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第千七百二十九話 爪痕、深く

「“大破壊”は、ただ世界を破壊し、多くの命を奪っただけじゃない。生き残ったものたちにも様々な爪痕を刻んでいったわ。ひとつは、あなたもよく知っている白化症と神人化。結晶化もそうね。ひとつは、この世界の現状そのもの。大陸がばらばらになってしまったものね」

“大破壊”の爪痕。

 サンストレアやベノアの現状を見れば、一目瞭然だ。大地に刻まれた断裂や倒壊した建物群。それに神人や神獣といった怪物化した生物の存在。それらはすべて、“大破壊”という未曾有の大災害が引き起こしたものであり、“大破壊”がなければ起こり得なかったことなのだ。大陸の崩壊も、島々の孤立も、白化症、結晶化も、なにもかも。

 だが、“大破壊”は、最悪でも最低の結果でもない。

 最悪の場合――そう、聖皇復活が果たされていた場合、このイルス・ヴァレは滅び去っていたのだから。

 だからといって、“大破壊”を受け入れられるかというと別の話であり、ルヴェリスの悲しげなまなざしを見れば、彼の心の奥に刻まれた傷の深さもわかろうというものだ。

「そして、わたしにとっての爪痕が、シャノアよ」

 ルヴェリスが寝台の縁に腰を落ち着けているのは、寝台のシャノアが彼を離そうとしなかったからだ。シャノアがルヴェリスを心の底から愛しているということは、セツナがベノア滞在時に理解していたことではあるが、彼女がここまで積極的に愛情表現を示したことはなかった。むしろ、消極的にも過ぎるくらいであり、あの当時のシャノアといまのシャノアはまったく結びつかなかった。まるで別人なのだ。しかし、姿形はあの頃のままであり、シャノアという以外になかった。

 セツナは、おずおずと尋ねた。

「……なにがあったんですか?」

「“大破壊”のとき、シャノアが屋敷にいたことは話したわよね」

「はい」

「屋敷が倒壊して、シャノアは瓦礫の下敷きになった。でも、それそのものは問題なかった。彼女は奇跡的に傷ひとつ負わなかったわ。お腹の中の子もね、無事だったの」

 ルヴェリスは、子供のように甘えるシャノアを慈しみながら、衝撃的なことを告げてくる。お腹の中の子供。つまり、“大破壊”当時シャノアは身ごもっていたということ。

「お腹の中の……」

「身ごもっていたの。もちろん、わたしとの愛の結晶よ」

 彼は、シャノアの髪を撫でると、少しばかり照れくさそうに微笑んだ。

「結婚したの。あの年の七月にね。ベノアガルドも落ち着いていたし、なにより、彼女の不安を拭い去りたかったから。婚約はしていたけれど、結婚を言い出す機会を逸していたのよね。それで、時間ばかりが過ぎていった。そのことでシャノアに不安を感じさせていたことも知っていたし、どうにかしたいとずっと想っていたのよね。あの七月、ちょうどいい機会だった。だからシャノアに結婚を申し込んだ」

 ルヴェリスが発する言葉を、彼の膝の上に頭を乗せるシャノアはまったく理解していないように見えた。彼女は、ルヴェリスに抱きついたまま、離そうとする気配もない。時折セツナたちを見てくるが、そのまなざしはやはり茫洋としたもので、掴みどころがなかった。ようするになにを考えているのかわからないのだ。

「シャノア、涙を流して喜んでくれたわ。わたしも、嬉しかった。ようやく、彼女の心の中の不安を拭い去り、幸せで包み込んであげられる。そう想った。実際、幸せそのものだったわ。毎日が薔薇色のようで……ね」

 遠い過去を眺めるようなルヴェリスの表情を見れば、当時の彼とシャノアがどれほど幸せな日々を送っていたのか、想像がついた。

「そうするうちに彼女が身籠ってね。まさに幸せの絶頂ってやつよ。わたしも、シャノアも、それはもう大騒ぎよ。親族一同含めて毎日がお祭り騒ぎだった。そんな幸福な日々は、実は“大破壊”後も続いたのよ」

 ルヴェリスの言葉に、少しばかりほっとする。先程の言葉を信じれば、“大破壊”で倒壊した屋敷の下敷きになったシャノアは胎内の子供ともども無事だったというのだ。しかし、いま目の前のシャノアを見る限り、幸福な結末は訪れないのだろう。そう考えるだけで胸が締め付けられる想いがした。

「無事に出産したわ。六月にね。女の子だった。未熟児で、不安がないわけではなかったけれど、昼夜を徹して見守ってくれた医師たちのおかげですくすく成長してね、一月後には人並みに育っていたわ。シーリスって名付けたのよ」

 ルヴェリスは、シャノアを慈しむ手を止めた。

「シーリスがわたしとシャノアにとって、いいえ、フィンライト家にとっての希望だった。だって、“大破壊”なんていう絶望を乗り越えて生まれたんだもの。すくすく成長する様に希望を重ね、光を見るのは、当然でしょう?」

 ルヴェリスの言葉を否定することなどできるわけもない。セツナは、“大破壊”を経験してはいないが、生まれたばかりの赤子に希望を抱くのはわからなくはない感情だった。

「でも、この世に希望なんてなかった」

 ルヴェリスが、目を伏せた。膝の上のシャノアは、そんなルヴェリスを見上げ、小首を傾げる。彼女には、ルヴェリスの言葉さえ届いていないのかもしれない。

「シーリスにね、白化症が発症したのよ」

「そんな」

「シーリスはまだ生後二ヶ月に満たない赤ん坊だったわ。だからなのか、白化症の進行が早くてね。発症が確認された日のうちに神人化したのよ。神人化して、シャノアに襲いかかった」

 セツナは、ルヴェリスの語りを聞きながら、シャノアに視線を注いだ。そのときのシャノアの絶望は、想像するに余りある。六月に生まれた二月後、つまり“大破壊”から八ヶ月ほどが経過していることになる。神人災害が取り沙汰されている頃合いだろう。シャノアも、白化症と神人化については知っていたはずだ。それが生まれたばかりの我が子に発症し、神人などという化け物に成り果てた瞬間のことを想像するだけで、セツナは言葉を失った。

「シャノアは、抵抗しなかった。我が子だもの。殺せるわけがなかった。我が子を手にかけるくらいなら、自分とわたしの愛の結晶を、希望の象徴を葬り去るくらいなら、自分が殺されたほうがましだ――彼女はきっと、そう考えたんでしょうね。でも、彼女は死ななかったわ」

 髪を撫でた態勢のまま止まっていたルヴェリスの手をシャノアの両手が包み込む。シャノアは、ルヴェリスのことははっきりと認識している。それだけが救い、とは言い切れないのだろうが。

「わたしがね……」

 ルヴェリスは、そこで口を噤んだ。それ以上は、言葉にしたくなかったのだろう。彼がなにを言おうとしていたのか、なにをどうしたのか、理解できないセツナではない。おそらく、いやまず間違いなく、彼が神人化した我が子を手に掛けたのだろう。そうすることでしかシャノアを助けることはできなかったのだろうし、そうしなければ、シャノア以外にも数多くの犠牲者を生むことになる。騎士団幹部として、十三騎士としては、当然の判断だ。ルヴェリスにとっては苦渋の決断だっただろうが、間違いではない。

 彼は、正しい行いをしたのだ。

 だからといって受け入れられるものでもないだろうが。

「白化症が発症したものが元に戻ることはない――マリア先生からもたらされた白化症と神人化に関する新事実は既に耳にしていたもの。ほかに方法はなかった。ああする以外、シャノアを救う方法はなかったのよ。でも……」

 ルヴェリスは、もう片方の手で、シャノアの手を包み込んだ。すると、シャノアは子供のように喜び、屈託のない笑顔を見せた。彼女の中でルヴェリスがどのような立ち位置にいるのかはわからない。ただひとつわかることがあるとすれば、シャノアは、ルヴェリスが我が子を殺したことを認識している様子はないということだ。その事実を理解していれば、きっと彼女はルヴェリスさえ拒絶していたのではないか。

 ルヴェリスがシャノアに微笑み返したが、彼の顔に刻まれた笑みには深い悲しみが表面化していた。

「すべてが終わった後、シャノアは、こうなっていたわ。言葉を発することができなくなっただけじゃない。自分がなにものであるかさえ忘れてしまっているのよ。当初は、名前さえ理解していなかったわ。シャノアという言葉が自分を指す名前だと理解してくれたのは、ごくごく最近のことよ」

「……そうだったんですか」

「ルヴェリス様……」

「しんみりさせてしまったわね。でもね、あなたたちにも見てほしかったのよ。これがこの世界の現状だから」

 ルヴェリスは、シャノアを布団の中に戻してあげながら、続ける。世界の現状。“大破壊”後の、イルス・ヴァレの現状。セツナがもっとも理解していかなければならないことだ。二年もの間、この世界から離れていた。見なければならない。知らなければならない。理解しなければならない。この世界の現状を。この世界に生きるひとびとの痛みを。その上で戦うのだ。

「なにもシャノアだけじゃないわ。だれもかれもが心に深い傷を負っている。“大破壊”による被害だけじゃない。白化症や神人化という二次災害が、数多くの犠牲者を生んでいる。わたしたちはそんな現状をどうにかしたいと想っているのよ」

 ルヴェリスの言葉には、実感が込められていた。

「いまはまだ、なにをどうすればいいのかわかってもいないけれどね」

 ルヴェリスに従い、素直に布団の中に入ったシャノアは、彼をじっと見つめていた。ルヴェリスは寝台の側に置いてあったぬいぐるみを手に取ると、シャノアに手渡した。シャノアは、ぬいぐるみを受け取ると、まるで我が子を慈しむように抱きしめ、目を閉じる。その様子を見れば、彼女が自分の子供を失ったという事実を無意識にも理解しているように想えなくもない。

 その事実がルヴェリスを苦しめているのは、彼の横顔を見れば一目瞭然だった。

 だれもが、哀しみを負っている。

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