第千七百三十七話 風来雷臨(四)
凄まじい痛みの中で、彼は、エクステンペストが三叉槍を具象化するのを見ていた。
左腕の肘から先が吹き飛ばされ、右足の爪先が削り取られた上、腹に大穴が開いているのだ。その痛みがそのまま精神に焼き付けられる。強大な救力による攻撃は、真躯の装甲を容易く突破する。故に真躯同士の戦いは救力のぶつけ合いとならざるをえない。より強大な救力をより多く叩き込んだ側の勝利となるのだ。
救力とは、救いを求める声や祈りを救うための力に変換したものである、とミヴューラはいった。救力そのもので身体能力を強化することもできれば、救力を武器に纏わせ、変容を促すこともできる。いわゆる幻装と呼ばれているのがそれだ。真躯は、幻装の究極系といってもいい。救力を全身に纏い、人体そのものを本質的に変質させるものであり、真躯を顕現した瞬間、人間とは別種の存在になるといってもいいらしい。
あらゆる面で人間であったころと比べ物にならない力が溢れ、ただの拳の一撃が山をも砕きかねなくなる。もちろん、それは真躯の顕現に用いた救力の量によって大きく変動するところなのだが、そもそも真躯を顕現できるということは十分な量の救力があるということであり、真躯の最低限の力でも容易く自然災害を引き起こすことができる。エクステンペストの暴風圏ほどのものとなると話は別だが、オールラウンドならば落雷を起こすことくらいは朝飯前だ。
そして、真躯を顕現すれば、通常戦力を相手にした場合、無敵といってよかった。並の攻撃では傷ひとつつかないのが真躯だ。全身が救力でできているのだ。通常兵器はおろか、召喚武装でも、黒き矛ほどの破壊力がないかぎり真躯を傷つけることはできまい。
真躯は、救世神ミヴューラが用意した最終手段なのだ。
人間同士の戦闘、戦争に用いられる予定などはなく、世界守護の際にのみ使用される予定だった。つまり、セツナを確保するために使用したのも、当初の想定外のことだったが、あれはミヴューラ自身が必要と判断したことであり、シドの独断ではない。シドが独断で使用したのは、セツナが再戦を望んできたときと、今回だけだった。
十三騎士の多くは、真躯を用いない。用いる必要が無いからだ。救力と幻装だけで十二分に戦える。それこそ、近隣国のいずれにもそれだけで完勝できるのが、当時のベノアガルドだった。真躯など用いるまでもない。そこまで追いつめられたこともない。
今回だって、シヴュラが真躯を用いなければ、シドも真躯を顕現することはなかった。だが、シヴュラやハルベルトが目的のために手段を選ぶはずもないことはわかっていたし、覚悟していたことではあった。シヴュラがもしハルベルトに与し、騎士団と敵対することがあるのであれば、容赦なく真躯を用いるだろう。それがシヴュラという男だ。
彼は、目的を果たすためならば情け容赦などしなかった。
たとえそれが自分より目上の人間が相手であっても、だ。
そのため、彼は騎士団内で不遇な扱いを受けることが多かったようだが、一方で、彼を慕う騎士もまた、少なくはなかった。政治腐敗極まる時代。騎士団は、騎士道と正義を説く。しかし、騎士団そのものもまた、政治腐敗を避けることはできなかった。それどころか、団長以下、騎士団幹部たちが率先して腐敗の中で栄華を満喫していたのだ。騎士たちも右に倣えと言わんばかりに腐りきり、腐ることが正義であるかのように自分に言い聞かせるかのようだった。そんな中にあって眩いばかりに輝くのが、シヴュラのような真っ直ぐさだ。シヴュラは、ただひたすらに騎士であろうとした。ベノアガルドの騎士団が理想と掲げた騎士の中の騎士たろうとしたのだ。故に彼は不遇ではあったものの、同時に新たに入った騎士たちからは憧れの目でもって見られることが少なくなかった。
シドも、そんなひとりになった。
もっとも、シドが騎士団に入ったのは、随分あとになってからのことだ。革命以降のことであり、騎士団に入った動機も、父と兄の復讐のためという物騒極まりないものだった。
しかし、それよりずっと前、彼は騎士団本部に通う日々を送っていた。
まだ年端もいかない子供に過ぎなかったが、ルーファウス家の二男という立場が彼の騎士団本部入りを自由にさせた。シドはその当時、家名を背景に権力を使うことを良しとしなかったが、一日でも早く騎士団に入りたいという想いが彼にそのような行動を取らせた。
兄シンが十四歳の身でありながら正騎士として多数の部下を従える身分になっていたことも、影響していただろう。焦ったわけではないが、少しでも早く追いつきたいと想ったのは事実だ。もっとも、どれだけ追いかけたところで、決して追いつけなかっただろうことは、いまになってわかる。兄は、ルーファウス家の嫡男だ。つまり次期当主の最有力候補であり、父ジグ・ザン=ルーファウスの後釜に据えられるだろうことはだれもが知っていることだった。ジグは、ルーファウス家が代々受け持っている騎士団幹部の座についている。その座も、いずれはシンに譲り渡すだろう。シンが十四歳の若さで正騎士にまで上り詰めたのは、そういう背景がある。一日でも早く正騎士の座につかせ、正騎士としての実績を積ませることで、問題なく幹部に昇格させることができるというわけだ。
そんな事情も知らない無垢な子供だったシドは、兄に憧れながら騎士団本部に通った。しかしながら、父ジグの気遣いによってあてがわれた騎士たちではなく、シヴュラ・ザン=スオールに師事を仰いだのは、別の思惑があってのことだ。当時の准騎士シヴュラには、多少の因縁があった。
ルーファウス家の力を自分の力だと勘違いしていた愚かな子供が、木剣を振り回しただけで倒れる騎士たちの姿を見て、増長していたところ、一瞬にして打ちのめされ、意識を失ったというだけの話。だれが悪いかといえば、自分を理解していなかったシドが悪いのだ。
それ以来、シドは自分を正しく認識しようとした。周囲の人間は、当てにならない。だれもが、シドがどのようなことをしても褒めそやす。シヴュラに昏倒させられたことも、シヴュラが悪いの一辺倒だった。そこには厳しさのかけらもなければ、優しさを履き違えたものばかりがいた。それでは成長など望めるはずもない。
だから、彼はシヴュラにこそ師事を乞うた。シヴュラは快く受け入れてくれた。シドの一件以来、騎士団での扱いが悪くなる一方だったというのに、だ。シドは驚きながらも、シヴュラが受けてくれたことを素直に喜んだ。
以来、何年もの間、彼はシヴュラに付きっきりだった。シヴュラの厳しくも温かみのある教えこそが、シドの騎士道の根幹となったのは間違いない。
シド・ザン=ルーファウスを作り上げたのは、シヴュラなのだ。
だからこそ、彼は応えなければならなかった。
シヴュラの期待に応えるということは、彼を乗り越えるということにほかならない。
エクステンペストが三叉槍の投擲態勢に入る。一瞬にして超長距離を飛翔する投槍。回避することそのものは、別段、難しいことではない。先程は遅れを取ったが、冷静になれば対処自体は簡単だ。投槍が発射される。黒き竜巻となって地面に激突し、周囲の地形ごと粉砕するのを見届ける。シドはオールラウンドを電化し、そのまま後退したのだ。振り仰ぐ。
シヴュラが光背を展開し、銀の翅を広げていた。強大な救力がエクステンペストに収束していくのがわかる。凝縮する救力が空間に影響し、周囲の空間そのものを捻じ曲げている。暴風圏を維持し、拡大することに注いでいた力をすべて、シドへの攻撃に回したようだった。暴風圏が消えている。
(本気を引き出すことには成功したか。ならば)
シドは、電化を解くと、ゆっくりと立ち上がった。オールラウンドの残る力のすべてを解放する。全力を解き放てば、今後、真躯を使うこともできなくなるかもしれない。ミヴューラがいないのだ。神の加護なく神の力を使い続けることなどできるはずもない。いずれ、底が尽きるのは目に見えている。だから、極力真躯の使用を制限していたのだ。しかし、真躯が相手となれば話は別だ。全力を上げて斃すしかない。
ここでシヴュラを倒さなければ、騎士団はおろか、ベノアガルドに未来はない。
「今度こそ、最後だ」
「それはこちらの台詞だ。シヴュラ・ザン=スオール」
シドは、エクステンペストを睨み据えた。シヴュラもまた、こちらを凝視している。金色に輝く、真躯の双眸。どこまでも鋭く、限りなく透明なまなざしには、私心など見えるはずもない。だからこそ、シドにはわからないのだ。なぜ、彼が騎士団を裏切り、ハルベルトについたのか。
「まだ、わたしを騎士と呼ぶか」
「わたしにとっては、あなたは永遠に騎士の中の騎士だからな」
「過分な言葉だ」
「だからこそ、この失望も大きい」
稲妻の剣の切っ先を足元の地面に突き立て、柄頭に両手を置いた。そのまま、光背を展開する。輪環が広がり、円環が加速度的に発電を開始、オールラウンドの救力を急激に増幅させていく。シヴュラが攻撃してこないのは、彼もまた、同じように救力を増幅させているからだ。小手先の攻撃では、互いに致命傷を与えることはできない。それは両者ともに真躯を顕現しているが故にだ。真躯を駆るものを斃すには、極限にまで練り上げた救力を叩き込む以外にはない。
「あなたはベノアガルドの騎士だったのではなかったのか!」
「そうだよ。わたしは、ベノアガルドの騎士だ。なればこそ、わたしがつけを払うと決めた」
「なんの話だ」
「卿のことも、そうだな。わたしにとっては大いなるつけだった。卿が騎士として目覚めてくれたこと、嬉しく想う」
「なにをいっている」
「卿が復讐に視界を失い、騎士道さえ見失ってしまうのではないかと恐れたものだ。革命はベノアガルドの将来のために必要不可欠なことだったとはいえ、人死が多すぎた。卿のような復讐者を生むのは致し方のないこと。だが、それでもわたしにとって卿は希望だったのだ」
「わたしが……希望?」
「いっただろう。君にすべてを託す、と」
その一言とともに脳裏を過ったのは、何年も前の記憶だった。シヴュラ・ザン=スオールが最後に教鞭を振るったとき、シドに告げてきた言葉。シヴュラにとっての騎士道とはなんたるかを説き、伝え、受け継がせんとした彼の熱く強烈な想いは、いまもシドの魂の深奥で燃え滾っている。
シヴュラに師事を仰いでよかった。
心の底から、そう想っている。昔も、いまも。彼でなければ、シドに教えを説くのがシヴュラでなければ、騎士としての道を誤っていたかもしれない。復讐に身を焦がし、神卓の聲にも耳を貸さず、私利私欲の果てに命を落としていたかもしれない。
「君こそがわたしの騎士道を受け継ぐに相応しい器だった。いや」
真躯が頭を振る。その仕草は、シヴュラそのものであり、シドは、真躯の中で目を細めた。
「それこそ、傲慢な考えであることはわかっているよ。それでも――」
「スオール卿……」
「さあ、おしゃべりはここまでだ」
シヴュラがそこで話を打ち切った。告げてくる。
「決着をつけよう」
空間を歪ませるほどの高密度の救力がエクステンペストに収束していた。雷撃によって表面がぼろぼろになった装甲が翡翠色に輝き、大気が唸りを上げて渦を巻く。比喩ではなく、世界が震撼した。
シヴュラ・ザン=スオールが真躯エクステンペストの最大最強の攻撃が、いままさに猛威を振るわんとしていた。