第千七百十五話 騎士道とは(二)
テリウス・ザン=ケイルーン消滅の衝撃は、セツナたちをその場に押し留めた。
彼がなぜ、硝子細工のように砕け散ったのかはまったくもって意味不明だったし、理解不能だったが、彼がそれまでの二年余り、レムを護り続けていたという事実は、フロードら騎士たちの証言からも明らかだった。
騎士団第三休息所が死神の寝所と呼ばれるようになったときには、既にテリウスがこの場所の守護者となっており、騎士団騎士たちは、そのことをよく噂したという。かつてテリウス配下だった騎士たちは、こぞって彼の元へ赴き、協力を申し出たが、テリウスはそんなことをする暇があるのであれば騎士団の任務につけと叱責したそうだ。死神の寝所の守護は、自分ひとりで十分だ、という想いがあったのだろうし、ほかの騎士たちには騎士団の務めを果たしてもらいたいという思いもあったに違いない。
そんな彼が、レムの無事な姿を見た途端、まるで使命を終えたかのように消滅したのには、なんらかの理由があると思わずにはいられなかった。
でなければ、納得できない。
いや、だとしても、テリウスの望んだ結末なのかどうかは別の話で、セツナはレムとともに彼の冥福を祈るしかなかった。
そうするうちに夜が来て、休息所で夜を過ごすこととなった。
「夜を徹してまで急ぐような旅ではありませんからな。ここは万全を期すべきです」
そんなフロードの助言に従ったのだ。
フロードは騎士たちに指示を出すと、レムの寝所となっていた建物に向かった。二年以上もの間、まったく使われていなかった建物は、広間以外、全体的に埃が積もっていて、別室に分かれて夜を過ごすといったことは止めたほうがいいだろうという判断を下している。厨房も埃だらけだったそうだが、騎士たちが奮闘の末に使用できるようにすると、夕食の準備を始めた。掃除や食事の準備などの雑事は、騎士の中でも最下級の従騎士の仕事であり、准騎士が彼らに指示を出し、正騎士は全体的な指揮を取っているようだった。
騎士団の内情が少しだけ理解できた。従騎士は、騎士とは呼ばれているものの、ガンディアにおける一般兵と同等と見ていいのだろう。准騎士が部隊長級、正騎士が軍団長級と考えれば、十三騎士が将軍に当たるはずだ。十三騎士が騎士団の行動方針を決めているのだから、この想像は間違っていまい。
セツナたちは従騎士たちが食事の準備をしている間、広間でくつろぐよういわれ、その通りにした。レムが寝台として利用していた卓をそのまま食卓に使うのもなんなので、従騎士たちが別室から別の机を運び込み、取り替えている。
しばらく、なにも考えることもなく、ぼうっとしていた。長椅子に腰掛け、暖炉に焚べられた薪を見ている。騎士団の休息所ということもあり、冬を越すための準備は整えられていたらしく、奥の蔵にさまざまな物資が保管されていたという。フロードたちの話によると、それも二年前に用意された薪ではなく、つい最近、納品されたものであるらしい。禁断の地として一般の騎士が近づくことこそ禁じられていたものの、騎士団が無視するわけはないだろう――というのが、フロードの考えだった。テリウスがいたのだ。十三騎士ただひとりに任せ、干渉しないわけがないのだ。だが、そのテリウスが光となって消滅したことには、フロードたちも理解不能であると考えることを諦めざるを得なかったようだ。
セツナにだって、わからない。彼がなぜ、影も形もなくなってしまったのか。どうして。そんな疑問に答えが出せないまま、時間ばかりが過ぎていく。
見下ろす。
太腿の上、レムの横顔があった。目を瞑る彼女の横顔は、大人しく眠る少女のそれだ。 彼女は、二年あまり眠り続けていたせいで、筋力を大幅に失ったのだ。テリウスに感謝を述べるために立っていただけでも疲れ切ってしまうほどに衰えてしまっていた。
仕方のないことだ。
人間という生き物は、普通に生活するだけでも体を動かすもので、その分の筋肉は維持されるが、彼女の場合は、二年もの間眠り続けていた。筋肉が失われるのは当然の話で、あのわずかな時間でも立っていられただけでも物凄まじい頑張りといわざるをえない。
彼女は常人とは異なる。その生命力の源はセツナにあり、セツナが死なない限り、彼女が死ぬことはない。死なないだけでなく、擦り傷や切り傷だけでなく、どれだけの致命傷からでもあっという間に回復してみせる。首を切り落とされたとしてもだ。つまり彼女は人間ではない。死神なのだ。しかし、身体能力の基礎となるのは、やはり筋肉であり、筋肉は鍛えなければ身につかないものだ。鍛錬を怠り続ければ、失われて当然としかいいようがないのだ。
彼女本人はしばらく戦力として当てにはできない。“死神”使いとしてのレムにならば、期待しても構わないだろうが、あまり無理をさせたくはないというのがセツナの心情だった。
眠る少女の髪を撫で、息を吐く。
(よかった……)
心の底から、思う。
レムが生きていた。ただそれだけのことが、これほどまでに喜ばしいことだとは想いもよらなかった。いや、わかってはいた。理解してはいたのだ。彼女もまた、自分にとって大切極まりないひとだった。あまりにも近くにいすぎて、考えられなかっただけのことだ。考えようとしなかっただけのことなのだ。いまなら、はっきりと認められる。彼女とこうして再会できたことの喜びを、抱きしめられる。
(待たせたな……)
二年間、彼女は眠り続けた。
なぜなのか。
セツナには、想像がついていた。彼がこの世ではないどこかへいっていたから、彼と彼女の命の繋がりが途切れたのだ。それで彼女が死なずに済んだのはおそらく生命力がある程度残っていたからであり、“死神”たちが彼女を護衛していたのもそれだろう。セツナがレムに力を分け与えていなければ、どうなっていたことか。
それでも生命を維持するのが精一杯だったのだ。動き回ることもできず、眠り続けていたのがその証左だ。セツナとの接続が復活するまで力の消耗を抑えることで必死だったに違いない。無意識の中で、だ。彼女が意識してそうしたのなら、覚えていないわけがない。
セツナは、レムの髪を撫でながら、彼女に苦労をかけ、負担を強いたことを心から詫びた。
そして、そんな彼女を外敵から護り続けてくれていたテリウスに何度も感謝した。感謝してもしきれないくらいだった。彼がいなければ、彼が護り続けてくれなければ、彼女はどうなっていたのか。想像するだに恐ろしい。ある程度は、“死神”が自動的に護ってくれるだろう。だが、“死神”も無制限に戦えるわけではない。戦い続ければ、いずれ、無意識に“死神”を使っているレムの力が尽きるときがくる。そうなれば、レムは無防備になる。
殺されれば、死ぬだろう。
セツナからの命の供給がなければ、そうならざるを得ない。
泣きたくなるほどの気持ちで、セツナはテリウスを想った。
そこまでしてくれながら、彼は、光の中に消えた。
テリウス・ザン=ケイルーン。
彼のことを想うたびに、胸が痛くなった。
ベノアで、彼の家族に会えるだろうか。
感謝を伝えなくてはならない。
そして、彼が騎士の中の騎士であったということを騎士団にも伝えるべきだとセツナは想った。
「報告!」
翌朝、朝食を終えたちょうどそのころ、周囲の警戒に当たっていた従騎士たちが建物内に飛び込んできた。緊張感に満ちた従騎士たちの表情にセツナはレムやフロードと顔を見合わせたが、すぐに理由がわかる。
「たったいま、フィンライト卿がお見えになられました!」
従騎士ふたりが緊張気味ながらも声を張り上げてきたのは、立場を考えれば当然だった。
「フィンライト卿が?」
フィンライト卿とは無論、ルヴェリス・ザン=フィンライトのことだ。騎士団幹部のひとりであり、“極彩”の異名を持つ十三騎士。セツナとは縁の深い十三騎士のひとりであり、彼との日々があったからこそ、セツナは騎士団のことを理解するようになった。彼やシドがいなければ、騎士団をただの独善集団としか思わなかったかもしれない。
フロードが当惑気味な反応をした。
「そのような話、聞いていないが……」
「嘘ではありません!」
「だれも嘘だとはいっておらん。フィンライト卿が来られたのであれば、お迎えに上がらねば」
「俺も行きますよ」
「それはよい心がけですな」
フロードは闊達に笑うと、立ち上がり、席から離れた。身だしなみを整えながら、玄関へと向かう。セツナもそれに習って席を立つと、隣のレムが袖を引っ張ってきた。彼女にしてはめずらしい主張方法で、見ると、レムはおずおずと口を開いた。
「御主人様……」
「ああ、レムも行くよな」
「はい」
心持ち嬉しそうな顔をした彼女のために、彼女の前で屈み込む。昨日と同じように背負おうとしたのだが、レムはなかなか乗ってこなかった。
「あの……御主人様。お気持ちは嬉しいのですが……その……」
「なんだよ」
とはいったものの、セツナは、彼女のもじもじするさまをみて、ぴんときた。普段から積極的に触れ合おうとしてくるレムならば、まったく気にしないで飛び乗ってくると想ったのだが、どうやら彼女はこの二年余りの眠りで変化が生じたらしい。初々しいくらいの反応に、セツナは、なんだか不思議な感じがした。
「ああ、恥ずかしいのか。だったらそういってくれよ」
「え、えーと……」
セツナは、椅子に座ったまま固まっているレムの肩を右手で抱き、左手で足を抱えた。そのまま持ち上げる。
「よし、これならいいだろ」
「ちょ、あの、御主人様」
レムが、腕の中であたふたと動く。
「よ、余計に恥ずかしいような気がするのでございますが」
「ほかにどうしようもないだろ。もう聞かねえ」
「そんなあ」
それ以上彼女のわがままに付き合うつもりもなく、セツナは、レムを抱きかかえたまま、フロードたちの待つ玄関に向かった。騎士たちは、セツナとレムのやりとりをじっと見ていたらしく、にやにやしていた。気味が悪い。
「な、なに……?」
「いやいや、仲良きことは美しきかな……と」
フロードはそういって朗らかに笑った。
セツナとレムは顔を見合わせると、レムが先に目をそらした。彼女の頬が紅潮しているのが、らしくないといえばらしくなかったが、そういうレムも悪くはない。
玄関を出ると、ほかの従騎士たち、准騎士たちが整列し、華やかな一団を出迎えていた。
“極彩”のルヴェリス率いる騎士の部隊は、ほかの部隊とは赴きが異なるといっていいくらいに派手に着飾っていたのだ。それもただ無闇矢鱈に派手なわけではなく、華麗で人目を引きつける派手さだった。騎士団の存在感を主張するには打ってつけだろう。
騎士団は、その目的を達成するためには、求心力を高めることが必須だった。
ルヴェリス率いる部隊の派手さは、騎士団の理念を体現しているといってよかった。
騎士の武器防具だけでなく、馬鎧も華麗に彩られており、行軍する様を想像するだけでも美しく思えた。戦場でも目立つだろう。目立つということは、敵の的にされる可能性もそれだけ高いのだが、その格好で通しているところを見ると、的になったところで打ち勝つ自信がルヴェリスたちにあるということだ。
ルヴェリスの格好が一番美々しく、軍馬ももっとも派手だった。高級そうな馬鎧はぴかぴかに磨き上げられており、日光を反射して輝いている。彼自身が身に纏う鎧もだ。薔薇の花のように色鮮やかな深紅が目にも眩しい。
「ベノアからの無事の到着、祝着至極に存じます」
フロードが騎士たちを代表して出迎えると、ルヴェリスは馬から降り、即座に駆け寄ってきた騎士のひとりに脱いだ兜を預けた。長い髪と素顔が白日の元に晒される。中性的な顔立ちなのは相変わらずだが、どこか疲れが溜まっているように見えるのは気のせいだろうか。サンストレアで会ったロウファのように疲労が蓄積しすぎて、顔に出ているのかもしれない。若干、やつれてさえいる。
「出迎え、ご苦労様」
「して、フィンライト卿、なに用なのでございましょう?」
「ケイルーン卿の様子を見に来たのよ。セイヴァス卿は、彼と折り合いが悪いし、無視するでしょうから」
「は、はあ……」
「まあ、いまの騎士団に彼と折り合いのいい騎士なんて、わたしか団長くらいしかいないけれどね」
ルヴェリスは、そういって、軽く嘆息をしてみせた。彼が嘆いていることについてはわからないが、テリウスがほかの十三騎士とあまり折り合いがよくないのは、なんとなくわかる気がした。テリウスは、潔癖なところがある。高潔、というべきか。高すぎる理想に邁進するのがテリウスであり、その理想に少しでも外れるものに対して容赦なかったのだ。
ベノア滞在中、セツナはテリウスのそういう評価を聞いて、彼のひととなりを少しは理解したつもりだったし、彼のセツナへの評価の厳しさにも合点がいったものだ。
「で、肝心のケイルーン卿は……って、あなた、セツナ殿じゃない」
周囲を見回しかけたルヴェリスがセツナと見つけ、視線を止めた。顔に驚きが広がっている、
「なに、なんなの? なんで死神ちゃんを抱えているの?」
「お久しぶりです、フィンライト卿。これについては話せば長くなるんですが」
「手短にお願い。ケイルーン卿に用事があるの」
急かすルヴェリスの顔を見ながら、セツナは、心苦しくなった。
「……それが」
「ん?」
「ケイルーン卿は、昨日……」
セツナは、胸の奥の痛みを我慢しながら、昨日の出来事を説明しなければならなかった。