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第千七百二十一話 医術院

 騎士団立大医術院は、騎士団立というだけあって、騎士団本部であるベノア城のあるベノア上層中枢区画に存在していた。

 フロード・ザン=エステバンがセツナの世話役を命じられ、すぐさま車椅子を用意してこられたのだ。ベノア城から近くないわけがなかった。ベノア城からひとつ路地を挟んだ一角に聳える白亜の建物がそれであり、ベノアガルド国内において医術院を示す紋章が描かれた旗が敷地内に立ち、風に煽られていた。白地に水色で描かれた紋章がなにを示しているのかは不明だが、一度見れば忘れない紋章なのは間違いない。

 医術院の敷地は高く厚い塀で囲われており、敷地内を覗き込むことはできなさそうだった。しかしながら、医術院の建物そのものが塀などよりも遥かに大きいため、遠目からならば建物の外観を窺い知ることはできそうだった。白亜の建物だ。ただ、ベノア市内のほかの建物とは大きく異なるところがあり、それは木造建築物だということだった。ベノアガルド様式の建築物群の中で、数少ない木造建築物ということもあって、大いに目立っていた。しかも、建築されたばかりのような真新しさで、曇り空の下でも眩しいくらいの白さを誇っているのだから、ベノアの景観から浮きすぎるくらいに浮いていても仕方のないことだろう。

「これが医術院?」

「はい。真新しいでしょう。一年半ほど前、立て直したのですよ」

「なんでまた」

「“大破壊”の影響でね、立て直す前の医術院は倒壊、医師患者問わず多数の死傷者を出したのです。“大破壊”の混乱が収まってすぐに再建を始め、ようやく完成したのがおよそ一年前のこと。立て直す際に木造にしたのは、正解だったのでしょうな。院内にこれまでなかった温かみがありますわ」

 フロードの説明を聞きながら、彼の案内に従って医術院の正面に回り込み、開きっぱなしの門から敷地内へと入る。騎士団の従騎士と思しき若者が門番を務めているものの、セツナたちは見咎められることもなかった。正騎士を示す制服を身に纏うフロードのおかげもあるからでもあるのかもしれないが、単純に医術院が開放的なだけという可能性も低くはない。

 医術院とは、端的にいえば病院のことだ。医術院はここにある一軒だけではなく、ベノア市内にほかにもいくつかあるようだが、この大医術院はそれら医術院の中でも特に規模の大きいものであり、収容人数も医師の数もほかと比べるとかなり多いという話だった。

 医術院の敷地内にはふたつの建物があった。ひとつは、木造の本館。これが塀の外から見えていた三階建くらいはあるだろう建物だ。もうひとつは、塀に囲われた敷地内にありながら、分厚い石の壁に仕切られた空間の中にある、石造りの建物で、別館だという。

「別館が石造りなのは、いわずともおわかりになるでしょう?」

「白化症患者が入院しているから……ですか?」

「ご名答。さすがですな」

「さすがもなにも……なあ?」

「はい」

 セツナが同意を求めると、レムが困ったように苦笑を漏らした。

 別館が白化症患者の療養施設だということは、その構造の堅牢さから想像がつく。白化症に冒されたものは、いずれ神人になって暴れ回る可能性がある。それも決して低くはない確率でだ。もしそうなった場合、木造建築ではあっという間に壊されてしまい、ほかの入院患者に被害が及びかねない。ならばせめて、堅牢な石造りの建物にすることで、被害を最小限に抑えたいと考えているのだ。もっとも、神人の攻撃力はとんでもないものであり、石造りの建物であろうと軽々と寸断し、粉々に破壊してしまうほどだ。医術院の医師らがその事実を理解していないわけではないだろうが、少しばかり、セツナは不安に想った。

 ただ、騎士団本部が目と鼻の先にあることが、不安を和らげてくれている。もし万が一にでも、白化症患者が神人となって暴れだしたとしても、騎士団長か副団長のいずれかが即座に対応してくれるだろう。そういう意図もあって、ベノア城の近所に建設したわけではないことはフロードの説明からわかているが、オズフェルトたちがそうなる可能性を把握していないとは思い難い。

 正門を潜り抜けた先は、中庭になっている。冬場ということもあって、小さな池と枯れた木々くらいしか見るものもないが、春になれば辺り一面に色とりどりの花が咲き乱れるという。入院患者の精神保養を目的とした中庭は、入院患者以外にも“大破壊”によって心に深い傷を負ったベノアのひとびとにとっても癒やしとなっているらしい。

「“大破壊”はベノアにも大打撃を与えましたからな。医術院は、負傷者のみならず、被災者の方々のことも考え、数多の花を植えたと聞き及んでおります」

「へえ……」

「どれだけ体が元気でも、心の状態次第では、生きることもままなりませんからな」

「確かに、そのとおりですね」

 フロードの話を聞きながら、彼の後に続き、医術院の別館に向かう。敷地内にありながら石壁によって仕切られた区画には門があり、門は硬く閉ざされていた。気軽には出入りできないようにされているらしく、門番には二名の従騎士が当たっていた。従騎士は、立場的には一般兵と同じであり、雑用に走らされることもあれば、病院の警護に当たることもあるようだった。

 フロードが先に立って従騎士の前に進むと、ふたりの門番は顔を見合わせ、それから正騎士に向かって敬礼した。そして、口を開く。

「この先は大医術院別館です。御用がおありでしたらば、まずは本館で手続きを済ませていただかねばなりません」

「正騎士の頼みでも、か?」

「はっ。我々は、団長閣下より医術院警護の勅命を受けており、いかに正騎士様といえど、我々の一存でお通しするわけには参りません」

 断固たる従騎士たちの態度にセツナはむしろ好感を抱いた。職務に忠実な人間には、どのような立場であれ好意的にならざるをえない。別段、職務に熱心でない人間ばかり見てきたわけではないのだが。

 フロードが、食い下がる。

「そこをなんとかならんか。こちらは客人を連れているのだが」

「なりません。特例を認めれば、我々が腹を切らねばならなくなります」

「ふむ……」

「フロードさん、別に急いではいませんから、本館で手続きをするくらいなら」

「セツナ殿がそう仰られるのであれば、わたくしとしても依存はございませんが……しかし、融通の効かない組織で申し訳ありませんな」

「いやいや……」

 セツナは、フロードが恐縮することのほうが申し訳なく想った。まるでセツナが無理を通させているような気分になってしまう。それもあって本館で手続きを済ませ、正式に別館に入れるようにするほうがよかった。

 それからすぐさま本館に足を運んだものの、別館に入るための手続きに手間取り、昼食を挟むことになった。神卓の間での話し合いが長引き、終わった頃にはとっくに昼を過ぎていたのだ。それでも空腹を感じなかったから医術院に直接移動したのだが、手続きが完了するのを待っていると、腹が鳴った。これでは、別館に入るのも憚れるかもしれない、ということもあって、昼食に至ったのだ。

 医術院本館には、入院患者のみならず、お見舞いに訪れた部外者も利用することのできる食堂があり、セツナたちはそこで遅めの昼食を取ることとした。まるで現代日本の病院のような作りは、医術院本館を再建するに当たり、ある人物の提案によるものだという話を、フロードが漏らした。

 その人物こそ、現在、別館で白化症の研究に従事している医師であり、一年半ほど前、ベノアに迷い込んだ人物のようだ。

「どのようなお方なのでございます?」

「それは、逢われてからのお楽しみにされたほうがよろしいかと。ベノアの医術の発展に貢献してくださっている、素晴らしい方だということはお伝えしておきますが」

 フロードがその人物について敢えて語らないのは、その人物とセツナのなんらかの関わりを彼も理解しているからなのだろう。セツナは問い質したい欲求を押さえつけながら、食事を終えた。代金は、フロードが支払ってくれている。

 セツナは現在、一銭も金を持っていなかった。

「セツナ殿が騎士団に協力してくださるのであれば、資金面で困ることはなくなりますよ」

 そんな風に囁いてくるのが、フロードという人物だった。

 フロードは、第三休息所での戦いぶりを目の当たりにしたことで、セツナを強く評価している様子だった。セツナが騎士団に助力してくれるのであれば、騎士団は戦力面での不安がなくなる、と彼は考えている。彼にとっても、騎士団の戦力不足は実感できることのようだ。ベインが当面動かないと判断したイズフェール騎士隊はともかく、ネア・ベノアガルドとは一触即発の状態であり、看過できないのだ。戦力が必要だと、騎士たちのだれもが考えている。

 末端の従騎士に至るまで戦力不足を痛感しているのは、第三休息所からベノアまでの移動中、休憩のたびに訓練を行う騎士たちの姿を目の当たりにしていたからだ。彼らは、自分たちを鍛え上げることで、少しでも騎士団の戦力を底上げせんとしていた。

 騎士団の求心力、人望そのものは地に落ちたが、騎士ひとりひとりの覚悟や決意そのものはより一層強くなっているようだった。

 セツナが騎士団に好感を抱いているのは、そういう騎士たちの挟持をこの目で見てきたからに他ならない。

 昼食を終え、しばらく待ってからようやく別館への入館許可証が発行された。

「しかし、手間取りましたな」

「仕方がないですよ」

 別館は、白化症患者が療養している施設なのだ。それはつまり、常に危険との隣合わせであるということであり、だれでも簡単に出入りできていいわけもなかった。これくらい厳重に入館を管理するくらいでちょうどいい。

「まあ、そのとおりではありますが、セツナ殿にくらい便宜を図ってくれてもよいのではないか、と思いまして」

「その便宜のせいで俺が目をつけられるようなことは勘弁です」

「はは、仰られるとおりですな」

 フロードは、医術院内ということでことさら声を抑えて笑うと、セツナたちを再び別館へと案内した。

 入館証の提示により、別館の門は問題なく開かれた。曇り空はさらにどんよりとしており、いまにも雨が降り出しそうな気配を見せている。別館に入るのを急いだのは、そのためもあった。傘を持っていないのだ。車椅子を押していることもあり、雨が降り出せばびしょ濡れにならざるをえない。

 別館は、本館に比べるまでもなく小さな建物だった。医術院の敷地を囲う塀の影に隠れるくらいだ。一階建てで、建物自体もそこまで大きくはない。収容人数はそこそこあるのだろうが、別館が患者で溢れかえる可能性を考慮してはいなさそうだった。白化症の発症頻度や患者の数を考慮してのことだろうが。

 そんなことを考えながら別館に入ると、本館同様、薬品のにおいが鼻をついた。

 別館正面玄関の受付にフロードが近づくと、受付前に立っていた白衣の男性が彼に声をかけた。

「お待ちしておりました、フロード様。本館のほうから話は伺っております」

 長身痩躯のいかにも知性的な顔つきの人物で、温和な表情には引き込まれるような魅力がある。医術院で働いている医師のひとりだろうか。

「それなら話は早い。白化症の研究室までの案内をよろしく頼みます」

「研究室……ですか?」

 医師と思しき男は、怪訝な顔をした。すると、フロードがこちらを振り返り、手で示してきた。

「こちらは、セツナ殿とレム殿。御存知でしょう?」

「ああ……そういうことでしたか。それでは、こちらへ」

 男は、セツナとレムの顔を順番に見て、なにやら納得してしまった。レムが、こちらを仰ぐ。

(どういうことなのでございましょう?)

(行けばわかるだろうさ)

 セツナは、レムの疑問ももっともだと想いながら、先を行くふたりの後を追いかけた。考えたって埒が明かない。一応、その人物とセツナがなんらかの関わりがあることは示唆されている。が、決定的なものはなかった。

 道中、受付で待ってくれていたのが別館で働く医師のひとりであることがわかった。名はトール=サイン。三十二歳。別館設立後から白化症の研究と白化症患者の治療に専念するようになったらしい。それもこれも、奥で待つ医師の

 白化症の研究室とやらは、別館の中でも奥まったところにあるようだった。大人ふたりが並んで歩くのがやっとという広さの通路を進み、角を右に曲がった先に硬く閉ざされた扉がある。関係者以外立入禁止の看板が張り出されたその扉を、トール=サインが懐から取り出した鍵で解錠し、開いた。

「この突き当りです。わたしはここで待っておりますので、どうぞお進みください」

 トール=サインが扉の前で脇に体をずらすと、フロードもそれに習ってセツナたちの道を開いた。

「わたしもここで待っていましょう」

「へ?」

「わたくしたちだけで、でございますか?」

 レムがきょとんとするのも当然だった。

「そのほうが話も弾みましょうしな」

「邪魔をして、あとでどやされるのは勘弁願いたいので」

 フロードの気遣いはともかく、医師の言葉には実感がこもっていた。研究室にいるらしい人物に散々どやされてきたのだろう。しかしそういわれると、ますますわからなくなる。

「さあ、どうぞ」

「セツナ殿、レム殿、なにも心配することはございませんぞ」

「それは、わかっていますが……」

「御主人様……」

「行くか」

「はい」

 車椅子を押し、扉の奥へと足を踏み入れる。より狭くなった通路には窓もなく、真っ暗だった。トール=サイン医師が魔晶灯を点灯してくれなければ、その暗闇の中を進まなければならなかっただろう。トールの気遣いに感謝しつつ通路を進んでいくと、突き当りの扉はすぐに視界にはいってきた。

「どうやらあの部屋のようですね」

「ああ」

 扉の先にだれが待っているのか。

 セツナが多少の不安を感じながら扉に近づくと、部屋の中から怒鳴り声が聞こえてきた。

「だから、なんでそうなるんだい!」

 その声を聞いた瞬間、レムがこちらを振り返ってきた。きょとんとした表情にうなずく。よく聞き知った声。怒鳴り方。心が震える。生きていた。ただ、それだけのことが嬉しい。涙さえ出そうになるのを堪えて、車椅子を脇に移動させ、扉の取っ手に触れる。

「こら、待ちな!」

「待たぬぞー」

 部屋の中から聞こえてくる聞き慣れた怒鳴り声とそれに対する女の子の声。セツナは意を決して、取っ手を引き、扉を開いた。床も壁も白く染め上げられた広い一室が、視界に飛び込んでくる。いくつもの机に医療器具や研究用の器具、書類などが置かれている。医薬品の類は、壁際に置かれた棚の中にも見受けられた。研究室の名に相応しい光景だった。そんな室内をばたばたと走り回っているふたりを見て、セツナはレムと顔を見合わせた。

「だから、研究室内を走り回らない!」

 怒鳴っているのは、黄金色の髪を後ろでひとつに束ねた大柄の女だ。白衣の似合う美人で、豊かな胸が彼女の体の動きに合わせて激しく揺れていた。セツナの記憶の中のマリア=スコールと完全に一致した。

「マリアだって走り回っておるではないか」

 そういいながらマリアの前を走っているのは、十歳にも満たないくらいの少女だ。少女というより、幼女といったほうがいいのかもしれない。体が小さいせいか頭が大きく見える。髪は黒く、その上に草花で編まれた冠が乗っていた。綺麗に咲く花弁からは、季節感を惑わせるものがある。大きな目はさながら宝石のように美しく、くりっとして可憐だった。彼女の小さな体に合わせた白衣が、なんともいえず可愛らしい。マリアに追いかけられながら喜んでいるような表情なのは、追いかけっこをしていることが嬉しいのかもしれない。

「それはあんたを追いかけてるからでしょ!」

「ふふん、それはいいわけなのじゃー」

「ああいえばこういう……」

 マリアがなんともいえぬ顔をして肩を落とすと、幼女がセツナたちの前で足を止めた。

「む?」

 怪訝な顔でこちらを見あげてきた幼女の大きな目は、不思議な色をしていた。虹色の虹彩は、幼女がただものではないことを示している。少なくとも、人間にそのような虹彩をしたものはいないはずだ。聞いたこともなければ、見たこともなかった。

「ようやく観念したようだね」

 マリアが走るを止めて、幼女の背後に立つ。マリアはまだ、こちらに気づいていない様子だった。幼女に意識を集中しているのだろう。幼女は、背後のマリアにではなく、セツナたちに興味が湧いたようだった。尋ねてくる。

「おぬし、なんじゃ?」

「え?」

 マリアは幼女の質問によって、ようやく研究室に部外者が乗り込んできたことを知ったようだ。幼女に向けていた視線を上げ、セツナたちを視界に入れた瞬間、引き攣らせていた表情に驚きを走らせる。

「マリア先生」

「マリア様、お久しぶりにございます」

「は……」

 マリアは、セツナとレムを見つめながら、その場に崩れ落ちた。愕然とした表情のまま、茫然と、口を開く。

「ははは……なんてこったい」

「なんなのじゃ?」

「セツナにレムじゃないか……やっぱり、生きていたんだね」

 マリアの頬に涙が伝った。

「良かった……本当に良かった……!」

 セツナも同じ想いだった。

 マリアが生きていて、無事に再会することができた。

 それがどれほど嬉しくて、どれほど感動的なことなのか、言葉に表すこともできなかった。そして、こんな風に驚きと感動に心が揺らされたのも、オズフェルトを始め、フロードやトール=サインらが気を利かせて、黙ってくれていたからだ。事前に知っていれば、ここまでの驚きはなかった。

 もちろん、マリアが生きていることの喜びそのものは変わらなかっただろが。


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