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第百七十四話 夜戦

 日が暮れ、夜が来た。

 頭上には満天の星空が広がり、巨大な月の膨大な輝きが音もなく降り注いでいる。人工的な光はなく、自然光の生み出す明かりだけでも、十分に周囲を見渡すことができた。

 川の流れは穏やかで、静かだった。川面には月明かりが映り込み、きらきらと光っては、見ているものの心まで落ち着かせるかのようだ。虫や夜鳥の鳴き声が、遠く森の方から聞こえてくる。とても、対陣しているという雰囲気はない。

 どちらの陣営にも火は灯されていない。攻撃目標になってしまうからだが、どのみち弓の届く距離ではない。召喚武装なら余裕を持って到達させることもできるのだろうが、クオンたちにそんな召喚武装を使える仲間はいなかった。敵には、いてもおかしくはない。

 夜の闇が、非常に明るく感じられる。

 九月も半ばを迎えてはいるものの、気候が日本と同じであるはずもなく、まだまだ熱気を帯びた夜風が吹き抜けては、クオンの頬を撫でた。寒くないのはいいことだ。蒸し暑いわけでもなく、むしろ過ごしやすい。

 クオンは、武装召喚術を行使していた。真円を描く純白の盾が彼の両腕の中にある。シールドオブメサイアと名づけたその盾は、召喚し、身につけた瞬間から彼の感覚を数倍から数十倍に引き上げている。武装召喚師特有の感覚の肥大。召喚武装による能力強化。なんとでもいいようはあるのだろうが、ともかく、シールドオブメサイアの能力拡張によって、クオンの全感覚は常人とは比較にならないものになっていた。

 放っておけば、遠方のちょっとした足音が鼓膜に刺さり、雑多な話し声が濁流のように頭の中に流れ込んでくる。そのままだと、彼でも耐えられず、発狂するに違いない。取得する情報の取捨選択が必要だ。といっても、難しいことではない。頭で処理できないほどの情報を拾わないように意識するだけでよかった。それだけで、クオンの意識は明瞭になり、聴覚が雑音を拾うことも、視覚が光を莫大化することもなかった。

 いま、クオンの意識は、自陣のみならず、敵陣までも支配下に収めている。些細な動きも、手に取るように分かった。圧倒的な万能感が、彼の心を刺激する。この力を攻撃に向かわせることができれば、彼に敵はいなくなるだろう。絶対的な暴力となりうる。だが、シールドオブメサイアの力は、攻撃に転じることはできなかった。攻撃を無力化することはできても、攻撃することは不可能なのだ。防壁によって圧力を加える、などということもできない。

 無敵の盾は、ただ無敵なだけなのだ。

 もちろん、ただそれだけでも十二分に強い。自分ひとりを護るだけではなく、仲間を護ることができる。ということは、仲間に攻撃を任せることができるのだ。クオンは守護領域の構築に専念しているだけでいい。仲間は、その中で縦横に暴れ回り、敵を駆逐する。

《白き盾》が無敵の軍団であり、不敗の傭兵集団なのは、ひとえにこの盾の能力のおかげだった。

(まるで黒き矛の対を成すような……)

 クオンは、ふと思ったことが、あまりに自分にとって都合のいい考えだったことに気づき、苦笑を漏らした。

 敵陣にも自陣にも、大きな動きはない。小さな動きとしては、それぞれに食事をとっているということだろうか。無論、炊き出しなど行われるはずもなく、兵糧を口に含み、飢えを凌ぐ程度のものだ。腹を空かせるのはまずいが、かといって、腹を満たすのも戦闘行動に支障が出る。戦闘さえ終われば、ゆっくりと食事もできよう。

「クオン、盾なんか出して、なにをしているんだ?」

 背後から前に回りこんできたイリスが、不思議そうな顔をした。

「晩御飯は食べ終わったのかい?」

「ああ、いまはウォルドで、つぎがマナの番だ」

 イリスは言い終わるが早いか、クオンの隣の椅子に腰を下ろした。長い対陣になるということで、各部隊に椅子やら敷物やらが少しずつ支給されていた。戦闘になれば邪魔になるものだが、小石が無数に転がる川辺である。そのまま座っているのは辛いだろう、という配慮だった。

 幹部たちは、順番に食事を取るようにしている。いつ戦闘になるのかわかったものではないのだ。たとえ糧食を口にする程度だとはいえ、用心に越したことはない。クオンは既にわずかばかりの食事を終えている。マナらに急かされて、《白き盾》で最初に夜食をしたことになる。

「うまくはないが、なにも腹に入れないよりはましだな……」

 イリスが、ぐったりとしたようにいった。そういえば、彼女は大食らいだったのだ。戦場での食事ほどイリスにとってきついものはないに違いない。

「で、それはなんの真似なんだ? 武装召喚術は精神を消耗するんじゃないのか? むやみやたらに使うのはどうなんだ?」

「夜襲の警戒だよ」

「自陣を護っているのか?」

「そうじゃないよ。敵陣の動向を見張っているだけさ」

 クオンは、イリスの目を見つめながら、静かに告げた。

 シールドオブメサイアの能力は、無敵の盾だ。外圧から身を守る障壁(通称・守護領域)を展開するというものであり、使用にはいくつかの方法がある、

 ひとつは、自分自身を守護する方法。守護領域を自身に限定しているためか、もっとも防御能力が高く、持続時間も長い。まさに無敵の盾といってよく、この状態ならばなにものにも負けることはない。が、勝つことも不可能に近い。召喚武装以外の武器を持っているのならば話は別だが。

 ふたつ目は、特定の認識を持った複数の対象を守護する方法。たとえば、《白き盾》団員のみに守護領域を展開するというものであり、この場合の性能は、対象人数が少ないほど効果的だ。いまなら、中央軍に所属する人間全員を対象にすることも可能だろうが、三千人強の人間を対象とした場合、どれほど効果が落ちるのか、クオンにもわからなかった。少なくとも、無敵ではなくなるだろう。

 三つ目は、場に守護領域を展開する方法。シールドオブメサイアを中心とした半径一メートルから数十メートルの範囲に守護領域を展開し、領域内の全てに盾を張り巡らせるというものだ。その場合、守護領域の広さによって効力は増減し、狭ければ狭いほど守護は強くなり、広がるだけ弱くなる。また、敵味方お構いなしに作用するため、使い方としては守護領域内に弓兵の部隊を展開し、一方的に射撃することくらいだろうか。そして、クオンが訓練のときに用いるのがこれだ。広すぎない範囲ならば、全力でぶつかり合っても怪我ひとつしないため、訓練には最適なのだ。

「そういえばマナに聞いたことがある。武装召喚師は、召喚武装によって視覚や聴覚が強化されるという話だったな」

 そういうと、彼女はクオンの腕の中にあるシールドオブメサイアに手を伸ばしてきた。クオンが盾から右腕を離すと、イリスの手が盾の表面に触れる。感触を確かめるように何度も触った彼女だったが、当然、特になにがわるわけでもなかった。彼女は、怪訝な表情を浮かべた。

「よお、おふたりさん、いちゃつくのは後にしてくださいよ」

「だれがだ」

 突然の乱入者の戯言に、イリスが猛然と抗議した。盾から手を離し、椅子からも立ち上がってクオンの背後に回る。そこがイリスの定位置なのだ。が、ふたりきりになると、隣に場所を移してくることもある。ほかに幹部たちの姿もなく、つい気を抜いてしまったのかもしれない。戦陣ではあるが、敵の動きもないのだ。気が抜けるのも、わからなくはない。クオンだって、盾を召喚していなければ、だらけていたに違いなかった。

「またまた、わかってるくせに」

 声までにやけているように聞こえるのだが、彼は酔っ払っているのだろうか。

「ウォルド、君はなにをいっているのかな?」

 クオンが振り返ると、筋骨隆々の大男は、なぜか上機嫌で近くの椅子に腰を下ろしていた。イリスは彼を睨んでいるようだが、彼はまったく気にしている様子もない。表情はにこやかで、月光の下、やや赤らんで見える。

「あー、団長、すみません、別に他意はないんですが。っていうか、別にいちゃいちゃしてくれても構いませんが、マナの目に触れると俺が血の海に沈みそうなんでね」

「だれの目に触れるとあなたが血の海に沈むと?」

「あら? いつの間に……」

 ウォルドは、突如として背後に現れた女性の微笑に、凍りついたようにして固まった。みずからの失態に気づき、もはや取り戻せない現実を思い知ったのだろう。

「団長、ウォルドったら、《蒼き風》の陣地でお酒をよばれて来たようでして」

「なるほど。それは大問題だな。そんな勝手を許せば、《白き盾》の風紀が乱れる原因となる」

 といったのはイリスだったが、クオンは、上機嫌に酔っ払っているウォルドが戦闘になれば役に立つことも知っているから、特にはなにもいわなかった。無論、問題ではある。処分は後で下せばいい。ここは戦場。いまは目の前の戦闘に勝つ事こそが肝要であり、それ以外のことは後回しでいい。ウォルドも良いから覚めれば猛省するような人物だ。人格に問題があるわけではない。

 少々、酒が好きなだけなのだ。



「陛下は、こんなところにいてもよろしいのですか?」

 ナージュが尋ねてきたのは、レオンガンドが本陣最後列の馬車に入ってきたからだろう。戦場にあるべき王が、このような場所にきていいはずもない。とはいえ、レオンガンドが暇を持て余しているのも事実だった。両軍、睨み合い続けて半日以上が経過しようとしている。アルガザードの作戦が成就するまでは、こちらが動くこともない。敵もまた、こちらの動きを待っている。あるいは、何かを仕掛けようと企んでいる。

 膠着状態が続いている。

「君を護るのも王の務めだ」

「まあ」

 ナージュが素直に受け取るので、レオンガンドは少しだけ慌てた。彼女は、どうやら素直でありすぎるらしい。婚約前の奔放さが鳴りを潜めたというよりも、それも彼女の素直さの現れであり、いまのナージュもまた、彼女の一面なのだろう。

「それも本心ではあるが、戦闘に関しては、アルガザードに任せているのでね。わたしは手持ち無沙汰なのだよ」

「アルガザード……大将軍閣下ですわね」

「ああ。戦は彼らに任せておけばいい。わたしの稚拙な戦術よりも、よほどまともな作戦を立ててくれるに決まっている」

 レオンガンドは、ナージュの隣に腰を落ち着けると、荷台の中を見回した。三人の侍女は、ナージュと遊ぶことに疲れ果てたのか、仲良く寝入ってしまっている。御者台のほうから差し込む月明かりが、彼女たちの寝顔を闇に浮かび上がらせている。ナージュはどうやら、そんな彼女たちの様子を眺めていたらしい。

「君は、寝ないのか?」

「陛下が起きていらっしゃいますもの。眠れませんわ」

「わたしは少し眠るよ。そのためにここにきたんだ」

 いまやナージュの馬車だ。周囲に護衛こそいるものの、中にまでは入ってこない。静かなものだった。だれの邪魔もないし、心配もいらない。わずかな時間の仮眠なのだ。安心して眠れる場所が欲しかった。

「君の隣なら、ゆっくり眠れそうだ」

 レオンガンドがそういうと、ナージュは照れたように微笑した。

 夜が、更けていく。

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