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第千七百三十九話 騎士の遺言


「ハルベルトのこと、ですね」

 シドは、シヴュラの手をぎゅっと握ったまま、彼の声に耳を傾けていた。 

「……わたしは、革命後、騎士団に入ってきた彼の教育を任された。わたしが卿や多くの騎士を育成したことが評価されたのだろう。困った話だったが、請け負った。団長命令だ。断れるわけもない。それに、王子のことは気にかかっていた」

 シヴュラの目が、いつになく澄んでいた。

「彼は革命の日、卿と同じ目に遭っていたからな」

 もう十年ほど前のことだろうか。

 ベノアガルドの腐敗を一掃するべく、フェイルリング・ザン=クリュースが主導となって起こした革命は、王都ベノアとベノア城を血の赤で染め上げた。前体制を否定し、新体制を敷こうというのだ。前体制側が黙って応じるわけもなければ、数の力を頼みに革命派を迎撃しようとするのは必然だった。自然、戦いが起きる。騎士と騎士がぶつかり合うのだ。血が流れないわけがなかった。

 王都を赤く染め上げた大量の血は、革命派にいわせてみれば必要な代価であり、国民主導の国作りのための尊い犠牲という話だが、当事者からすれば堪ったものではない。

 シドも、当事者のひとりだった。

 騎士団幹部であり、権力者だったシドの父ジグ・ザン=ルーファウスと実兄のシンが、革命派の手にかかり、死亡しているのだ。シドも殺されたとしても文句はいえなかった。シドもまた、革命派に対峙し、襲いかかったのだ。殺されなかったのは、フェイルリングの気まぐれに過ぎなかったのだろう。 

 シドは目の前で父と兄を殺された光景をいまも覚えている。父も兄も、あっさりと死んだ。優れた剣士であるはずの父も兄も、為す術もなく殺されたのだ。フェイルリング一派の騎士が規格外の実力者揃いだったというだけのことだが、網膜に焼き付いたその刹那の光景は、終生、忘れることはないだろう。そして、そのことが、シドを突き動かした。

 フェイルリング一派への復讐心が、革命後のシドの心の支えとなったのだ。

 フェイルリングを始め、革命に賛同し、活躍したものたちを手当たり次第殺そうとした。そのために同志を集め、計画も練った。同志とはベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートであり、ロウファ・ザン=セイヴァスのふたりだ。

 たった三人による暗殺計画。

 決行したが、失敗に終わった。

「卿は、行動に移し、失敗することで己の愚かさを理解し、己の心の弱さと向き合うことができた。だからこそ、卿の騎士道は、まばゆく、美しい」

「スオール卿の教えがあったればこそです」

「……世辞でも嬉しいものだな」

「世辞など」

「いや……彼の例を見れば、わかる。自分がいかに無力で、無能であったかはな」

「ハルベルトの教育に失敗したと?」

「少し……違うな」

 シヴュラが頭を振った。ようやく体を動かせたのがその程度のようだった。だが、彼はよく話した。残る力を振り絞り、シドに伝えようというのだろう。

「わたしは、彼の良き理解者たろうとした。彼は、卿のように目の前で家族を失った。王家に連なるものでただひとり生き残ったのが彼だ。彼だけは、生き残ることを許された。それは彼が元より腐敗を憎んでいたことをフェイルが知っていたからだ。フェイルは彼を生かすことで、ベノアガルドの混乱を最小限に抑えようとしたのだろう。最後の王族だ。利用価値はいくらでもある」

 王族を一人残らず殺さんとした革命派がハルベルトを生かした理由については、シドの推測通りのようだった。革命派は、ベノアガルドを腐敗から浄化するため、腐敗の温床を産んだ原因であるベノアガルド王家をこの世から消し去るべきだと考えていた。フェイルリングがその先頭に立ち、ベノアガルド王家に連なるすべてのものを殺した。老若男女関係なく、生まれたばかりの赤子に至るまで、手にかけた。それなのにハルベルトひとり生き残ったのは、不思議というほかなかった。ベノアガルド王家を滅ぼすのであれば、王位継承権を持つハルベルトも殺すべきではないのか。

 生き残ったハルベルトがすぐさま騎士団の革命の正当性を表明し、騎士団への入団を発表したことで、シドは合点がいく想いがした。ベノアガルド王国最後の王子ハルベルトの意思表明によって、革命派の正義は保証され、国民たちも革命の成功を表立って喜ぶことができるようになった。

「彼も自分の利用価値を知っていた。騎士団に入るといいだしたのも、自分を騎士団に大いに利用させるためでもあったようだ。彼は、騎士団による革命が成功し、ベノアガルドが腐敗から立ち直ることを心の底から望んでいたからな」

「ええ。ハルベルトは、いい男です」

「ああ。彼はいい男だ。いい男だったのだ」

 遠くを見る目。まるでいまのハルベルトはそうではないとでもいいたげな表現。いまのハルベルトがどのようになっているのかは、シドは知らない。シドがハルベルトを最後に見たのは、一年半以上も前のことだ。騎士団から離反する直前の彼は、“大破壊”後のベノアガルドの惨状に嘆き、苦しんでいた。もっとも、苦しんでいたのはなにもハルベルトだけではない。シドも、ベイン、ロウファ、ルヴェリス、シヴュラだって、“大破壊”からベノアを守れなかったという事実や、フェイルリングらを失ったという現実には、心を痛めざるを得ない。

「わたしの厳しい教えにも泣き言ひとついわずついてきた。いつだって、わたしの後ろにいて、わたしのいうことを聞いてくれていた。たとえ理不尽なものであっても、だ。それが真の騎士への道ならば、と、嫌な顔ひとつしなかった。わたしは彼を教育しながら、自分の教育をしていたのだと想う。彼は、鏡のような男だった」

 ハルベルト・ザン=ベノアガルドと名乗っていたころの彼は、まさに人気者だった。元々、王子時代から王家の中ではまともであるという評判があった人物だ。人懐っこく、だれに対しても明るく平等に接することから、騎士団内外での人気は騎士の中でも最高峰といってよかった。鏡のよう、というのは言い得て妙であろう。彼と接していると、自分の中の醜さが洗われていくような、そんな感覚さえ抱いたものだ。シドも、ハルベルトのことは嫌いではなかった。ベインもロウファも、彼とは上手くやっていたのだ。ハルベルトは、気難しい人間の多い騎士団幹部全員と仲がよく、さながら潤滑剤のような存在として機能していた。

 そんな人物だ。

 だれひとりとして、ハルベルトがこの期に及んで騎士団を裏切り、ベノアガルド王家の復興に力を注ぐなど想像するわけもなかった。

「だが……いや、だからこそか。わたしは彼の本心に気づくことができなかった。彼という鏡に映るのはわたし自身の姿でしかなかったのだ」

「ハルベルトの本心……」

「彼もまた、親類縁者の死を喜んでなどいなかった」

 シヴュラのその一言に、シドは顔を上げた。シヴュラが夜空を見ている。

「当然のことだ。彼がどれだけ政治腐敗を嘆き、ベノアガルドの改革、変革を望んでいたとはいえ、親兄弟の死を望んだことなどあろうはずもない。親類縁者を腐敗から掬い上げ、新たな道をともに歩もうと考えていたのが彼なのだ。流血の革命など、望んでなどいなかった」

 ハルベルトは、気のいい男だ。王子時代から父母は無論のこと、姉や妹、親類縁者を大切にしていることで知られた。腐敗の象徴たる王家の中で彼だけが人気を維持していたのは、そういう家族思いのところがほかの王族には見受けられなかったからかもしれない。王族は、ベノアガルドという腐りきった土台の上でふんぞり返っているようなものばかりだった。

「彼は苦しんだだろう。辛かっただろう。それでも、革命によってベノアガルドが立ち直り、国民が王家による絶望的な支配から開放されることを喜ばなければならなかった。それが彼の望みであったからだ。革命を起こし、親兄弟を殺戮した騎士団を認める以外、自分を保つ方法はなかったのだろう」

 ハルベルトの内心を想像すると、苦痛だったのだろうと想うほかない。

「騎士団に入り、騎士道を学び、騎士としての己を肯定することで、流血の革命から、親兄弟の死から目を背けようとしたのかもしれない。本当のところはなにひとつわからないが……ただひとついえることは、わたしでは、彼を救うことができなかったということだ」

「スオール卿……」

「彼は、いまも過去に囚われている。己が見限ったはずの過去の幻影に縛られているのだ。彼にはもう、わたしの言葉は届かなかった。わたしは何度もいったのだがな……聞く耳を持たなかった」

「ではなぜ、ハルベルトについたのです」

「彼を誤った道に進ませたのは、わたしだ」

 シヴュラがシドを見つめてきた。澄み切った目には、深い後悔と苦しみがないまぜになっていた。

「わたしの教えが、彼を突き進ませた」

 シヴュラ・ザン=スオールの騎士道のことをいっているのだ。シドを始めとする多くの騎士が学んだシヴュラの思考法、理念、覚悟、挟持。騎士としてどうあるべきか。騎士としての潔い生き様とはどのようなものであるのか。清々しく生きよ。死ぬまで諦めてはならぬ。心根の美しいひとでありなさい。そして、一度決めたことは最後までやり通すべきである、と――。

 シドは、シヴュラから学んだ様々なことを思い出しながら、視界が揺れているのに気づいた。妙に目頭が熱い。いまさらのように涙がこぼれ始めているのは、シヴュラの声が弱くなっていることに気づいたからなのか、どうか。

「わたしの過ちなのだ。だからこそ、わたしが引き受けねばならない。わたしが、責任を果たさなければ……」

「それが、ハルベルトに付き従うことなのですか」

「……違うな」

 シヴュラは、声を励まして、否定した。そして、思わぬことをいってくる。

「わたしの死が、心優しい彼の目覚めに繋がってくれると、信じている」

「シヴュラさん!」

「シド君。わたしは君のような生徒を持てて、幸せだったよ。どうか、ハルベルトを救ってやって欲しい。なに、君にならできる」

 シヴュラが、笑った。最後の力を振り絞った笑顔は、あまりにも力なく、儚いものに見えた。

「こうして、わたしを救ってくれたのだから――」

 シヴュラの手から完全に力が抜けきると、重量が増した。シドは、彼の手をぎゅっと握りしめたまま、シヴュラの目から意志が失われ、虚ろになっていくのを見届けた。そうするほかなかった。シヴュラの命が燃え尽きるのは、自明の理だった。ここからどれだけのことをしても、彼を生き延びさせることはできない。肉体は無事だ。しかし、命が尽きようとしていた。

 真躯を用いた戦いの結末は、こうならざるをえないのだ。

 真躯は、魂を武装化したようなものだ。救力を纏うということはそういうことなのだ。救力のぶつけ合いは、魂の削り合いであり、魂が削りきられれば、たとえ肉体が健康そのものであっても、死ぬ。魂が消滅し、生命活動が停止するのだ。

 シドは、シヴュラの開いたままの瞼を指で閉じると、静かに瞑目した。

 シヴュラがシドたちの手にかかって死ぬことを考慮に入れていたことは、わかっていた。シヴュラが最初から本気でストラ要塞を落とすつもりであれば、真躯で攻め込んでくればいい。そうすれば、たとえシドたちを殺すことはできずとも、要塞を破壊し尽くすことはできる。だが、彼はそうしなかった。少し離れたところから嵐を起こすことで、自分たちの攻撃をシドたちに知らせ、迎え撃たせようとした。それは即ち、自分が負けることを予め考えていたという以外にはない。

 とはいえ、シヴュラがシドとの戦闘で手を抜いていたわけではないのは、シドの魂が瀕死に近い状態にまで追い込まれていることからもわかるだろう。シヴュラは、自分が死ぬことを考慮に入れながらも、シドたちの実力が自分を越えることがないのであれば滅ぼしても構わないと想っていたのだろう。シヴュラを斃す実力も覚悟もなければ、ハルベルトは倒せない。シヴュラがそこまで考えていたとしても、なんら不思議ではない。 

(シヴュラさん……)

 もはや魂の欠片さえ残っていないものの冥福を祈ることに意味は無いのかもしれない。しかし、シドはシヴュラの冥福を祈らざるを得なかった。シヴュラは、シドにとって人生の師といっても過言ではない。

 彼から教わったものが、いまのシドを奮い立たせているといっていいのだ。

 限りない喪失感の中で、彼は、シヴュラのことを想い、ハルベルトを想った。

 ハルベルトもまた、救わなければならない。


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