第千七百十六話 騎士道とは(三)
「そう……だったのね」
テリウスの消滅を伝えたものの、ルヴェリスは、セツナが想像したほどの驚きを見せなかった。
「あまり、驚いていませんね……?」
「ええ。驚いてはいないわ。わかっていたことだし、覚悟していたことだもの」
ルヴェリスは、目を伏せた。
「でも、それが現実になると、結構、辛いわね。もう少し、受け入れられるものと想っていたのだけれど」
言葉通り、彼は心から辛そうな表情をした。そして、セツナたちが驚くべきようなことをいってきた。
「彼、ケイルーン卿――テル君はね。二年前の“大破壊”で命を落としていたのよ」
「え……?」
「ケイルーン卿が……亡くなられていた?」
「そんな馬鹿な……我々は確かに見ましたぞ」
フロードが、信じられないといったように声を荒げた。
「ケイルーン卿は、確かにここにおられ、レム殿を守られておったのです!」
フロードの剣幕はまるで、テリウスの成した行いが無にされることを恐れているかのようであり、彼のテリウスへの評価が伝わってきた。テリウスが消えたあと、一番落胆していたのも彼だった。特別関わりがあったわけではないが、二年もの間、死神の寝所を守り続けてきたことに対し感銘を受けたらしいのだ。
ルヴェリスが、フロードの剣幕をどこか嬉しそうな表情で見ていた。
「それは、知っているわ。いったでしょ、彼に逢いに来たって。わたしも、騎士団幹部のいずれも、テル君がここで死神ちゃんを護っていることは知っていたし、だから、ほかのだれも近づいてはならないと命令を下した。テル君の負担を増やしたくはないものね。本当は、騎士団幹部のいずれかが彼に協力してあげるべきだったのでしょうけれど、“大破壊”からこっち、そんな暇はなかったから……」
ルヴェリスの声には、深い後悔の念と哀しみや寂しさといった感情がないまぜになっているようだった。ルヴェリスはルヴェリスなりにテリウスのことを想い、心を砕いてきたのだろう。この二年という月日、騎士団としての任務に従事しながら、考えずにはいられなかったのだろう。疲労の残る顔に、テリウスへの哀悼が刻まれていた。
「そう。彼は消えたのね。でも、良かったわ。消える直前、あなたがセツナ殿と再会できて、目をさますことができて。それを、テル君が見届けることができて」
ルヴェリスがレムを見て、微笑む。
「本当に良かった」
それは、彼の本心のようだった。嘘偽りのない本音。だからこそ、胸に刺さる。だからこそ、震える。テリウスが光に包まれて消滅する瞬間の光景が、脳裏を過ぎった。テリウスのいかにも満足そうな表情が彼の本心であったことが、ルヴェリスの言葉によって裏づけられる。
「テル君は、そのためにここまで帰ってきたんだもの。あなたをいつか、セツナ伯に引き合わせるためだけに」
「え……?」
「わたくしを……でございますか?」
レムが、茫然とつぶやいた。
「ここは、ベノアガルドの領地だった場所よ。小国家群が健在だった当時、ヴァシュタリアとの境界に面した最北端の国。ガンディアからどれだけ離れていると想っているの?」
ルヴェリスがなにをいいたいのか、なんとなく理解できた。彼はつまり、こういいたいのだ。ガンディオン周辺の戦場にいたはずのレムが、どうやってここまで来たのか。
“大破壊”の震源地といってもいいガンディオンの近くにいたレムが巻き込まれないわけがないが、“大破壊”の影響でこんなところにたどり着き、みずからの意思で建物内で眠りにつくとは考えにくい。それなら、レムが覚えていないはずがないのだ。なんらかの意思が介在していると考えるべきであり、それがおそらくテリウスなのだろう。
だが、だとしたら、不自然なことがある。
「それは……そうですが。しかし、ケイルーン卿はどうやってレムをここに連れてきたんです?」
「それについては、ベノアに向かいながら話すことにしましょう。それで、構いませんね?」
「はい」
セツナがうなずくと、ルヴェリスはにこりとした。
「ところでさっきからきになっているんだけど」
「なんです?」
「あなたたち、いちゃつきすぎじゃないかしら?」
「はあ?」
「あ、あの、これは、ですね」
慌てふためくレムの様子が、以前の彼女からはまったく考えられない反応であり、セツナは驚きを持って見つめた。
「ご、御主人様が勝手に……」
「あら、セツナ伯の趣味なのね。あなたって見た目によらず積極的というか、場所をわきまえないのね?」
「あのですね」
セツナは、ルヴェリスの面白がるような表情を見て、憮然とするほかなかった。
ベノアへの道中には、馬車を用いることとなった。
それはレムが騎馬に耐えられるかどうかわからないということもあったが、最大の理由は、ルヴェリスがほかの騎士たちに話を聞かせたくなかったからのようだった。
元々荷駄を積んでいるだけの馬車の荷台に乗り込まざるを得なくなったのはそのためだが、荷台に乗って移動することには慣れすぎていることもあって、なんの問題も不満も感じなかった。荷台の積荷のいくつかは、休息所の蔵に移された。休息所は、本来騎士団所有のものであり、訓練施設を兼ねているといっても過言ではない。いまでは利用されることも少なくなったものの、またいずれ使うときがくるだろうということで、後々必要となる物資を持ってきたのだとルヴェリスはいった。
また、ルヴェリスが伴ってきた騎士たちの半数が、休息所に残ることとなった。休息所を賊徒や怪物に占拠されるわけにはいかないし、場合によって、イズフェール騎士隊が制圧に乗り出してくる可能性もあるからだという。
元を同じくする騎士団とイズフェール騎士隊は、サンストレア独立後、その考え方の違いから決別し、イズフェール騎士隊はクリュースエンドに拠点を移した。それから一年半余り、騎士隊はクリュースエンド周辺の休息所を支配下に収めることに熱中しているらしく、この第三休息所も何度か騎士隊からの攻撃があったらしい。それをテリウスは、たったひとりで軽々と跳ね除けている。
テリウスの実力を考えればそれくらいできて当たり前かもしれない。
ともかく、第三休息所まで奪われては、騎士団の名声も地に落ちかねないということで、防衛戦力を配備することになったそうだ。
「いつまでもテル君を頼っている場合じゃないものね」
動き出した馬車の荷台で、ルヴェリスは、ため息まじりにいった。約二年間、ここをテリウスに任せきりだったことが彼の中に後悔として残っているのだろう。
セツナは、荷駄に凭れるようにして座り、膝の上にレムを乗せている。レムの体力がなさすぎて、踏ん張りが効かないようなのだ。セツナが支えてあげなければならない。レムはそのことを恥ずかしがったが、いまさら照れることでもないだろうと彼は想う。甘えられるときくらい甘えてくれればいいのだ。それに応えてあげられるくらいの甲斐性はあるつもりだった。
「さっきもいったように、彼はとっくに死んでいたのよ。だから、いつかこうなることはわかっていたわ。彼を現世に押し留めている力が失われれば、跡形もなく消えてなくなることくらい、ね」
「なにが……あったんですか?」
「正確にはわからない。でも、ひとつだけ確かなことがある」
ルヴェリスが厳しい表情で、告げてくる。
「“大破壊”――およそ二年前、このイルス・ヴァレを襲った未曾有の災害のことは、知っているわね? ワーグラーン大陸をばらばらにして、世界中に毒を撒き散らしたその中心にテル君はいたのよ」
「え……?」
「テル君だけじゃない。フェイルリング団長閣下にアームフォート卿、クローナ卿、ローディス卿、エーテリア卿の合計六名がその場にいた」
「ガンディオンに……ですか?」
「ええ」
「そんな……」
「どういうことなのでございます?」
レムがルヴェリスに尋ねるのを信じられない気持ちで見つめる。あの日、あの時、あの場所に、フェイルリングたちがいたというのか。まったく気づきもしなかったし、想像すらしたことがなかった。
「セツナ殿は、ご存知でしょう? わたしたち十三騎士の存在意義、存在理由については」
「救世神ミヴューラの見せた破局から世界を救うこと……ですよね」
「そう。そしてそれがレム殿の質問に対する答えにもなるわ」
「つまり……十三騎士の皆さんは、“大破壊”から世界を救うためにガンディオンを訪れていた、というのですか? 俺達の知らない間に?」
「知らないということは、そういうことなのでしょうね」
ルヴェリスは、努めて平静を保つようにゆっくりと、息を吐いた。そして、静かに続けてくる。
「彼は、あなたにも協力を呼びかけたいといっていたけれど……そう。それは叶わなかったのね」
「彼……?」
「彼とはいったい、どなた様なのでございます?」
「クオン殿……クオン=カミヤ殿よ」
「クオンが?」
セツナは、予期せぬ名前に衝撃を受けるほかなかった。
まさかここでクオンの名前が出てくるとは、だれが想像できるだろうか。
(クオン……)
胸中で反芻したとき、彼は、心の奥に棘が刺さるような痛みを覚えた。
あの日、あの時、黒き矛が折れた瞬間の絶望は、いまも覚えている。