第千七百四十七話 オズフェルト
大陸暦五百六年一月五日。
ストラ要塞の戦いから三日が経過したその日、ベノアガルド首都ベノアは、年明け好例のお祭り騒ぎを終え、平々凡々な日常へと回帰していた。しかし、その平穏こそが騎士団長たるオズフェルト・ザン=ウォードが待ち望んでやまなかったものであり、“大破壊”から三年目となる今年になってようやくそのような年明けを迎えることができたのは喜ぶべきことであると、実感とともに考えていた。
しかし、そう喜んでばかりいられる状況でもないことは、よく心得ている。年始恒例の行事をやり遂げることができたからといって、それで万事うまく行くという話ではない。
つい二日前、ストラ要塞からベノアに早馬が到着し、ストラ要塞がネア・ベノアガルド軍の襲撃を受け、戦闘に発展したという報告が入ったのだ。十三騎士であるオズフェルトには、なんとはなしに察していたことではあったが、実際に報告書に目を通して、彼はストラ要塞防衛戦の全容を知ることができた。
オズフェルトとルヴェリスが認識していたのは、シヴュラの死だけだ。彼の死だけは、十三騎士の絆によって知ることができたのだ。彼がどういう理由で死んだのかまではわからなかったが、騎士団との戦闘によって命を落としたに違いなかった。ほかに考えられる理由がないのだ。シヴュラは、ハルベルトの元にいた。ネア・ベノアガルドの筆頭騎士であったらしい。王となったハルベルトが彼を重用するのは必然ですらあったし、そのことは別に大した話ではない。それほどに重用されるシヴュラだ。無闇矢鱈に戦場に派遣されるということはないだろうし、たとえ戦場に赴いたとして、通常戦力を相手に彼が遅れを取るとは思えなかった。無論、何十人、何百人の武装召喚師が相手ならば話は別かも知れないが、真躯を駆る元十三騎士がその程度のことで死ぬとは到底考えられなかった。
真躯を駆り、なおかつ死ぬ可能性があるとすれば、同じ真躯の使い手と当たるか、セツナ=カミヤと戦うことになったときくらいだろう。
報告書により、オズフェルトとルヴェリスの考えが正しかったことが証明された。シヴュラは去る一月二日、だれもが寝静まった夜更けに真躯エクステンペストを顕現して襲来、シドがこれに応戦し、オールラウンドの全力を費やして撃破することに成功した、という。昨年末、ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコート率いる部隊が撃退したネア・ベノアガルドの軍勢を利用した挟撃により、ストラ要塞を壊滅させ、騎士団に大打撃を与えようとしていたようだ。しかしセツナやレム、ベインらの活躍により、ネア・ベノアガルド軍は撃退され、騎士団側の死傷者は二百名あまりに抑えられた。そのうち、死者は五十名程度だというのだから、素晴らしい成果というほかない。報告によれば、ネア・ベノアガルド軍は神人を戦場に解き放ったというのだ。十体もの神人が現れ、暴走した戦場で、死者を五十人以下に抑えることができたのであれば、上出来も上出来だ。なにもいうことはなかった。
そして今日、一月五日、シドとの戦いに敗れ、命を落としたシヴュラの遺体がベノア城騎士団本部に運び込まれた。
騎士団本部地下の遺体安置所でシヴュラの亡骸と対面したオズフェルトは、尊敬すべき先任の騎士であり、苦楽をともにした同志であった男のどこか満足そうな表情にただ沈黙した。シヴュラの死体が傷ひとつついていない理由は、シドの報告からわかっている。真躯同士の戦いで決着がついたのだ。真躯はたとえ破壊されたとして、真躯を顕現した本人の肉体が傷つくことはない。
死体が一切腐敗しておらず、保存状態が良好なのは、冬場だからということが理由ではない。魔晶石の性質を利用した保存法により、死体の腐敗する速度を極端に低下させることができるのだ。ちなみに、生物の腐食速度を低下させるという魔晶石の性質は、主に食料品や医薬品の保存に利用されており、魔晶石は照明にも食品の保存にも使えるということもあり、いまや生活の必需品であった。魔晶石がなければ人間らしい暮らしができないというほどで、一般市民にとっても無くてはならないものだった。特に“大破壊”以降の混乱期においては、魔晶石が不足しがちであり、魔晶石を巡って騒動が起きるほどだった。
そんな理由もあり、魔晶石の鉱脈があればそれだけで一財産築けるといわれており、実際その通りだった。魔晶石を国外に輸出することで国庫を潤している国も存在し、宝石の国として知られるマルディアもそういった国のひとつだ。
ネア・ベノアガルドが真っ先にマルディア領土への侵攻を企て、実際にシクラヒムを制圧したのは、マルディアの魔晶石鉱山を掌握し、資金源にするつもりなのではないか、ということがオズフェルトたちの間で推測に上がったこともあるほどだ。
ともかく、魔晶石によって保存されたシヴュラの亡骸は、顔色こそ青褪めているものの、生前とほとんど変わらぬ様子を見せていて、そのことがオズフェルトにはたまらなく哀しく、虚しい想いがした。
オズフェルトの中で、シヴュラは、美しいひとだった。
この美しいというのは、外見の話ではない。内面の話だ。とはいえ、シヴュラは若い頃から秀麗な容姿で知られていたし、一時期はベノアの女性を騒がせたという話もある。北方人特有の雪のように白い肌に黄金色の頭髪が美しく融合していた。年を取り、四十を目前に控えた彼は、容姿端麗と囁かれたころから大きく変わったものの、それでも美丈夫といっていい顔立ちをしているのは間違いなかった。
そんな彼の内面にこそ、本当の美しさはある。
オズフェルトは、シヴュラの七つ年下であり、彼が十四歳で騎士団に入り、従騎士の洗礼を受けたときには、シヴュラは既に正騎士の座にあった。正騎士は、騎士団において最高位の騎士だ。騎士団という国において騎士団長を王とし、幹部を王族と見なせば、正騎士は貴族といってもいいような立ち位置にあった。腐敗しきっていたベノアガルド内における一種の独立国家を形成していた騎士団では、その階級性は絶対的であり、入りたての従騎士にとって、正騎士とは天上人にほかならなかった。
しかし、シヴュラは、その心根がまっすぐ過ぎたのだろう。正騎士という立場にあっても、彼はフェイルリング・ザン=クリュースらとともに冷遇されることが多かった。己の騎士道に対してまっすぐに突き進むことだけに命を燃やす彼の姿は、腐敗と汚職にまみれた当時の騎士団幹部には、不愉快極まりないものだったに違いない。それはフェイルリングにもいえることであり、オズフェルトがフェイルリングに傾倒していったのも、そういう理由からだった。
己の正義に殉ずる覚悟があり、その覚悟を実践し続ける彼らの姿は、若き従騎士たちの心を動かし、後に革命の原動力となっていくのだが、無論、当時はそのようなことを考えてもいなかった。だれもかれも若く、青かった。正義を信じ、行動していけば、いつかは騎士団そのものを変えることができると信じていたのだ。そして、騎士団を変えることができれば、国だって動かせる――そんな子供みたいな夢を本気で信じていたのが、まだ二十才そこそこの若造に過ぎないフェイルリングであり、シヴュラだった。
オズフェルトにとっての騎士道の師は紛れもなくフェイルリングだが、シヴュラのことも同様に敬っていたし、度々教授を願い出、教義を受けた。オズフェルトはいわば、フェイルリングとシヴュラ、両方の血を受け継いでいるのだ。
フェイルリングはどこか超然としたところがあり、浮世離れしているといってもいいのだが、シヴュラは地に足の着いた人間であり、そのことは、終生、変わらなかった。おそらく、最後まで彼は人間だったのだろう。ひとりの人間として戦い、散っていったのだ。
「まだ、ここにいたのですか」
不意に死体安置所に響いたのは、ルヴェリスの声だった。ルヴェリス・ザン=フィンライト。彼は、革命以降騎士団に入った、いわば新参者であり、フェイルリングやシヴュラの若い頃を知らなかった。だからといってシヴュラとまったく交流がなかったわけではなく、彼はむしろ、オズフェルトなどよりもよくシヴュラやハルベルトと交流し、そのことをオズフェルトに自慢してくることがあった。羨ましくはあったが、副団長の役割を務めていた手前、どうすることもできなかった。
その彼が、死体安置所の冷ややかな空気そのままの視線をオズフェルトに注いでいた。自分なりに改造した騎士団の制服を身に纏う彼の姿は、妙齢の女性そのものだ。革命によって家を継がなければならなくなり、芸術家の道を閉ざされた彼の鬱屈した想いのはけ口がそれだったのだ。自分を着飾ること、自分を装うことでなんとかしてごまかしている。そうしなければ騎士などやっていられるものでもなかったのだろう。それが、いまではただの趣味になっているというのだから、ひとは変わるものだと思わざるをえない。
つまり彼は、騎士団の騎士としての誇りを持っているということだ。
その彼が、いう。
「シヴュラは騎士団を裏切り、ネア・ベノアガルドについた大罪人でしょう?」
「ああ」
「だったらどうして、騎士団本部にその亡骸を迎え入れたのかしら」
彼の疑問ももっともだったが、オズフェルトは、ただの嫌味にしか聞こえなかった。
「わかっていることを聞く」
「教えてくれなきゃ、わからないわ」
「……彼は、最後まで騎士だったそうだ」
「ルーファウス卿の手紙?」
「そうだ」
肯定し、手紙の文面を思い出す。
シヴュラの亡骸よりも先に届いた手紙には、シドがシヴュラ自身から聞いたことや感じたことがありのままに記されていた。そして、シヴュラの亡骸を騎士団の墓地に埋葬して欲しいという彼の願望も添えられていた。
「彼は、己の騎士道に殉じたのだ。テリウスのように。フェイルリング前団長閣下や、皆のように」
「でも、やったことは許されないわ」
ルヴェリスの突き放すような声は、さながら冷水のようにオズフェルトの胸に響く。ルヴェリスは、その柔らかで当たり障りのいい言動から勘違いされがちだが、決して軽い人間ではない。極めて慎重に状況を見定めることのできる、現実主義者だ。騎士団を抜けたのではなく、騎士団を裏切ったものたちに対し、容赦する必要はない――というのが、彼の意見だった。その点に関しては、オズフェルトも同意見だったし、騎士団幹部の中で、彼の意見に反対するものはいないだろう。
かつての騎士団と騎士隊のような関係ならばいざしらず、完全に騎士団に敵対する意思をむき出しにしたネア・ベノアガルドに所属したシヴュラを容認することなど、騎士団幹部にできるわけがなかった。ネア・ベノアガルドは、救済の障害となりうる。敵対者となったものは、死んだからといって許されるわけではない。
ルヴェリスは、そういいたいのだ。
「わかっている。それでもわたしにとっては、彼は偉大な騎士なのだよ」
「団長閣下が、自分本位で騎士団を動かして構わない、と?」
「今回だけの我儘だ。許してくれ」
「許すも許さないもないわ、団長閣下。わたしたち騎士団騎士は、閣下の命令にただ付き従うのみ。それが救済の理念に背くことであれば話は別だけれど……」
ルヴェリスは、シヴュラの死に顔を覗き込みながら、続けた。声音が熱を帯びていた。
「かつての同胞の亡骸を迎え入れることくらいで揺らぐような、そんなやわなものじゃないでしょう」
「ああ……そのとおりだな」
オズフェルトは、ルヴェリスもまた、騎士としてのシヴュラに感じ入るものがあったのだろうと想い、見識を改めた。ルヴェリスは、現実主義者だが、いや現実主義者だからこそ、無意味な友情のために交流をはかったりはしないのかもしれない。シヴュラやハルベルトをよく屋敷に誘い、新作の衣装や芸術作品を披露していたのは、きっと、彼らのことを騎士として尊敬し、信頼していたからに違いなかった。
だから、だろう。
ルヴェリスがシヴュラの死に顔を見つめる目は、慈しみに満ち溢れていた。