表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1715/3726

第千七百十四話 騎士道とは(一)


「……ま、俺は情けなくもこの世に舞い戻ってきたわけさ」

 セツナは、そういって長い話を終わらせた。話が長くなりすぎたこともあり、彼は途中で側においてあった椅子に腰掛け、彼女と同じくらいの目線になっている。それで気がついたのだが、彼女はなぜか楕円形の卓の上に寝かされていた。白布の被せられた卓は、遠目に見れば寝台に見えなくはないのかもしれないが、しかし、これではまるで自分が食卓に並べられているようで、彼女はなんともおかしかった。そのせいで、話の腰を折りたくはないよう笑いを堪えるのに必死にならなければならなかった。が、その甲斐あって、セツナの話を最後までじっくり聞くことができた。

 セツナから聞かされた話は、どれもレムの知らないことばかりだったのだが、それ以上に彼の声を聞いていられることが彼女にとってはいかにも幸福で、泣きたくなるくらいの感動が押し寄せてきたものだから、今度は涙が流れないことを祈らなければならなかった。それもまた、話の腰を折りかねない。セツナに心配してもらうのは嬉しいことだが、そのために無駄な時間を費やしたくはなかったのだ。

 話を戻す。

 セツナは、あの三大勢力との戦いの最中に起こったことを事細かに教えてくれた。聖王国軍が誇る魔晶兵器群との激闘、ウルクとの再会とウルクの聖王国への離反、そして戦鬼グリフとの再戦。その再戦の真っ只中、クオン=カミヤが《白き盾》を率いて現れたのだという。クオンはシールドオブメサイアの守護領域によってあの戦場を包み込み、あらゆるものを守った。レムたちも、あらゆる攻撃が無力化される現象に遭遇し、さらに自分たちも謎の力に守られたことを覚えている。それがクオン=カミヤのシールドオブメサイアであることは、感づいていた。あれほどの守護領域を構築できる召喚武装など、そうあるものではないはずだ。

 セツナは、クオンに怒りをぶつけたという。

 だが、黒き矛はクオンには届かなかった。それどころか、全力を込めた矛の一撃は、矛そのものに反動となって跳ね返り、矛のほうが砕け散ってしまったらしい。セツナは、その驚くべき結末を受け入れることができず、直後に現れたアズマリア=アルテマックスの誘いに乗ってしまった、ということだ。

 アズマリアがゲートオブヴァーミリオンが誘う地獄へ堕ち、二年余りの間、業火に灼かれながら修練を続けていたという。筋肉が増量するはずだ。髪が伸ばし放題になるはずだ。そのわりには、髭が伸びていないのは体質的な理由なのかどうか。

 そして、彼は地獄からこの世界に戻ってきたのが、つい数日前という話だ。

「なんでまた、この地に投げ出されたのかはわからんが」

「それはきっと、運命にございます」

 レムが思い切って告げると、セツナは、怪訝な顔をした。彼のそういった表情を見るのも、懐かしい。こみ上げてくる想いに従いたくなる。が、いまは我慢したほうがいいだろう。彼に無駄に心配をかけることになりかねない。

「運命?」

「はい。わたくしを目覚めさせることができるのは、御主人様だけでございますから」

「どういう理屈だよ」

「まずはわたくしを目覚めさせてくださらなければ、なにごとも始まりませぬ」

「……そうかもな」

「はい!」

 不承不承――とでもいいたげな表情で肯定せざるを得なかったセツナに対し、彼女は元気よくうなずいた。

 それから、さらに話を聞いた。この世界に舞い戻ったセツナは、ここがどこか確かめるために都市に立ち寄り、そこで大事件に巻き込まれたという。巻き込まれ体質は相変わらずだ、と彼女は想ったが、やはり胸に秘め、彼の話に耳を傾け続けた。

 ここが、かつての小国家群最北端の国ベノアガルド領内であり、セツナが最初に訪れた都市はサンストレアという名前だった。サンストレアで起きた事件というのは、人間が怪物化するというものであり、それが二年前に起きた“大破壊”なる未曾有の災害の影響であるらしいという話も聞いた。どうやら、彼女が眠っている間にイルス・ヴァレは大変な状況になっていたようだが、それはセツナも同じだといった。

 彼自身、そのことを激しく悔いているようだった。二年間の不在がもしなければ、なにかしらできたことがあったのではないか、と。しかし、二年の修行は必要不可欠のものであったともいい、後悔ばかりしてもいられない、と彼はいった。二年の修行があったからこそ、サンストレアの騒動を解決に導くことができたのだ、と。

 サンストレア起きた事件のあらましを聞き、この世で起きている異変についても知った。大陸がばらばらになったという話も、白化症や結晶化といった異変が世界を騒がせているということも。そして、セツナがレムの目覚めを促したのは、サンストレアを訪れた十三騎士ロウファ・ザン=セイヴァスの助言によるところが大きく、また、十三騎士テリウス・ザン=ケイルーンの助力なくしては、この再会はなかったかもしれなかった。

 そういった話を聞き終えたあと、セツナが椅子から腰を上げた。レムが起き上がろうとすると、彼はすぐさま彼女を支えられるようにと手を添えてくれた。そして、いつも以上に優しい表情で、尋ねてくる。

「……動けそうか?」

「はい……なんとか」

 レムは、セツナの優しすぎる表情に見惚れかけてしまったものの、なんとか答えることはできた。肩や背にに触れる彼の手の温もりが、冷え切った体に火を入れてくれるようだった。

「二年間動かなかったんだ。体を動かすこともままならないくらい筋肉が落ちていても不思議じゃあない。無理だけはするなよ」

「そうはいいましても、ここに居続けるわけにはいきませんでしょう?」

「まあな」

「それに、わたくしは普通ではございませぬゆえ、なんとでも」

 レムは、卓の上から飛び降りるべく、卓に手をついた。力を入れる。が、上手く飛び降りられず、崩れ落ちかけたところをセツナの腕が庇ってくれる。結果、レムはセツナの腕の中に飛び込んだような格好になった。

「っと、無茶すんなっての」

「御主人様にいわれたくはありませぬ」

「ま、そうか」

 レムが恥ずかしさを隠すために顔を背けると、セツナは困ったように笑った。困っているのは、こちらのほうだ。いままで、このような気恥ずかしさを覚えたことなど、あまりなかったはずだ。むしろ、率先して彼女の方からセツナに抱きつき、彼の羞恥心を刺激してきたのだ。なぜ、自分がここまで身悶えしなければならないのか。

 二年ぶりの再会。

 時間の流れから断絶されていたに等しい意識としてはそうでなくとも、体は、覚えているのだ。セツナから漂う懐かしいにおいが、彼女の中の女の部分を刺激する。

「心配はしちゃあいないが、ほれ」

「はい?」

 突然背を向け、屈み込んだセツナがなにをしているのかわからず、レムは、小首を傾げた。セツナは、その姿勢のまま、首だけを曲げて、こちらを見てくる。

「体を自由に動かせるようになるまではおぶってやる」

「は……あの、御主人様?」

「なんだよ、さっさと乗れよ」

「わたくし、御主人様の一の下僕にございますよ?」

「だったらなんだよ」

「下僕が、主に背負われるというのは、いかがなものかと……」

「んなもん、どうでもいいだろ」

「よくはありませんよ。それでは示しがつきませぬゆえ」

「いいんだよ、んなもん。それより、ここを出たいんだ」

「御主人様……」

「ケイルーン卿にもお礼をいわないといけないだろ」

「それは……そうでございますね。わたくしも、ケイルーン卿に感謝を伝えなければ」

 ベノアガルドの騎士団幹部、十三騎士のひとりであるテリウス・ザン=ケイルーンが、この死神の寝所と呼称されるようになった建物を護り続けてくれていたという話を聞いたとき、レムはただただ驚いたものだ。

 テリウス・ザン=ケイルーンといえば、騎士団の正義だけを信奉し、ガンディアの英雄セツナを小馬鹿にしていた人物という印象が強い。その印象は後に拭われこそしたものの、彼とレムの関わりというのは、深いものでもなんでもない。何度か会話をした程度の関係であって、彼が二年もの間、守ってくれるほどの繋がりはなかったはずなのだ。だが、しかし、彼がレムの寝所を守ってくれたからこそ、無事にセツナとの再会を果たすことができたのは疑いようのない事実であり、彼女は、テリウスにどれだけ感謝してもしたりないくらいだと思わずにはいられなかった。

 感動さえ、している。

「では、御主人様のお言葉に甘えさせていただきます」

「ああ。たまには甘えてくれよ。いつもおまえに助けられてばかりなんだからな」

「……はい」

 レムは、セツナの背に体を預けると、彼の背中の大きさを改めて実感した。そして、彼の背に顔を埋め、目を閉じた。体温を感じ、心音を聞く。たったそれだけのことで幸福を感じられる自分の安さに笑いたくなる。

「しっかりつかまってろよ」

「はい」

 いわれるまでもなく、レムはセツナの体に腕を絡ませていた。彼が立ち上がり、歩き出すのを感じ取って、瞼を開けた。ふと振り返る。二年間、寝所として利用していた広間に心の中で感謝を述べる。寝台代わりの卓も、部屋そのものにも愛着もなにもないのだが、なんとなく、いわずにはいられなかった。

 そうするうちにセツナが広間から玄関へ至り、建物の外に出る。

 まずレムが見たのは空だ。久々に見るのであろう空は、夕焼けによって真っ赤に染まっており、棚引く雲が赤く燃えるさまがなんとも美しかった。透き通っているような空模様は、セツナのいうように二年前とはなにかが異なっている。そのことを確認したくて、真っ先に空を仰いだのだ。

 つぎに、この騎士団第三休息所と呼ばれる場所の確認を行うと、セツナのベノア行きに案内役として同行しているという騎士たちと、テリウス・ザン=ケイルーンの姿があった。

 テリウスは、こちらを見ると、一瞬だけ表情をほころばせたものの、すぐに真面目一辺倒とでもいうべき彼本来の顔つきに戻った。表情もそうだが、背格好も容貌も、記憶の中の彼のままだった。北方人の貴公子とでもいうべき容姿は、彼がベノガルドの騎士であると知れば納得のいくもので、普通の女性ならば胸が騒いで仕方がないかもしれない。残念ながらレムの心が動くことはないのだが、それはそれとして、彼女は、これまでとは彼の見方が変化していることにも気づいていた。

 そうもなろう。

 セツナは、レムをおぶったまま、テリウスに近づいていく。テリウスの後方にいた騎士たちの好奇に満ちた目が突き刺さるが、彼女は気にしないことにした。おぶってもらえているという幸せのほうが、羞恥心に勝っている。

「ケイルーン卿」

「セツナ殿。やはりあなたならば目覚めさせられるというわたしの考えは、間違いではなかったようだ」

「どういう理屈かはわかりませんがね」

「理屈などあろうがなかろうが構いますまい」

 テリウスが苦笑を浮かべながら、いった。

「レム殿が目覚めた事実のほうが重要なのですから」

「ええ……本当に」

「御主人様……」

「ああ」

 レムがそっと耳元で囁くと、セツナは彼女の意を汲んで、その場で屈んでくれた。背中から降り、なんとかして立つ。人前で恥ずかしいから、という理由ではない。テリウスに対し、感謝を伝えるにあたって、セツナの背におぶわれたままでは礼を失すると想ったまでのことだ。心の底からの感謝を伝えるには、彼と向き合い、目を見て話すべきだ。

「だいじょうぶか?」

「はい」

 過保護なくらい心配してくれるセツナにこの上ない愛情を感じながら、レムはうなずいた。足が震えている。全身の筋肉という筋肉がおよそ二年ぶりの稼働にとてつもなく緊張しているのだ。いや、それだけではない。筋肉量の減少が、体を支えることさえ困難なものにしている。長時間立っていることはできないだろう。

 せめて、テリウスに礼を言い終えるまでは持ってほしい――レムは、胸の内で強く願うと、テリウスの前に進み出た。テリウスは、レムよりもかなり上背のある人物だ。見上げる形になる。

「テリウス様、お話は御主人様からお聞きいたしました。なんでも、二年もの間、ここでわたくしを守ってくださったようで……」

「君にはあれだけの“死神”がいるのだ。守る意味などなかったかもしれないが」

「いいえ。決してそのようなことはありませぬ。テリウス様が護ってくださったからこそ、わたくしは無事でいられてのでございます」

 レムは、自分の“死神”が無敵であるとは想ってもいなかった。場合によってはたやすく破られ、レム自身が危険に晒されることを知っている。レムは、不老不滅の存在だ。しかしそれはセツナあってのものであり、セツナがこの世から消えている間のレムが不滅のままだったのかはわからない。意識を保つことができなかったのだ。生命力も低下していたと考えるべきだろう。

“大破壊”以来、この世を騒がせている神人や神獣といった化け物がこの寝所を襲い、“死神”たちを撃破すれば、レム自身も殺されていたかもしれないのだ。セツナからの命の供給がなければ、レムの肉体が復元することはない。絶対の死が訪れるはずだ。

 テリウスがいて、彼が護り続けてくれたからこその命。

 いま。

「そういってもらえると、騎士冥利に尽きる」

 テリウスが少しばかり照れくさそうに笑った。その表情の屈託のなさにこそ、彼の本質があるのではないか。ふと、そんな風に考える。いままで見てきたテリウス・ザン=ケイルーンという人物は、騎士としての誇りや挟持といった仮面を被ることで、自分を作っていたのではないか。それくらいの変化が、笑顔の中にあった。

 だから、というわけではないが、レムは、彼の目を見て、そして伝えた。

「心よりの感謝を、述べさせていただきます。テリウス様、誠にありがとうございました」

「……君が無事なら、無事に目覚めたのなら、それでいい。ただ、感謝は受け取っておこう」

 失礼に当たる、と彼は続けた。そんな彼の対応が騎士らしくて、好きだった。

「ですが、なぜなのでございます?」

 深々と下げていた頭を上げ、再び、彼の目を見る。

「なぜ、わたくしごときを?」

「君だからではないよ」

 テリウスは、少しばかり苦笑を交えた。

「勘違いしてはいけない。君だからじゃあないんだ。たとえあの場で眠りについていたのが君以外のだれであっても、わたしはこうしただろう。これが、わたしだ。わたしが今日まで歩いてきた道なのだ。あの場で君を見離すことは、わたしの騎士道を否定することになる」

「騎士道……でございますか」

「いっただろう。君をも救ってみせる、と」

 はっとする。

 随分、前のことだ。

 いまから三年くらい前だったか。

 王宮で御前試合と仮面舞踏会が開かれた日。レムが初めてテリウスと遭遇し、彼の物言いに敵意を抱いたときのことだ。彼は確かにいった。救うことが彼の務めであり、レムさえも救ってみせる、と。

 彼は、それを実践してみせたのだ。

 レムは、胸の内に生まれたあざやかな変化に戸惑い、目頭が熱くなるのを認めた。心が激しく揺れている。

 騎士道。

 彼の言う騎士道とは、ベノアガルドの騎士団における理念であり、騎士団騎士のあり方、考え方に違いない。騎士団がどういった組織なのかは、騎士団の真相に触れたセツナから詳しく聞いている。ベノアガルドの革命以前はともかく革命以降、救世神ミヴューラの存在理由に基づく大義を掲げ、理念を標榜するようになった。それこそ、ひとを救うことであり、救いを求めるものに対して手を差し伸べるのが騎士の騎士たる所以であるというような考えが、騎士団の理念となっていた。テリウスの思想もそこから来ているに違いない。

 ただ耳障りのいいことをいっているだけではない、ということは、彼の身を挺した命がけの行動からも理解できるだろう。騎士団は、みずから掲げた大義を実践し続けているのだ。だからこそ、騎士団を嫌いにはなれなかったし、騎士団がガンディアの同盟相手となったときには心強く想ったものだ。

 不意に、テリウスはレムから視線を外した。どこか遠くを見るような目で、彼方を見やる。

「あの日、わたしは世界を救えなかった。だからせめて、君だけでもと想ったのは事実だ」

 彼の漏らした言葉は本音と言っていいのだろうが、少し、意図が読めなかった。世界を救えなかったとは無論、“大破壊”のことを指しているとは思うのだが、なぜ、彼がそのようなことをいうのか。

「良かった。本当に。君が無事で」

 そのとき、レムはテリウスの顔面に罅が入った。まるで乾燥した粘土細工が割れたときのように、顔の表面に亀裂が走り、音を立てて広がっていく。レムは愕然と声を上げた。

「テリウス様?」

「ケイルーン卿……?」

 セツナも気づいたようだが、なにが起こっているのかは彼女同様わかっていなかった。罅割れは瞬く間に広がり、深刻な亀裂となってテリウスの体中を駆け抜けていく。亀裂から光が漏れていた。淡く儚い光の粒子。テリウスは、自身に起きている変化にまったく気づいていないようだった。

「間に合って、良かっ――」

 テリウスがうわ言のように言葉を紡ごうとしたとき、彼の体から光が溢れ、全身が硝子細工のように粉々になって、砕け散った。全身だ。服も鎧も武器さえも、同じように砕け散り、光の中に解けて消える。

「テリウス様!」

「ケイルーン卿!」

「ケイルーン卿っ!?」

 セツナたちは、いったいなにが起こったのかわからないまま、テリウスのいなくなった虚空を見ていた。

 テリウスは、消えた。

 毛一本、残らなかった。

 完全に、この世から消え去ったのだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ