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第百七十二話 対峙

 聖将ジナーヴィ=ライバーン率いる聖龍軍が、根拠地たるゼオルを発ったのは、九月十五日のことだ。

 前日、スルークの翼将ザルカ=ビューディーを逆賊として討ち、第六龍鱗軍の千人を吸収している。これにより聖龍軍は三千人を超える大所帯となり、ガンディア軍と戦うには十分かと思われた。こちらには凄腕の武装召喚師がふたりいる。負ける要素は無いと、ジナーヴィは踏んでいた。

 そして、勝つ必要もない。

 ガンディア軍に被害を与え、撤退させればいいのだ。

 ジナーヴィの目的は、それだけだった。ガンディア軍に勝利し、龍府に凱旋することではない。ガンディア軍を適度に痛めつけ、帰国の途につかせることができればいい。ザルワーンへの侵攻を諦め、他方への進出を図ってくれればいいのだ。そうすれば、ジナーヴィはこの三千人超の軍勢とともにザルワーンから独立し、新たな天地を作ることに専念できる。

 グレイ=バルゼルグ麾下三千人とやらの対処すらできない国だ。ジナーヴィたちの独立も放置せざるを得まい。あるいは、ザルワーンの属国として認めるか。なんにせよ、ジナーヴィは、新国設立に夢中になっていた。フェイ=ヴリディアとふたりで作る国。そこには地獄なんて必要ない。ただ、人間らしく生きられる国にしたかった。

 人間らしく、自分らしく。

 そのためにならなんだってしてやる。

 ジナーヴィの胸中は、炎のように燃えていた。


 聖龍軍がゼオルを発つときの陣容とは、こうだ。

 翼将ゴードン=フェネック率いる先発隊千名、翼将ケルル=クローバー率いる中堅隊千名、そして聖将ジナーヴィ=ライバーン率いる本隊千二百名の三隊に分け、順番に出発した。

 ゴードンは一見頼りなさ気な人物だが、事務処理能力はそこそこで、ゼオル滞在中の数日間は彼に頼ることも多かった。従順で、愛想もよく、ジナーヴィは彼を手厚く遇した。ケルルも悪い人物ではない。気弱そうな外見とは裏腹に、中々気骨のある人物であり、ときにはジナーヴィに真っ向から反論することもあった。死を恐れていないわけではないだろう。彼の目の前で、何人の反逆者が処断されたか。しかし、ケルルにはケルルの正義があり、そのためならば命を擲つことも厭わないのだ。

 ジナーヴィは、そういう人間も嫌いではなかった。

 それこそが人間なのだ、と、彼は思う。

 ゴードンやケルルと触れ合ううちに、ジナーヴィは忘れていたなにかを取り戻せそうな気がした。それがなんなのかはわからないのだが、いつかはわかるだろう。そのときには、フェイはもっと笑ってくれている気がする。彼女は、地上に出てからというもの、笑顔を見せることが多くなった。その事実が、ジナーヴィの心を慰めてくれる。

 それだけで、地上に出てよかったと思える。

 ジナーヴィにとってフェイとは、地獄で見つけた花であり、唯一絶対の光だった。

 だからこそ、ミレルバスからの召喚にも、フェイとの同行でなければ応じないと突っぱねたのだ。ミレルバスが折れる形で、フェイも魔龍窟から出されることになった。その点では、ミレルバスに感謝してもいいのかもしれない。もっとも、ふたりを魔龍窟に放置しておいたのはほかでもないミレルバスであり、諸悪の根源とは彼なのだ。

 夜を越え、朝を迎える頃、聖龍軍はロンギ川に辿り着いた。ゼオルの北にあるロンギ山から流れる川は、川幅は広いものの水深は浅く、徒歩で渡ることができた。夏になれば、涼みに来る人間で賑わうこともあり、ジナーヴィが幼いころは家族で水遊びに来ることもあった。懐かしくも美しい記憶だが、いまの彼には不要なものだ。

 そんな川を挟んで敵軍と対面したのは、十六日の午前。

「対岸に敵軍発見しました!」

「対岸っていうほどのものか?」

 前方からの報告に、ジナーヴィはそんな感想を抱いたものの、どうでもいいことには違いなかった。

 敵は、事前の報告通り、ナグラシアからゼオルを目指していたのだろう。スルークが目標ならば、この川を渡る必要はない。ゼオルを抜き、そのまま龍府五方防護陣に突っ込もうという魂胆だったに違いない。

 聖龍軍がそれを阻む。

「敵軍、およそ三千!」

「双翼に構え、我が方の動向を探っている様子!」

 前方から次々と飛んでくる報告に対し、ジナーヴィは、特にいうこともなかった。数はこちらのほうが上らしいが、数は元々関係のないことだ。敵軍を蹂躙することに意味がある。武装召喚師として作り上げられたジナーヴィに戦術もなにもあったものではない。

「どうする?」

 ジナーヴィは、馬上、右隣の男に問うた。

 口髭の青年は、しばし瞑目すると、なにか思いついたように微笑した。

「双翼の陣を展開し、敵の動きを静観しましょう。数で多少優っていたところで、先にしかけるのは得策ではありません。なにより、当初の報告より敵軍の数が減っていることが気になります」

 ナグラシアに向かわせた斥候からは、敵軍はおよそ四千強という報告が届いていたのを、ジナーヴィは思い出した。確かに、気になるところだ。

「ふむ。ならばそうしよう。双翼展開!」

 ジナーヴィは、口髭の青年の言葉にうなずくと、声を張り上げて号令した。彼の命令によって全軍に緊張が走るとともに、一斉に動き出す。

「双翼展開! 双翼展開!」

ジナーヴィは、支配者の気分を味わいながらも、陶酔することはなかった。そこまで愚かではない。馬上、青年を見下ろす。青年は、徒歩だった。

 彼の名は、ケイオン=オード。神将位を授けられたというセロス=オードの息子らしいのだが、神将の子であることで彼が得をするようなことはなかったらしい。たとえば、仕官先にありつけるとか、父セロスの下で働けるとかいうこともなく、彼はゼオルで質素な暮らしをしていた。戦術の勉強をしている、という。ジナーヴィが彼を拾い上げたのは、ジナーヴィに戦術を考える頭がないという自覚があるからだ。

 武装召喚師としては一流の腕を持っていると自負するものの、戦術や戦略について学んだ覚えはない。そもそも、武装召喚師は使われる側の存在であり、指揮官ではないのだ。前線で召喚武装を振るうことにこそ、武装召喚師の意義がある。

「出方を待つのか」

「ええ。飛び込んでいって横腹を突かれてはたまりません。敵陣の動きを観察し、異変があったときに対処します」

 ケイオンは、涼しい顔でいってきた。彼は、敵軍の千人ほどがどこかに潜んでいるとみているのだろう。ジナーヴィに否やはない。闇雲に突っ込んで損害を被るのは、彼としても避けたいところだ。新国の基礎となる兵力なのだ。一兵たりとも無駄にしたくはない。

 双翼の陣。左右に翼を広げたように展開した陣形のことであり、今回の場合、本隊を中心に、ゴードン隊が左翼、ケルル隊が右翼に展開している。横列に並んでいるため、前方への圧力こそあるが、突破力は低い。

 川を挟んで対峙した敵軍と同じ陣形を取ることで、敵陣の変化に即座に対応させることができるということだが。

「まあいい、時を待とう」

 ジナーヴィは、鷹揚につぶやくと、馬を降りた。前方、フェイが手持ち無沙汰に突っ立っているのが気になったのだ。

 彼女は、ひとりでは馬に乗れないらしい。



「敵軍、双翼に展開している模様」

「こちらを真似たのか」

「出方を窺うつもりでしょうな」

 大将軍アルガザード・バロル=バルガザールは、レオンガンドの感想にそう応えた。

 前方に、川が横たわっている。横幅の広い川だったが、浅いらしく、徒歩でも渡れるようだった。日を照り返す水面が、目に痛いほどに眩い。九月も半ばだが、まだまだ夏の暑さが残っている。そういう時期には水遊びでもしているのが気も楽でいいのだろうが、現状、そういうわけにもいかない。

 アルガザードは、川向うの敵陣を注視していた。双翼に陣取ったザルワーンの軍勢。三千名くらいか。現在の自軍と大差のない陣容であり、陣形も同じ。このままぶつかり合えば、勝敗が決まるのは兵数の多寡ではなく、個々人の能力差だろうか。だとすれば、勝ち目はある。こちらには《白き盾》がおり、彼ら無敵の軍団を盾にすれば、そうそう負けることもないだろう。

 しかし、彼らだけを当てにして戦おうなどとは、彼も考えてはいない。

 既に策はひとつ打ってある。

「彼らは無事だろうか」

 レオンガンドが心配したのは、ギルバートの部隊のことだ。ミオンの将軍ギルバート=ハーディは、麾下の軍勢とともに敵軍の背後を突くために中央軍を離れていた。敵軍に見つからないよう、北へ大きく迂回しているはずだ。突撃将軍の二つ名の通り、彼は騎兵の扱いが巧みであり、長距離騎行からの突撃は彼の代名詞ともいえた。任せておけば心配はない。

 突如背後から現れた騎兵隊に、敵軍は驚き、混乱するのは間違いない。そして、騎兵隊と中央軍で、敵軍を挟撃する。ただ真正面からぶつかり合うだけが戦闘ではない。

 こちらの双翼は、左翼にルシオン軍の千人、右翼にガンディア方面軍第一軍団の千人であり、残りの雑多な軍勢で中央を固めている。中央の最前列は《白き盾》だ。彼らがいる限り、中央が突破されることはまずないと見ていいだろう。そういう意味では、中央の部隊が一番安全だといえる。

 その安全圏で、アルガザードは思考を巡らせるのだ。

 敵軍の士気は、必ずしも高いとはいえないように見えた。こちらはむしろ、有り余るほどの戦意で満ちており、この対峙に苛立ちさえ覚えているものも多いようだ。早く戦い、武功を上げたいと、兵士たちは考えている。あるいは、演説の熱気をそのまま持ってきているものもいるかもしれない。

 アルガザードは、中央部隊の後方にありながら、両軍の熱量の差を感じていた。

 しかし、敵軍の冷え方は不気味なほどだ。まるで戦う気がない、というのではない。もっと底知れぬなにかがある。こういう不気味な気配を感じるときは、余程気を引き締めたほうがいい。必ずどこかに落とし穴がある。

 自軍の陣形に間違いはないか。取った策に問題はないか。兵の配置は適切か。戦う準備は万全なのか。考えなおすことは山ほどあるが、いま取れる最良の選択を取らなくてはならない。最高である必要はない。もっとも適切な判断を下す。

 そのためには判断材料となる情報が必要なのだが。

「敵軍は三千。ゼオルの軍勢だけではありませんな」

 ザルワーンの各都市の兵力というのは、基本的には千人ほどだ。ナーレスがそのように分配しており、それはつい最近まで変わっていないはずだ。そして、ガンディア軍の電撃的な侵攻に、ザルワーン軍の再編は間に合っていないだろうと推測する。ナグラシアがそうだった。もし、ナーレスとの連絡が途絶する前から再編が始まっていたとすれば、ガンディア国境に近いナグラシアの兵数が変動していても不思議ではない。

「龍府から派遣されたのかな」

「もしくはスルークの軍と合流したのかもしれません」

「我らを討つためか」

「ええ」

 アルガザードがうなずくと、レオンガンドは苦笑したようだった。

 敵もまた、自国を守るために必死なのだ。国土を防衛するためならばどんな手段だって厭わないだろう。軍勢の合流ぐらい容易いものだ。たった千人の軍勢よりも、二千、三千のほうが多くの敵と戦えるし、勝てる見込みも増えるというもの。彼らは当たり前のことをしただけだ。

 侵攻に対する当然の反応、

 必然の反射。

「敵陣に動きがあるまでは、待つことになります」

「ギルバート将軍の奇襲も、それかな?」

「もちろん」

 ギルバートの騎兵隊が敵軍の後背を衝けば、陣形は乱れるに違いない。そこを攻撃すればいい。普通ならば、それで勝てるはずだ。

 相手は三千。

 だが、こちらは騎兵隊との合流で四千強に膨れ上がる。そのときには敵陣は混乱状態にあるはずだ。ただ、押し込めばいい。

「勝てるか」

「勝たなくてはなりません」

 レオンガンドのつぶやきに力強く答えると、アルガザードは、気を引き締め直した。

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