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第千七百二十二話 ベノアのマリア

「本当に生きているんだね? 幻なんかじゃあないんだね?」

 マリアは、立ち上がりながら涙を拭ったものの、声に交じる涙を拭い切ることはできていなかった。震えながら近づいてくる彼女の姿に、セツナもまた、感極まりそうになる。彼女の無事な姿がただただ嬉しかった。以前と変わらない姿に想えたが、前よりも髪が伸びているようだ。まとめているせいでわからなかったが。

「ああ、生きているよ。俺も、レムも」

「確かめさせてくれないかい?」

「構わないが、どうやって?」

「こうするのさ」

 そういうと、彼女はセツナの後ろに回り、背後から抱擁してきた。セツナは抗わなかった。マリアのしたいようにさせたかった。それくらいは許すべきだろう。彼女のこの二年を想えば、これでも安すぎるくらいだ。

「先生……」

「ああ、本当だ。感じるよ。なんだかまたごつくなったんじゃないかい?」

「さすがは先生だな。よくわかってる」

「ふふん。セツナの体のことなら、ほかのだれよりも知っているさね」

 マリアは、セツナの体中に指を這わせながら、得意気に語った。それから長く伸びすぎたセツナの髪を指先でもてあそび、もう一度強く抱きしめてくる。マリアなりの愛情表現に、セツナは目を閉じた。“大破壊”から約二年、触れ合うどころか、まったく逢えなかった事実を消し去ろうとするかのような力強さが、彼女の抱擁にはあった。それだけ苦しい想いをしてきたのだろう。

 彼女はそうやってセツナの体をひとしきり堪能すると、今度はレムの実在を確かめた。レムを車椅子に座らせたまま、抱きしめたのだ。そのときになって、ようやく、セツナはマリアの感極まった表情を見ることができた。

「レムも、無事でよかった」

「それは、わたくしどもの台詞にございます。マリア様の無事を確認できて、心から安堵しております」

「ふふ……そういう言い方だよね、レムといえば」

 マリアは、レムの華奢な体を抱きしめたまま、涙ながらにいった。

「懐かしいよ。なにもかも」

 懐かしい。

 それが彼女の実感であり、セツナも同じ気持ちだった。あれから約二年が経過した。もっと長い月日が流れている感覚がセツナの中にはあったし、マリアも同じような感覚かもしれない。何十年も会っていなかったような感覚が、マリアの言動に現れている。

「なんじゃ、なんなのじゃ」

 不満そうな声を上げたのは、黒髪の幼女だ。十歳にも満たないくらいの幼女は、ひとり取り残され、地団駄を踏んでいた。

「うちだけ置いてけぼりではないか。つまらぬ、つまらぬぞ!」

「ああ、ごめんごめん、悪かったよ」

 マリアが慌てて謝るも、幼女はそれでは納得できないとばかりに憤慨しながら、マリアに駆け寄った。

「説明せよ!」

「俺にも、説明してほしいな」

「ああ、そうだったね、どちらにも説明しなきゃね」

 マリアは、こちらを見てにこりとすると、その場にしゃがみ込み、幼女を抱きかかえた。そして、セツナとレムを順番に指し示す。

「こちらがセツナ様で、この子がレムだよ。何度も話しただろう?」

「マリアがよく話してくれた大切な人間のことじゃな。覚えておるぞ。なるほど、これがマリアのダンナ様か。確かに良い男じゃな。良い面構えじゃ」

 マリアに抱きかかえられた幼女は、セツナの顔を覗き込むと、ついでその小さな手で顔に触れてきた。ひんやりとしながらも柔らかな感触は、決して気分の悪くなるようなものではなかった。悪意がないのだ。幼女の虹色の瞳には、純粋さというべきものしかなかった。

「ダンナ様って?」

 と、セツナは疑問を浮かべたものの、マリアらしい教え方だと思わないではなかった。マリアはよく、セツナのことを旦那と呼んでいた。そう呼ぶことで場を和ませたり、かき回すことが目的だったはずだ。

「マリア様、いったいどのような教え方をされたのでございます?」

「は、はは……まあ、そのなんだ、冗談だよ、ただの冗談」

「冗談とは何事じゃ。いつも真剣だったではないか」

「う……余計なことを」

 幼女の一言にマリアは絶句した。セツナはレムと顔を見合わせ、マリアに視線を注ぐ。

「マリア様……」

「マリア……」

「だ、だから、ただの冗談だよ。気にしない気にしない」

 マリアが言い訳に終止したため、セツナはそれ以上突っ込んだりはしなかった。マリア相手に余計な突っ込みをすると、藪蛇になりかねない。

 マリアが、抱きかかえた幼女に視線を移す。

「この子はね、アマラっていうんだ」

「そうじゃ。うちの名はアマラなのじゃ。よくよく覚えておくが良いぞ。きっとご利益があるのじゃ」

 自分の名前が余程気に入っているのか、彼女は、声を大にして主張してきた。元気な子供だと思わざるをえない。マリアが説明を続ける。

「見ればわかると思うけど、人間じゃなくてね。精霊なんだよ」

「うむ!」

「精霊?」

「精霊……でございますか?」

 セツナもレムも、マリアの説明に驚きのあまり、きょとんとした。マリアの表情は、こちらの驚き顔が想定通りだとでもいわんばかりのものであり、彼女は、アマラなる幼女をしっかりと抱きかかえたまま、うなずいてくる。

「うん。あたしも最初は信じちゃいなかったんだけどね。この子が人間じゃないのは確かだ。皇魔でもないのは見ての通りさ」

「精霊……」

「なんじゃ、おぬしら、精霊がなんなのかもしらぬのか?」

「あ、ああ……」

「精霊といえば、万物に宿るもの……でございましょう?」

「うむ」

「そうなのか?」

「はい。地水火風の四大のみならず、あらゆるものに宿り、この世界を構成する最大の要素――それを指して、わたくしたち人間は、精霊と呼んでいるのでございます。実際にその存在を目にするのは初めてでございますが……」

 レムによって説明された精霊観は、セツナの世界における精霊観ともよく似ていた。地水火風の四大などは最たるものだ。火のサラマンダー、風のシルフ、水のウンディーネ、地のノームなどのことだろう。創作物によく登場するから、セツナもそれくらいは知っている。ただ、そういった精霊と目の前の幼女は、どうにも合致しなかった。創作物と実際の存在が食い違うのはよくあることとはいえ、だ。

 幼女は、確かにひとならざるものには見えた。虹色の目は異質としかいいようがなかったし、どこか浮いているような存在感も、ほかとは違った。精霊といわれれば、納得できなくもない。

「その精霊様がなぜ、そのようなお姿をして、マリア様と一緒におられるのです?」

「マリアが面白そうなことをしておったからじゃな」

「はい?」

 レムが小首を傾げると、マリアが苦笑した。

「あたしの研究が面白そうに見えたんだってさ」

「うむ」

「へえ」

「研究が……でございますか」

「それで、あたしにちょっかいを出してきてさ、邪魔だったから、追い払おうと追いかけていたら、このざまさ」

 マリアは、苦笑交じりに研究室内を見回した。

「気がついたら、ベノアの町中にいてね、困惑したものさ」

「そういえば、迷い込んだとかなんとか、仰られておりましたね」

「ああ……そういうことだったのか」

 オズフェルトがいっていたことだ。ベノア市内に迷い込んできた人物がいて、その人物が白化症や神人化についての詳細を知っている、と。それがマリアのことだということは間違いない。

「うん。それから騎士団に説明するのが大変だったよ。女の子を追いかけていたら町中に紛れ込んでいた、なんて話、信用できるかい?」

「それはまあ」

「だろ。アマラのやつ、肝心なときに姿を消すんだからさ」

「マリアが悪いのじゃ」

「なんでそうなるんだよ」

「せっかく楽しんでおったのに、邪魔をするからじゃ」

「……ったく、どっちが邪魔をしたんだか」

 アマラと言い合うマリアは、それなりに幸せそうに見えた。駄々をこねる子供を注意する親のように見える、などといえるわけもないが。

「それで、それ以来、ここに?」

「ああ。アマラがいうには、同じ方法を用いても、元いた場所に戻れるかどうかわからないっていうんでね。それなら、ベノアで研究を続けるのもありなんじゃないかって考えたのさ。ベノアも白化症のことで頭を悩ませていたしね」

「なるほどな」

 医師であるマリアにしてみれば、白化症の治療法が確立できるのであれば、それでいいのだろう。

「そういえば、マリア様はここに来られる以前はどこにおられたのです?」

「リョハンだよ」

「リョハン……」

 セツナは、静かにマリアの発した都市の名を反芻した。空中都市リョハン。ワーグラーン大陸北部ヴァシュタリア共同体勢力圏内における唯一の自治都市であるその都市の名は、セツナにとって縁深いものがあった。マリアは、遠い目をしたまま、続けてくる。

「ファリアもミリュウも――あのとき、船に乗せられたみんな、だれひとり欠けることなく、リョハンに辿り着いたんだよ」

 マリアたちを乗せた船がルウファ、グロリア、アスラの三人の力でガンディオンを飛び立ったのは、あの日、“大破壊”が起きるよりずっと前のことだろう。つまり、セツナたちが死ぬつもりで戦場に赴いた後、ルウファたちは、彼の願い通り、ファリアたちとともに戦場を離脱してくれたのだ。

 王都を離れたからといって、決戦の地を離れたからといって、それで皆が助かる保証はなかった。聖皇復活が果たされれば、世界は滅亡する。そうなれば、どこへ逃れようとも関係がない。だれもかれも滅びに飲まれ、なにもかも消え果てるしかなかっただろう。それでも王都より少しでも遠くに行かせようとしたのは、可能性があったからなのだ。

 アズマリアは、クオンとともに聖皇復活を阻止せんとしていた。彼女を信じた。彼を信じた。縋るほかなかった。都合のいい思考をしているが、いずれにせよ、王都に残しているよりはずっとましだと判断しただけのことだ。たとえ可能性がなかったとしても、王都から遠ざけたに違いない。

 でなければ、彼女たちが目を覚ました場合、セツナたちの命がけの戦いが邪魔されかねない。

 死に場所を奪われかねない。

 だから、セツナはルウファたちにファリアやミリュウを任せたのだ。そうすることでしか、彼女たちの想いを封殺し、死地に赴くことはできそうになかった。

 結局、そんなことをしてまで赴いた死地で死ねなかったのが、セツナなのだが。

「皆……生きているんだな」

「ああ。少なくとも、一年半前まではね」

 そういってから、彼女は、ううん、と首を横に振った。

「きっと、いまも生きているに違いないさ」

「皆……」

「御主人様、良かったですね……!」

「ああ……!」

 セツナは、レムの満面の笑顔を見つめ返しながら、涙が流れるのを止められなかった。


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