第千七百二十七話 騎士団の現状
騎士団本部に戻ると、オズフェルトはすぐさま逢ってくれた。多忙な身であるはずだが、セツナの対応を最優先するのは騎士団長としては正しい選択だろう。セツナの去就次第では、騎士団の状況は大きく変わる。ネア・ベノアガルドやイズフェール騎士隊に対し、強気に出られるかどうかの瀬戸際だ。
セツナは自分の実力を過信しているわけではないが、現状の十三騎士よりも強いという認識を持っていた。主観ではない。客観的に見て、そう判断せざるを得ない。
セツナは、二年に及ぶ地獄の試練を乗り越えたことで、以前にもまして黒き矛の力を引き出せるようになっていた。それでも完全に引き出し、完璧に使いこなせているとは言い切れないが、少なくともシドの真躯オールラウンドを撃破したときと比較するまでもなく強くなっているのだ。あのときの真躯が完全な状態ではなかったのはいうまでもないにせよ、それはいまのオズフェルトたちにもいえることなのだ。彼らは、ミヴューラの加護を失ったことにより、真躯の力を完璧に引き出すことはできなくなってしまっている。
「もう、決められたのですか?」
ただ、オズフェルトは、会見から半日も経たずの返事に期待がもてないといったような様子だった。
場所は、神卓の間などではなく、騎士団長の執務室だ。セツナとレムだけが室内に通された。フロードは扉の外で待ってくれていることだろう。
「ええ。俺とレムは、騎士団の協力要請を受けることにしました」
「それで、よろしいのですか?」
「はい」
セツナは、うなずき、オズフェルトの目を見た。緋色の目には、素直な喜びが浮かんでいる。
「騎士団の方々には、恩義がありますから」
「恩義……」
「俺の大切なひとたちを長い間護ってくれていたんです。そのことへの恩義を忘れれば、ただの人でなしだ」
「いいませんでしたか。我々騎士団の理念は救済。求められずとも救い、助け、護るのが我々なんです。そして、代価を求めないのもまた、我々の正義。ですから、恩返しの必要などありませんよ」
「そういうと想ってました」
セツナは、微笑んだ。オズフェルトを始めとする騎士団騎士のそういう実直さには好感を持つほかなかった。彼らは、確かに対価を求めなかった。アバードのときも、マルディアのときも、彼らは救援に際して対価を要求してなどいないのだ。私心なく、この世界を救うため、騎士団の求心力を高めるための手段として、救援要請に応じてきたのだ。相手が金銭や物資で代価を払おうとしても、断ったという。軍を動かすのは、只ではない。金もかかれば、物も必要だ。つまり、騎士団は他国への救援のたびに大量の国費を投じていたのだ。
慈善事業でもここまではしないのではないか。
だが、そうでもしなければ、騎士団が唯一無二の存在たり得ない、というのが騎士団の根底にあった。唯一無二の救済騎士団とならねば、救世神ミヴューラの力を高め、世界を破滅的な未来から救うという大目的が果たせない。それだけが騎士団の存在意義だというのに、目的が果たせなければ意味がない。騎士団は、清々しいほどに真面目で、まばゆいほどに実直だった。
「でも、それはそれ。これはこれですよ。レムもマリアも俺にとってこの上なく大切なひとたちだから、生きていて、こうして再会できたことはなによりも嬉しくて。だから……」
対価を払うのではなく、一方的な恩返しを行う。ただそれだけのことだ。特別なことでもなんでもない。ありふれた、それこそ原始的とさえいえる感情。
「セツナ殿」
オズフェルトがじっとセツナを見つめていた。その涼やかな表情は、なにかを感じ入っているようではある。
「わかりました。セツナ殿がそこまで仰ってくれていることをわざわざ否定する必要もありませんしね」
彼はにこやかに微笑むと、深々と頭を下げてきた。
「セツナ殿、レム殿、ご協力、お願い致します」
オズフェルトのそういう生真面目さには、好きになる要素しかなかった。
セツナとレムは顔を見合わせ、それから大きくうなずいた。
事務処理を終え、団長執務室を出ると、フロード・ザン=エステバンが真剣な顔で待ち受けていた。
正騎士でありながら(だからこそなのか)セツナとレムの世話係という任務を与えられた彼は、騎士団幹部によるセツナへの打診を知っており、セツナが考える時間を求めたことも把握していた。だから彼は、セツナが騎士団からの協力要請を受諾してくれるよう、気を揉み、セツナとレムが不快な想いをしないよう、必死になっていたようだった。そういったところが、セツナが騎士団騎士に好感を覚えさせる。
もちろん、今回のことは打算や利害があってのことではあるが、騎士団騎士というのは基本的に生真面目だ。フロードのみならず、シドもオズフェルトもルヴェリスも、だれもが真正面から救世の騎士たらんとしている。私利私欲など一切なく、生きているだれかのために命を投げ出す覚悟があるのだ。その究極がテリウスということになるのだろう。
彼は、死してなお、魂だけの存在となってでも己の騎士道を貫き通した。彼のような騎士を育んだ騎士団に助力するのは、決して間違った選択肢とは想えなかった。
フロードは、セツナたちが部屋から出てきたのを把握するなり、すっと近寄ってきた。
「団長閣下との話し合いは終わったようですな」
「ええ。俺とレムは、ベノアガルドの問題が解決するまではここに留まることになりました」
騎士団との協力関係に関する取り決めも、書類で交わした。そこらあたりはさすがは騎士団というくらいしっかりしていた。むしろ、いまのいままでただの好意だけでセツナたちに協力してくれていたことが異常といっていい。騎士団は、なんの利益も求めず救済のために戦うが、だからといって契約をおざなりにしているわけではないのだ。
もちろん、言葉だけでは信用できない、とか、そういうことではない。
書類にしておかなければ面倒事が起こる可能性があるし、仮になにかしら問題が起きたときにも対処がしやすくなる。なにより、文章化しておけば、互いに安心していられるという利点が大きい。
「しばらくの間、お世話になります、フロード様」
「セツナ殿、レム殿、しばらくとはいわず、ずっといてくださっても構わんのですぞ!」
「はは」
セツナは、フロードの威勢のいい言葉に愛想笑を浮かべるほかなかった。彼が冗談でいっているわけではないことはわかる。しかし、当然のことだが、いつまでもベノアに留まり続けることなどできるわけもない。
セツナにも、目的はあるのだ。
その大目的を果たすにはどうすればいいのかわからないいま、ひとつひとつ、目の前のことを処理していくしかない。いま目の前にある問題が、騎士団関連というだけの話だ。もし、大目的を遂げる方法がわかっていて、条件が揃っているのであれば、騎士団と契約を交わしたりはしなかっただろう。
優先するべきは、大目的のほうなのだ。
「しかし、お二方が協力してくださるとあらば、騎士団にもはや敵はなしですな! これで、ベノアの人心も落ち着きを取り戻せましょう」
フロードが拳を握って力説するのを見ていると、なんとも恥ずかしい気持ちになる。
「気が早いですよ。まだ、なにも解決していないんですから」
「そうはいいますが、こうなればもはや解決したも同然ですぞ。なにせ、あのセツナ殿が力になってくださるのですからな」
「はは……」
あの、とは、ガンディアの英雄にして数多の二つ名を持つことをいっているのだろうが、セツナは、なんだか気恥ずかしくなった。執務室の前だ。室内にはオズフェルトがいて、フロードの大声が聞こえていないはずがなかった。オズフェルト以外にも、ベノア城内の騎士団騎士たちの耳に届いていないとは限らない。自分の実力に自信がないわけではないし、頼られるのも嫌いではない。しかしだからといって、自分の実力を見せびらかせるようなことは、基本的にしたくはなかった。そういうのは、自分のやるべきことではない。
と。
「まったく、騎士フロードは、相変わらずノリが軽いわね。セツナ殿が困っているじゃない」
冷ややかな口調で注意したのは、ルヴェリス・ザン=フィンライトだった。彼の到来とともに爽やかな花の香りがセツナたちの鼻腔をくすぐる。なにか香水でも使っているのだろうか。
フロードがぎょっとルヴェリスを振り返る。
「これは、フィンライト卿。も、申し訳ありません。嬉しくて、つい……」
「まあ、セツナ殿とレム殿が味方になってくれたことが嬉しいのはわかるし、はしゃぐのも理解するけど、まずはお二方の疲れを取っていただくことが先決でしょう?」
「疲れ……ですか?」
セツナがきょとんとすると、ルヴェリスは柔和な笑みを浮かべた。
「あなたたちが滞在中、身柄をうちで預かるって話よ」
彼の説明に納得したセツナだったが、フロードが疑問の声を上げた。
「フィライト卿のお屋敷で、ですか?」
「なによ?」
「いやあ、世話役を仰せつかった以上、わたくしの家に起こしいただくものだとばかり」
「なんでそうなるのよ。あなたはともかく、ふたりと、あなたの家族が困るでしょ」
ルヴェリスがセツナとレムを順に見て、フロードに視線を戻す。フロードはしかし、困った様子も見せない。それどころかみずからの胸を叩いて、意気揚々といってのけるのだ。
「いやいや、我が妻と娘ならば、必ずやセツナ殿、レム殿を歓待してみせますぞ」
「……そういえばあなたの家族、みんなそんなだったわね」
「そんな、ってどういう意味ですかな?」
「そのままの意味よ」
ルヴェリスは、フロードの質問にあっさりとした返事を投げると、セツナを一瞥してきた。流し目に色気がある。
「さ、セツナ殿、レム殿、行きましょうか」
「あ、はい」
通路を歩き始めたルヴェリスの後に続くべく、レムの車椅子を押す。すると、レムがフロードを振り返った。
「フロード様、色々とありがとうございました」
「セツナ殿、レム殿、フィンライト卿の手にかからないよう、お気をつけを!」
「まったく、なにいってんだか」
ルヴェリスにとってはフロードの軽口など聞き慣れたものなのか、無礼極まりない発言であるにもかかわらず、笑って済ませた。ルヴェリスとフロードの仲の良さによるところが大きいのだろうが、ルヴェリスならばこのような寛容な対応をしても不思議ではないと想えた。
ルヴェリスは、普段から冗談や軽口をよくいうのだ。だから、フロードのような明るい人物の多少のおちゃめを許すのかもしれない。
「ルヴェリス様、ひとつうかがってもよろしいでしょうか?」
「なあに?」
「フロード様のご家族も、フロード様のような方々なのです?」
「そうよ。彼の妻のアメルも娘ふたりも、あんな感じよ。良かったわね、わたしの屋敷預かりになって」
「どういうことです?」
ルヴェリスのなにかを含んだような言い方が気になり、セツナが尋ねた。ルヴェリスは、こちらを振り返り、笑いながらいってくる。
「あんなのが四人もいるのよ? 一晩も持たないわよ」
「なるほど」
「その点、うちならあなたもくつろげるでしょ。一ヶ月近く過ごした屋敷なんだから」
ルヴェリスが、遠い過去に思いを馳せるかのような顔をした。二年以上前のことだ。そうもなるだろう。セツナにとっても、ベノアでの日々は昔話のようなものとして、記憶に残っている。ベノア滞在中、ルヴェリスの屋敷で過ごした日々は、焦燥感と苛立ちの日々でもあり、忘れようのない苦い経験でもあるのだが。
時の流れは、残酷なほど絶対的だ。
「といっても、“大破壊”で様変わりしちゃったけどね」
彼は、涼しい顔で、いった。。
“大破壊”は、ベノアの各地に被害をもたらした。下層のみならず、上層も例外ではなかった。数多くの家屋が倒壊し、数え切れないほどの犠牲者が出たという。そんな話を騎士団関係者やマリアから聞いている。ベノアはまだ、“大破壊”の被害から復興しきれておらず、立ち直るにはまだまだ時間がかかるだろうというのが、ベノアに住むひとびとの共通認識だった。
ふと、気になることがあり、セツナはルヴェリスに質問を投げかけた。
「シャノアさんは無事なんですか?」
「ええ、元気よ。っていうか、覚えていてくれたのね?」
「忘れるわけありませんよ」
セツナは、苦笑交じりにいうほかなかった。
ルヴェリスの婚約者シャノアは、人間態のラグナを甚く気に入り、なにかにつけてはラグナを独占しようとして失敗していた印象がある。ラグナが覚えた人間らしい立ち居振る舞いや、体の動かし方は、大体がシャノアから教わったものであり、それもシャノアがラグナをできるだけ一緒にいるための方策だったことは、セツナにもわかっている。
シャノアの中で特に印象的だったのは、ラグナをとにかく着飾らせようとするところだった。ラグナの人間態は美女としかいいようのない姿だったが、それがシャノアにはたまらなかったらしい。ラグナは、服を着ること自体、我慢しているようなものであり、着せようとするシャノアと脱ごうとするラグナによる争いは、あの当時、日常茶飯事だった。
そんなことを思い出して、くすりとする。
「シャノアに会ってあげて。きっと、喜ぶから」
ルヴェリスのそんな言い回しがセツナの心をざわつかせた。