第千七百十七話 騎士道とは(四)
「“大破壊”に至る過程については、あなたたちもよく知っているはずよね。三大勢力が突如として小国家群への侵攻を始め、多くの国々が滅ぼされていった。降伏も交渉も聞き入れられなかった。三大勢力いずれもがただ暴力を撒き散らした。それもこれも、儀式を完成させるためだった」
「知っているんですか」
セツナは、ルヴェリスの説明に驚きを覚えずにはいられなかった。
「あの戦いのすべてが、聖皇復活のための儀式だったということを」
「ええ。知っているわ。知らないわけがないじゃない。彼が教えてくれたんだもの」
「クオンが……ですか?」
「そうよ」
ルヴェリスが静かにうなずく。
「小国家群へと進行を開始したヴァシュタリア軍は、当然、ベノアガルドにも押し寄せてきたわ。でも、ベノアガルドは滅ぼされなかった。それはどういうわけか。簡単な話よ。クオン殿が、十三騎士とミヴューラ神に助力を求めてきたのよ」
クオンが最後に語った目的を思い起こせば、彼が騎士団に助力を求めるのもわからないではない。
「彼は、儀式そのものを止めることはできないといっていたわ。帝国と聖王国が動き出してしまった以上、神子の一存では、ヴァシュタリア軍を止めることはできない、と。ヴァシュタリアを真に支配するのは、ヴァシュタラの神々。神々の力の前では、クオン殿もどうしようもなかった。だから、クオン殿はヴァシュタリア軍の侵攻そのものは諦める代わりに、別の手を打つことにした。世界を滅ぼさせないために」
クオンが世界を滅亡から救おうとしていたということは、セツナも知っている。アズマリアからクオンを邪魔しないようにいわれていたのだし、クオン自身がそういっていた。聖皇復活による破滅から世界を守るために、彼はあの場に現れ、そしてセツナたちの無意味な戦いを終わらせるべく守護領域を展開したのだ。それで良かったのに、それが正解だったのにもかかわらず、セツナはクオンの介入を許せなかった。
頭では理解していたのだ。だが、心では納得できなかった。だからセツナはクオンに怒りをぶつけ、挙句、黒き矛を折ってしまった。そのことを思い出して、苦い想いが胸に満ちる。
揺れる馬車の中、ルヴェリスの目はどこまでも澄み切っている。
「聖皇が復活すれば世界は滅ぼされる。それはクオン殿の見解だったのだけれど、ミヴューラ神も同調されたのよ。ミヴューラ神がわたしたちに見せた破局の光景。それこそ、聖皇復活によるものであるとミヴューラ神は確信なされた。だから、クオン殿の協力要請に一も二もなく応じ、十三騎士の半数と神卓がヴァシュタリ軍とともに行動をともにした」
それが革命後、新生した騎士団の理念を全うするということであれば、ミヴューラや騎士団がクオンの要望を受け入れ、行動をともにするのもわからなくはない。救世神ミヴューラが見せた破局の光景が聖皇復活そのものであるとなれば、ミヴューラと十三騎士が動かないわけにはいかないのだ。だが、それならばなぜ、七人はベノアに残ったのか。疑問の残るところだが、それは、おいおい、教えてくれるかもしれない。
「それから、ガンディアでなにがあったのかは、わからない。聖皇復活の阻止に成功したのかどうかも不明のままよ。ただ、わたしたちにはわかることがあったわ。それは、団長閣下を始め、ガンディアに赴いた六名が命を落としたということ――」
ルヴェリスが目を伏せて告げてきた事実には、衝撃こそ受けたものの、驚くことはなかった。テリウスが死んでいたという事実を知っていれば、ほかの十三騎士も同じように死んでいると受け取るのが普通だ。ベノアに残った七名以外は、ガンディオンの爆心地で死亡したのだろう。
また、ルヴェリスの話によって、これまで聞いていた騎士団の現状に関する様々な疑問に納得の行く答えが出た。オスフェルト・ザン=ウォードが騎士団長となり、副団長にシド・ザン=ルーファウスがついたこと、騎士団が弱体化したという話にも納得がいく。十三騎士の半数近くがいなくなったとなれば、弱体化するのも無理はなく、そこにマルカールが付け入る隙を見出すのも不思議ではない。騎士隊との決別も、そういうところから生じたのだろう。
「十三騎士はね、ミヴューラ神の御力によって深いところで繋がっているのよ。魂の深奥でね。その繋がりが断たれた。わたしも、オズフェルト団長も、皆も、理解したわ。フェイルリング団長閣下たちが身命をとして、この世界を恐るべき破局から護ってくれたのだって、ね」
ルヴェリスが深い悲しみを打ち消すように、泰然と笑った。
「現状、でたらめなまでに破壊されてしまったけれど、これでも増しな方なのよ、きっと」
その強がりにも似た微笑みこそ、ルヴェリスの騎士道なのかもしれないと想ったのは、そこに彼の心の強さを見たからだ。華のように美しく、それでいて凛然としているのがルヴェリス・ザン=フィンライトというひとだった。
そんな彼が慕い、敬愛していた他の十三騎士たちのことを想う。
中でもフェイルリング・ザン=クリュースとの対峙は、いまでも印象に残っている。ワールドガーディアンと名付けられた真躯を駆る彼は、真にこの世の行く末を憂い、世界を救うために騎士団を率いていたのだと、セツナは理解していた。だから、ラグナが死んでしまったことに対する恨みや怒りも、彼に直接ぶつけようとは思わなかった。結果的に敵対したが、斃すべき相手などではなかったのだ。
尊敬するべき相手だと、いまこそ確信する。
フェイルリングは、自分の言を実践した。
騎士団が掲げた世界救済という大義名分を命をかけて実行し、死んだのだ。フェイルリングたちほど誇り高く、騎士の名に相応しい人間がいただろうか。結局、神人の力に酔っていたマルカール=タルバーなど、騎士の風上にも置けない人物であり、比較のしようもない。そんなマルカールが罵倒し、嘲笑した騎士団こそがこの世界を護ってくれたのだから。
「聖皇復活を阻止することはできたんだと想います」
思わずそういってから、セツナは、胸の奥で疼く痛みに気づいた。世界の現状を聞いてからこれまで、目を背けてきた事実を直視しなければならなくなってしまったからだろう。ルヴェリスの話を聞くということは、そういうことだ。
ルヴェリスは、フェイルリングたちは、クオンとともにガンディアに赴いたのだと。聖皇復活の阻止への協力は、クオンが提案したことであり、クオンは、シードオブメサイアの力だけでは不安だからと救世神率いる騎士団に話を持ちかけたに違いなかった。ほかにも協力者がいたかもしれないし、探し求め続けていたことは、グリフを連れて行ったことからも察することができる。
クオンは、本気で世界を救うつもりだったのだ。もちろん、彼のことをよく知るセツナには、彼が生半可な気持ちで行動を起こすような人間ではないことくらい知っている。疑ったこともない。《白き盾》の行動理念も本気だっただろうし、ヴァシュタリアに赴き、神子ヴァーラと合一したのだって、それによって世界がよくなると本気で信じたからに違いない。彼は、どんなときでもそうだった。本気で、セツナを救おうとしてくれていたのだ。それが鬱陶しかった。その手をはねのけることもできない自分が、あまりにも惨めで哀れな存在に思えるから。そう思わずにはいられない自分の心の醜さが目について、自分をますます嫌いになっていくから。
クオンさえいなければ。
そう想いこむほどだった。
だが、いまはどうだ。
心に生まれた大きな空洞に気づき、セツナは、自分の胸に手を当てた。
神の加護を受けていた十三騎士たちが死んだのだ。
クオンも、死んだのだろう。
彼は、この世を救うために十三騎士たちとともに命を投げ打ち、見事、世界を破滅から救ってみせたのだ。代償としての死は、重いのか、軽いのか。
ひとの命に軽重などないという。
実際その通りなのかもしれない。
セツナは、失って初めて気づいた彼への想いの深さに戸惑うばかりだった。
「聖皇が復活を果たせば、この世は聖皇によって滅ぼされるとアズマリアはいっていましたから」
世界は、でたらめなまでに破壊され、大陸はばらばらになってしまった。が、滅び去ったわけではない。サンストレアのように、生き延びたひとびとがいる。世界はまだ、生きている。つまるところそれは、聖皇復活だけは妨げられたと考えるべきなのだ。もし聖皇復活が成功していたのであれば、イルス・ヴァレは聖皇の一存によって抹消されていたに違いない。
アズマリアの言を信じるならば、だ。
そして彼女を疑う道理はない。
世界は救われたのだ。
少なくとも、滅亡してはいないのだから。
「そう……それが確かなら、テル君や団長閣下、皆の犠牲は無駄ではなかった……ということね。それが聞けて、良かったわ……」
ルヴェリスが、自分自身に言い聞かせるようにいったところを見ると、本心では納得できていないのかもしれない。
セツナにはまだそこまで実感がないが、二年もの間、“大破壊”後を行きてきたルヴェリスには、そうは思えないのかもしれなかった。
「ひとつ、疑問があるのでございますが」
レムがおずおずと尋ねると、ルヴェリスは穏やかな笑顔を作った。それが作り笑顔だとわかったのは、表情の変化がぎこちなかったからだ。無理をしているのは一目瞭然で、彼の複雑な心中を垣間見た気分だった。
「なにかしら?」
「……だとしたらなぜ、テリウス様はわたしとここに?」
それは、セツナの中でも大きくなりつつある疑問だった。テリウスがクオンたちとともにガンディアに赴いたことはわかった。だが、“大破壊”に巻き込まれて死んだはずの彼が、なぜ、レムとともに騎士団の休息所にいたのか。
「テル君の話によれば、“大破壊”が起きた直後、意識を失い、海を漂うあなたを見つけたんだって。セツナ殿を探したけれど、見つからなかったから、あなたを助けたそうよ。そして、この地まで泳いできた」
「泳いで……でございますか?」
「そうらしいわ。まあ彼には飛行能力はないし、ほかに考えられないわよね」
だからといって、想像の及ぶ範疇にはないような事実だが。
「上陸後、最初にたどり着いたのが第三休息所にだったのよ。それで、消耗した力を回復させるためにもここで休むことにしたそうなのだけど、あなたを寝かせたら、“死神”たちが出現した。彼は困り果てたそうよ。あなたをベノアに移送して、わたしたちに保護を任せるつもりだったのに、休息所から動かせなくなるんだもの」
「それは……その……」
「あなたが恐縮するようなことじゃないわ。無意識のことでしょうしね。ただ、テル君にしてみれば、困惑するしかなかったでしょうけれど。彼は、力の浪費を恐れた。少し休んでみて、自分の力が回復しないことに気づいたのだそうよ」
ルヴェリスから語られるテリウスの真実は、セツナに様々な衝撃をもたらす。
「彼はそのとき、ようやく理解したのよ。自分が死んでいて、この場に留まっているのが神の力の残り香でしかないということに」
セツナの脳裏に、消滅する直前のテリウスの姿が浮かんだ。光を発しながら罅割れ、砕け散っていく彼の姿は、今思い返してみれば、確かに神々しくさえあったかもしれない。
「だから彼は、レム殿を動かすために力を消耗するよりも、この場に留まり続けることを選んだ。騎士団に協力を仰がなかったのは、わたしたちが忙しいこと知ったからよ。そんなこと気にしなくていいのに、ね。わたしたちも彼に無駄な気遣いをさせたくないから、あそこにはだれも近づかせないようにした。騎士団を優先する彼の意思を尊重したのよ」
そこに多少の後悔がなかったとは、ルヴェリスはいわなかった。しかし、彼の過去を悔いるような苦味を帯びた表情からは、テリウスに力を貸せなかったことへの本心が現れているように思えた。
「彼は、あなたを待ち続けた。あなたとレム殿の関係性を知っていたから、レム殿が生きている限り、あなたがどこかで生きているという証明だといっていたわ。そして、レム殿を目覚めさせることができるのも、きっとあなただけだと、ね」
「それで、二年……」
「そう。二年」
「二年……」
レムがぎゅっと拳を握った。彼女の思い詰めた表情には、テリウスへの深い哀悼の意が込められているのはいうまでもない。
「テル君はね、下層出身なのよ」
「下層……でございますか?」
「ベノアには、都市構造上、上層と下層と呼ばれる明確な区分けが存在するのよ。上層には王侯貴族、騎士たちが栄華を謳歌し、下層では一般市民が圧政に喘ぎながら暮らしていた。もちろん、革命以前のことよ。腐敗しきったベノアガルド政府の統治下では、それが当然だった。それが、ベノアガルドの有り様だった。下層民は上層民に虐げられ、搾取されるだけの存在だったわ」
革命以前のベノアガルドの実情を聞くたびに、空恐ろしくなる。もしフェイルリングらが立ち上がらず、革命がならなければ、ベノアガルドは腐敗したまま滅びへと向かっただろうし、救世神ミヴューラと十三騎士も存在しなかったのだ。クオンだけでは“大破壊”による被害はもっと酷かったに違いなく、最悪、世界そのものが滅亡していた可能性さえあるのだ。
「下層民から成り上がるためには、商人として莫大な富を成すか、貴族に取り入るか、騎士団に入り、取り立てられるか――そのいずれかしかなかった。テル君は騎士団に入ることを望み、当時の下部組織銅盾戦団に入った。そこで騎士としての薫陶を受けるはずだったのだけれど、そうはならなかった」
ルヴェリスの自分の膝に置いた指がわずかに震えていた。まるで革命以前のベノアガルドの実体を思い出すことが恐ろしいかのように。
「騎士団にも腐敗の風が吹き荒れていたわ。革命が起きるまでは、ベノアガルドは腐りきっていたもの。わたしだって、騎士にならずに済むのならと芸術家を目指していたくらいには腐っていたもの。銅盾戦団もね、腐っていた。テル君の直属の部隊長は、上層民だということをいいことに、下層民出身者を好き放題していたそうよ。隊員が騎士団に助けを求めても、だれも聞く耳を持たなかった。最低でしょ?」
「騎士団にそんな時代があったなんて……」
「信じられませんね……」
「でもそれが、革命以前のベノアガルドの現実だった。そして、それをだれもが享受していたわ。腐りきった世の中で生きるには、そうするよりほかなかった。閣下や一部を除いては、ね。だから、銅盾戦団のような下部組織からの救いの声なんて見て見ぬふりをしたのよ」
彼が吐き捨てた気持ちも、わからなくはなかった。
「その結果が、テル君の暴走に繋がった」
ルヴェリスが冷ややかにいう。
「彼は、下層民だったからなのか、騎士への憧れが強かったのでしょうね。わたしのように騎士を腐敗の象徴としてしか見れなくなったものとは違って、彼は、騎士とはかくあるべきだ、という想いがあった。それで銅盾戦団に入ったのに、彼の上司は暴君以外のなにものでもなかった。彼は、ついに当該部隊長を殺害し、その足で騎士団本部に出頭したそうよ」
テリウスの潔癖な性格からすれば、激発するのは時間の問題だったのだろう。
「彼は、殺人容疑で投獄されたけれど、何の申開きもせず、ただ犯行を認めるだけだったというわ。それだけ騎士団に愛想を尽かしていたのでしょうね。そんな彼が釈放されたのは、革命後のこと。もしあの事件のあとすぐに革命が起きなければ、彼は騎士団によって処刑されていたでしょうね」
「そんなことが……」
セツナは、ただただ驚きを持って、ルヴェリスの話を聞いていた。ベノアガルドが革命の前後で大きく変わったという話は聞いたことがある。
「彼は、だれよりも騎士であろうとしていたのよ。命をなげうってでも、そう想っていたのでしょうね。下層民に生まれた彼が騎士団の中で、自分を認めさせるにはそうするほかなかった。騎士としての生き方とはどうあるべきか。騎士とはなんなのか。彼の自問に対する答えが、あなたとの約束を守ることだったのでしょう」
「約束……」
「したんでしょう?」
「約束というほどのものではございませぬ。テリウス様から一方的に告げられてきたことで……」
レムは、言葉を飲み込み、黙り込んだ。
「そう、それが彼の中の騎士道だったのよ、きっと」
ルヴェリスが、レムを穏やかな目で見ていた。
「一度口にしたことは決して曲げてはならない。ただ、そこに非があれば認め、是正する。それが彼の目指す騎士の姿だった」
「テリウス様……」
レムが胸の上で手を組んで、目を閉じた。彼の冥福を祈ったのだ。レムがこうして元気でいられるのは、すべて、テリウスのおかげだ。テリウスがいなければ、“大破壊”の余波の中で死んでいた可能性がある。テリウスが彼女を見つけ、保護してくれたからこそ、生き延びた。テリウスが己の騎士道にまっすぐな人間だったからこそ、だ。
セツナも、彼女に習って、目を瞑った。
テリウス・ザン=ケイルーン。
初めてレムが彼と遭遇した話を聞いたときは、嫌なやつだと思わざるを得なかったが、いまとなって考えてみれば、それも彼なりの騎士道を貫いていたに過ぎなかったのだろうと想う。
彼には感謝しかなかったし、彼の魂が、地獄ではなく、天国に行くことを願わずにはいられなかった。もし天国など実在しなくとも、だ。
彼はそんなセツナの願いを鼻で笑うかもしれない。
騎士には、そのような願いなど不要だと、怒るかもしれない。
それでも。
(ただ、心よりの感謝を)
セツナは、テリウスの冥福を祈り、また、十三騎士やクオンたちのことも心から想った。
多くのものが失われたものの、それ以上に数多くの命が救われ、この世界が滅びを免れ得たのは、なにもかも命を賭した彼らあってこそなのだ。
そのことを強く意識したとき、セツナは、自分の愚かさと無力さにもう一度真正面から向き合うこととなった。