第千七百五話 人ならぬ、神ならざるもの(五)
「なんだ……あれは……?」
「知らねえんだな」
セツナは、マルカールの愕然とした反応から、そう認識した。マルカール=タルバーは、元騎士団騎士であるというが、十三騎士が成立する以前に騎士団を引退し、騎士団による革命後、サンストレアの市長になったという話だ。十三騎士の真の力というべき真躯を知らないのは、当然なのだろう。いや、騎士団に入っているからといって、十三騎士の能力を知っているものがどれだけいるものか。
救力、幻装、真躯――救世神ミヴューラから授けられた力について知っている人間など、ごく少数に違いなかった。セツナが知っているのは、十三騎士と戦ったからであり、十三騎士がセツナに対して様々なことを教えてくれたからにほかならない。
「あんたは、十三騎士のことをなにも知らなかったんだな。部外者の俺よりもまったくなにも理解していなかったんだ」
「なんだと?」
こちらを見たマルカールの顔は、面白いほどに驚いていた。なにも知らない彼にとっては、よほど衝撃的なことだったのだろう。実際、真躯の力は、驚くにたる。人間には手の負えない神人を軽々といなしているのだ。
真躯による斉射が始まると、神人の動きは止まった。止まらざるをえない。超上空からの斉射は止むことを知らず、神人の体を徹底的に破壊し、侵攻を阻止しているのだ。破壊された神人は、再生に専念せざるを得ない。どれだけ破壊されても核と呼ばれるものが壊れるまで再生し続けるのは恐ろしいことではあるが、それはそれとして、再生行動に集中する神人は脅威にはならない。
「十三騎士……? あれが?」
「あれが、あんたが無力と謗る十三騎士様の力さ」
夜空に浮かぶ巨大な瞳のようなそれは、神聖といっていいほどに幻想的な光輝に包まれていた。大きく緩やかな曲線を描く光背が眼の輪郭を作り、真躯の本体が瞳を象徴するかのようだ。そして、瞳から照射される極大の光芒が、遥か彼方の地上にいる神人に直撃し、白化部位を融解させていく。その真躯には、見覚えがあった。ベノアからの脱出前、十三騎士全員の真躯を目撃しているのだから当たり前といえば当たり前だ。だれの真躯なのかは当時はわからなかったものの、声を聞いてはっきりと理解できた。
ロウファ・ザン=セイヴァス。
“天弓”のロウファの異名を持つ十三騎士であり、シド・ザン=ルーファウス、ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートとともに行動することの多い人物として、セツナの記憶に残っている。
「セツナ=カミヤ。地上の神人はわたしに任せ、貴公は、その神人を早々に倒されよ。黒き矛のセツナならば、容易いことだろう?」
ロウファの声が、朗々と響く。なぜかはわからないがとてつもなく力が湧いてきた。孤独ではなくなったからかもしれない。うなずく。
「……ああ!」
「容易い……だと?」
マルカールがセツナを睨みつけてくる。ぎらりと双眸が輝くと同時に四つの腕からさらに無数の腕が枝分かれするように出現した。
「ふはははは! 笑わせる。いまのいままでわたしに対してなにもできなかったものが、わたしを倒せるものか! 殺せるものか! 滅ぼせるものか!」
増殖した腕の半数がセツナに向かってくる。まるで濁流のようなそれらは見るもおぞましく、吐き気さえ催しかねないほどに不気味だった。迫りくる腕を尽く切り払いながら、本体への接近を試みる。腕を増やしすぎたためか、マルカールの攻撃が大味になっていた。攻撃を捌きながらの接近も不可能ではなかった。さらにマルカールは、セツナだけを攻撃したわけではないのだ。
「十三騎士が力を持っているからなんだというのだ! 貴様らが不甲斐なかったのは事実ではないか! 貴様らさえ、貴様らさえしっかりしていれば、騎士団の務めを果たしていれば、このようなことにはならなかった……! 違うか!」
マルカールから伸びる無数の腕の半数が、上空のロウファに向かって伸びていっていた。奇怪な白い激流のようなそれは、瞬く間にロウファとの距離を詰めていく。ロウファは、地上の神人掃討に集中しているから、マルカールの攻撃に対応できないようだった。だが、セツナは心配してもいなかった。
「マルカール=タルバー殿。貴殿の言、なにひとつ間違いではない。確かに貴殿のいう通り、我々が不甲斐ないばかりに世界はこのような有様になってしまった。我々に力があれば、我々が勤めを果たすことさえできていれば、このような惨状は避けられただろう」
天空に輝く巨大な眼が瞬いたかに見えた刹那、まばゆい閃光が夜空を灼いた。殺到する無数の腕を光が貫き、撃ち抜いた部分から溶けるようにして消滅していく。ロウファは、告げる。
「だが、それとこれとは別の話だ。貴殿がしていることは、ひとをひととも思わぬ悪魔の所業。騎士団の風上にも置けぬ愚行。断じて、捨て置けぬ」
「見当違いも甚だしい……!」
マルカールがロウファへの怒りを露わにする。セツナに対して見せていた余裕は消えて失せ、感情の昂ぶりが表情に出ていた。マルカールの騎士団への想いがそうさせるのだろう。ロウファへの攻撃を諦めきれないのか、打ち砕かれた腕を瞬時に再生させ、再び襲いかかる。だが、それでも届かない。ロウファの真躯は、マルカールの攻撃に対して情け容赦など一切なく、苛烈なまでの反撃を浴びせるからだ。瞬く閃光がマルカールの腕をつぎつぎと焼き払っていく。マルカールが吼える。
「貴様ら騎士団が掲げる正義を実行できなかったから、できぬまま力を失ったから、わたしは立ち上がったのだ。わたしが立たねばならなかったのだ。わたしが、貴様らのような弱者をも救い、護り、永遠の楽土を築いてやる――」
「御託は、聞き飽きた」
セツナは、マルカールの慟哭にも似た叫びに対し、冷ややかに告げた。マルカールがどれだけ正義を語ろうが、もはや空虚に聞こえるだけだ。それにセツナは、既にマルカールの懐に飛び込んでいる。白化した部位を鎧のように纏うマルカールの本体、その懐の極至近距離へと到達している。マルカールがロウファに意識を向けすぎていたことがセツナの接近を後押しした。マルカールの双眸がこちらを見た。
「セツナ=カミヤ――!」
彼が絶句したときには、既にセツナの手の中の黒き矛は縦横無尽に旋回し、マルカールの肉体をでたらめなほどに切り刻んでいた。白化した部位がどれだけ強靭であろうと、どれだけ頑丈であろうと、黒き矛に切り裂けないわけがない。最強無比の黒き矛の前では、どのようなものであろうとただ破れ去るしかないのだ。無論、そんなことでは致命傷にはなりえないこともわかっている。神人は、白化した部位に生成される核と呼ばれる物体を破壊しない限り、活動し続ける。それが神人の恐るべき存在である理由のひとつであり、常人が敵わない最大の理由だった。
だから、というわけではないが、セツナは黒き矛を振り回しながら、破壊光線を乱射し、復元し続けるマルカールの肉体を徹底的に破壊し続けた。そして、セツナの目は、飛散する肉塊の中に輝く物体を捉える。
「あんたがどうやって自我を維持しているのかも、どうやって白化症患者を操っていたのかも知らないが、あんたは、ただの神人だったようだな」
「な……に……」
「核とやらを壊せば、ほら」
セツナは、黒き矛の切っ先をマルカールに突きつけた。穂先は、光を発する奇妙な結晶体を貫いている。それがなんであるか、考えるまでもない。人間の体内にそのような物質があるわけもなければ、セツナの拳ほどの大きさもあるそれが装飾品などであるわけがなかった。黒き矛の力を解き放つ。穂先が白く燃え上がったかに見えたつぎの瞬間、結晶体が内部から爆散し、光芒が視界を灼いた。
「もう、再生できない」
「馬鹿……な――」
マルカールの体は、断末魔の声を上げる最中に崩れはじめた。セツナの連撃でばらばらになっていた体が再生力を失い、もはや二度と戻らなくなったからだ。心臓もとっくに破壊している。マルカールの命はとうに失われているのだ。神人の核が、命を繋ぎ止めていただけにすぎない。その核が完全に破壊された以上、マルカールは滅び去るしかない。
壊れたものは壊れたままに、ぼろぼろと崩れ落ち、地上に落下していく。空を自在に飛んでいた力も失われたのだ。重力に引かれ、ただ落ちるだけだ。
セツナは、無意味な戦いの終わりに空虚さを感じながら、頭上を仰いだ。
ロウファの真躯が、ゆっくりと降下してくるところだった。
神々しいまでの光を放つ真躯は、神人マルカールと比較するまでもなく美しく、頼もしい。