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第千七百二十話 現状報告(二)

 大破壊。

 およそ二年前、大陸暦五百三年十一月二十七日、それは起きた。

 おそらく聖皇復活阻止成功の余波によるものだと断定されるそれは、イルス・ヴァレを、ワーグラーン大陸をばらばらに打ち砕いた。

 世界は、巨大なひとつの大陸だった。ワーグラーン大陸こそが世界のすべてであり、ワーグラーン大陸とそれを囲む海が、このイルス・ヴァレと呼ばれる星のすべてだった。故に、大陸がでたらめに破壊され、ばらばらに散らばった未曾有の大災害は、世界そのものを激変させたといってよかった。

 世界は変わった。

 小国家群北端の国であったベノアガルドの領土も“大破壊”によって引き裂かれ、広大な海にぽつりと浮かぶ島に成り果てた。それは、ベノアガルド以外の国や地域も同様であるらしいが、詳しいことはよくわかっていない、という。

 ベノア島と騎士団が呼称するこの島には、ベノアガルドの隣国もいくつかほとんどそのまま残っている。マルディア、シルビナ、グランドール、エノン、ベルクール、セムルヌスという国々であり、この島をベノア島と呼称しているのは騎士団だけのようだ。マルディアはマルディア島と呼称しているかもしれないし、他国も自国を中心に考えているかもしれないとのことだった。

“大破壊”以降の混乱は、それら国々に様々な事態を引き起こしているらしい。マルディアは先王ユグスが混乱に乗じて軍を起こし、現王ユリウスが統治するマルディアから独立したといい、エノンやセムルヌスでも同様の事件が起きているという。“大破壊”によって引き裂かれたのは大地だけではなく、国家の秩序や繋がりも分断されていったのだ。

 ベノアガルドも、例外ではない。

 サンストレアの独立に続くイズフェール騎士隊の騎士団との決別、クリュースエンドの独立騒動は、騎士団によるベノアガルド統治に暗雲を立ち込めさせた。騎士団の威光はもはや見る影もなく、ベノア市民の間ですら騎士団に対する不満や批判が横行するようになっていた。そうなるのも仕方のないことだ、とオズフェルトたちはいう。

 救いを掲げながら、ベノアガルド一国さえ守りきることができなかったという圧倒的な現実がある。その事実を前にすれば、どのような綺麗事、お題目も霞んでしまうのだ。“大破壊”から二年、時折発生した神人による災害などの影響もあって、騎士団の人望が回復する見込みはなかった。神人災害は、未然に防ぐ事は困難を極める。

 いや、できなくはないのだ。

 白化症患者が完全に白化症に冒される前に殺せばいい。

 神人とは、重度の白化症患者の末路なのだ。白化症患者の治療を諦め、殺しさえすれば、神人災害を防ぐことはできる。実際、ベノアガルド以外の国では、そのように処置しているところもあるといい、成果を上げているという。だが、救済を掲げる騎士団が、白化症を発症しただけの罪もないひとを将来神人になる可能性があるからという理由だけで殺すことなどできるわけもなかった。白化症を発症したからといって、すぐさま神人になるわけではないのだ。発症してから一年以上、闘病生活を続けている患者もいるという。また、発症と同時に神人化した例も報告されており、すべての生物に発症の可能性があるということを考えると、被害を皆無に抑えるには、全人類、いや、全生物を殺さなければならなくなるのだ。

 全生物に発症の可能性がある――という事実には、セツナもレムも絶句するほかない。

 人間のみならず、虫、獣、鳥、魚といった生物に発症する可能性があるというのだ。そしてそれを防ぐ手立てもなければ、治療法もない。治療法に関しては、現在、ベノアの医術院で研究している真っ只中とのことだが、成果は上げられていないという。

「御主人様」

「ん……?」

 考え込むセツナの意識を現実に引き戻したのは、レムの呼びかけだった。

 オズフェルトたちとの会見を終えて神卓の間を出てから、ベノア城内を歩いていた。

 もちろん、歩くこともままならないレムは、セツナが両腕で抱えていた。レムは、軽い。少女の頃から体型が変わっていないうえ、痩せ気味だからだ。それは、二年間眠り続けた影響ではない。どうやら、筋肉こそ収縮してしまったものの、栄養を取らなかったためにやせ細るということはなかったようだ。どういう理屈なのかさっぱりわからない。

 腕の中のレムは、もはや城内の騎士たちの視線を気にもしなくなっているらしかった。

「これから、どうなされるおつもりなのですか?」

「……まずは、医術院にいってみるよ」

「白化症や神人化について聞かれるのですね?」

「ああ」

 医術院の話を持ち出してきたときのオズフェルトの意味ありげな表情も気になっていた。まるで、医術院にいるというベノアに迷い込んだ人物とやらが、セツナと関係があるとでもいいたげな表情だった。ベノアに迷い込んできた、という言い方も気になっている。迷い込むとはとういうことなのか。まるでどこかからこの都市に転移してきたとでもいいたげではないか。セツナの知人だろうか。だとしても、医術院で働くような知人など、そういるものでもない。

 そして、その人物がもたらした情報によって、騎士団は白化症、神人化の詳細を知り、そう呼称するようになったという事実も、気になる。信頼に値する情報と判断したのには、なにかしらの理由があるはずだ。

「“大破壊”から二年。俺もおまえも知らないことが多すぎる」

「はい……」

 だから、知るべきなのだ。

 知るということは、判断材料が増えるということでもある。今後のことを考える上で、判断材料がないままでは、どうしようもない。

 そんな風に考え事をしながらベノア城を出ると、相も変わらぬ曇り空だった。

「セツナ殿―っ!」

 大声に視線を落とすと、ベノア城の正面玄関から城門へと続く階段の下、つまり城門前からこちらに向かって手を振る人物がいた。フロード・ザン=エステバンだ。にこやかに手を振る彼の姿は、どうにも人懐っこく見える。

「どうされたのでしょう?」

「さあ?」

 小首を傾げて、階段を急ぎ足で降りた。

 鎧を脱いだフロードは、騎士団の制服のみを着込んでおり、いかにも軽快そうな様子だった。ベノア市内ならば、そこまで警戒する必要はないとの判断だろう。気になるのは、彼の満面の笑みだ。人好きのする笑顔には、つい引き込まれ、笑いそうになる。

「どうしたんです? そんな大声で」

「そろそろ団長閣下との会見も終わる頃合いだと想いましてな、待っていたのですよ」

「俺を?」

「はい。いくらセツナ殿でも、レム殿を抱えたままで歩き回るのは大変ではないかと想いまして」

「はあ?」

「医術院からこちらを拝借して参った次第で」

 といって、彼は、左に自分の体をずらして、背後に隠していたものをセツナに見せつけるようにした。

「これは……」

「車椅子……でございますね」

 レムのいう通り、フロードが指し示した物体は、車椅子そのものだった。無論、セツナの世界で利用されているような、最新技術の塊ではない。木製の椅子に車輪と取っ手を取り付けたような簡素な代物だった。しかし、車椅子として利用するには十分な機能を備えているようだったし、耐久性も悪くなさそうだ。座部には、長時間座っていても臀部が痛くならないよう厚めの座布団が敷かれているという配慮も、フロードのものかもしれない。

 フロードが満面の笑みを浮かべていた理由がなんとはなしにわかった。セツナを驚かせたかったのだろう。彼は、セツナとレムの反応に満足そうな表情をすると、車椅子をセツナの目の前に押してきた。

「ささっ、レム殿をこちらへ」

「あ、ああ」

「確かにこれならば、御主人様の負担も激減できますね」

「うん」

 レムのほっとしたような言葉を肯定しながら、彼女を車椅子に座らせる。確かにレムがいくら軽いとはいえ、何時間も抱きかかえ続けるのは、さすがのセツナであっても無理難題だった。いまはまだなんともないが、そのうち疲労が蓄積し、腕が悲鳴を上げるようになるだろう。

 レムが車椅子の上で安堵しているのは、お姫様抱っこのまま好奇の視線に晒されるという状況から抜け出せることができたこともあるのだろうが。

「しかし、なんでまたフロードさんが?」

「いやはや、つい先程のこと、セツナ殿、レム殿のベノア滞在中、お二方の世話係という重要任務を申し付けられた次第なのですよ」

「フロードさんが、ですか」

「はい!」

 にこやかに、そして元気よくうなずくフロードは、世話係という任務に対し、まったく不満を抱いていない様子だった。それは極めて不思議だった。彼は正騎士であるはずだ。騎士団幹部に次ぐ地位にある人物なのだ。それが、世話係。不満や不服を持ったとしても不思議ではない。むしろ当然といっていい。

「いや、でも、正騎士ですよね?」

「はい!」

「いいんですか? セイヴァス卿に与えられた任務とか、ありません?」

「セイヴァス卿の任務も大切ですが、連絡係なんてのは正騎士でなくとも務まります故、部下に任せました。団長閣下の勅命を最優先するのは、当然の道理でございましょう?」

「そりゃあまあ、そうかもしれませんが……」

「ということで、滞在中、なんなりと申し付けください。わたしにできる範囲のことでしたら、なんでもいたしますよ」

「あ、ああ、はい、助かります」

「宿も手配済みです。向かわれますか? お疲れでしょう」

「いや……まずは、医術院とやらに行ってみたいんだ」

「ああ、なるほど。そういうことですか」

 合点がいったとでもいうようなフロードの反応を見る限り、彼は、医術院にいるベノアに迷い込んだ人物のことを知っているようだった。セツナは、あえて問いたださず、うなずいた。聞いても答えてくれないかもしれないし、セツナが勘違いしているだけかもしれないのだ。ここは聞かず、医術院まで案内してもらえればそれで十分だった。

「では、案内いたしましょう」

「ああ、車椅子は俺が押します」

 車椅子の後ろに回ろうとしたフロードに呼びかけると、彼は意外そうな顔をした。

「セツナ殿が、ですか?」

「レムは俺の従者ですから」

「御主人様……」

「レム殿は、素晴らしい主に恵まれたようですな」

「はい。自慢の主でございます」

 照れくさくなるようなことを平然といってのけるレムに、セツナは苦笑するしかなかった。もちろん、嬉しくないわけではない。

 医術院に向かうのは、医術院にいるという人物に逢うためだけではなかた。

 考える時間と、判断材料が欲しかったのだ。

 なにか行動をするにあたって、基準となるものが必要だ。そのためには、様々な情報を得る必要がある。騎士団から与えられる情報だけを鵜呑みにしていては、判断を間違うおそれがある。

 車椅子を押し、フロードの後を歩くセツナの脳裏を過るのは、オズフェルトの言葉だった。

『セツナ殿。あなたにここまでお話したのは、あなたに騎士団への協力を要請したいからです』

 会見の終了間際、オズフェルトは真剣な眼差しで、そういってきた。

『ベノアガルドが現在置かれている状況については、ご理解いただけましたでしょう。騎士団は、苦境に立たされています。サンストレアこそ騎士団の保護下に入りましたが、そのおかげでベノアの戦力は減らさざるを得なくなったといってもいい』

 ロウファ・ザン=セイヴァスと彼の部隊がサンストレアに入ったからだ。

 これで、現在ベノアに残っている十三騎士は四名となった。

 そのうちひとりはベノアの神人災害対策に当たることになり、オズフェルトとシドは騎士団の指揮に当たらなければならない。自由に動かせるのは、たったひとりなのだ。そのたったひとりをクリュースエンドに当てると、もうひとつの脅威に対する駒がなくなるのだ。無論、十三騎士以外を当てるという手もあるのだが、そのもうひとつの脅威に対しては、十三騎士と同程度の戦力でなければ心もとないのだ。

 騎士団が苦境に立っている最大の原因が、その勢力だといった。

 それは、ベノアガルド旧領南東の都市シギルエルを制圧すると、ネア・ベノアガルドと名乗った。

 ネアとは「新しい」を意味する古代語であり、つまり、ネア・ベノアガルドとは新生ベノアガルドという意味になる。

 かつて十三騎士に名を連ねたベノアガルド王家最後の血統ハルベルト=ベノアガルドが率いる勢力が名乗るには、これ以上ないほどに相応しい国名だと、オズフェルトたちは皮肉でもなくいっていた。

 また、十三騎士のひとりであり、彼の教育係を務めたシヴュラ・ザン=スオールは、ハルベルトの説得に赴いたが、消息を絶ったという。おそらくは、ネア・ベノアガルド側についたのではないか、というのがオズフェルトたちの推測であり、シヴュラの性格上、ありえないことではない、と。

『スオール卿は、ハルベルトが騎士団から離反したことに責任を感じていた。責任の取り方は、ひとぞれぞれだ。ハルベルトとともに在ることで彼の暴走を抑えようとしてくれているのかもしれない』

『ま、なんであれ、騎士団が信頼を失うのも至極当然というものでしょう?』

 ルヴェリスが、苦しみ抜いているのであろう心中を覗かせるようにして、つぶやいたのを覚えている。

 オズフェルトたちは、ネア・ベノアガルドがベノアガルドに対決姿勢を見せており、無視できない状況が続いているのだといった。予断を許さぬ状況であり、サンストレアにロウファを常駐させることにしたのも、シギルエルからの攻撃の可能性を考慮した上でのことだった。

『セツナ殿にお願いしたいのは、ネア・ベノアガルドとの関係が落ち着くまでは、ベノアに滞在し、我々に協力してほしいということです』

 オズフェルトたちの考えとしては、ネア・ベノアガルドと戦うつもりはなかった。ハルベルトが矛を収め、シギルエルから出てこないのであれば、騎士団から干渉する必要もないと考えている。シギルエルを取り戻したとして、維持できるだけの力は、もはや騎士団には残されていない。それならばいっそのこと、シギルエルの統治をハルベルト率いるネア・ベノアガルドに任せてしまえばいい。

 それは、騎士団の理念に反することではない。

『協力してくださるのなら、我々も、あなたへの協力を惜しみません』

 オズフェルトの提案は、その点では、魅力的に想えた。


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