表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1749/3726

第千七百四十八話 亡き王家のための葬送曲(一)


『君は確か、ウォード家の……』

 シヴュラ・ザン=スオールが少しばかり驚いたような顔をしたのは、オズフェルトがまだ十四歳になたばかりの子供だったからなのだろう。騎士団に入るのは大抵、十六歳を過ぎてからだ。十四歳で入団というのは特例でもなければ認められなかった。つまり、オズフェルトは特例でもって騎士団に入ることができたというわけだ。

 ウォード家は、ベノアガルドの有力貴族だ。何人もの騎士団騎士を輩出している名門中の名門であり、騎士団幹部に幾度となく名を連ねてきた家柄だった。しかし、当時の騎士団幹部にはウォード家のものはいない。そうであるにも関わらず騎士団に影響力を及ぼしているのは、先代ウォード家当主の娘、つまりオズフェルトの叔母が王室に入っていたからだ。先の国王の側室として、王家に迎え入れられた叔母は、国王に取り入り、ウォード家と王家の関係を強固なものとした。

 泥沼の如き権力争いに終始するベノアガルドにおいて、政争に振り回される女もまた、強かでなければ生き残れなかったのだ。

 そういったベノアガルドの現状をだれもが受け入れていたわけではない。変えなければならないと想うものも少なくはなく、このままではベノアガルドという国そのものが滅び去ると憂うものも少なくはなかった。しかし、そういったものたちは権力の中心におらず、いたとしても遠ざけられ、発言力を奪い去られた。腐敗が腐敗を呼び、汚泥の如き様相を呈し、終わりの見えない血みどろの政争が日々を綴っている。

 そんな世界にあって、騎士団もまた、腐敗を逃れることはできなかった。いやむしろ、騎士団はこの腐敗しきったベノアガルドの現状を利用して、騎士団長を頂点とする王国を作り上げたといってもよかった。ベノアガルドの政情がもし、清く正しく美しいものであったならば、騎士団もまた、それに相応しいものとなっていたはずだった。だが、ベノアガルドの根本が腐りきっていたため、ベノアガルドに属する騎士団もまた、腐敗せざるをえないのだ。

 オズフェルトが十四歳の若さで従騎士の洗礼を受けることが許されたのも、騎士団が王室との関係を強固なものにする必要に迫られたからであり、ウォード家が王室において発言力をもっていたからなのだ。

 オズフェルトが騎士団に入ったのは、腐敗をどうこうしようというつもりではなく、幻装の中の騎士への憧憬によるところが大きかった。ベノアガルドの建国伝説に謳われるような騎士になりたいという一身で騎士団への入団を熱望し、親が折れた。親は、オズフェルトの幼さを危惧したのだ。まだ若く、幼いとさえいえるオズフェルトを騎士団に入れ、もしものことがあっては目も当てられない。オズフェルトは、ウォード家の大切な嫡男だった。それでも親が彼の望みを聞き入れたのは、単純に子煩悩だったからにほかならないのだろう。

 そんな彼がシヴュラに声をかけられたのは、当時の騎士団本部中庭でひとり訓練をしているときだった。ひとりだったのは彼の所属する隊の休憩時間だったからであり、休憩時間まで訓練に費やそうという彼の意気込みをだれもが賞賛しながらも、だれも付き合ってはくれなかったからだ。休憩時間くらいはしっかり休むべきだという考えのほうが正しいということを当時の幼く熱意でのみ動いていたと言っても過言ではないオズフェルトには、わからないことではあった。

『オズフェルトです、シヴュラ様!』

 オズフェルトは、シヴュラに声をかけられたことで目を輝かせたものだ。シヴュラとは、面識がある。スオール家もベノアガルドの名門であり、ウォード家とは名門同士交流があるのだ。貴族間の繋がりが力となる世界。互いに互いを尊重し合うふりをしながら、利用しあっている。そういう関係もあり、オズフェルトは幼い頃からシヴュラを身近に感じていたし、彼が騎士団に入ってからは、彼の活躍や評判に注目していた。騎士団に入ることを熱望したのも、早くシヴュラに追いつきたいからというのもあった。

『ああ、覚えているよ。オズフェルト。君の父君には大変、世話になっている』

『父上がですか!』

『……いやに威勢がいいな』

『正騎士様に声をかけてもらえるなんて、光栄ですから!』

 オズフェルトは、シヴュラの苦笑にも気づかず、叫んでいた。休憩中の中庭。ほかにだれがいるわけもない。どれだけ大声を出したところで、注目をあつめることもなかったが、シヴュラは、渋い顔をした。

『ふむ……冷や飯喰らいの穀潰しと話せて光栄とは、君も変わった価値観の持ち主のようだ』

『え、あ……その……』

『そう困らせてやるものでもないだろう、シヴュラ』

 不意にシヴュラの背後に姿を見せたのは、オズフェルトもよく知る正騎士だった。

『フェイル』

 フェイルリング・ザン=クリュース。シヴュラと同期入団の彼は、クリュース家の若き当主であり、当然、ウォード家のオズフェルトとは面識があった。ただ、オズフェルトにとってはシヴュラほどの関わりさえないため、彼が現れた瞬間、緊張が全身を硬直させた。フェイルリングは、シヴュラとともに若くして正騎士に昇格したこともあり、騎士団における期待の星のひとりだったからでもある。オズフェルトが目指すのは、シヴュラやフェイルリングのような正騎士であり、騎士団に入ることだけが目的であった従騎士たちとは違うのだ。

『君も正騎士のひとりであることに変わりはないのだ。正騎士として、若き従騎士に教えてあげられることはいくらでもあるだろう』

『それはわかっているがな』

『ならば、教えてやれ』

『ふむ……よろしい。オズフェルト君、君にひとつ、この上なく大切なことを教えてあげよう』

『は、はい!』

 オズフェルトは、シヴュラがどのような指導をしてくれるのか、胸踊らせたものだ。当然だろう。正騎士が従騎士に直接指導することなど、稀といっていい。普通、従騎士を指導するのは准騎士の役割であり、正騎士は准騎士にたまに助言をする程度というのが慣例だった。それほどまでに騎士団における階級というのは絶対的であり、正騎士の気位が高くなるのも致し方のないことなのだ。もっとも、騎士団においても特別扱いされるウォード家の嫡男たるオズフェルトは、その限りではない。ウォード家と繋がりと持とうとする正騎士たちがオズフェルトの指導権を巡って言い争いをするくらいには、彼は人気者だった。もちろんそれはオズフェルト自身の才能や人柄によるものではないことくらい、彼も認識していたし、だからこそ、シヴュラやフェイルリングのような正騎士にこそ憧憬を抱くのだろう。

 シヴュラもフェイルリングも、オズフェルトをウォード家の嫡男としてではなく、入団したばかりの従騎士として扱ってくれている。

『騎士団でのし上がりたいと想うのであれば、わたしやフェイルになど、教えを請わぬことだ』

 シヴュラの真面目くさった表情からは冗談とも受け取れず、オズフェルトはただただ絶句した。そしてフェイルリングがめずらしく大口を開けて笑ったことで、ようやく冗談だということがわかり、ほっと胸を撫で下ろしたのだが、しかし、シヴュラはフェイルリングの大笑いに不快気な表情をしてみせたものだから、余計にわからなくなって混乱した。

 そんな遠い日の思い出を夢に見たのは、きっと、シヴュラを失ったことが現実として理解できたからなのだろう。

 いや、彼が死んだ瞬間、確信として理解したはずだ。十三騎士の絆は、漠然としたものではない。神の力によって撚り結ばれた大いなる絆は、明確にその生命の力を感じさせたし、死の瞬間、明確なものとなって伝わってくるからだ。命の消失。心の中に突如として大きな穴が空く。嫌な感覚だった。“大破壊”が起きたときのことを思い出す。突如として、心に六つの大きな穴が生まれたのだ。それが絆の消滅であるということを理解したあと、ゆっくりと喪失感が押し寄せてきた。

 絆は、神の力によって結ばれたものだが、十三騎士の同志としての数年間に渡る活動は、その絆を本物のそれへと昇華していたのは間違いないのだ。

 だからこそ、彼らを失ったことの虚無感はあまりにも大きく、“大破壊”直後から今日に至るまで、、ずっと胸に穴が空いたままだった。この穴を埋める方法はない。穴は、同志を失うたびに増えていく。シヴュラの死も、彼の心に穴を増やしただけのことだ。それはきっと、ルヴェリスも同じだろう。シドも、ベインも、ロウファも、皆、同じような痛みを抱え、喪失感を抱いているに違いない。

 そんな痛みを抱えるようにして、彼は目を開いた。漠然とした暗闇が視界を覆っている。真夜中であるらしいことは、この冷ややかなまでの静寂からも明らかだ。随分、長時間眠ってしまったようだった。騎士団本部内の一室を自身の仮眠室として扱っている。仮眠を取るつもりだったのが、仮眠どころでは済まなくなったことがわかる。が、焦りはしない。仮眠は、オズフェルトが勝手に決めたことだ。長時間寝たところで、騎士団長としての職務を放棄しているわけではない。だからといって落胆せずにはいられないが、いまのオズフェルトは、それよりも気になることがあり、素早く布団から抜け出すと、寝台に立てかけた剣の鞘を掴み取った。

 妙な胸騒ぎがした。

 夢のせいかもしれないし、寝る前にシヴュラの亡骸と対面し、目に焼き付けたせいなのかもしれない。いずれにせよ、こんな嫌な感覚に苛まれるのはいつものことではなかったし、警戒するに越したことはない。神卓騎士には神の加護があり、それによる超感覚が予兆を捉えることがあるのだ。彼は、この胸騒ぎがその予兆である可能性を危惧した。

 剣を帯び、部屋を出る。

 騎士団本部二階の通路は、等間隔で設置された魔晶灯が輝いており、足元に気をつける必要はなかった。青褪めた光が夜の闇を一掃してくれている。目が眩むほどの輝き。闇に慣れすぎた目には、多少、眩しすぎるきらいはあるが、仕方のないことだ。

 通路を進み、階段を降りる。一階。本部内は静まり返ったままだ。もちろん、夜中とは言え従騎士たちが本部内を巡回しているのだが、オズフェルトは偶然にも出くわすことがなかった。騎士団に残った騎士たちは勤勉で真面目なものばかりだ。騎士団騎士としてベノアを守り、ベノアガルド国民、いやイルス・ヴァレのひとびとのために命をかけることを誇りに想っている。だからこそ、イズフェール騎士隊やマルカール、ハルベルトの誘いを断り、騎士団に残ったのだ。誇りがなければ、騎士団騎士としてやっていけるはずもない。

“大破壊”後、騎士団は凋落の一途を辿った。誇りもなく、矜持もなく、覚悟も持っていないものが騎士団に残っていられるほど、甘く優しい世界ではなかった。ベノアのひとびとでさえ、騎士団に不安を抱き、疑心を生じさせた。“大破壊”という未曾有の大災害によって生じた諸々の感情は不和を呼び、軋轢を深めた。騎士団への非難の声が高まると、誇りのないものから騎士団を離れていった。

 精鋭のみが、騎士団に残った。

 騎士隊とともに離れたものや、マルカールに従ったもの、ベノアガルド王家再興に誘われたものたちに誇りがないとは、いわない。ただ、騎士団が掲げる救済の理念とは相容れぬものたちであることは確かであり、そういったものたちが離れていったのは、戦力としては心もとないが、決して悪いことではなかった。

 騎士団は、一枚岩になった。

 少なくともオズフェルトは、そう実感している。

 だれもが騎士団騎士としての己に誇りを持ち、日々、邁進している。

 このなにもかもが破壊されてしまった世界で、ただひとつ破壊されなかったものがあるとすれば、それは騎士の魂なのではないか。

 ふと、オズフェルトはそんなことを想った。

 そして本部内を歩きながら、先程からの不安は考え過ぎなのではないか、とも想い直した。

 このベノアになにが起こるというのか。

 ハルベルト率いるネア・ベノアガルド軍が攻め込んでくるとしても、まずはストラ要塞を抜かなければならない。ストラ要塞にはシドたちがいる。シドはシヴュラとの戦いで力を使い切ったというが、ベインがいるのだ。それにセツナ、レムという強力な助っ人もいる。ハルベルトが全軍を率い、ストラ要塞に押し寄せたとしても、必ずや撃退してくれるだろう。

 ベノアが戦場になる道理がない。

(本当にそうか?)

 オズフェルトは、胸に引っかかりを覚えて、足を止めた。なにか重要なことを見落としているのではないか。

 ネア・ベノアガルド軍がストラ要塞に攻め込んできたのは、オズフェルトの思惑通りだった。セツナ=カミヤというかつての大英雄を味方に引き入れることで、ハルベルトに衝撃を与えたのだ。ハルベルトは、セツナの実力をシドから嫌というほど聞かされていた。

 シドは、熱烈なセツナ信者だ。

 真躯オールラウンドを撃破せしめたセツナと黒き矛の力をだれよりも評価し、賞賛していた彼は、同僚たちに聞かれもしないのにセツナのことで熱弁を振るったものだ。オズフェルトも、そんなシドの犠牲者のひとりだが、団長であったフェイルリングですら、シドの熱弁には閉口せざるを得なかったことを覚えている。フェイルリングの前ではだれもが萎縮するものであり、シドもそうだったのだが、セツナのことを話すときだけは緊張さえしなかったのがシドのシドたる所以なのかもしれない。

 セツナを味方に引き入れればハルベルトを刺激することになると見たのには、そういう背景があった。ハルベルトは、シヴュラの弟子であり、兄弟子とでもいうべきシドのことを特に敬愛していた。ハルベルトはシドの言を一も二もなく信じたし、シドのセツナ評も純粋に受け入れたに違いない。彼が騎士団から離れたからといって、本質まで変わるわけもないのだ。

 おそらくハルベルトは動くだろう。

 オズフェルトの予想は、当たった。

 ハルベルトは軍勢を動かし、シヴュラをストラ要塞に差し向けた。

 そこで気になるのは、なぜ、ハルベルト自身は動かなかったのか、ということだ。もし本気で騎士団との短期決戦を望むのであれば、ハルベルト自身も出向くべきだ。ネア・ベノアガルド軍の総兵力などたかがしれている。主力も、ハルベルトとシヴュラのふたりであり、それ以外でいえば、かつて正騎士として幻装の使い手となったものたちくらいだが、その数も知れたものだ。シヴュラを失えば、ネア・ベノアガルドは途端に戦力不足に陥る。圧倒的戦力差を覆すための一手であるはずの戦いに全戦力を投入せず、後方で様子を見ているのはどういう理由なのか。

 なにかしら手を打ったからなのではないのか。

 オズフェルトは、一階の中庭に入り込み、頭上を仰いだ。満天の星空に月が浮かんでいる。月は赤く、怪しく輝いていて、まるでオズフェルトの胸中を表しているようだった。

(赤い月……不吉な――)

 オズフェルトが胸中でつぶやいたときだった。

 閃光がベノア城を包み込み、轟音が彼の頭の中に洪水のように流れ込んできた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ