第千七百三十一話 嵐の前に静けさを(前)
騎士団。
革命以前からベノアガルドの主力だった組織は、革命以来、ベノアガルドの軍事の一切を司ることとなり、末端の兵に至るまで、騎士の名で呼ばれることとなった。正騎士、准騎士、従騎士という騎士の階級は、革命以前の騎士団時代から存在していたものだが、革命以降はより徹底されるようになったとのことだ。
最下級の従騎士は、他国における一般兵と同等ということだが、他国の一般兵に比べると基準が極めて高く、騎士団の戦闘能力の水準を引き上げる一端となっている。ただの一般兵と思い侮ると痛い目に遭うのが、騎士団の従騎士なのだ。
准騎士は、他国における部隊長のようなものだ。多数の従騎士を従え、正騎士に従う。この段階で、他国の戦力と一線を画している。
正騎士は、他国における軍団長級の役割を持っている。もはや他国は正騎士に並ぶ戦力を有するのも困難だろう。正騎士ともなると救力を使うことができるのだ。救力は、救世神ミヴューラが騎士団に伝えた技術であるという。
正騎士の上に騎士団幹部が存在する。
かつて十三騎士と呼ばれた十三人の騎士は、正騎士の中から神卓に選ばれたものばかりであり、神の加護を得た彼らの実力は、いわずもがな、である。救力だけでなく、救力の強化系である幻装と呼ばれる能力を用いることができるだけでなく、真躯と呼称される救力の究極系を用いることが許されるのだ。
真躯を用いた十三騎士の力は凄まじく、いまのセツナでさえ苦戦を強いられる可能性があった。
そんなのが十三人もいたのだ。もし十三騎士が健在で、あのときのように同時に戦うようなことでもあれば、切り抜けられる自信はいまのセツナにもなかった。どれだけ鍛え上げても、フェイルリングのワールドガーディアンには敵いそうにもない。
世界守護者の名を冠する真躯は、その名の通り、その身を賭してでも世界を守ろうという決意が込められていた。
もっとも、それは、最盛期の騎士団だ。
最盛期、騎士団は十三騎士それぞれが千名の騎士を率いていたという。つまり総数一万三千が騎士団の総兵力であり、ベノアガルドの国土に比べても十分な戦力といえた。そして、その兵士ひとりひとりが他国の兵士に比べて極めて強いという。正騎士以上となると比べようもなく強力であり、十三騎士に敵う戦力を有する国など、数える程もなかった。
ベノアガルドが求心力を高めるための準備は整っていたのだ。
しかし、“大破壊”はそんなベノアガルドから戦力を根こそぎ奪い去った。
まず、十三騎士の半数近くである六名が“大破壊”の犠牲となり、同行した二千名ほどが消息を絶っている。“大破壊”に巻き込まれ、命を落としたと考えられている。生き伸びることができたのだとしても、このベノアガルドにすぐさま戻ってこれるわけもない。“大破壊”によって大地は砕かれ、ガンディアとベノアガルドは地続きではなくなってしまった。広大な海が世界を隔絶してしまったのだ。
小国家群という内陸部では、川や湖に浮かべる船こそあれ、航海技術と呼べるようなものが発達することはなかった。三大勢力の外縁部では、海に隣接していることもあり、内陸部と比べるまでもない航海技術を有している可能性があるという話だが、ガンディアやベノアガルドにそれと同等のものを求めるのは酷な話だ。川船で大海に向かって漕ぎ出すなど無謀な試みであり、騎士たちが生き残ったとして、そのような無茶に出るとは考えにくい。たとえそのような無謀な行いに命を賭けたとして、ベノアガルドのある島にたどり着ける保証はなかったし、いまのところ、海の外からベノアガルドに到着したものも、流れ着いたものもいないという話だ。
騎士団が失った戦力は、それだけではない。
およそ一万名はいた騎士のうち、四千名が騎士団から離反した。
それら四千名の離反は、直属の指揮官である十三騎士を失ったことが最大の原因であり、“大破壊”という絶望的な現実がその後押しになったのだろうと、現騎士団幹部たちは見ている。
四千名のうち、一千名がマルカール=タルバーのサンストレア独立に賛同し、一千名がイズフェール・ザン=オルトナー率いるイズフェール騎士隊のクリュースエンド解放運動に参加、残る二千名がハルベルト=ベノアガルドのベノアガルド再建計画を支持した。
ネア・ベノアガルドの支持者の多さは、騎士団による革命が残した傷痕の深さなのだろう、とオズフェルトはいった。
騎士団騎士のだれもが革命を支持したわけではない。ベノアガルドを腐敗から救い、民衆に安息をもたらすためには、腐敗の温床たる王家、政府を打倒し、革命を起こす必要があったのは、だれもが認めることだ。当時のベノアガルド政府を内部から改革することは不可能であり、そのことは、血を伴う革命に批判的であったイズフェール・ザン=オルトナーも認めるところだという。
そして、革命は決行され、ベノアガルドは、一新された。騎士団幹部主導による高潔極まりない政治は、ベノアガルドに一切の腐敗や停滞を許さず、清廉で潔白な国家運営が行われることとなった。それは、ベノアガルドの国民に諸手を挙げて喜ばれることとなり、受け入れられた。騎士団の革命が国民の大半に肯定されているのは、国民こそ政治腐敗の犠牲者だったからであり、ベノアガルドの国民にとって騎士団は救世主以外のなにものでもなかったのだ。
革命を支持しなかった騎士たちも、世の流れには逆らえなかった。騎士として在り続けるには、フェイルリングの理念に従うほかない――そのようにして、騎士団に残ったものも大勢いただろうし、ベノアガルド王家を滅亡に追いやったフェイルリングたちを恨んでいるものも少なからずいたのは間違いないようだ。そういった連中が、ハルベルトの決起に同調するのは、ある意味では必然だったようだ。
そうして、ネア・ベノアガルドなる国がシギルエルに誕生した。
騎士団に残ったのは、およそ七千名。
そこからさらに千名の騎士が、ベノアから消えた。シヴュラ・ザン=スオール配下の千名のことであり、それら千名は、シヴュラとともにハルベルトを追い、そのまま消息を絶っている。騎士団の掴んだ情報によればシギルエル内にシヴュラと配下の騎士たちがいる可能性が高いという話であり,もしかすると、ネア・ベノアガルドに寝返ったのではないかという推測がなされている、十三騎士の相次ぐ離反は騎士団全軍の士気に関わることであるため、そのことは内密にされているようだが。
つまり、現在のベノアガルドの総兵力は約六千名ということだ。
騎士団長は、オズフェルト・ザン=ウォード。その補佐を務める副団長はシド・ザン=ルーファウスが務めている。その下にルヴェリス・ザン=フィンライト、ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコート、ロウファ・ザン=セイヴァスら幹部が並び、正騎士、准騎士、従騎士と続く。
ベノアガルドの領土も全盛期に比べて狭くなっている。首都ベノアとストラ要塞、サンクオートのみが支配地であり、かつての面影はない。クリュースエンドはイズフェール騎士隊に占領されたうえ、ベノアの北西に位置するレンセントまでイズフェール騎士隊に支配されているという。
サンストレアを独立させたマルカール、シギルエルより南に向かって勢力を伸さんとしているネア・ベノアガルドと、騎士団は三方を敵対勢力に囲まれ、窮地に立たされているといっても過言ではなかった。
その窮地は、セツナがサンストレアのマルカール=タルバーを神人として撃破し、サンストレアが騎士団の管轄下に入ったことで、多少なりとも改善したといえるだろう。少なくとも、サンストレアを警戒する必要はなくなる。イズフェール騎士隊とネア・ベノアガルドに注力すればよくなったのだ。分ける戦力が三つからふたつに減っただけでも、大きな変化だ。
その上、セツナとレムが騎士団の戦力として、加わった。そのことは、騎士団の士気を大いに高めたといい、セツナたちは正騎士以下、様々な騎士から声をかけられたり、声援を送られ、困惑したものだった。騎士たちにしてみれば、セツナとレムが味方になってくれることほど心強いことはない、ということなのだろうが。
そんなわけで、セツナとレムは、毎日のようにベノア城騎士団本部に顔を出していた。その際、レムはベノア城まで歩くことで足腰を鍛え直すための訓練とし、セツナもそれに付き合っている。当初は、すぐにへとへととなり、セツナにおぶわれる羽目になっていたレムだったが、数日もすると、騎士団本部までの片道くらいならば余裕で踏破できるくらいにまで回復した。異常なほどの身体機能の回復速度は、彼女の死神としての特性によるものに違いない。常人ならば、普通に歩き回れるようになるだけで一月はかかるのではないか。
なにせ、彼女は二年もの間、眠り続けていたのだ。
もっとも、その時点で常人とは異なるということを考え無くてはならない。常人ならば、二年も眠り続ければ、まず間違いなく死ぬ。飲まず食わずで生きていられるわけもない。しかし、レムは生きていた。筋肉が失われるくらいで、見た目にも大きな変化がなかった。健康的とさえいえる姿だったのだ。
そんな彼女の身体機能回復訓練に付き合いながら、騎士団本部に辿り着くと、フロード・ザン=エステバンが毎回のように出迎えてくれる。フロードは、セツナたちの世話役を買って出てくれており、ベノア城内の構造を完全に記憶することができたのは彼の懇切丁寧な案内のおかげだった。
フロードを始め、現在も騎士団に残り、騎士団の理念に人生を捧げている騎士たちは、その覚悟もあってか気のいい人物ばかりだった。騎士団がセツナたちのために過ごしやすい環境を作ってくれているというだけなのかもしれないが、そうであればなおさらのこと、騎士団が自分たちに抱いている期待の大きさがわかろうというものであり、一層、奮起しなければならないという気分にもなる。
騎士団が目下警戒しているのは、オズフェルトがいっていた通り、ネア・ベノアガルドの動向だ。イズフェール騎士隊は、ベインの調べによってベノアガルド領土を奪うよりも別方面に向けて勢力を伸ばすほうがいいという判断の元、準備を整えていることがわかっている。ベノアガルドとの全面戦争となれば、イズフェール騎士隊も多大な出血を覚悟しなければならないからだろう。
騎士隊は、旧十三騎士の真の力を知っているわけではないらしいが、騎士隊の現有戦力と騎士団の戦力を比較すれば、そう簡単に出し抜けるものではないのは明白だ。騎士隊が外に目を向けるのは当然の帰結といえる。
対して、ネア・ベノアガルドは、大義の名の下にベノアガルドを攻め滅ぼさんとしていることが明らかになっていた。
国名自体、新生ベノアガルドというほどの意味があるのだ。旧ベノアガルドを滅ぼし、成り代わろうと考えているからこその命名であろうし、ネア・ベノアガルドの君主であるハルベルト=ベノアガルドがベノアガルド王家再興のため、騎士団に支配されたベノアガルドを亡き者にしようとするのはわからないことではない。もっとも、騎士団の革命を是とし、受け入れていたハルベルトが、なぜいまになって騎士団の大義を否定し、ベノアガルド王家の再興に走ったのかは不明なままだ。オズフェルトたちも、推測でしか判断できていない。
なにが原因であれ、騎士団としては、ベノアガルドを滅ぼすことに執念を燃やすネア・ベノアガルドの存在を認めることはできなかった。仮にネア・ベノアガルドがベノアガルドの存在を容認し、独自に国家運営をするというだけであれば黙殺し、放置しておくつもりだった。騎士団は、民草が平穏無事であるならば、支配者はだれであっても構わないという考えの元、動いている。むしろ、騎士団が政治を司っているという現状そのものこそ、正常な政治体制ではないという判断もあるのだ。騎士団以外のものが支配者となったとしても、ひとびとを正しく、安らかに導いていけるのであればなんの問題もない。それが騎士団の立場だ。
故に騎士団は、マルカール主導のサンストレア独立も、イズフェール騎士団のクリュースエンド支配も、ネア・ベノアガルドの成立も黙認した。ベノアガルドの領地が奪われようとも、各都市に住むひとびとが無事であればそれでいい。
騎士団の理念は一貫している。
しかし、ネア・ベノアガルドは、ベノアガルド打倒を掲げている。ハルベルト=ベノアガルドが声高に叫んでいるという。騎士団を打倒し、騎士団に毒されたベノアガルドを滅ぼすのだ、と。その先にこそベノアガルドの新生が待っている、と、ネア・ベノアガルドの騎士たちに奮闘を促しているという。その上でマルディア領土へとその食指を伸ばし、シクラヒムを支配下に組み入れたという話が飛び込んできている。
「戦力の充実を図った上で、騎士団との戦いを行うつもりなのでしょう」
シド・ザン=ルーファウスが、涼やかな目を細めたのは、年の瀬も押し迫った十二月二十八日のことだった。
ネア・ガンディアは、シクラヒムを橋頭堡とし、ベノア島内のマルディア全土を掌握するつもりではないか、と彼は見ている。つまり、それが終わるまでは、ベノアガルドに攻め込んでくることはなさそうだ、というのだが。
「しかし、用心に越したことはありません。ハルベルトは元十三騎士。一騎当万の真躯の力を知っていますから」
どれだけ通常戦力を集めたところで、最大五体の真躯に太刀打ちできるわけもないことくらい、ハルベルトが理解していないわけがない、と彼はいうのだ。
ハルベルトがベノアガルドの滅亡を真に望んでいるのであれば、元十三騎士たちとの戦いを視野に入れていないわけがない。どれだけ戦力を整えたところで、決戦を行うにはあまりにも頼りない。百人単位で武装召喚師を集めることができるならば話は別だが、ベノアガルドは無論のこと、マルディアにそれだけの数の武装召喚師がいるはずもない。
よって、マルディア方面への侵攻は、騎士団の油断を誘うための策謀という可能性がある、とシドは見ているようだった。
電撃的な奇襲作戦で少しでも騎士団の戦力を削ぐつもりなのでは、というのだ。
果たして、彼の見立ては正しかった。
十二月三十日、ストラ要塞が奇襲を受けたという知らせが騎士団本部を震撼させた。
嵐が来る予感がした。