第千七百四十二話 騎士団(三)
「さて、先程の戦闘結果だが」
シドが話を切り出したのは、セツナとレムの口論が終わってからのことだった。
結局、ネア・ベノアガルドの問題が片付き、ベノアガルドが落ち着きを取り戻したら、サンストレアにレムを連れて行くということで落ち着いた。レムに変な疑惑を持たれたままリョハンに向かい、ファリアたちに逢わせるのはまずい気がしたのだ。レムのことだ。ファリアたちに変なことを吹き込み、煽りかねない。レムだけならばまだしも、ファリアやミリュウにまで色々といわれては、やっていけなくなるだろう。その問題を解決するには、彼女にシルヴィールと逢ってもらう以外にはない。シルヴィールはセツナに好感を抱いてくれているようだが、特別な間柄ではない。ましてや、愛人などというようなものでは決してないのだ。逢えば、その瞬間に理解してくれよう。
「我が方からは二百名を越える多数の負傷者が出たが、死者が五十人以下に抑えられただけでも素晴らしい成果といっていい。そちらには神人が出たのだろう?」
「ああ。十体もな」
ベインがうなずき、苦い顔をした。
戦闘中、突如として神人化したネア・ベノアガルド軍の兵士は、十名。唐突な神人化は、マルカールが白化症患者を神人化させた例から考えると、マルカールと同じような能力を持ったものがネア・ベノアガルド軍にいる可能性を示唆していた。白化症患者を戦闘要員として投入し、戦場で神人化する可能性に賭けるなどという確実性の低い作戦をハルベルトやシヴュラが取るとは思えない、というシドたちの考えは、間違いあるまい。やはりここは、マルカールと同様の力の使い手が存在し、ネア・ベノアガルドに属していると見るべきだ。そしてその人物もおそらくはマルカールと同じく神人であり、神人化を制御することができた元人間なのだろう。
白化症、あるいは神人症というべきか。
“大破壊”後の世界に蔓延する呪いとでもいうべき症状がこれほどまでに猛威を振るっているとは、サンストレアの惨状やマリアから話を聞いたセツナも予想だにしていなかったことだ。白化症患者が多数いるということは理解していたが、マルカールのような力の使い手がほかにもいるとは、考えたくもなかった。マルカールは、白化症患者の症状を意図的に悪化させ、神人化させていたのだ。神人化とは、人間ではなくなるということであり、それを意図的に起こすということは悪魔の所業というほかない。
「十体の神人を相手にして、死者が五十人未満に抑えられたんだ。喜ぶべきだろう?」
「死者が出ないに越したことはないが……神人との戦いとあらば、ある程度の犠牲は仕方がないさ」
「そういうこった。セツナ殿、気にしなさんな」
ベインがセツナの肩を叩いてくる。その気安さは、ベインが多少なりとも心を開いてくれているということなのだろう。セツナは特別扱いをされることこそ気持ちが悪いため、ベインのような気安さこそ心地よいと想った。
「ラナコート卿……」
「ん? セツナ殿、気に病んでおられたのか?」
「そうなんだよ。セツナ殿、五十人近くも死者が出たことを嘆いておられるのさ」
「騎士団騎士は、その身命をこの世に捧げたのです。勝利と平和のために犠牲になることを厭わず、救いがためならば魂を焼き尽くされようとも構わない。それが我ら騎士団の理念であり、魂。無論、犠牲を一切出さずに役割を果たしたいというのは、だれしも考えることです。ですが、犠牲を恐れるあまり勝機を逸しては意味がない。これまで積み重ねてきた犠牲も無意味になる。我々は、この世界のために既に大量の命を、魂を捧げてきたのですから」
「それは、わかりますが……」
そこに異論を挟む余地はない。そんなことは、わかりきっている。ベノアガルドの騎士団が掲げる理念、大義は、とてつもなく気高く、尊いものであることは理解しているし、だからこそセツナはベノアに残り、騎士団に協力することに決めた。尊敬に値する組織だと認識しているからだ。力になってやりたかった。そして、だからこそ、先程の戦いで騎士団側に犠牲者が出てしまったことが悔しくてならないのだ。もっと早く戦場に合流できていて、敵軍に対して情け容赦なく振る舞うことができていれば、死者を出さずに戦いを終わらせることができたのではないか。
そんな、空想をする。
「まあ、セツナ殿は騎士団の騎士ではありませんからな、無理に騎士団の理屈に従う必要はありますまい。セツナ殿はセツナ殿らしく振る舞ってくだされば、それが我ら騎士団の利になる」
「ベインのいうとおりです。セツナ殿」
「はい」
静かにうなずくと、シドもベインもそれ以上は突っ込んでこなかった。レムを見ると、彼女がセツナのことを妙に心配そうな表情で見ていることに気づく。セツナの反応が気にかかったのかもしれない。
「それで、そっちはどうだった?」
ベインがシドに話を振ると、シドは憮然とした。
「聞かずとも、わかっていることだろう」
「まあ、な」
ベインが渋い顔でうなずく。ふたりにしかわからないなにかがあるのだろう。例えば、十三騎士特有の繋がりのことかもしれない。セツナの推測は、シドの発言によって肯定される。
「シヴュラ=スオールはわたしが斃した。無論、彼は生きてはいない」
「……ああ」
「真躯による決戦に応じたのだ。勝敗の結末は、魂の消滅しかない」
「わかっているし、とっくに覚悟していたことさ」
ベインが、シドを見る。剛毅な顔の中に生じたどこか心配するような表情はあまりにも些細で、じっと見ていなければ気づかないほど微妙なものだった。
「けど、あんたはどうだ?」
「わたしか?」
シドが意外そうな顔をしたのは、ベインに心配されるとは想っても見なかったからだろうか。
「だいじょうぶだ。なんの心配もいらん」
「そうかい」
「わたしは、騎士団副長だぞ。この程度のことで揺れるような心構えでは、騎士団を、ベノアガルドと導くことなどできん。卿がいったとおり、とっくに覚悟していたことだ。ハルベルトに与した可能性がある以上、こうなることは」
シドやベインの発言から、シドとシヴュラの間になにがしかの関係があるらしいことが伺える。そこを深く聞き出そうという気にならないのは、シドもまた、深く傷ついているように思えるからだ。傷つきながらも、その傷を決して見せないように振る舞っている。そんな印象を抱いてしまう。
「せめて、わたしの手で討つことができただけでも良かった」
「……シド」
「シヴュラは、騎士団を裏切り、ハルベルトに与した。救世の騎士でありながら、理念を忘れ、大義を捨てたのだ。悪の道に堕ちた騎士を討つのもまた、我らが騎士の使命。その覚悟は、ミヴューラの洗礼を受けたときにしたはずだ。この世のために命を捧げるのが我々なのだ」
騎士団の理念。
騎士団騎士は、常にそれを胸に抱いている。救済のため、救世のためにすべてを投げ打つ覚悟。それこそ、騎士団の理念であり、騎士団騎士が掲げる大義なのだ。そしてその大義のためならばいかな犠牲も厭わないということであり、それがまさに牙を剥いたのが先程の戦いなのだろう。かつての十三騎士であろうとも、敵になったのであれば容赦なく戦うだけの覚悟が騎士団騎士には求められている。
「いくら尊敬すべき師であろうとも、敵として立ちはだかったのならば討つ。それだけのことだ」
「……ああ、そうだな」
ふたりの会話から、シドにとってシヴュラが特別大切な人物だったことが、なんとはなしにわかる。尊敬すべき師、と彼はいった。シドがそこまでいうのだ。騎士としての様々なことを学んだ相手なのだろう。そんな相手を殺さなければならなくなったとき、どれほどの痛みや哀しみが彼を襲ったのか、想像するに余りある。そして、実際に手にかけたとき、彼はどれほどの喪失感に苛まれたのか。
そこまでしなければ、理想や理念を実現することはできない。妥協は、理想を腐らせ、理念を濁らせていく。
それは、わかるのだ。
だが、だからといって、だれもが簡単に実現できるかというと、そんなことあろうはずもない。大抵、踏みとどまったり、考え直したり、妥協したりするものだ。人間とは、感情の生き物なのだ。理性ではわかっていても、感情を優先させることのほうが多い。
セツナも、そうだ。
「シヴュラは……彼はなにかいっていたかい?」
「ハルベルトを頼む、と」
シドが告げると、ベインが目を細めた。
「救ってやってくれ、とな。シヴュラらしい頼みだと思わないか?」
「最後の最期まで他人のためか。確かに、あのひとらしい」
「わたしも、彼のようになりたいものだ」
「なれるさ。いや、とっくになっている」
「そうかな」
シドが自信なく微笑むと、ベインが力強くうなずいてみせた。
「ああ。シド、あんたはいつだって自分のためじゃなく、だれかのために戦っているだろう」
「最初は私情だったよ」
「若かったのさ。俺も、あんたもな」
「……ああ」
セツナとレムは、ふたりの話についていけず、ただ聞いているよりほかなかった。騎士団の話となると、蚊帳の外になるのは仕方がなかったし、ふたりの間の空気を壊したくもなかった。黙って、ふたりの言葉に込められた気持ちを想像するしかない。
ただ、ふたりの関係性は、羨ましく想えた。
セツナには、シドにおけるベインのような存在はいない。
多くのことを分かち合い、完璧に近くわかり合っていて、対等である――そんな理想的な関係。
レムを見る。
彼女は、セツナの視線の意図がわからず、きょとんとしていた。彼女は、違う。優秀な下僕であることは疑いようもなく、時には忌憚のない意見を聞かせてくれたりもする。だが、決して対等な関係ではない。彼女にとってセツナは支配者であり、主君であり、上の存在なのだ。その事実は、覆しようがない。無論、それが悪いというのではない。むしろ、レムはそれでいいし、それ以上を求めようとも想わない。彼女には彼女の有り様があり、それでいいのだ。
ただ、少しばかり、シドとベインの関係性が羨ましく想えただけのことだ。
それ以上でも、それ以下でもない。