第千七百四十一話 騎士団(二)
セツナたちがストラ要塞に戻ると、シドがいた。
シヴュラとの熾烈な戦いを終え、疲れ切っているはずの騎士団副長は、疲労している様子を一切見せず、要塞に運び込まれた負傷者たちに声をかけたり、騎士たちに指示を飛ばしていた。その様子を見るなり、ベインはほっとしたように気の抜けた表情を見せた。ベインにとってシドは特別な存在なのだろうということは、薄っすらと気づいていたことではあるが、いままさに理解する。
シドに外傷は見当たらない。真躯を顕現してシヴュラに立ち向かったのだ。真躯がどれだけ負傷しようと、損傷しようともシド本人の肉体が傷つくことはない。そのことは、何年も前に実証済みだった。だから、無傷であることには驚きはしない。ただ、彼が声を励まして負傷者ひとりひとりに声掛けしている様子には衝撃を受けた。副団長という立場にあろうものが、まさか末端の騎士に至るまで面倒を見ようとするとは、想像もしていなかった。
「副団長様は、元気でいらっしゃいますな」
「ああ? 空元気だよ」
シドは、ベインの冗談に軽口を返すと、セツナたちを迎え入れ、要塞の中へと案内した。
「皆、御苦労だった」
要塞内の一室に入るなり、開口一番、シドがいった。
広い室内にいるのはシドのほか、ベイン、セツナ、レムの三人だけだ。フロードは、正騎士としての職務を果たすべく、要塞内を駆け回っている。正騎士は存外忙しいのだ。それなのにセツナとレムの世話係もしてくれているのだから頭が下がる思いがしたが、フロードは、そんなセツナとレムの反応を笑い飛ばすだけだった。フロードにしてみれば、正騎士たるもの常に忙しいくらいでちょうどいいのだ、という。正騎士だからといって椅子の上でふんぞり返っていては、立ちどころに我を見失い、後輩に追い抜かれるだろう。そういう正騎士をよく見てきた、と彼はいう。なればこそ、自分はそうならないために、常に仕事を探し、走り回っているのだそうだ。
そんなフロードだからこそ、ロウファのみならず、ベインやシド、ルヴェリスにさえも重宝がられ、愛されているのかもしれない。
『騎士の見本みたいなひとなのよ、彼』
とは、ルヴェリスのフロード評だ。聞いた当初はそんなものかと想ったものだが、いまならはっきりとそれが適切な評価であることがわかる。フロード・ザン=エステバンのような騎士ばかりならば、騎士団は信頼のおける組織たりうる。
四人は、小さな卓を囲んで椅子に腰掛けている。セツナはシドの対面の席に腰掛け、すぐ右隣の椅子にレムが座っている。ベインは、シドの隣ではなく、卓の左側面に置かれた椅子に腰を下ろしている。
「皆が気張ってくれたおかげでストラ要塞が敵の手に落ちずに済んだのだ。特にセツナ殿、レム殿には感謝している。お二方がいなければ、もっと多くの騎士が命を落としていたことだろう」
「ラナコート卿にもいいましたが、協力者として当然のことをしたまでです」
「セツナ殿ならば、そういうだろうと想っていましたよ」
シドが、にこりと微笑む。その微笑に何とも言えない安心感を覚えるのは、セツナが彼に心を許しているからというのもあるのだろうが、彼自身の包容力が大きいに違いない。シドは、まだ二十代だったはずだが、それにしては貫禄があり、懐の深さを感じずにはいられなかった。器が大きいのだろう。そして、彼がセツナのことを心の底から認めてくれているという事実がある。それは、セツナにとって大いなる救いとなる。少なくとも、居場所のひとつになりえた。
ガンディアという居場所を失ったいま、セツナには心安らげる場所など存在し得ない。しかし、シドが見てくれているというだけで不思議なほどの安心感があった。
「しかし、感謝は素直に受け取るべきだ。そう想いませんか」
「は、はい」
シドの意見を素直に受け止めるのも、彼の善意が眩しいくらいに輝いているからだ。隣に腰掛けたレムが深々と頭を下げる。
「御主人様はひねくれものでございますゆえ、御無礼のほど、何卒ご容赦くださいまし」
「こ、こら、レム」
「本当のことでございます」
こちらを見上げるレムには取り付く島もない。これでは、レムとシド、どちらが優しいかと考えた場合、シドに軍配が上がってしまいそうだ。
「はは、またとんでもない下僕もいたもんですな」
「まったくだ。だが、悪くない」
「たしかにな」
なにやら楽しげな騎士たちの会話を横目に見える。
「そう……ですか?」
「御主人様は不満なのでございます?」
「は……」
「もっとべったべたで甘々なのを御所望でしたら、そう仰ってくださればいいのでございます。わたくしも、御主人様の色に染まる覚悟はあるのでございますよ?」
「い、いや、そういうんじゃないが……」
セツナは、鼻息がかかるほどの距離まで顔を近づけてきたレムに狼狽えざるを得なかった。彼女の上目遣いはあまりに蠱惑的で、魅力的だ。死神というよりは小悪魔といったほうが正しいのではないか、という気さえする。が、それは最初からわかっていたことだ。彼女が魅力的な女性だということは、初めて逢ったときから理解していたことだ。いまさら戸惑うことではないのだが、二年ぶりに再会を果たしてからというもの、レムの熱量が凄まじく、認識を改めざるをえないのだ。
そんな風にセツナがレムにたじたじになっていると、ベインがからかい半分に笑いかけてきた。
「万魔不当のセツナ殿の数少ない弱点が女というのは、本当のことのようですな」
「そ、そんなことは――」
「そういえば、サンストレアのシルヴィール=レンコードからセツナ殿宛ての手紙を預かっているのですが」
「シルヴィールから?」
「なんでも、セツナ様に直接手渡して欲しいとのことでしてね」
などと、シドが突如としていいだしてきたのには、悪意を感じずにはいられなかった。
「シルヴィール……どちら様でございます?」
当然、レムが反応する。レムには、彼女との再会までにサンストレアで事件に巻き込まれたことこそ話したものの、シルヴィールの話に関しては不要だろうと割愛していた。しばらくはサンストレアに立ち寄るつもりもないのだ。レムが知っておく必要はない――その判断がどうやら間違いだったことを思い知る。
「元イズフェール騎士隊に所属していた騎士のひとりだ。美人だったな」
「美人……女の方でございますか?」
「ああ」
ぐいぐいと問い詰めんとするレムに対し、ベインがにやりした笑みを浮かべたまま、肯定した。一瞬にしてレムの表情が強張る。ベインは、そんなレムの反応とセツナの対応を楽しんでいるのではないか。騎士の風上にも置けない、などと想っている場合でもない。
「ラナコート卿!」
「セツナ殿、なにを焦る必要があるのかね?」
ベインが悠然といってくる。なぶるような調子だったが、悪意があるわけではない。ただの冗談だ。空気をなごませるための。
「そうです、御主人様!」
レムが、再びセツナに詰め寄ってきた。彼女の細い両手がセツナの肩を掴み、ぐいと向き直らされる。正面から向かい合う形となった。レムのあまりの剣幕に、セツナは狼狽するしかない。
「な、なんだよ……!」
「そのシルヴィール様とは、いったいどのようなご関係なのでございますか!?」
「な、なにもねえよ」
セツナが正直なところをいうも、レムはそれが信じられなかったようだ。
「御主人様、わたくしの目を見て、本当のことを仰ってくださいまし!」
「だから、本当になにもないんだって!」
「ならばなぜ、取り乱すのでございますか!」
「おまえこそなんでそんなに怒ってるんだよ!」
「それはそうでございましょう。わたくしが眠っている間になにをしているかと想えば、ほかに愛人を作っていただなんて!」
「愛人!?」
セツナは我ながら素っ頓狂な声を出したと想ったが、そんな反応にならざるをえないほど、レムの勢いが凄まじい。
「そうでございましょう!? 御主人様は、そこかしこに愛人を作ると評判にございます!」
「どこの評判だよ!」
「皆様がそう仰っておられましたし、わたくしも同感にございます!」
「レムてめえ、本気でいってんのかよ!」
セツナは声を荒げながら、こういうやり取りさえも懐かしいという気分になっている自分に気づいていた。レムとの再会まで二年以上の月日が流れている。その間、セツナは地獄と呼ばれる世界に隔絶されていた。まさに地獄のような修練の日々だった。傷だらけになりながら、戦い続けた。人心地などあるはずもない。安らぎもなければ、擦り切れていくばかりの日々だった。だが、それでよかった。セツナには、それが必要だった。現実から逃げた自分には相応しい世界だ――そう思い込まなければやっていけなかった。
しかし、実際は、どうか。
本当は、だれかにいてほしかったのではないか。
レムや仲間とのやり取りがなければ、だれかがいてくれなければ、自分を認識することも難しい。
ひとは、ひとりでは生きてはいけない。
セツナは、たったひとり地獄をさまよう中で、それこそ真理であると強く感じていた。だからこそ、レムのことがなおさら愛おしいし、ファリアたちにも早く逢いたいと想うのだ。
「まったく……面白い方々だが、話をそろそろ戻したいな」
「焚き付けたのはあんただろ、シド」
「……むう」
ベインとシドのやり取りさえも、涙が出そうになるくらい、嬉しくなる。
「でしたら、シルヴィール様に逢わせてくださいまし」
「逢ってどうするんだよ!」
それでもレムの追求にはそう叫ぶしかないのが人間の厄介なところだ。
「不肖レム、御主人様の第一の下僕として、シルヴィール様が御主人様に相応しいお方かどうか、判断させていただきます!」
「だあああ! もう、うるせえっ!」
セツナの悲鳴にも似た絶叫がストラ要塞に響き渡り、大騒ぎになったのは、また別の話。