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第千七百二十六話 恩義

 アマラに先導されたレムがマリアの研究室に戻ってきたのは、ふたりが出ていってから二時間後のことであり、その間にマリアはセツナを堪能し尽くしたというようなことを戻ってきたレムにいい、レムが氷のような笑顔を浮かべた。レムが内心どのようなことを考えたのか、想像に難くない。

 それから、マリア、アマラと再会の約束をして、研究室を出た。その際、マリアから荷袋を渡されている。なんでも、マリアがアマラの協力を得て開発した新薬が詰め込まれているのだという。レムたちが戻ってくるまでの間、マリアがなにか荷造りをしているのをセツナは見ていた。まさか、セツナたちのために薬品の一式を揃えてくれているとは想いもよらなかった。

 各新薬の説明書もつけてくれているということであり、新薬に関する分厚い書類も荷袋の中にはいいていた。リョハンに辿り着いたらエミルに渡して欲しいというマリアの願いは聞き入れたものの、セツナは、いますぐリョハンに向かうことはできないともいった。

「ああ……そうか。まず海を渡る手段を用意しないとねえ」

 ベノア島とベノア人が呼称するこの島からリョハンまでは、かつてのように地続きではないのだ。間に広大な海が横たわっている。メイルオブドーターは飛行能力を有するが、ベノアからリョハンのある陸地まで飛び続けられる保証はない。地獄での試練を乗り越えたおかげで超長時間の維持が可能になったとはいえ、精神力が持っている間に海を越えられるとは想えなかった。

「それもある」

「ほかになにがあるってのさ?」

「騎士団に恩がある」

「恩? あたしのことかい?」

「それもあるし、レムのこともある」

 セツナが軽くレムを一瞥すると、彼女は真剣な顔でこちらを見ていた。いつも笑顔を絶やさないレムが真顔になると、それだけで本気度が伺えた。彼女にとっても、騎士団への恩は返さなければならないものなのだろう。

「恩は返すべきだろう?」

 でなければ、人間などとは名乗れまい。

 マリアは、セツナの言に納得し、笑った。

「そういう生真面目なところ、嫌いじゃないよ」

 そして、マリアとアマラに見送られて、研究室を出ると、フロードが待っていた。フロードは、ずっと待ち続けていてくれたらしく、セツナは彼の忠勤ぶりに頭が下がる思いだった。トール医師はというと、医師としての仕事のため、離れざるを得なくなったとのことだ。マリアと再会してから数時間もの間研究室に篭もっていたのだ。医師としての職務を優先するのは当然のことだったし、セツナもレムもなんとも思わなかった。

 フロードとともに医術院別館を出ると、空に晴れ間が見えていた。鉛色の雲の狭間にたゆたう青の美しさは筆舌に尽くしがたい。

 などと思いながらセツナの脳裏を過るのは、今朝の会見のことだ。

 現騎士団長オズフェルト・ザン=ウォードは、神卓の間における会見の際、こういった。

『我らが騎士団の存在意義は、救うことにあります。困っているひと、助けを求めているひと、救いを待つひとに手を差し伸べ、望んだ通りの結果を出すことが、騎士団のすべてでした。しかしそれは、この世を救うための手段であり、最終目的は、この世界を破局から守ることでした。それ以上でもそれ以下でもなく、それがすべてだった。そのためだけに救世神ミヴューラはこの世界に存在したといっても過言ではなく、フェイルリングやわたしたちもミヴューラに選ばれ、従った』

 騎士団の存在意義、理念、本質――何度となく聞いたことに関して、疑いの余地はない。騎士団とは何度か、ガンディアの一員として対峙し、激闘を繰り広げたものだが、それらの戦いにおける騎士団の立場は明確だった。求められたから応じただけ、というあまりに簡単な立場。もし、騎士団がそれらの国に助けを求められなければ、みずから手を差し伸べることはなく、故にガンディアと事を構えることもなかったのだろう。

 騎士団は、救いを求める声を聞き、手を差し伸べただけなのだ。そこに悪意などあるわけもなく、ただの善意の塊に過ぎなかった。むしろ、アバードをどうにかして手に入れようとしたガンディアの悪意のほうが恐ろしいまでに研ぎ澄まされていた。

 騎士団は、ミヴューラの教えのまま、この世界を救うべく戦ってきただけなのだ。野心と欲望のために戦野を駆ける国々とは立ち位置そのものが違った。

『我々やあなたがミヴューラに見せられた破局とは、まず間違いなく、聖皇の復活によって起こるはずだった世界の滅びなのでしょう。我々もミヴューラも、クオン殿に逢うまでは見当もつかなかったことですが、彼に逢い、彼と話し合えたことで確信しました。だからこそ、フェイルリングを始めとする六名の十三騎士は、ミヴューラとともにガンディアに向かった。聖皇復活の儀式、その中心地に向かい、儀式の成功を阻止せんとしたのです』

 そこまでは、ルヴェリスに聞いた話と同じ内容だった。

『わたしやここにいるシド、ルヴェリスを含む七名は、ベノアに残されました。それは、阻止に成功した後を考えてのことです。聖皇復活の阻止に成功したとすれば、どうなるか。復活した聖皇による送還を望んでいた神々は荒れ狂うかもしれない。世界が神々の暴走に晒されるかもしれない。そうなった場合、我々残された騎士が真躯でもって事に当たるよう、ミヴューラに命じられていたのです』

 世界を救うため、命を捨てる覚悟さえしていた彼らにとって、ミヴューラのその命令はどれだけ衝撃的なものだったのか、想像しようもない。オズフェルトら残された十三騎士たちも、ミヴューラとともに決戦の地に向かいたかったはずだ。ミヴューラとともに戦うために十三騎士となり、この世を救うために戦い続けてきたのだ。そのための命。そのための覚悟。そのための――。

『しかし、現実はどうでしょう。聖皇復活の阻止に成功したにせよ、失敗したにせよ、世界は破壊され尽くしました。もはや原形も忘れてしまうほど、徹底的に。騎士団は救世の本願を果たせず、人望を失い、凋落の一途を辿ったのは、必然でしかありません』

 オズフェルトは、語り続ける。

『それは致し方のないこと。世界を守れなかった。破壊が起き、多くの命が奪われ、混沌がひとびとを飲み込んでいった。それに対し、我々は為す術もなかった。世界はおろか、ベノアガルド国内のみならず、ベノアのひとびとさえも危険に曝してしまった。その結果、ベノアガルドそのものが割れてしまった。マルカールはサンストレアを独立させ、イズフェール率いる騎士隊も騎士団と袂を分かった。ハルベルトが失望の末、騎士団から離反し、騎士団に滅ぼされた王家の再興を唱えるのも、無理のないことだったのでしょう』

 マルカール・サンストレアの独立、イズフェール騎士隊の決別とクリュースエンド支配、そしてハルベルト・ザン=ベノアガルドの離反――それらが、騎士団の凋落に拍車をかけたのはいうまでもない。元正騎士であり騎士団が任命した市長が独立運動を起こし、騎士団とともにあった騎士隊が決別しただけでなく、騎士団幹部十三騎士のひとりが離反したのだ。騎士団の求心力が瞬く間に低下し、人望が失われ、信頼さえも地に落ちていった様が想像できるし、ベノア市民さえも騎士団を頼みとしなくなるのもわからなくはなかった。

 これでは、以前のように信用するのも難しい。

『起きてしまったことをとやかくいうことはありません。時を戻すことはできない。過ぎてしまったことにどうこういうのは、愚かでしかない。それに騎士団の掲げる大義は、騎士団による統治に拘るものでもない。たとえば、マルカールが神人でなければ、彼にサンストレアを任せたままでもなんら問題ありませんでした。クリュースエンドも、シギルエルも同様に、それぞれに任せても構いません。それで、ひとが救われるのであれば、それに越したことはない』

 オズフェルトの言葉に嘘はなかった。彼は、本心からそう想っている。

『騎士団の理念は救済。それ以外にはありませんから』

 ミヴューラの加護を失い、神卓を失ったいまでも、それが騎士団の理念である、とオズフェルトはいう。

『しかし、ネア・ベノアガルドが我らがベノアガルドを敵視し、攻め滅ぼそうというのであれば話は別です。我々は全力で持ってこれに当たらなければならない。国民を敵の手から守り、国土の安全を確保する。失った信頼を少しでも取り戻していかなければなりません』

 オウフェルトは強く言い切ったが、すぐに頭を振った。

『ですが、そのためには戦力が足りない』

 そこで、彼の視線はセツナに注がれる。緋色の瞳は、セツナの血のように紅い瞳とは異なり、炎のようだった。

『どうかセツナ殿、我々にお力を貸していただけないでしょうか』

『……お話はよくわかりました。俺としても、皆さんに協力したい気持ちはあります』

『では……』

『……少し、時間を頂けますか。ゆっくり考えたいのです』

『ええ。もちろん、すぐに返答を寄越せ、などと厚かましいことはいいませんよ。時間はありますからね』

 オズフェルトの穏やかな微笑は、セツナの解答への期待を込めてのものだったのだろう。

 あの場ではそういったものの、心の中では、セツナの考えは決まっているといってもよかった。

 騎士団には、恩義がある。

 テリウス・ザン=ケイルーンが魂だけの存在となってまで、レムを守り続けてくれていた事実は、セツナの中でとてつもなく大きいものとなっていた。レムは、セツナの従者だが、それだけの関係ではない。大切なひとだ。セツナが幸せにしたいと想うひとり。それなのに彼女のことを放置していたセツナに代わり、二年間もの長きに渡り守り続けてくれていたテリウスの騎士道には敬意を評さなければならなかったし、恩義に報いなければならなかった。それは、騎士団に対してもだ。騎士団もまた、レムを護ってくれるつもりでいたということがルヴェリスの話からわかっている。テリウスがもし、心残りのまま消滅した場合、彼の騎士道を継ぎ、レムを護衛してくれるつもりでいたのだ。

 騎士団には、感謝するほかなかった。

 ラグナのことは、別の話だ。

 セツナは、騎士団のせいでラグナを失ったとは考えてはいなかった。あの一連の出来事は、セツナの力不足が原因といっても過言ではなかった。セツナとラグナを窮地に追い詰めたフェイルリングら十三騎士を賞賛こそすれ、恨みがましく想うことはなくなっていた。それに、そんなことをすれば、ラグナの決意と覚悟に泥を塗る事になりかねない。

 そういったことは、ラグナと再会したときに話し合えばいい。

 そんな結論に至りながらも時間を求めたのは、頭の中を整理する時間が欲しかったからだ。会見の場では、処理しなければならない情報が多すぎた。時間を置き、ゆっくり考える余裕が必要だった。そしてそれは、医術院までの移動やマリアとの再会の間に満たされた。

「フロードさん」

「なんでしょう?」

「俺、騎士団に協力しますよ」

「おお、真ですか!」

「ええ」

 セツナは。満面の笑みでうなずく。

「それでは、さっそく騎士団本部に戻り、報告せねば参りませんな!」

 フロードはなにに興奮したのか、鼻息も荒くセツナたちを先導した。

 レムがこちらを振り返ってくる。彼女の膝の上の荷袋の自己主張が激しい。

「御主人様……」

「恩には恩を。そうだろう?」

「はい!」

 レムのあざやかな笑顔にセツナは満足し、フロードの後を追いかけた。

 戦いが起ころうと、起こらなかろうと、騎士団に協力し、ネア・ベノアガルドの問題が解決するまではベノアに滞在しよう、と彼は考えていた。

 リョハンに行きたいのは山々だったが、方法がないのもあったし、リョハンにいるファリアたちは無事だろうというマリアの話もあった。マリク神の守護結界なるものがファリアたちを護ってくれているらしいのだ。それがある限り、リョハンが危機に瀕することはない。マリアがセツナをリョハンに行かせたがったのは、単純にファリアのことが心配だからというのが大きかった。

 戦女神となり、無理をしているファリアの支えになって欲しいというのが、マリアのセツナへの願いなのだ。マリアがいうのだ。ファリアが無理をしているというのは、疑いようもない。セツナ自身、居ても立ってもいられない気持ちだった。胸がざわつく。ファリアほど責任感が強く、なにもかも自分で背負い込む人間もいないのだ。だから、マリアの願いを叶えることに異存はなかった。

 だが、いますぐには無理だ。

 解決しなければならない問題がある。

 海を渡る方法の確保という大問題の解決には、騎士団の協力を仰ぐのが一番の近道かもしれない。

 そのためにも、騎士団の問題を解決するほうが先決だろう。

 テリウスや騎士団への恩義に報いるという意味でも、それが一番だろう。


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