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第百七十一話 接敵

「バハンダールが陥落したそうだ」

 クルード=ファブルネイアの冷静極まりない態度に、ミリュウは飲んでいた紅茶を吹き出しかけた。陥落の報せよりも、クルードの表情のほうが、よほど驚きをもたらしてくれる。もちろん、彼のもたらした情報も余程衝撃的なのだが、彼の真面目くさった顔が、ミリュウには面白すぎたのだ。

 ザルワーン西部の都市ルベン。バハンダールからは目と鼻の先といってもいい。それは逆もまた同じことであり、ルベンから少し南に進めば、バハンダールの湿原が見えてくるはずだ。その湿原の先に、難攻不落として名高かったバハンダールがある。

 ミリュウの記憶では、メレド侵攻への最大の障壁であり、ザルワーンの部隊が何度も攻め寄せてはそのたびに大敗を喫したという話だが、いつの間にかザルワーンの手に落ちていたらしい。十年の時差とは凄まじいもので、ミリュウたちは、戦争に乗り込む前に、現状を知ることから始めなければならなかった。

「もうボロボロね」

 ミリュウが屈託なく告げると、クルードは肩を竦めた。室内には、彼女と彼以外に、ザイン=ヴリディアが寝ているだけだ。ザインは、どこかから連れてきた三匹の子猫と戯れるうちに眠ってしまっていた。ボサボサに伸びきった髪を手入れしようともせず、その姿は野生児そのものだ。クルードやメリルのいうことは聞いてくれるので、特に問題はない。動物たちと水浴びもしているので、不潔というわけでもなかった。

 ミレルバスに天将位を授けられ、さらに二千人の兵士を連れて行くように命じられたのが、十一日のことだ。五方防護陣の兵隊を掻き集めるのに時間ばかりがかかり、ビューネル砦を出たのが十五日。つまり、昨日である。そして、ルベンに辿り着いたのが先ほどであり、強行軍の疲れを癒やそうとした矢先にクルードが悲報をもたらしてくれたわけだ。

 十三日、ナグラシアを発ったガンディア軍は、ザルワーン側には、ルベンを目指すものだと思われていた。

 難攻不落のバハンダールを攻め落とすなど、普通は考えない。通常の戦力では、到底勝ち目がないからだ。かつてザルワーン軍がバハンダールに固執したのは、メレドが外征に対して積極的になりつつあったからにほかならない。バハンダールを拠点されると、ザルワーンとしては厄介以外のなにものでもなかったのだ。だから早急に制圧を望み、多大な犠牲を払ってしまった。その成果としての長期攻囲なのだろうが、もっと早くに気づくべき作戦には違いない。

 ガンディア軍は、ザルワーン側の思惑を無視してバハンダールを攻撃したのだから、たまったものではない。

「まったく、やんなっちゃうわね」

「出番が遠のいたな」

 クルードは、報告書をミリュウのテーブルに置くと、白髪を掻きあげた。前髪が少し長いのだ。邪魔なら切ればいいのに、とは思うのだが、どうやら彼のこだわりがあるらしいのでいうだけ無駄だった。

「ま、すぐに来ると思うけど」

「だろうな」

 クルードの相槌を聞きながら、ミリュウは手にしていたティーカップと焼き菓子をテーブルに戻した。焼き菓子はルベンでは有名なものらしく、ビューネルでの待機中に知ったミリュウは、到着早々部下に買いに走らせたのだ。天将位の威光を存分に使っている。だれも文句はいわないし、いえるわけもなかった。

 兵が天将に逆らえば、首が飛ぶ。

 手に取った報告書を見ると、バハンダール陥落直後に書かれたものなのか、興奮と衝撃に文字が踊っていた。が、読み辛いという印象もなく、むしろ、欲しい情報が簡潔に記されていてありがたい。

 十五日の午前中から始まったガンディア軍の侵攻は、東と南の二手に別れて行われた。翼将カレギア=エステフと副将ベイロン=クーンは南側を制し、後に東側の軍勢を迎撃する予定だった。当初は順調に推移していた。副将ベイロンの剛弓が南側の敵陣を蹂躙したのだ。敵軍が城壁の弓部隊の射程圏に入れば、勝利は間違いないものと思われた。だが、突如、バハンダール上空より黒き矛のセツナが投下されてきた。

「上空から投下って」

「前代未聞だな」

 クルードが笑ったのは、彼の脳裏に浮かんだ情景があまりにおかしかったからかもしれない。ミリュウも同じだ。難攻不落の城塞都市の中で気楽に構えていたら、黒き矛のセツナとやらが空から降ってきたのだ。その戦果の数々は、ザルワーンにだって知れ渡っている。ミリュウがその存在を知ったのは地上に出てきてからだが。

 ガンディアが隆盛の勢いに乗っているのは、彼の存在によるところが大きいという。黒き矛のセツナ。ガンディアがバルサー要塞を奪還するときに千人以上の敵兵を殺戮したことで一躍有名になったらしい。ログナー制圧戦争でも大活躍し、敵武装召喚師の撃破と戦争を終結に導く活躍を見せたということだ。黒き矛はガンディアの象徴になりつつあり、彼はいま王立親衛隊《獅子の尾》の隊長を務めていると聞く。セツナ・ゼノン=カミヤ。

 その黒き矛がバハンダールに投下されたことで、状況は一転したようだった。

 バハンダール市街が騒然となり、翼将からの命令が各地に飛んだ。黒き矛とは直接戦わず、疲弊させ、消耗させることを優先しろ、という命令に全軍が動いた。南門と東門がいつの間にか開放されていた。翼将が死んだという報告あり。副将の死亡を確認。黒き矛が暴れ回っている。弓兵隊が全滅したらしい。東と南の敵軍がバハンダールに到着するのも時間の問題だろう。降伏を訴える連中と徹底抗戦の連中でもめていたが、どうやら結論が出ることはなさそうだ。敵がバハンダールに入ってきた。

「つまり、黒き矛のセツナってのに手酷くやられちゃったってわけね」

「難攻不落の城塞都市も、空中からの攻撃には対処できなかったということだ」

「視認できない高さってどれくらいなのかしら」

「さあな」

「とにかく、規格外ってことよね? その黒き矛って子」

「戦果を聞く限りはそうだな」

「遭ってみたいわね」

「戦場で会えるさ。俺たちは彼を倒さなくてはならない」

「ええ」

 クルードの断言にミリュウはうなずいた。バハンダールの奪還には戦力が足りない、というほどでもない。こちらには武装召喚師が三人おり、それぞれが鍛え抜かれた戦士でもある。正攻法で攻め立てても、城壁ぐらいは突破できるだろう。が、湿原を行くのは気が引けた。バハンダールに進むには、泥にまみれなければならないらしい。バハンダールへの街道は狭いのだ。

 それに、バハンダールを攻める必要はない。倒すべき敵は、ガンディア軍の象徴たる黒き矛。彼さえ倒せば、ザルワーンの置かれている状況が一変する可能性もある。ガンディアがもっとも頼みにしている武装召喚師が死ぬのだ。戦意は低下し、士気も落ちよう。なにより、黒き矛を寵愛しているという噂のレオンガンドが意気消沈し、ガンディアに帰ってくれるかもしれない。そうなれば御の字だ。

 無論、全ては推測にすぎないし、敵の能力も定かではない。情報を精査する暇はなかった。ありったけの情報を頭に叩き込んだようなものだ。覚えているだけ偉いと褒め称えられるべきなのだ。

「燃えてきたわ」

 ミリュウが、俄然やる気を出したのは、それほどの武装召喚師ならば、なにかを見せてくれるかもしれないからだ。

 この、地獄から生還した女に。



 九月十六日。

 相変わらず晴れ渡った空の下で、大将軍アルガザード・バロル=バルガザールが指揮を執る中央軍四千八百人の大軍勢が、ザルワーンの大地を進軍していた。

 ナグラシアを発ったのが十五日の午後のことだ。

 目的地は北西に位置するゼオルだ。龍府攻略の足掛かりにちょうどいいし、進路上に位置する都市でもある。突破せずに進むことは難しい。

 ナグラシアでの準備中に飛び込んできた情報によれば、ゼオルに駐留する第七龍鱗軍の指揮権は、龍府から派遣された聖将ジナーヴィ=ライバーンに移っており、第三龍鱗軍の生き残りも吸収されたようだ。ゼオルの現在の兵力はおよそ二千五百ほどだと、ガンディア側は見ている。精確な規模はわからないが、およそその程度だろう。

 まず、第七龍鱗軍が千人。そこに合流した第三龍鱗軍の生き残り約七百人。ジナーヴィが手勢も引き連れずに派遣されるとは思えないので、これに数百人を追加したのだが、もっと多い可能性もある。ジナーヴィがどれほどの兵力とともにゼオルに派遣されたのかが気にかかるところだが、ザルワーンの事情を考えるとそこまで多くの兵力を持たされてはいないのではないかと推測された。

 首都たる龍府の防衛戦力も必要だろうし、グレイ=バルゼルグの軍に対応する兵力も必要だ。また、各地に分散させた兵力を動かすのは容易なことではない。そして、ガンディア軍が複数の部隊に分けたというのは、相手にも筒抜けだろう。特に、西進軍は十三日のうちにナグラシアを発っている。

 西進軍の目的地が、まさかバハンダールだとは思うまい。難攻不落の都市に手を出すには、少なすぎる兵力だ。が、西進軍は最強の戦力を保有している。黒き矛。ガンディアの攻撃の要たる彼を西進軍に組み込んだのは、バハンダール攻略のためだ。彼の力ならば、どんな困難も打開してくれるだろう。

 レオンガンドのセツナへの期待と信頼は、留まるところを知らない。

 レオンガンド・レイ=ガンディアは、中央軍の隊列の中列にある。前列はガンディア方面軍第一軍団の千名が受け持ち、その両翼を二組の傭兵団が補っている。右翼に《蒼き風》、左翼に《白き盾》だ。レマニフラの黒忌こっき隊と白祈はっき隊の四百五十人は中列にあり、レオンガンドとナージュの乗った馬車を護るように展開している。ナージュは彼らの姫君であり、近くにありたいというのは本能に近いのだろう。もちろん、王立親衛隊《獅子の牙》と《獅子の爪》も馬車を守護している。中列の右翼にハルベルク・レウス=ルシオン率いるルシオン軍千名、左翼にギルバート=ハーディ率いるミオン軍千名。後列にミオン軍の残る五百名とガンディア方面軍第五軍団の五百名が続く。

 どうにも横幅のある隊形だったが、行軍中のことだ。戦闘隊形ではない。それに、ほとんどのことはアルガザード大将軍に任せてある。彼なら、ハルベルクやギルバート将軍とも仲良くやってくれるだろう。白翁将軍と呼ばれる歴戦の将は、同盟三国の間では名の通った人物だ。

 馬車は、レオンガンドとナージュが乗るからといって特別なものではなかった。兵糧や備品の運搬のための馬車であり、ふたりと三人は、その荷台の片隅に座っている。レオンガンドは本来、馬上のひとだった。馬に乗り、隊列の中で戦風を感じるのは嫌いではないのだ。兵士たちに声をかけたりするのも悪いものではない。王が直接話しかけることは、戦意高揚にも繋がる。無論、やりすぎると逆効果だろうが。

 ナージュの同行が、彼を荷台に押しこむ結果になった。

 御者台でも構わないというのだが、荷台よりも狭い空間では落ち着いて話もできない。それに、ナージュには当然のように三人の侍女が付き従っており、彼女たちだけ荷台に押し込めるのは気が引けたというのもある。ナージュは、レオンガンドのその申し出を喜んで受け入れてくれた。四人は、姉妹のように仲が良く、常に一緒にいるというのが当然なのだろう。彼女らの戯れは、レオンガンドの心を豊かにしてくれる。

 荷台には五人のほかにもうひとり、乗り込んでいる。アーリアだ。レオンガンドにもナージュにも、侍女たちにもその存在は認識できない。が、間違いなく乗り込んでいるはずだ。レオンガンドの身を護るのが彼女の役目なのだ。といいながら、彼女がナージュのことを護りたがっているのが、レオンガンドには不思議に思えた。

 アーリアとは長い付き合いだが、彼女が感情を吐露したことなど、ついぞなかったのだ。ナージュは、アーリアの心を一瞬にして掴んでしまったらしく、レオンガンドの関せぬところでは、姿を見せ、話し合ったりしているらしい。ナージュという存在がもたらした変化には、レオンガンドも驚くばかりだ。

 ナージュの同行には、レマニフラの外交官グロウン=メニッシュが猛反対していたが、結局、認めざるを得なかったらしい。姫君の身を案じれば、グロウンが反対するのは当然だろう。しかし、ナージュは、同盟を結んだものの役目として、この戦いを見届ける義務があるといって聞かなかったようだ。グロウンは、ガンディアに出向いて以来、ナージュのわがままに振り回され続けている。

 ナージュは、なんとしてでも護り通さねばならない。

 でなければ、彼女の同行を許したレオンガンドの立つ瀬がなくなる。無論、そんな体面上の問題だけではない。彼女はレオンガンドの妻となる女性なのだ。この戦いが終わり、レマニフラとの間で合意がなされれば、正式に妃として迎えることになるだろう。そんな女性を危険な目に合わせたとあれば、自分を許せなくなる。

「この戦が終わるまで、わたくし、陛下の側を離れませんわ」

 ふと、ナージュがレオンガンドの目を見据えていってきた。黒い宝石のような目が、影の中でも美しく輝いているようだった。レオンガンドは、抱きしめたい衝動に駆られたが、状況をわきまえ、なんとか抑え込むことに成功した。無論、表情には出さない。

「戦が終わっても、離れないでいただく」

 レオンガンドが微笑して告げると、彼女は驚いたように口に手を当てた。その驚いた表情も、じっと見つめていたくなるものだから困りものだ。

「まあ」

「陛下、素敵すぎます」

「さすが姫様の選ばれたお方ですわ」

「ひゃあ様、そこは「ひゃあ」ですよ、「ひゃあ」」

「いつまで引っ張るのかしら」

 などと会話が盛り上がっていたときだった。

 馬車が止まり、荷台が揺れた。ナージュが姿勢を崩したのを支えながら、レオンガンドは御者台の方を見やった。声が聞こえてくる。

「前方、敵の軍勢を発見した模様!」

 レオンガンドは、激戦の予感を抱いた。

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