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第百七十話 君の寝顔

「軍団長、来てくださいよ、早く早く!」

「なにをそんなに急ぐ必要があるんだ?」

 女部隊長に急かされながら、エインはバハンダールの地下壕を進んでいた。小高い丘の上にあるというバハンダールの地形を最大限に利用した地下壕は、かなり深く、そして広かった。入り組んでもいて、一度道を忘れたら永久に迷いそうなほどだ。それは、バハンダールの市街にもいえることなのだが。

 地下壕には、バハンダールの特性を利用した籠城のための物資が、大量に備蓄されていた。

 備蓄した物資や糧食をざっと計算すると、バハンダールに籠城して一年は持ちこたえられそうだという話であり、ザルワーンが、いかにバハンダールの長期攻囲による兵糧攻めを印象に残しているのかが窺える。ザルワーンの包囲網によりバハンダールが降伏するまでに要したのは半年近くに及ぶのだが、ザルワーン軍による備蓄量はその倍は耐えられるということになる。一年も包囲を継続させるのは、ザルワーンですら困難を極めるだろう。情勢は常に動いている。囲んでいる間に、自国領土に攻め込まれる可能性が高くなっていく。そういう意味ではザルワーンは運よくバハンダールを手に入れることができたといえ、力攻めで陥落させたエインたちはもっと幸運だろう。

 部隊長の案内に導かれながら、エインはそんなことを考えていた。

(幸運……)

 まさに幸運だ。

 敵の剛弓使いが東側城壁に配置されていたら、被害はもう少し増えていたかもしれない。

 そして、セツナの投下が成功したこと。これが大きかった。黒き矛は予想以上の力でセツナの五体を護り、セツナは黒き矛の力によって想像以上にバハンダールを蹂躙した。

 多くのことが、エインの脳裏に描いた筋道と違っている。

 そのことは、彼に猛省を促し、考え方を改めさせるに到っている。

 策に受かれてはならない。戦術とは二重三重に用意するものであり、ひとつの突出した才能に頼りすぎてはいけない。万全に万全を重ねた上で、非常事態にも即座に対応できる柔軟な思考を持たなければならない。必要なのはどんな状況に遭遇しても慌てふためかない意思であり、冷静さであり、判断力であり、処理能力だ。

 グラードの機転により、ファリアの矢が合図となってセツナの投下へと繋がったように、どんな状況にも対応できる心構えを持たなければならない。

「ここです!」

 部隊長に示されたのは、地下壕の倉庫群の一角だ。部屋の外にエインの部下の部隊長がふたり、立っている。なにかが臭うのだが、原因はわからない。

 地下壕は、地下というだけあって通常は光もない暗黒の闇に包まれている。しかし、一定の距離ごとに魔晶灯が設置されており、だれかが先に触れておけば薄明かりに困らなかった。そして、魔晶灯の光が届くぎりぎりの範囲に次の魔晶灯が設置されているのだ。子供でも、歩くのに不便はない。

 ふたりの部隊長が、こちらに気づく。

「あ、軍団長……」

「案外早かったねー」

「急いで連れてきたもの!」

 なぜか胸を張る彼女を尻目に、エインは部屋の中を覗いた。

「なにがあるんだ」

 室内に入るとやはり真っ暗だったが、エインを呼び出した部隊長が携行用の魔晶灯の明かりを点けてくれたため事なきを得る。

 まず思うのは、鼻につく臭いだ。胸焼けを催すようなその臭いは、室内に設えられた棚に置かれた無数の壺のひとつが蓋を開けられているかららしい。

「なんの臭いだ?」

「我々にもわかりかねます……」

「だからエイン軍団長を呼びに行かせたんですよ」

「俺はなんでも屋じゃないよ」

「でもでも!」

 エインは部下の反論を背中で聞きながら、室内に満ちた臭いに顔をしかめた。気持ちが悪くなってくるが、我慢し、蓋の空いた壺に歩み寄る。部隊長の手から魔晶灯を奪い、壺の中を照らす。なにか液体が入っているのが、魔晶灯の反射でわかる。

「軍団長の作戦の役に立つものかと思ったんですよ」

「臭いし……」

「敵陣に投げ入れたら効果抜群ですよ」

「絶対逃げ出します……」

 ふたりの部隊長にまくし立てられながら、エインは、懐からペンを取りだし、液体の中に突っ込んだ。手応えから水ではないことがわかる。ペンを持ち上げると、ペン先に付着した液体がどろりと落ちた。

「油かな」

 エインは見当をつけると、ペンをハンカチでくるみ、ポケットに突っ込んだ。植物由来の油よりも余程臭いがきついのは、獣油だからかもしれない。

 近くに落ちていた蓋を拾い、壺に被せる。風の通らない地下空間だ。臭いは残り続けるだろう。

「油ですか……」

「作戦には使えなさそうですね」

「地下壕に籠ったときの調理用でしょうか?」

「どうだろうね」

 エインは、部下の質問に答えながら、獣油の倉庫から抜け出した。服にも髪にも臭いが染み付いていそうなのが気になる。エインを呼びにきた部隊長が臭わなかったのは、彼女が倉庫内に入らなかったからだろう。

「地下で火を使うかな」

 風も通り抜けない地下空間だ。そんなところで火を用いた料理を作るなど、正気の沙汰ではない。煙は、命取りになる。

 この迷路のような地下壕の存在意義は、市街地が戦闘になったときに市民を避難させておく程度のものだ。あとは籠城のために兵糧や物資を備蓄しておく倉庫だろう。籠城時に地下壕を使う必要もなく、ここで調理する理由もない。

「じゃあなんのためなんです?」

「そうだね……」

 エインは魔晶灯を手渡すと、胸の前で腕を組んだ。顎に手を当て、思考を巡らせる。獣油の貯蔵庫。無意味なものとは思えない。といって、日常で使うのなら、簡単には出入りのできない地下壕に置いておく理由がない。

 戦闘に使うのか。

「そういえば、各方面の城壁の上にも、油の壺が用意されていたそうですよ」

「それは本当かい?」

 エインが腕を解いて後ろを振り向くと、彼女は少しばかりたじろいだようだった。

「昨夜、部下の報告書を纏めていたときに見たので間違いはないかと」

「俺は聞いていないが」

「伝えようとしたときにあの部屋を発見して……」

「どこをどう行けば俺の部屋じゃなく、あの部屋に辿り着くんだ」

 エインは、頭を抱えたくなったが、彼女の発言のおかげで獣油倉庫の存在価値が見出だせたのも事実だった。

「……火矢だな」

 矢に火を灯すための油なのだと、彼は推測した。ここバハンダールは、湿原を侵攻してくる敵に対して矢の雨を浴びせることができる。湿原が炎上するようなことはないにせよ、敵兵や敵軍の馬車に火をつけることができれば、戦いが有利に運ぶのは間違いない。湿原自体にうんざりときている敵軍の士気を挫くにも、火矢は効果的かもしれない。 殺傷能力も低くはない。

「火矢ですか」

「矢と火の雨を浴びずに済んでよかったってことですね!」

「そういうこと」

 肯定しながら、エインは、頭を高速で働かせた。火矢。獣油。今後の戦闘で使えるかもしれない。

 西進軍の次の目的地は、ビューネル砦である。龍府を守護する五方防護陣の一角であり、他の砦との連携により、凶悪な防衛力を誇るとされる。

 例えば、ビューネル砦に取りついたとすると、隣接するヴリディアやライバーンから援軍が到来し、横腹や後背を衝かれるという仕組みだ。西進軍の戦力だけでは攻め込むのは難しい。バハンダールに兵力を割かなければならない以上、その厳しさはバハンダール攻めと同等といっていい。

 もっとも、五方防護陣が機能したという記録はない。なぜなら、ザルワーンの本土が戦場になっても、龍府まで攻め込まれたことがないからだ。五方防護陣という仰々しい名が付けられた砦にさえ、だ。だから、どの程度機能するものなのかは、ザルワーン側にすらわかっていないのだ。

 龍府は、歴史上、戦場となったことがない。

 その龍府に攻め込もうという。

 ガンディアが、歴史を塗り替えるのだ。

 そのためにはビューネル砦を抜かなければならない。

(火計)

 エインは、部下たちに水浴びを薦めながら、その可能性を考えていた。



 ファリアはその日、一日中セツナの寝顔を見ていた。

 いや、もちろん、そんな暇が彼女にあるはずもない。ガンディア王立親衛隊《獅子の尾》隊長補佐。十分すぎるほどの地位と役職であり、彼女の人生でこれほど輝かしいものもなかった。輝かしい、というほどでもないのかもしれないが、ともかくも忙しい。

《獅子の尾》はたった三人だけの部隊だ。雑務をこなすのも、副長と隊長補佐の役目であり、西進軍の中においてもそれは変わりようがなかった。

 隊長は、昨日の戦いに疲れ果て、酒宴の途中から爆睡してしまっていた。それが隊長たるセツナ・ゼノン=カミヤの役目だ。疲れ果てるほどに肉体を酷使し、戦闘の勝利に貢献すること。それだけが彼に求められている。彼は望まれるままに黒き矛の召喚者として戦い抜き、勝利をもたらした。だれもが黒き矛を激賞し、賛美する傍らで、隊長補佐は気が気でなかった。

 彼女自身の疲労は大したものではなかった。オーロラストームの使用頻度も少なく、維持する時間も短かったからだ。バハンダール到着後の掃討戦では出番がなかったのだ。というより、手柄を譲ろうと思ったまでだ。《獅子の尾》が手柄強奪部隊と思われるのもよくはない。無論、そのせいで被害が増えるのは本末転倒だし、出来る範囲では戦っていたのだが。

 ルウファは、湿原を踏破中に休んでいたからか、戦闘後も元気そのものだった。もっとも、酒に飲まれて寝入ってしまったのだが。

 セツナは、違う。

 バハンダール攻略戦でもっとも動き回ったのが彼だ。黒き矛の使い手として当然のことだとはいえ、彼の運動量は凄まじい物がある。バハンダールへの投下後、敵を蹴散らしながら城壁へ進軍。城壁上の敵兵を殲滅し、市街地でも暴れ回ったという。捕虜となったザルワーン兵がセツナを指して化け物と呼んだのもわからなくはない。エイン曰く規格外であり、グラードが皮肉を言いたくなるのも理解できる。それくらい、セツナは戦った。戦い続けた。

 戦後、疲れ果てて起き上がれなくなるほどに。

 それは、召喚武装の行使による負担と反動だろう。召喚武装の力の行使は、無償というわけではない。武装召喚師は、召喚武装と契約し、その契約に従い、力を借りているに過ぎない。契約とは、多くの場合、精神力の供出である。召喚武装が欲するのは、召喚者の精神力、心の力、魂の力なのだという。それを捧げることで、力を借りている。精神力の供出による消耗は、召喚武装の力が強いほど多く必要だとされており、圧倒的な力を誇る黒き矛の力の行使に必要な精神力がどれほどのものなのかは、ファリアにも想像がつかない。

 そして、召喚武装を手にした召喚者は、能力拡張の恩恵を受ける。身体機能が向上し、各種感覚が肥大するのだ。武装召喚師になるためには強靭な肉体が必須なのは、それが理由でもある。いくら身体機能が向上したところで、それに耐えうる器がなければ、肉体を酷使するうちに壊れてしまう。それはセツナを見ていればよくわかることだ。

 武装召喚術も知らないただの少年に過ぎなかった彼が手にしてしまったのは、あまりに強大な力を秘めた矛だった。彼は知らずのうちに自分の肉体を破壊しながら、黒き矛を振るっていたのだ。全身の筋肉という筋肉を破壊しながら、それでも戦い続ける。黒き矛の膨大な力がなせる技だろう。

 その反動は、黒き矛を送還した後にやってくる。激痛と疲労が、彼の全身を苛み、長い睡眠へと誘うのだ。そうやって、彼が数日間も寝込んでいたことがあった。バルサー要塞の奪還後だったか。あのときは、彼はまだ黒き矛の扱いにも慣れておらず、体もできていなかった。

 いまは、どうだろう。

 セツナは、自分の体力のなさに気づき、訓練を始めていた。《蒼き風》の剣鬼ルクス=ヴェインを師に仰ぎ、毎日くたくたになるまで鍛錬に励んでいた。肉体を作り上げ、黒き矛の力に耐えられる器となるためだろう。そうすることが、彼の《獅子の尾》隊長としての役目であった。

 ファリアは、安らかに寝息を立てる少年の寝顔を見つめながら、戦いの最中のセツナを思い浮かべてはかぶりを振った。だれであれ、平時と戦時では表情が変わるものだが、彼の場合は、あまりに違いすぎた。

 平時の彼は、おとなしい少年であり、歳相応の表情には可愛げさえあった。しかし、戦時における彼の姿は、ファリアですらときに恐怖を覚えるほどに尖っており、破壊的だ。同じ人間に同居する顔とも思えない。

 城壁上で寝入っているのを見かけたとき、彼の姿のあまりの凄惨さに、ファリアは呼吸を忘れたものだ。

 黒き矛を抱くようにして座った彼の全身は、黒く変色した返り血によって染め上げられていた。死体の片付けを始めていた兵士たちも、彼の姿を目撃してはぎょっとしたようだった。だれもが息を呑む。幾多の修羅場を掻い潜った猛者の姿であり、とても普段の彼からは想像もできない。

 だが、黒き矛を手にした彼こそ、ガンディアには求められている。なればこその王宮召喚師であり、なればこその《獅子の尾》隊長だ。彼は黒き矛を振り回し、敵を殺戮しなければならない。でなければ、彼の価値はない。

 ファリアは、セツナの額にそっと触れた。熱はない。当然だ。疲労で寝入っているだけなのだ。十数時間、眠ったままだが、今日一日くらい眠って過ごすのもいいだろう。雑務は、ファリアとルウファでこなせばいい。セツナには、戦いの疲れを癒してもらうよりほかない。

「良い夢を」

 つぶやいて、彼女は彼の部屋を後にした。

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