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第千七百三十八話 風来雷臨(五)

 先に動いたのは、シヴュラだった。

 そして、そのことが勝負の明暗を分けた。

 真躯エクステンペストの翡翠色が輝きを増すとともにシドの視界がひしゃげ、つぎの瞬間、凄まじいまでの暴圧がオールラウンドを襲った。それは、ただの衝撃波だった。エクステンペストが最大最強の攻撃を行うための予備動作によって生じた、ただの余波のようなものに過ぎない。そうであるにもかかわらず、オールラウンドの装甲が悲鳴を上げながら大きく歪んだのは、それだけ高濃度の救力の波動だったからにほかならない。

 そして、その直後にエクステンペスト最大最強の攻撃が起こる。

 大地を引き裂きながら巻き上がる大気が渦となり、加速し、一瞬にして巨大な竜巻を形成する。破壊的な救力の奔流たる翡翠色の竜巻が四つ、同時多発的に発生するとともにエクステンペストの周囲を旋回し始めたのだ。当然、シドを巻き込むよう計算された攻撃であり、最初の衝撃波の直撃を喰らい、身動きの取れなくなったシドは、竜巻に巻き込まれ、全身をずたずたに切り裂かれながら天に打ち上げられた。

 やがてエクステンペストと同じ高度まで運ばれたころには、オールラウンドの四肢は断裂し、胴体と頭部、光背だけが辛くも無事という状態だった。それはもはや無事といえる段階ではない。瀕死といってもいい。焼き切れるかのような痛みがシドの神経を苛み、正常な感覚を奪っていく。だが、それでもシドは諦めてなどいなかった。

 四つの竜巻がひとつに重なり、勢いを増す。オールラウンドの四肢を粉砕するだけでは飽き足らず、胴体、光背、頭部に至るまで、粉々になるまで打ち砕かんとしているかのようだ。無論、それで終わるわけもない。エクステンペストが三叉の大槍を両手で掲げていた。投槍に比べて二倍はあるだろう。どう見ても投げる武器ではない。確実にとどめを刺すためにも、直接オールラウンドを貫き破壊するつもりなのだ。

 つまり、シヴュラは理解しているということだ。

 シドがなんの策も弄さず、シヴュラの攻撃に捕まるほど愚かではないことくらい、百も承知だということだ。

(スオール卿)

 エクステンペストの銀の翅が広がった。飛ぶ。

(やはりあなたは、わたしの師なのだな。だが)

 一陣の風となって飛来したエクステンペストは、救力の竜巻を纏わせた大槍をオールラウンドの胴体に突き刺した。そしてその刹那、オールラウンドの胴体が電化し、拡散するのを目の当たりにしたはずだ。吹き荒ぶ救力の竜巻による拘束でもってしも、電光そのものに姿を変えるオールラウンドを捕らえ続けることなどできない。オールラウンドの形をした電光は、瞬時に八方向に分散する。そして、八体の雷の化身となり、剣、槍、斧、戟、杖、太刀、棍、鎚を掲げ、エクステンペストに殺到する。翡翠の暴風が化身を捉えるよりも、化身の刃がエクステンペストに到達するほうがわずかに早い。八方向からの同時攻撃。いかにエクステンペストとシヴュラの技量でもってしても、捌ききれるものではない、現に、シヴュラが大槍を振り回すことで捌けたのは、彼の前方から飛び込んできた三体だけだ。残る五体は、エクステンペストの隙を見事に捉え、致命的な一撃を叩き込んでいる。

 化身の刃が翅ごと背甲を切り裂き、斧が肩口から右腕を切り落とし、槍が脇腹を貫き、戟が首を刎ね、太刀が胴を薙いだ。極限まで高めた救力は、真躯の速度を雷光から神速へと引き上げ、一撃の威力を天変地異そのもといって差し支えないものへと昇華する。一見、何気ない攻撃のひとつひとつが真躯の本体たる魂を徹底的に破壊し、粉々に打ち砕くほどのものであり、エクステンペストは、化身による連撃を喰らったことで動きを止めた。

 本体であるシヴュラが感じる痛みは、想像を絶するほどのものであろう。それこそ、即死してもおかしくはないくらいの、いや、それ以上の痛みを感じていても不思議ではない。極限まで練り上げた救力による攻撃とは、それほどのものなのだ。そして、それほどまでに高めなければ、真躯の装甲を貫き、本体を打ち倒すことはできない。

 頭部や片腕を失い、ぼろぼろになったエクステンペストは、わずかに残った救力を放出しながら地上へと落ちていく。シヴュラの意思による降下ではなく、自由落下。浮力を失い、重力に抗うこともできなくなったのだ。シドの駆るオールラウンドもまた、限界に来ている。八つの化身のうち、三体が破壊された。それは、シド自身に多大な痛みとなって襲い掛かってきており、彼は、自我を保つのにも精一杯な自分というものを初めて認識した。そして、真躯の持つ力の恐ろしさに改めて震えるような思いがした。化身から真躯へと戻り、さらに人間の姿に戻る。

 真躯がいくら破壊されようとも、人体には影響はない。真躯の腕を切り飛ばされれば、それと同じだけの痛みを感じることにはなるが、実際に切り飛ばされるのは真躯の腕だけなのだ。同じように真躯を破壊したとしても、壊れるのは真躯だけだ。本体たる人体には何の影響もない。あるとすれば、精神であり、魂だ。

 救力が、精神に作用し、魂を攻撃する。

 あれだけ強大な救力をぶつけ合えば、互いの魂はあっという間にぼろぼろになるだろうし、最後の攻撃によってシドは無論のこと、シヴュラの魂はもはや原型を留めぬほどの状態になっているのではないか。

 シドは、地上に降りながら、胸に手を当てた。痛みがある。これは、シヴュラの攻撃によって精神を抉られ、魂を切り取られた痛みではない。心が疼いている。眼下、徹底的に破壊された大地の上、翡翠色の真躯が、さながら巨人の亡骸のように倒れていた。天に向かって伸ばされた左腕は、未だ上空にいるシドを掴まんとしているかのようであり、そこに彼はシヴュラの執念を見た。

 いや。

(やはりあなたは、騎士なのだな)

 騎士としての覚悟と決意。

 そして、挟持。

 まっとうしようとするのであれば、最後まで諦めるべきではない。どれほどの状況に追い込まれようとも、たとえその身が千切れ、魂が擦り切れようとも、命ある限りは進まなければならない。それが騎士の騎士たるものの務めだ。

(そう、あなたはいったな)

 だが、彼の手がシドに届くことはなかった。救力を使い果たし、真躯を維持できなくなったのだろう。エクステンペストの装甲が光の粒子となって散っていく。神から借り出した力のかけらたち。空に昇り、螺旋を描く。そして、消えていく。真躯が倒れていた場所には、シヴュラが出現している。力を限界まで引き出した上、多大な救力を叩き込まれた騎士は、左腕を天に向かって掲げたまま、空を見遣っていた。エクステンペストの大いなる力が生み出した暗雲は、最後の激突の余波によって吹き飛ばされ、見事なまでの星空が頭上にあらわれていた。

 月光の穏やかさが心に染み入るようだった。

 シドは、地上に降り立つと、警戒さえせずシヴュラに歩み寄った。彼は力を使い果たしている。もはや身動きひとつ取れまい。それどころか、生き残ることさえできないだろう。使い果たしたのは、力だけではない。魂までも極限まで擦り減らしている。その上で、シドの攻撃を受けたのだ。こうして意識を保っているだけでも不思議なくらいだった。

 即死していてもおかしくはなかったのだ。

「……わたしの負けだな、ルーファウス卿」

 歩み寄ると、彼は、シドを見て、口を開いた。穏やかな眼差しだった。まるでいつもどおりの日常の中にいるかのような錯覚さえ感じる。心が震える。彼は死ぬ。だからこそ、心穏やかにあろうとしているのかもしれない。騎士たるもの、自分の最期くらい、自分の意志で飾りたいものだろう。

 拳を握り、宣言する。

「ええ。わたしの、勝ちです」

 すると、シヴュラは微かに微笑んだ。じっと見ていないとわからないほどわずかな表情の変化。笑顔を作る力さえ残っていないのだろう。声にも力がなかった。シヴュラといえば、若い頃から渋い声で知られたのだが、力がなくなると、途端に老いさらばえたかのような印象を受ける。彼はまだ四十にもなっていない。老いるには、早すぎる。

「やはり卿は、わたしの見込んだ通りの男だったわけだ。騎士団の騎士はどうあるべきか、よくわかっている。素晴らしい。素敵だ」

「スオール卿」

 シドは、立ったままシヴュラを見下ろしていることがたまらなく嫌になった。その場に屈み、彼の掲げたままの手を握る。反応はない。無意識に伸ばしたまま、凍りついていたかのようだった。体温も低い。血の気が失われているようだ。心の臓がその活動を終えようとしているとでもいうのか。

「わたしはもはや騎士ではないよ」

 シヴュラは、苦笑したようだったが、表情は変わらなかった。

「わたしは騎士団を裏切ったのだ。私情のため、騎士団を離れた。そのようなものが騎士であろうはずがない。卿などと呼ばれていい存在ではないのだ。そのことは、卿もわかっているはずだろう」

「しかし……」

「卿は、存外優しいのだな。こうなっても、わたしを騎士として扱おうとする。わたしはただの背約者に過ぎぬ。騎士団の理念から外れながら、それでもなおミヴューラの力を使う。なんとも半端な覚悟だ」

 彼はの自重の言葉に込められた想いに、シドは目を伏せた。長年築き上げてきたシヴュラ・ザン=スオールという騎士、そして己が貫き通さんとしてきた騎士道への複雑な心中。

「だが、半端者故の結末と想えば、悪いものでもないか」

 シヴュラは、穏やかな表情を崩さずに、いった。笑ったように見えたのは、きっと気のせいではあるまい。

「わたしはただ、彼のことが気がかりだった」

 そして彼が語りだしたのは、自分の命が残り僅かであることを悟っているからだったのかもしれない。



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