第千七百七話 サンストレア後始末(後)
「そ、そこのふたり!」
突如飛び込んできた声は、震えていた。
見ると、武装した兵士たちが数十人、こちらに向かって躙り寄ってきていた。サンストレア市軍の兵士だろう。先頭の兵士が携行用魔晶灯を掲げ、セツナたちを照らしている。冷ややかな光が妙に眩しく感じられたのは、目が暗闇に慣れ始めていたからに違いなかった。
「う、動くんじゃないぞ!」
セツナは、ロウファと顔を見合わせた。互いに肩を竦め、再び声の主を見やる。
「この惨状の原因は貴様らだな!」
兵士のひとりが、声高に叫んだのは、勇気を奮い立たせるためだろう。この惨状への怒りと悲しみが義憤となって、市軍の兵士たちの背中を押していることがわかる。燃え上がるまなざしには、正義の炎が灯っている。
彼らは、職務を全うしようとしているだけだ。そのことにセツナは好感を覚える。マルカールのような独善に支配され、正邪の別もつかなくなった化物ではない、生の人間がそこにいる。そのことにほっとするのだ。
ロウファは、セツナとは異なる感想を抱いたようだが。
「元騎士団騎士ともあろうものが、いったいなにを見ていたのだ」
「なんだと? いうにことかいて……!」
「隊長、あ、あのお方は……!」
「なにを恐れることがある! 我々は市軍だぞ! サンストレアの安寧を護るためならば、命を捨てること能わず!」
「その意気はいいがな、相手を間違えるべきではないな」
ロウファがやれやれと頭を振り、隊長と呼ばれた男に向かって胸を張った。魔晶灯が、彼の着込む制服を照らし出し、紋章が光を反射した。弓を象る紋章は、十三騎士のひとり、ロウファ・ザン=セイヴァスを示すものであることくらい、元騎士団騎士であろう市軍の人間が知らないわけもない。
「わたしはベノアガルド騎士団幹部ロウファ・ザン=セイヴァスだ。騎士団長オズフェルト・ザン=ウォードの命により、サンストレアはただいまより騎士団の保護下に入ってもらう」
「な……なにを――」
市軍の隊長は、ロウファに淀みなく宣言され、絶句したようだった。
「わ、我らがサンストレアは、市長がおられる限り――」
「市長は死んだ」
ロウファの宣告は、冷酷にも程がある、とセツナは他人事のように想った。彼らの心の拠り所を軽々と踏み抜くような物言いだ。だが、ほかに言いようがないのも事実だ。マルカール=タルバーは死んだ。そう告げるしかない。そのうえで、説明するしかないのだ。
「な!?」
「た、隊長、ほ、本当です!」
「市長が、市長が!」
「なんだこれはああああ!?」
マルカールの異形化した亡骸を目撃した兵士たちは、天地がひっくり返るほどの衝撃を受けたのだろう。口々に奇怪な悲鳴を上げ、声を裏返らせた。
ロウファが、憂鬱な顔で兵士たちを見ていた。
「説明するのが色々厄介だが、仕方ないな」
「まったくだ」
うなずいたのは、先程からけたたましく轟く馬蹄の音を聞いていたからだ。見やると、深夜の廃墟と化した住宅街を一頭の馬が駆け抜けてくるのがわかった。その馬に誰が乗っているのかなどわからなかったものの、セツナはなんとなく察していた。
「セツナ=カミヤ!」
馬上から叫んできた女は、長い髪を振り乱しながら地上に飛び降り、こちらに向かって駆け寄ってくる。
「あれは?」
「シルヴィール=レンコード。元イズフェール騎士隊の騎士って話だが」
「ああ、シャノアさんの後輩か。どういう関係だ?」
「なんの関係もねえっす」
セツナは、邪推しているかのようなロウファの表情に肩を竦めるほかなかった。
「ただ説明はしないといけない感じですが」
それから、セツナは、ずかずかと近づいてきたシルヴィールを見つめながら、彼女に事の真相を話さなければならないという事実に気が重くなるのを否定できなかった。
マルカール=タルバーを信奉してさえいたシルヴィールには、つらすぎる現実が待っている。
翌日、大陸暦五百五年十二月十七日。
騎士団幹部であるロウファ・ザン=セイヴァスによって、昨夜サンストレアを震撼させた神人たちの暴走事件は、市長マルカール=タルバーの企てによるものであると発表された。ロウファは、マルカールのサンストレア市長としての功績や市民への影響を考え、神人であることそのものは公表せず、隠匿、マルカールは神人と戦って名誉の戦死を遂げたという偽の発表を行うことも考えたようだったが、それではマルカールが神格化され、今後の統治に悪影響を及ぼす可能性があったため、洗いざらい、すべて公表される運びとなったようだ。
マルカールが白化症に冒された人間であったという衝撃的な真実は、サンストレアのひとびとにとって天地がひっくり返るような話であり、大半の人間は、ロウファの発表をすぐには受け入れなかった。マルカールの市長としてのこれまでの振る舞いが、サンストレアの市民の目にはまばゆい光となって残っている。マルカールの、騎士団の不甲斐なさを糾弾する声明文も、市民の記憶には新しい。鮮明に焼き付いているのだ。
マルカールが神人化していたという事実を受け入れられず、サンストレアを乗っ取ろうという騎士団の策謀に違いない、などと声を上げる市民も少なからずいたし、そう信じたくなるのも無理からぬことだと、セツナは想った。昨夜、真実を突きつけられたシルヴィール=レンコードは、これまでの自分の人生を否定されたかのようだといい、異形化したマルカールの亡骸の目の前で何時間もの間、立ち尽くしていた。夜が明け、朝が来ても、彼女はその場を動かなかった。
セツナは、そんな彼女を見守り続けたものだ。
マルカールを滅ぼしたという責任がある。
ロウファの発表は、それにとどまらない。マルカールがこれまで市長として成してきたことの中でも特筆するべき神人討伐が、マルカールの神人としての能力によるものであると断罪した。ロウファは、セツナの提供した情報から、マルカールの神人能力が、白化症患者の症状を任意に促進させ、神人化させるものであり、該当能力により神人化した存在を操ることができるものであると断定したのだ。そして、マルカールはその能力を利用して、彼自身の英雄伝説とでもいうべき神人討伐の逸話を作り上げていったのであり、彼によって討伐された神人たちは、罪もない白化症患者でしかなかったと公表、サンストレア市民は大混乱に陥った。
そこまで発表されてもなお騎士団の陰謀であると宣うものもいないではなかったが、異形化したマルカールの遺体が衆目に晒されると、流れは変わった。白化した肉の鎧に覆われ、背中から巨大な腕を生やしたマルカールの上半身は、どう見ても人間のそれではない。擁護のしようがないのだ。
率先して騎士団を誹謗していた連中も、マルカールの遺体を目にした途端、その口を閉ざさざるを得なくなった。頭部こそ人間そのものだったが、首から下は白化症に苛まれた人間のそれなのだ。どうしようもなく、人外の異形だった。化け物だった。神人としかいいようのない存在に成り果てていた。
マルカールが神人であり、市民を欺くため、みずからの正体を隠すために、白化症患者を神人化させ、殺していたという忌むべき事実は、サンストレアのひとびとを落胆と失望で包み込み、都市全体を深い静寂で覆った。
街そのものが沈むこむかのような空気感の中、セツナは、壊滅的な被害を受けた区画にいた。
白化症患者用の隔離施設があった、サンストレア南東の区画だ。隔離施設を中心とする広範囲が多大な被害を受けており、多数の建物が倒壊している。まさに災害に遭った後のような光景であり、神人災害と呼称する理由もわかろうというものだったし、サンストレアの復興が遅々として進まないのも理解できた。
南西区画の被災地には一般人の立ち入りは禁じられているのだが、セツナは、市軍総督シルヴィール=レンコードからの依頼によって、被害状況を見渡せるこの場所を訪れていた。
シルヴィールから直接依頼されたのは、市軍による救助作業の助力だ。被災地周辺の住民は避難しているものの、逃げ遅れた住民も少なからずいるかもしれないということで、夜を徹して、救助作業が行われていた。セツナが手伝うことになったのは、シルヴィールが自分を取り戻し、市軍総督としての職務と責任を思い出してからのことだったが、彼女からの依頼には快く応じている。
セツナができることといえば、黒き矛と眷属を召喚することによる感知能力を駆使した遭難者の捜索と、召喚武装の能力を用いた救助活動であり、彼は即座に行動に移った。
まずは市長邸周辺の被害状況を確認し、遭難者の有無を確認すると、すぐさま南東の隔離施設周辺まで移動し、徹夜作業中の市軍に合流している。無論、シルヴィールとともにだ。シルヴィールの現場への到着は、夜を徹して救助作業中だった市軍兵士たちの士気を否応なく高めた。シルヴィールは、市軍総督として、市長のつぎくらいに人望を得ているのだろう。
救助作業の目処がついたのは、日が頂点に近づく頃合いであり、そのころにはロウファによるマルカールの正体の暴露とサンストレアの処遇についての発表が行われており、市軍兵士たちの表情や士気の変化が目まぐるしかったのを覚えている。
救助作業におけるセツナの活躍は、それまで頑なに辛辣だったシルヴィールが認識を改め、態度を激変させるほどのものだった。黒き矛装備による副作用ともいうべき超感覚が生存者の発する声や身動きの音を拾い上げ、ロッドオブエンヴィーの闇撫による瓦礫や残骸の撤去で、的確に生存者を救助してみせたのだ。セツナが独力で救助した人数は百人以上に及び、神人災害に巻き込まれた一般市民が数多くいることが明らかになったことで、セツナ自身思うところはいろいろあったが、ともかくも遭難者の救助に協力できたことは、嬉しかった。
セツナが黒き矛と眷属たちを送還したのは、遭難者がひとりもいないことが確認をできてからのことであり、そのころには昼前になっていた。凄まじいまでの疲労感は、マルカールとの戦闘で消耗したまま、救助作業に従事していたからであり、以前の自分ならば意識を保つことなどできているわけがないほどに体力も精神力も消費していた。体力の消費は空腹に直結する。救助作業中、軽食を挟む暇もなかった。一刻を争うことだ。ただでさえ、被害が発生してから時間が経過していた。セツナは、休憩を挟んではどうかという周囲の声を押し切る形で救助作業を続行したのであり、へとへとになっているのは自業自得といっていい。
しかし、この多少なりとも快い疲労感は、休憩を挟んでいれば存在しなかったもののはずであり、彼は、微妙な満足感と脱力感の中にいた。瓦礫の上に寝転がり、空を眺めている。晴れやかな空から降り注ぐ太陽光線が目に痛い。夜中に叩き起こされてから今に至るまで、ほとんど休みなく動いていたのだ。眼も疲れよう。全身汗だくだった。風呂でも浴びて、服を着替えてゆっくり眠りたい。被害状況を考えると、そんな呑気なことを夢見ている場合ではないのだろうが、一仕事も二仕事も終えた気分のセツナにはそれが本音だった。
「セツナ殿ー! どこですかー!」
呼び声は、シルヴィールのものだった。彼女は、セツナに救助活動への参加を要請するに当たり、セツナに対する態度や言葉遣いを改めている。
セツナは、声を上げるのも面倒だったので、疲れきった手だけを挙げた。近くを探し回っているらしいシルヴィールの目にも届くだろう。
「ああ……こんなところにおられたのですか」
瓦礫の山を登ってきたシルヴィールは、少しばかりあきれたような顔をした。彼女も、夜を徹して救助作業や事後処理の指揮に当たっており、疲れが顔にでていた。憔悴しきった表情は、必ずしも肉体的疲労だけが原因ではないのだろうが。
「疲れているのでしたら、市軍の休憩所で休まれてはいかがですか」
「そこまでいく気力がない」
シルヴィールの疑問に対する解答はセツナの本音であり、首だけを動かして彼女を見た。互いに疲労しきったふたりの間には、多少なりとも理解が生まれている――そんな錯覚を抱く。ただの幻想に過ぎない。シルヴィールは、理解も及ばない赤の他人に過ぎないのだ。彼女が敬愛してやまなかった人物を、仕方がなかったとはいえ殺したのがセツナだ。本心のところで拒絶されていてもおかしくはない。
「なにか用事でも?」
「……生存者の救助作業が完了したと聞いたものでして」
「うん。終わったよ。とりあえず、助けられるひとは全員助けた」
シルヴィールとの会話のため、上体を起こす。疲れきった体を動かすのは至難だったが、なんとかして起き上がらせ、姿勢を維持する。ここまで疲れるのは久々なのではないかと想ったが、振り返ると、そうではないことに思い至る。地獄での日々は、毎日のように力を振り絞り、使い切らなければならなかった。それほどの訓練を経たからこそ、セツナは強くなりえたのだ。
「部下からも、セツナ殿のおかげで大勢の命を救うことができたという報告を聞いています。救助した市民も、セツナ殿に感謝しているとのこと」
シルヴィールが、頭を下げてきた。
「セツナ殿、救助作業への御助力、市軍総督として、サンストレア市民代表として御礼申し上げます」
「改まっていわれるほどのことじゃあないよ」
セツナは、状態を起こしている姿勢の維持さえ辛くなって、再び仰向けに転がった。感謝の言葉は、救助した市民や、市軍の兵士たちから散々聞いている。救助者の中には、市軍兵士の家族もいたことも大きいのだろうが、それ以前に市軍の人間にとってひとりでも多く市民を救えたことが嬉しかったのだろう。それでもセツナの心の中には虚しさの風が吹いていて、如何ともしがたいものがあり、感謝の言葉に相応しい態度を返せないでいた。
マルカールとの戦いによる被害者は、六百人以上にも及ぶ。そのうち重軽傷者が五百人ほどで、百人もの死者が出ている。死者の多くは、マルカール以外の神人たちの破壊行動に巻き込まれた市民や、神人を阻止せんとした市軍兵士たちだという。死者がその程度に抑えられ、被害の拡散を防げたのは、市軍兵士たちが神人の気を引き、その場に留めることに成功したからに違いなかった。もし市軍兵士たちの尊い犠牲がなければ、神人たちはサンストレア市内を破壊して回り、もっと多くのひとびとを巻き込んでいただろう。
しかし、セツナはみずからの責任を感じずにはいられないのだ。自分がマルカールをもっと早く斃していれば、白化症患者たちが神人として暴走するようなことはなかったのではないか。被害を抑えることができたのではないか。
そんなことを考えると、感謝の言葉も素直に受け取れなかった。
自分の決断力の鈍さが、この街に多大な被害をもたらしたように思えるからだ。
シルヴィールが、セツナの寝転ぶ瓦礫の上に座り込んだ。彼女もまた、疲れ切っている。
「しかし、セツナ殿の御助力がなければ助からなかった命があるのは事実。市軍だけでは、救えた命は少なかったはず」
シルヴィールの言いたいことはわかるし、実際それはその通りなのだろうが、だからといって嬉しい言葉ではない。
「それに、セツナ殿がこのサンストレアにきてくれたからこそ、市長という虚像から解放されたのですから」
「虚像……ねえ」
「マルカール=タルバーは神人だった。神人でありながらどういうわけが理性を保ち、わたしたちや市民を欺き、人間のように振る舞い続けていた。わたしたちは、マルカール=タルバーの見せた虚像を神の如く信仰し、疑いを挟まなかった」
「仕方ねえよ」
「そうでしょうか?」
シルヴィールが、首を傾げる。
「疑念を挟む余地ならばあったはずです。セツナ殿やセイヴァス卿の仰るように、ただの人間が神人に敵うわけがないという事実から目を背けなければ……いくらでも……」
「そうはいうがな」
頭の後ろで手を組んで、枕にする。
「それは無理って話だろう」
セツナは、美しく透き通るような青空を見やりながら、告げた。
二年前に起きた“大破壊”と呼ばれる未曾有の災害から今日に至るまで、生き残ったひとびとは、今日を生きるのに精一杯だったと聞く。そんな日々の中でマルカールのような人間が現れれば、是も非もなく縋り付きたくなるものだろうし、一度縋り付いてしまえば否定できなくなるのもわからなくはなかった。マルカールを疑い、否定すれば、サンストレアはまた“大破壊”直後の状態に逆戻りになってしまうかもしれない。そういった恐れが、ひとびとの目をマルカールの持つ違和感から背けさせたのではないか。
サンストレアは、マルカールの守護がなければ立ち行かないほどの状況だったというのだ。マルカールが神人であることを偽り続けながらも、市長として善政を続けていたのは事実であり、ベノアガルドからの独立以来、マルカール政権がサンストレアに果たしてきた貢献というのは想像する以上にとてつもなく大きい。
だから、マルカールのすべてを否定することはできないのだ。
そのうえで、否定しなければならないこともある。
彼は神人であり、自分の野心のためならば他人がどうなろうとも知ったことではないという本心を抱えていた。彼が神人であったとしても、ひとのために尽くすことにすべてを注ぐのであれば話は別だったかもしれないが、現実は、そう甘くはなかった。
神人としての本能か、それとも、マルカール=タルバーの本心か。彼は、神人の持つ強大な力に酔い痴れ、自分こそが神であると言い放っていた。配下に加わらないと見るやセツナを排除しようとしたのも、黒き矛が彼の野望の邪魔になると判断したからのことだ。マルカールがそのような野心さえ抱かなければ、セツナも彼を見逃していたかもしれない。
彼が神人であることが明らかになったのは、彼がその力を見せつけてきたからなのだ。
ただ、マルカールとしては、今後のことを考え、セツナを放って置くことができなかったというのは、致し方のないことであり、セツナがサンストレアに訪れた以上、マルカールが正体を明かさざるを得なかったのは間違いない。セツナがベノアの騎士団と協力するようなことにでもなれば、マルカールは、その立場も存在も危うくなる。
結局、どう足掻いたところで、セツナとマルカールの間で戦いが起き、サンストレアに被害が撒き散らされる運命だったということだ。
それで納得できるかといえばまた別の話ではあるのだが。
「まあともかく、少し眠らせてくれ。疲れちまった」
そういって話を終わらせた時、シルヴィールが微笑んでくれたのが少しばかり嬉しかった。