第千七百四十六話 変化(二)
「なんにせよ、敵が動くまで待つしかない。が、敵は、そう時をかけずに動き出すだろう」
シドがそういったのは、半壊状態のストラ要塞内を見て回っている最中のことだ。敵とは無論、ネア・ベノアガルド軍のことであり、イズフェール騎士隊(団)を始めとする別勢力ののことは考慮の外に置かれている。ベインの調べにより、イズフェール騎士隊がいまのところ静観の構えを見せているということが判明している上、近隣国がベノアガルドへの侵攻を企てている情報もない。
というより、“大破壊”によって生じた様々な事態は、外征に力を注がせている場合などではなかった。小国家群時代でさえ、外征に積極的な国などそう多くはなかったのだ。“大破壊”以降の混乱が外征への意思さらに消極的にするだろうことは想像がつく。国土拡大に夢を見るくらいならば、まずは足元の地盤を固めるべきであり、国内の混乱を収束させるべきなのだ。内乱状態のマルディアや分裂状態に陥ったというエノン、ベノアガルド自体、“大破壊”以降、国内はばらばらになっている。このベノア島と称する島内に存在する国々のうち、一切の混乱が生じていない国など存在しないのだ。故に、騎士団の当面の敵はネア・ベノアガルドに絞られる。
しかし、ベインは、そんなシドの断言が不思議に想ったようだ。
「なぜ、そういい切れる」
すると、シドが足を止め、ベインを振り返った。涼やかな目には、疲れが見え隠れしている。
「ハルベルトがシヴュラを寄越したのはなぜだと思う?」
「そりゃあ……そうか。なるほどな」
「どういうことでございます?」
ひとり納得するベインだったが、真意を問うたレムはもちろんとして、セツナも理解できていなかった。ハルベルト=ベノアガルドがなぜ、ストラ要塞にシヴュラ=スオールを攻め込ませたか。騎士団と戦うため以外になにがあるというのか。ベインが野生的な笑みを浮かべる。
「団長閣下がセツナ殿を是非とも味方に加えたいといっていた真の理由がようやくわかったぜ」
「真の理由……ですか?」
「ああ。もちろん、セツナ殿、レム殿ほどの実力者を味方に加えることにそれ以上の理由なんざいらねえが、しかし、騎士団の理念を考えれば、そうおいそれと外部に協力を求めようとはしないはずだ。オズフェルト団長閣下は、そういうところで生真面目だからな」
ベインがオズフェルトに対し、特別に敬意を込めていることが彼の表情や言動からよくわかる。シドもそうだが、騎士団幹部たちには、騎士団の頂点に立つ団長の苦労が身に沁みて理解できるのかもしれない。無論、そんなことだけではないのだろう。オズフェルトには指導者に足る器がある。そのことは、彼と話し合ったセツナもよくわかっていたし、オズフェルトならば安心して力を貸すことができると判断したのもセツナだ。
そのオズフェルトがセツナたちの存在に力以外のなにを求めたのか。そればかりは、セツナにはわからない。
「だが、セツナ殿が騎士団の味方に加わることで情勢に変化が起きうるのであれば、話は別だ」
「情勢に変化が起きる? 俺を味方に引き入れただけで、ですか?」
「現にストラ要塞が攻め込まれている」
「それは偶発的なことであって、御主人様とは無関係ではないのですか?」
「いんや、違う。そうだろ、シド」
「ああ」
ベインのにやりとした表情に、シドが小さくうなずき、こちらに視線を投げてきた。長い白髪が風に揺れ、彼の美しい容貌が幻想的に彩られる。
「ベインのいったとおりでしょう。ネア・ベノアガルド――いや、ハルベルトがシヴュラをストラ要塞に遣わしたのは、止むに止まれぬ事情があったためと推測することができます。その事情こそ、あなたがたおふたりの存在なのです」
「俺と……」
「わたくしが、でございますか」
「ハルベルトは、離反以来、シギルエルに籠もり、勢力の拡大、戦力の増強に余念がなかった。おそらく、遠大なベノア奪還計画でも練っていたはずです。少なくとも彼は短絡的な男ではない。騎士団を凌駕し、超克しうる戦力を確保し、その上でベノアを手に入れようと考えていたはず。だからまずシクラヒムを落とした。そこからマルディア全土を支配下に収めようとでも思案していたところにあなたが現れた」
「セツナ殿の出現は、奴にとっても寝耳に水だっただろうよ。なんせ、真躯オールラウンドと対等以上の戦いをやってのけた上、余裕さえ残していたのがセツナ殿だ」
「あのときは……」
「確かにわたしは全力ではありませんでしたが、そんなことは、関係がない。真躯は、神の力の顕現といってもいい。通常戦力はおろか、並大抵の召喚武装では傷つけることさえできないのが真躯なのです。それが、黒き矛とセツナ殿に敗れ去った。それはつまりどういうことか。セツナ殿と黒き矛の力は、我々を超克しうるということにほかならない」
「真躯の力を拠り所とするハルベルトにとっては、看過できるものではないのさ。あなたの存在はな」
「あなたが騎士団と協力関係を結んだという事実を、団長閣下は大いに喧伝された。それは、ベノアガルド国民への意思表明であるとともに、近隣国への牽制でもあったのです。小国家群において、黒き矛の名を知らぬものはいない。セツナ殿が騎士団に協力しているということがわかれば、だれもベノアガルドに手出ししようとはしないでしょう。ハルベルトもまた、その発表によって、遠大な計画を練り直さなければならなくなったはず。ネア・ベノアガルドではなく、騎士団の戦力が増強されてしまったのですからね。シヴュラがストラ要塞に攻め込んできたのも、それが理由であるはずです」
「なるほど……」
シドとベインの話によって、セツナは、自分の存在が昨夜の戦いを呼んだということを思い知らされた。つまり、セツナが騎士団に協力しなければ、騎士団とネア・ベノアガルド軍の戦いは、すぐには起きなかったということであり、オズフェルトは、ネア・ベノアガルドとの早期決着を望み、セツナに協力を要請したということになる。オズフェルトがそこまで読んでいたということもそうだが、彼の読み通りに事が運んでいるという事実にも驚愕せざるを得ない。それほど先まで見通せる人物でなければ騎士団長を務めることはできない、ということでもあるのだろう。
「つまり、ハルベルト様は、間を置かずに攻め込んでくる、と?」
「シヴュラの死を知った彼が動かずにいられるとは思い難い」
「短絡的ではないが、情に厚い奴でもあるからな」
ベインが、頭上を仰いだ。
「あいつは」
抜けるような青空が、セツナたちのことなど素知らぬ顔で冬の日の朝を演出していた。
シドたちと今後について話し合ったあと、セツナはレムとともに要塞内を見て回る中、フロードが従騎士たちの指導に当っている場面に遭遇した。フロードの熱心な指導に対し、従騎士たちも素直な反応を示しており、フロードが彼ら従騎士たちに慕われていることが伝わってくるようだった。フロードほど気さくで人懐っこくそれでいて騎士としての矜持を忘れない人物ならば、下の騎士に敬慕されていてもなんら不思議ではない。彼の部下が彼のために走り回るのも当然と思えたし、だからこそ彼もまた、正騎士としての振る舞いに拘るのかもしれない。従騎士たちに指導している手前、騎士に相応しくない姿を見せることなどできまい。
「では、解散!」
『フロード様、ありがとうございました!』
指導が終わると、従騎士たちが一斉にフロードに向かって深々とお辞儀をした。その様子を遠目に眺めているだけで、騎士団内部の人間関係というか、雰囲気の良さが伝わってくるようで、セツナはレムを横目に見た。レムもまた、微笑ましい光景でも見ているように笑っている。
フロードは、従騎士たちがひとりまたひとりと離れていくのを見守ってから、うんうんとうなずき、やがてこちらに気づいたような顔をした。
「ややっ、これはセツナ殿にレム殿ではありませんか」
「いや、さっきから気づいてたでしょ」
「はは、さすがはセツナ殿。わたしの視線にお気づきでしたか」
「笑ってたじゃないですか」
セツナは、フロードがセツナたちを見つけた瞬間、笑顔になったのを見逃さなかったのだ。人好きのする笑顔で、セツナは引き込まれるようだったが、指導を受けていた従騎士たちは困惑したに違いない。正騎士による厳しい指導の最中、突如として笑みが零れたのだ。何事かと想っただろうが、そのことを質問できる空気でもない。騎士たち指導が終わり、セツナの存在に気づいて、ようやく納得したというような顔をしたものだった。
フロードがにこにこと笑いながら、歩み寄ってくる。
「いやあ、これは失礼。しかし、おかしくて笑ったわけではないのですぞ。おふたりが元気そうなのがただただ嬉しくてですな」
「ええ、わかっていますよ」
「フロード様こそお元気そうで、なによりでございます」
「元気だけが取り柄ですからな」
フロードが力こぶを作りながら、いう。
「とてもそうは見えませんが」
「いやいや、実際、元気だけで今日まで乗り切ってきたようなもので」
「そうなのでございます?」
「冗談だよ」
「冗談ではございませぬぞ。不肖フロード・ザン=エステバン、冗談と嘘をつくのがなにより苦手でございましてな」
「それが冗談で嘘じゃないですか」
「ですから、苦手なのですな」
フロードがにやりとした。
セツナは、レムと顔を見合わせ、同時に吹き出した。確かに一瞬で看破される冗談や嘘を得意というのは間違っているし、苦手というのも正しい。正しいのだが、フロードの言いようがあまりにもおかしくて、笑わざるを得なかった。
それからしばらく冗談を交えた話を続け、別れた。フロードは、正騎士として休む間もないのだ。引き止めるのは良くないことだ。
フロードとの出会いは、幸運だったと改めて思う。
現在、騎士団に残っている騎士というのは、騎士団の理念に魂を捧げたひとたちばかりだ。それこそ、騎士団の理念のために死ぬことを厭わず、救世のために身命を賭すことに一切の疑念を抱かない、気高い志と崇高な使命に全霊を注いでいる。善人ばかりといっても、過言ではあるまい。しかし、だれもがフロードのように人当たりがいいかというとそうではない。気難しい顔をした騎士もいれば、部外者であるセツナとレムの存在を受け入れがたいと考えるものもいるだろう。フロードのように一度セツナの戦いぶりを見ただけで評価を覆し、一瞬にして態度を改める人間など、そういるものではない。騎士団の所属非所属に関わらずだ。
そういう意味でも、セツナは、フロードとの出会いを大切にしたいと考えていた。
孤独な二年を過ごして、ひとが恋しくなった。
たぶん、きっと、そういうことなのだろう。
セツナは、自分の中に起きている変化を冷静に分析しながら、そんな自分も嫌いではないと想った。