで満足なのか?)
両腕が上がらないまま、上空の真躯を睨む。エクステンペスト。まさに風神といっても過言ではないその最初の一撃で、オズフェルトの両腕はまったく使い物にならなくなった。脱臼したのか、骨折したのか。どちらにせよ、しばらくは団長業務にまで支障が出てしまうこと請け合いだ。
(君の敬愛するシヴュラをあのような目に遭わせて、満足なのか)
ハルベルトが父のように慕い、愛していたはずのシヴュラの成れの果てに、オズフェルトは深い哀しみを覚えるしかなかった。そして、その哀しみの赴くままに、彼は告げた。
「照らせ、ライトブライト」
救力の最大解放がオズフェルトの全身を発光させ、あらゆる感覚を肥大させる。巨大化し、鋭敏化する感覚によって自分の肉体そのものが人間とは異なる存在へと変容していくのがわかる。真躯の顕現。救力のみによる強化に比較して何倍にも増幅されていく身体能力だが、それを軽々と制御しうるのは神の力を借り受けているからだ。救世神ミヴューラの力の残り香。それがある限り、オズフェルトたちは無敵といっていい。だが、力は無制限に使えるわけではない。シドのように極限まで使い果たせば、真躯を顕現することはできなくなるだろう。そうなれば騎士団の戦力は極端に低下するといわざるをえない。
ミヴューラが再び力を授けてくれるのであれば、失った力を取り戻すこともできるのだろうが、現状、それは叶わない。
ミヴューラは、フェイルリングたちの死とともに消息を絶っている。
巨大化した意識を制御しながら、オズフェルトは、真躯ライトブライトの力を実感した。全身に漲る膨大な量の力は、オズフェルトをして高揚感を抱かせた。燃えたぎる想いが力となり、肉体を躍動させる。シヴュラは、動かない。ただ暴風圏を徐々に拡大させながら、ベノア城を破壊していくだけだ。まるでそこにシヴュラの意思など存在していないかのようであり、オズフェルトは、納得した。
(あるわけはないか)
シヴュラは死んだ。その魂の消滅という最期によって、彼の肉体がたとえ蘇ったとしても、心が蘇ることなどありえないのだ。前方上空にて荒ぶる嵐神となったものは、シヴュラでもなんでもないのだ。ただの死体。操られ、破壊を続けるだけの殺戮人形に過ぎない。
故に彼は、迷わなかった。腰に帯びた鞘から剣を抜く。刀身の存在しない、柄と鍔だけの剣。それはもはや剣とは呼べない代物だが、彼が救力を収束させることで光の刃が出現する。ひとはオズフェルトを“光剣”と呼ぶ。あまりに鋭い斬撃が光を発しているように見えたことからついた異名は、そのまま幻装へと昇華され、真躯となって真価を発揮したといっていい。
一足飛びに嵐の中へ飛び込み、吹き荒ぶ暴風をものともせずにエクステンペストへ接近する。エクスエテンペストの両肩が開き、ふたつの竜巻を放ってくる。敵へと誘導するふたつの竜巻に対しオズフェルトが取った行動は、黙殺だった。人体であれば致命傷になりかねない竜巻も、真躯ならばなんということはない。人体に直撃を喰らったことで、オズフェルトは理解したのだ。シヴュラのそれは、救力などではなかった。
故に真躯を纏うオズフェルトに致命傷を与えることはできない。
ふたつの竜巻の直撃を受けながらも、オズフェルトは止まらない。エクステンペストへの距離を詰め、光の剣をおもむろに振り抜いた。脇腹から肩口にかけての斬撃。シヴュラは避けようともしない。光の刃はエクステンペストの装甲を軽々と切り裂き、真躯に似せた巨躯をたやすく両断した。閃光が散り、爆発が起こる。凄まじいまでの爆発だった。轟音が唸り、大気が震えた。
真躯を纏うオズフェルトには一切の影響がなかったものの、強烈な力の爆発は中庭周辺程度に留まっていた被害をベノア城全域にまで拡大したようだった。危うく中枢区にまで被害が及びかねないほどの破壊が起きている。壁、床、天井、柱、なにもかもが粉々に打ち砕かれ、倒壊し、瓦礫が山のように積み重なっていた。どれだけの死傷者が出たのか、想像もつかない。騎士の多くは神人に当たるため出払っていただろうし、非戦闘員は騎士らに避難誘導されていただろうが、本部に残っていたものも少なくはないだろう。
オズフェルトは、廃墟と化した騎士団本部の上に降り立ち、茫然とするほかなかった。
ベノアの象徴たるベノア城騎士団本部が一夜にして壊滅してしまったのだ。“大破壊”やその後の神人災害も乗り越えてきた騎士団本部がだ。騎士団本部とは、その名の通り騎士団の本拠地だ。本拠地を破壊された組織は、威厳や威信を失わざるをえない。本拠地さえ守れない組織のどこに信頼を寄せるというのか。市民、国民の信頼を取り戻そうと息巻いていた矢先のことだ。これでは、信頼を取り戻せるのは当分先のことと思わざるをえない。
操られたシヴュラは斃した。だが、失ったものはあまりに大きい。最初からこれが狙いだったのだろう。騎士団に致命的な楔を打ち込むことがハルベルトの狙いであり、そのためにシヴュラを先行させた。オズフェルトの想像の上を行くハルベルトの思惑に、彼は臍を噛む想いで空を睨んだ。同時に、ハルベルトはオズフェルトの知っている人懐っこい好青年などではなくなってしまっているということを認識した。
恩師シヴュラの死体を利用して騎士団本部壊滅を目論み、成し遂げたのだ。
以前のハルベルトならば決してやらなかっただろう卑劣な行い。
だが、オズフェルトの心に到来するのは、怒りではなく、哀しみであり、虚しさだった。
この戦いに一体なんの意味があるのか。
左前方に立ち尽くすルヴェリスの真躯フルカラーズもまた、同じような気持ちなのかもしれない。
神人は、フルカラーズによって撃滅されたようだった。一体として残っていない。しかし、街は騒動の真っ直中にある。騎士団本部が突如爆散したのだ。騒ぎにもなるだろうし、混乱が起きたとしても不思議ではなかった。
(失態だな、オズフェルト)
彼は、唇を噛むような気持ちで、真躯を解いた。
そして、新たな事態に遭遇する。