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第千七百十八話 この世の地獄

 ベノア。

 ベノアガルドの首都にして、かつては王都として知られた大都市にセツナたちが辿り着いたのは、第三休息所を出発した二日後だ。

 大陸暦十二月二十三日。年の瀬も迫りつつあるその日、空は分厚い鉛色の雲に覆われ、良好な日和とはとても言い難い色合いを見せていた。冬であり、北国であることもあり、気温の低さが身に沁みるようだった。そしてこの寒さはどうやら、ベノアガルドが北国だからという理由だけではないらしいことをルヴェリスに聞いている。

「“大破壊”以前は、ここまで寒くなかったのよ」

 馬車の中で一夜を過ごしたあと、ルヴェリスは息を白く凍らせながらいったものだ。

「気候も変化した、ということですか?」

「それもあるんでしょうね。でも、一番の理由は、“大破壊”は、大陸をばらばらにしただけではないというところに有るみたいね」

 ルヴェリスはそういうと、誤魔化すように微笑んできた。ルヴェリス自身、よくわからないことなのだろう。彼は知識として理解していることは教えてくれるが、そうでない場合は、よく笑って誤魔化すのだ。

 セツナは、馬車移動中、レムを膝の上に乗せたまま、“大破壊”による世界への影響についての想像を巡らせることが多かった。ルクスや十三騎士のことを想えば、考えざるを得ない。彼らが身命を賭して護ってくれた世界の現状について、しっかりと把握したいと思うのは、悪いことではあるまい。

 想像を巡らせるうちに時間が過ぎた。もちろん、レムの相手をしなかったわけではない。レムは、二年近くもの間、離れていたせいなのか、なにかとセツナとの会話を求めた。まるで自分の実在を確かめようとでもするかのような彼女の姿に、セツナは、二年の空白を想い、できるだけ応えた。

 そうして、やっとのことでベノアに到着すると、馬車と騎馬で構成された行列は、一路騎士団本部であるベノア城へと向かった。その間、セツナとレムは、ベノアの町並みを見る暇さえ与えてもらえなかった。

「あとでたっぷり見て回れるわよ。あなたたちさえ良ければ、だけどね」

 ルヴェリスの意見に反論する理由もなかった。そも、馬車は彼の所有物であり、ベノアまでなにごともなく辿り着けたのも馬車と彼のおかげだったのだ。到着後の行動を制限されたとして、文句などいえるはずもない。

「では御主人様、後でベノアを案内してくださいませ」

「おぶってか?」

「それは……その……」

 狼狽え、顔を真っ赤にするレムを見て、セツナはほくそ笑んだ。いままで彼女にはからかわれっぱなしだったが、どうやらこれからはこちらが主導権を握れるかもしれない。そうすれば、これまでとは異なる関係性が構築できるのではないか。

 そんなことを考えた。


 騎士団本部ことベノア城に入って早々馬車を降りたセツナたちは、ベノア城の惨状を目の当たりにした。壮観としかいいようのなかった白亜の王城は見る影もなくなっていたのだ。城壁に刻まれた大きな亀裂は、市街地から城へと続いており、地面や城壁のみならず、城そのものにも深い爪痕を残している。ベノアガルドの荒野やサンストレアで目撃した断裂を思い起こさせるそれこそ、“大破壊”の影響なのだという。

「“大破壊”は、ただ大地や城を破壊しただけではないわ。多くの国民の命を奪い去り、騎士も数多く、命を落としたのよ。上層も下層もなく、様々な場所で破壊が起こった。だれもが救いを求めていたのに、それに応えることができなかった」

 ベノア城がまるで落城寸前のような有り様を見せていることに対し、ルヴェリスは顔つきを険しくして、その苦しい胸の内を吐露した。

「それが、わたしたちにとってはなにより辛いことだったわ」

 セツナは、レムをお姫様抱っこの要領で抱えながら、ルヴェリスのあとに続き、ベノア城の門から続く石畳を進んでいた。その間、ベノア城を囲う城壁や、白く美しかった城そのもの壁や塔といった建造物、付属物に刻まれた傷跡と、その上で補修されている光景を目の当たりにして、何度となく驚いたものだ。

 ベノア滞在中に見た城は完全無欠なほどに美しく、完璧とさえいえたものだが、現在のベノア城は比べ物にならないほどの状態だった。サンストレアよりも甚大な被害を受けている様子であり、その理由は見当もつかない。ただ厳然たる事実として、ベノア城に致命的といっていいほどの被害が出ており、二年経った現在も修復しきれていないということだ。

「これでも、できるかぎりのことはしたんだがな」

 ベノア城へと続く石の階段を登っていると、上段から野太い声が降ってきた。見ると、冬場であることを忘れさせるくらいの熱気を感じさせる赤銅色の肌が目につく、大男が立っていた。騎士団の白と青を基調とする清廉とさえいえる制服に袖を通した大男は、城壁に刻まれた亀裂を眺めている。肌の色合いこそ北方人らしさはないものの、整った横顔などは他の騎士にも勝るとも劣らないものがある。ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコート。

「ラナコート卿……」

 セツナが名をつぶやくと、彼はこちらに目を向けた。そして野放図なまでの大声で反応してくれる。

「よお、久しぶりだな、セツナ伯。元気そうでなによりだぜ」

「ラナコート卿こそ、お元気そうで、良かったです」

「そりゃあ本心か?」

 にやりと、笑う。

「どういう意味ですか」

「俺ァ、嫌われてても不思議じゃあないんでね」

「嫌ってたからって、そんなこというわけないじゃないですか」

「そりゃあそうだ。はっ、こりゃあ一本取られたな」

 大きな手を自らの頭に乗せて茶目っ気たっぷりに笑うベインだったが、その諦観に満ちた瞳は笑顔から程遠いものだった。

 ルヴェリスがセツナとベインの間に割って入る。ルヴェリスも決して背が低いわけではないが、騎士団でも随一の巨躯を誇るベインと対峙すると、とても小さく見えた。ベインが上段にいるせいもあるのだろうが。

「ラナコート卿、任務の方は終わったのかしら?」

「ああ。クリュースエンドはありゃあ、しばらく動きそうにないからな。こっちに戻ってきた」

 彼は自分の頭を撫でると、空を仰ぐ。

「妙な胸騒ぎがしてな」

 そして地上に視線を戻した彼が見たのは、セツナたちのようだった。目線が合う。やはり、どこか諦めに似たものが、その瞳の中に揺れている。

「そしたらどうだ。いまや懐かしい黒き矛殿がいるじゃあないか。外れる勘も、たまにゃあ信じてみるもんだな」

「はあ?」

「そのうえ、件の死神さんまでいる始末だ」

 レムのことだ。

 ルヴェリスが知っていたのだ。ベインが知らないわけもない。騎士団幹部全員が上方を共有していると考えるべきだ。

「ケイルーン卿は、満足していたかい?」

「……ええ」

 セツナが、レムより先に口を開き、肯定した。

 認めたくはないが、テリウスが消滅間際に見せた表情はこの上なく満ち足りたものであり、その事実がセツナの胸に突き刺さり、何度も思い出させたのだ。

「そうかい。それなら、良かった」

 ベインが少しだけ悲しそうに、笑った。

「気に食わない野郎だったが、あいつはあいつなりの騎士道を貫き通したんだ。だれにでもできることじゃあねえ」

 ベインもまた、ルヴェリスがいったようなことを言葉にした。騎士道。ベノアガルドの騎士たちにとって、騎士道ほど重要なものはないのだろう。そして、それぞれに異なる騎士道を持っているということがなんとはなしに理解できる。テリウスの騎士道が命を賭してでも約束を守ることであれば、ルヴェリスやベインの騎士道はどのようなものなのか。少しばかり気になった。

「特にこんな世の中だ。まっすぐ立っていることさえできない人間ばかりの中、ケイルーン卿ほどまっすぐに走り続けた奴はいねえのかもな」

 ベインが自嘲するようにいうと、ルヴェリスが口を開いた。

「なにいってんの」

「あ?」

「あなたも、まっすぐじゃない」

「そう……かねえ」

 ベインは、ルヴェリスの視線から顔を背けると、空を見上げながら鼻を掻いた。ルヴェリスが肩を竦める。

「そうよ。少なくとも、わたしにはそう見えるわ」

「へっ……フィンライト卿のお墨付きを頂けるとはな。長生きするもんだ」

「あのね……」

 ベインの茶化すような口ぶりと表情にルヴェリスがなにかいおうとすると、ベインは軽く肩を竦め、セツナたちの目の前から横に退き、道を開けた。きょとんとしていると、彼は表情も口調も新たに、告げてくる。

「団長閣下が首を長くしてお待ちだ。進まれよ」

「えっ? あ……」

「ったく、調子狂うわねえ。行くわよ、セツナ殿、レム殿」

「は、はい」

 セツナは、苦笑しながら階段を登り始めたルヴェリスの後を追いかけながら、レムを顔を見合わせ、互いに小首を傾げた。

 十三騎士たちの間には割って入れない絆がある。


「ラナコート卿も、相当参っているみたいね」

 ルヴェリスがセツナたちだけに聞こえるくらいの小声で囁いたのは、もちろん、ベインからかなり離れてからのことだ。ベノア城内に入り、従騎士や使用人が行き来する回廊を進んでいる最中だった。セツナは、ルヴェリスのそんな一言にも驚かなかった。ベインといえば豪快かつ放胆なところが魅力となる人物だったが、ついさっきあったベインからはそういう部分が鳴りを潜めているように見えた。ここが騎士団本部だから遠慮しているようではない。そもそも、彼は騎士団本部であろうと遠慮しないところがあった。それなのに彼は、どこか別人のように振る舞っていたのだ。

 それが、セツナには引っかかっていた。

「“大破壊”から二年。わたしたちの仕事なんて、碌なものじゃあなかったもの。結局、ベノアを守ることで精一杯だった。そして、その守りも完璧には程遠いものだったのは、この城の惨状を見れば明らかでしょ?」

 城内にも、亀裂が走ったままだ。壁や床に深々と刻まれた断裂。城を支える柱が折れ、倒壊寸前なのではないかと思えるほどの惨状だった。二年。“大破壊”後の混乱をなんとかして乗り切ることで精一杯だったこともあるのだろう。城の修復作業はほとんど進んでいない様子だった。余裕がないのだ。これだけの損傷を綺麗さっぱり修復するには大掛かりな工事が必要だろうし、人手が必要だ。これまで、それだけの人手を城の修復工事のために費やしていられる状況ではなかったのだ。おそらくは、ベノア城の損傷がほとんど手付かずにも近い状態で放置されているのは、そういう理由だろう。

「わたしたちがいかにミヴューラ神の御力に頼っていたのか、痛感したわ。神様がいなくなった途端にこの体たらくだものね」

 ルヴェリスのため息は、彼自身もまた、参っていることの現れだったのではないか。

 セツナは、ルヴェリスの背中が少しばかり小さくなったように見えて、目を細めた。

「フィンライト卿……」

「ま、こんなところでしんみりしていても仕方がないわ。さ、行くわよ。団長たちがお待ちよ」

 こちらを振り返ったルヴェリスの表情こそ明るかったものの、無理をしているのは明らかだった。

 ロウファもベインもルヴェリスも、生き残った十三騎士たちは、だれもが無理をしているようだった。

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