第千七百八話 予期せぬこと
サンストレアに騎士団の一部隊が到着したのは、マルカールとの戦闘があった日の三日後――十二月十八日のことだった。
ロウファ・ザン=セイヴァス配下の部隊は、サンストレアに到着早々、市軍との協力体制を構築、被災地への救援や倒壊した建築物の撤去作業などに従事することとなった。
サンストレアが騎士団保護下に入ったことで市軍は解体されるのではないかと危惧する声もあったが、騎士団長によってサンストレアを任されたロウファは、そんな馬鹿げたことをするわけがないと不安を一蹴している。市軍は元騎士団騎士や騎士隊騎士によって構成されていることもあり、騎士団からしても信頼しうる人間ばかりだという判断が下されている。
それにサンストレアのことは、サンストレアの人間に任せるのが一番であるというのがロウファの考えであるらしく、騎士団の部隊派遣はサンストレアの防衛や神人災害に備えるためのものだと彼は断言した。つまり、サンストレアの統治に関しても騎士団は極力口を出さないといっているのであり、そのことがサンストレアに多少の混乱をもたらした。
なぜなら、サンストレアは“大破壊”以前から今日に至るまで、市長マルカール=タルバーひとりに牽引されてきたといっても過言ではないからだ。そして、市長マルカール=タルバーを選任したのはほかならぬ騎士団であり、騎士団に責任を問う声もないではなかった。もっとも、サンストレアのベノアガルドからの独立を支持した市民が騎士団を非難することなどできるわけもなく、サンストレアの市議会は、新たな市長の擁立に苦心しなければならなかった。
マルカール=タルバーほどの優秀な市長の後任となると、だれも立候補したくならないというのは人情だろう。
「そういうわけだ。サンストレアはしばらく落ち着けないだろうな」
「騎士団は口を出さないんです?」
「ベノアガルドから独立した以上、サンストレアの内政に積極的に干渉しようとは思わんよ」
「らしくないですね」
セツナは、肩を竦めるロウファに向かって、素直な感想をぶつけた。
「騎士団なら、ひとびとのためならどんなことだってするって想ってましたけど」
「……以前のままなら、そうしたのだろうが。そういうわけにもいかなくなったのさ」
ロウファは、セツナの反応を予想していたとでもいうように憂いを帯びた表情を変えなかった。
ふたりが話し合っているのは、サンストレアの市庁舎一階にある応接室であり、ふたり以外にはだれもいなかった。強制的に保護下に入れたということもあり、騎士団と市議会の調整や交渉が必要ということで、ロウファはここのところ市庁舎に入り浸りになっている。騎士団幹部は、政治にも携わらなければならないということだ。
セツナがサンストレアに滞在しているのは、またしてもシルヴィールからの協力要請があったからだ。救助作業が無事終わったあとは、瓦礫や残骸の撤去作業が残っていた。武装召喚師は、被災地での様々な作業においてその力を発揮し、多大な貢献を果たすことができる。
セツナがサンストレアを早急に去ろうとしていたのは、マルカールの配下になるわけにはいかないからであり、必ずしも急いでいるからではなかった。被災地の作業がある程度片付くまでは協力してもいいと考えたのも、そのためだ。
そんなセツナにサンストレア市民の声は、暖かかった。セツナが救助した被災者の家族からかけられる言葉の数々が、撤去作業に従事するセツナを奮い立たせ、必要以上に気張りすぎたのはいうまでもない。他人の力になれることが嬉しかったし、召喚武装が戦闘以外にも活躍させることができたのが、なによりも喜ばしかった。
そんな作業合間の昼食中、突然、ロウファから呼びつけられたのがつい二時間ほど前のことだ。汗だくの服から着替えるために風呂に入り、市庁舎に辿り着くと、ロウファが待ちくたびれていた。それからこの応接室に通されて、いまに至る。
「騎士団の凋落……本当なんですね」
「事実だよ」
「“大破壊”が、騎士団の力を削いだ?」
「結果としては、そうなる」
ロウファが目を伏せたのが、気にかかった。目を伏せる彼がどのような過去を見ているのか。いったい、“大破壊”とはどのようなもので、なにが騎士団の力を削いだのか。マルカールの離反は、彼が神人の力に目覚め、野心の赴くままに行動したためだろうが、それにしたって騎士団が最盛期の力を持っていればそうはならなかっただろう。
騎士団。
総勢一万人以上の騎士を抱えるベノアガルドの軍隊のことだ。かつては、ベノアガルド王家に仕える騎士の集まりに過ぎなかったが、フェイルリング・ザン=クリュースが革命を起こし、王家を打倒したことで、騎士団は国民にこそ仕える騎士集団となった。騎士団はベノアガルドを腐敗から救い上げると、その行動理念を新たにした。それは救世神ミヴューラとともに世界を破滅から救うことであり、そのために彼らは最善を尽くそうとしていたし、彼らには邪な気持ちが一切なかった。ミヴューラの見せた未来図の完成を妨げるためだけに全力を尽くす彼らの姿は、敵対せざるを得なかったとはいえ、セツナにとっても羨ましいくらいに純粋に輝いていた。
そんな騎士団が凋落するなど、信じられる話ではない。だが、サンストレアのみならず、クリュースエンドの独立自治を許しているという話を知れば、騎士団が全盛期に比べて落ち込んでいるだろうことは疑いようがない。
「なにがあったんです?」
「知りたければ、ベノアに行けばいい。団長閣下や副団長のシドが貴公を無碍に扱うことはないだろう。わたし以上に詳細に教えてくださるはずだ」
「シドさんが副団長?」
セツナが声を上擦らせたのは、オズフェルトが団長といわれていることともに驚くべきことだったからだ。もちろん、オズフェルトが団長に昇格したために、副団長の空席を埋めるべくシドが抜擢されたということなのはわかる。だが、それはつまり、かつての騎士団長フェイルリングが不在であるということにほかならない。ミヴューラの使徒たるフェイルリングが、使命を忘れて騎士団を離れるわけもない。
「それだけ色々あったということだ」
ロウファが、ゆっくりと息を吐いた。“大破壊”からこの二年に至るまでの間に、様々な出来事があり、それを思い出したからこそのため息なのかもしれない。物憂げな表情は、彼の心労を想像させた。
「……ベノアに向かうのであれば、部下に案内させよう。護衛は不要だろうが、見知らぬ土地ではさすがの貴公も迷走しよう?」
「ええ。間違いなく迷子になりますね。お気遣い、ありがとうございます」
「いや、こちらもベノアに使いを寄越す用事があるのでね。物の序なんだ。それと、ベノアへの道中、立ち寄って頂きたい場所もある」
「俺に?」
「ああ」
ロウファが静かにうなずく。セツナは、ロウファが自分をどこに向かわせたいのか気になって、わずかに前のめりになった。広い応接室は静寂で満ち、近づかずとも、声はしっかりと聞こえる。
「その場所は、現在、死神の寝所と呼ばれている」
「死神の……寝所」
「元は騎士団の休息所だったのだが、“大破壊”以降、あるころからそう呼ばれるようになった」
こちらを見るロウファの怜悧な瞳が、きらりと光ったように見えた。魔晶灯の光の加減だろう。しかし、そんな偶然とは思えないほど、つぎの瞬間、彼は驚くべき事実を告げてきた。
「由来は、黒き矛のセツナの従者にして死神と呼ばれた人物が眠り続けているからだ」
「は……?」
「死神レムは、貴殿の従者だろう?」
「そう……ですが」
セツナは、身を乗り出したまま、驚きの余り硬直した。死神レムといえば、確かにセツナの従者だ。半身といってもいいくらいの存在であり、彼女とセツナの絆は、並大抵のものではない。セツナにとって大切なひとのひとりだったが、彼が地獄に堕ちてからというもの、無事を確認する手段もなかった。
地獄に落ちるということは、現世との関わりを断つということ。
もしかすると、レムに供給されていた生命力も途切れてしまい、そのままレムは永遠の眠りについたのではないか。地獄での日々、セツナは地上のことを思うたびに、彼女の末路を考えねばならなかった。
しかしどうやらセツナのその思い込みは、杞憂だったようだ。
レムが、眠っているという。
「なんでまたそんなところに?」
「行けばわかると思う」
「はあ……?」
ロウファの解答は、要領を得なかったし、それ以上詳しくは教えてくれなかった。死神の寝所に行けばわかるとのいってんばりであり、詳細に話すのを拒絶しているかのような口ぶりだったため、セツナも問いただすのを諦めざるを得なかった。彼のいう通りかもしれないとも思い直した。死神の寝所にレムがいるのであれば、レムに聞けばいいだけのことだ。
それから、セツナが従事していた作業につていはロウファたちが引き継ぐという話になり、シルヴィールにも通達済みであるとの旨を聞かされた。
「ベノアに向かうのならば、早い方がいい。あちらもあちらで忙しいからな。せっかくたどり着いたのに団長閣下、副団長が不在では、面倒だろう」
ロウファのそんな気遣いに感謝しながら、セツナは市庁舎を出た。
すると、市庁舎前の広場にシルヴィール=レンコードがいた。軍服の彼女は、長い髪を風に煽られながら、遠くを眺めていた。
画になる美人だった。