第千七百四話 人ならぬ、神ならざるもの(四)
「あんたが白化症の患者を神人に仕立てあげていたのか!」
巨腕の横薙ぎが生み出す衝撃を下に翔ぶことでかわし、続けざまの熱光線を黒き矛で弾く。絶え間ない連続攻撃に対して防戦気味になるのは、ある意味仕方のないことだ。
黒き矛は、強い。その攻撃力は他の追随を許さないほどに強力極まりない。だが、それは攻撃面における能力だけであり、防御面においてはからっきしだった。黒き矛を手にした副作用でどれだけ身体能力が強化されようとも、骨が硬くなることなどあるはずもなければ、皮膚が分厚くなることもない。素の人間の体のままであり、召喚武装による攻撃は愚か、通常兵器の攻撃にさえ気をつけなければならない。人体は、召喚武装によって強靭になったりはしないのだ。神人化したマルカールのような肉体にはならない。無茶をして傷を負えば、それだけで不利になる。治癒能力を強化する類の召喚武装があるのであればまだしも、黒き矛とのその眷属には、そういった能力を持ったものはなかった。
その点、メイルオブドーターは翅の使い方次第では、とてつもない防御力を得ることができるものの、それも過信してはならない。蝶の翅をどれだけ圧縮強化したところで、シールドオブメサイアの守護領域に遠く及ばないのだ。だから、敵の攻撃は矛で捌くか、かわすことに専念するべきだった。そして、見出した隙に攻撃を仕掛ければいい。勝利とはその積み重ねの先にある。
もっとも、マルカール如きに苦戦していいはずもなく、セツナは顔をしかめた。これでは、まったく成長していないといっていいのではないか。無数の指がさながら餌を求める触手のように殺到してくるのを軽々と捌きながら、その事実を認める。
「そういう物言いはよくないな。わたしはただ、白化症を患い、神人になるしかない哀れなものたちに役割を与えてあげただけのことだ」
「役割だと」
「そうだよ。役割だ。平穏を脅かす災害たる神人として、平和の象徴たるわたしに倒されるという大事な役割だ」
神人たちの狂ったような雄叫びが闇夜を引き裂き、ひとびとの悲鳴がサンストレアを包み込んでいる。ケビン=アークスの神人化はつい先日のことだ。まさか、立て続けに神人災害が発生するとはだれも想像していなかっただろうし、考えたくもなかったはずだ。だが、神人たちは、サンストレア市民の心情などたやすく踏みにじり、サンストレアの町並みを壊していく。市軍の兵士たちは市民を避難誘導するとともに、神人たちに立ち向かっていくのだが、強大な怪物と化した神人には敵うわけもなかった。肥大した足で踏み潰されるか、巨大な手で叩き潰されるか、いずれにしても為す術もなく蹴散らされるだけであり、遠距離からの弓射も神人にはまったく効果がなかった。
市長マルカール=タルバーの到着を待ち望む声が、そこかしこから聞こえてくる。
サンストレア市民、市軍兵士のだれもが、マルカール=タルバーを信じていたし、市長ならば必ず神人を撃退し、サンストレアを救ってくれると確信しているようだった。そういった声が聞こえるたびに、セツナは、怒りが湧いた。
「破壊と殺戮を撒き散らす神人を見れば、ひとは恐れ戦くしかない。ひとは、無力でか弱い生き物だ。“大破壊”の以前、皇魔の召喚以来数百年に渡って、人間は己等の無力さを噛み締めてきた。皇魔という無慈悲にして凶悪な生物に蹂躙されるだけの存在であるという認識は、神人を前にして呼び起こされ、萎縮する。それが人間の限界。だが、わたしは違う。わたしは神だ。人間を越え、神人をも超える存在なのだ」
マルカールの背から伸びる四つの腕が肉の翼へと変容し、空中で佇む彼を白い悪魔のように見せつける。そして、つぎの瞬間、肉の翼から無数の羽が弾丸のように射出され、大きな曲線を描きながらセツナに向かってきた。無数の肉の弾丸といっていい。それらは、マルカールの意のままの軌道を辿り、セツナがマルカールに向かって接近すると、セツナの進路上を埋め尽くした。セツナは即座に蝶の翅を前面に展開することで弾丸を受け止めると、連続的な衝撃と痛みに顔を歪めた。弾丸の雨は止まない。前後左右だけでなく上下や斜め上、下からも殺到してきている。翅を広げ、視界を開く。目の前に弾丸が迫っていた。矛を振り抜き、肉塊を真っ二つに切り裂いた直後、セツナは、虚空を伝播する斬撃によってマルカール本体の腹に切断面が生じるのを目の当たりにしている。血が噴き出し、視界が暗転する。空間転移。
「わたしが神人を倒せば、ひとはどう想う」
マルカールのくだらない演説を聞きながら、その背後への転移に成功したことを確信する。二対の巨大な翼と光背、そして強靭な鎧と化した白化部位。がら空きの背中に向かって、矛を突き入れる。黒き矛は神人の肉の装甲を容易く突き破り、その切っ先は体内へと至る。あまりにもあっさりと捉えられたことに違和感を覚えながらも、彼は容赦しなかった。即座に全力の破壊光線を放ち、暴力的な光の奔流によってマルカールの肉体を内部から吹き飛ばす。凄まじいまでの爆発光が視界を白く塗り潰し、衝撃波がセツナを襲う。力に逆らわず、吹き飛ばされながら上空へ逃れる。
手応えはあった。間違いなくマルカールの肉体を根こそぎ消し飛ばしたはずだ。度重なる消耗によって多少の疲労を覚えながら、セツナは、空中での姿勢制御を行った。そして、愕然とする。爆煙の中から、マルカールの声が聞こえてきたからだ。
「わたしを神の如く崇め、敬い、信仰するようになるだろう。わたしこそがこの荒廃した世界における唯一の救いであると認識し、縋り付くだろう。その想いがわたしの力となり、わたしはますます強くなる。わたしは、神としてか弱きものたちに手を差し伸べ、この世に救いをもたらそう」
爆煙が風に流れて消えると、星明りがマルカールの姿を映し出した。破壊光線によって粉々に破壊されたはずの体が瞬く間に再生し、さきほどよりも巨大化した翼と光背がマルカールに威圧感を与えた。だが、そんなことよりも、セツナは、マルカールの演説内容のほうに意識を向けざるを得なかった。
彼はつまり、白化症患者を自分の評価を上げるために利用していたということなのだ。どういう方法なのかは不明だが、白化症患者を神人化させ、その元人間である神人が災害を起こしているところをマルカールが討てば、自然、サンストレア市民はマルカールを信奉するようになる。人間とは単純な生き物だ。特に弱りきっているときほど、信じ込みやすい。
自作自演。
「……あんたって奴は」
「なにを怒ることがある? セツナ殿。これがこの世の現状だ。力なきものは神人や神獣の前では為す術もなく滅ぼされるしかない。わたしのようなものがいなければ成り立たないのがこの世の中なのだ。そして、わたしが盤石たる力を得るための犠牲となれる神人たちは、幸福だろう。彼らの死は、決して無駄にはしない」
「この惨状を見て、そういうのか!」
「惨状?」
マルカールは、鼻で笑ってきた。
「あなたがわたしの意に従っていれば、わたしの配下にならずとも、黒き矛を差し出していれば、このようなことにはならなかった。わたしが神人どもを起こす必要はなく、サンストレアがこのような状況になることもない。だれひとり死傷者はでず、また元の安穏たる日々に戻ることができた。こうなったのは、すべてあなたの責任だよ、セツナ殿」
「勝手な言い草してんじゃねえ! 全部あんたの勝手じゃねえか!」
怒りの赴くままに矛先を向け、破壊光線を撃ち放つ。闇を貫く極大の光芒は、しかし、マルカールの高速移動によって軽々とかわされ、空へと消えた。だが、セツナは諦めない。立て続けに光線を発射しながら、マルカールの移動先へと先回りする。メイルオブドーターの飛行能力は、決して低くはない。
「あんたが己の野心と欲望のためだけに行っていることだ! 違うか!」
「違うな。わたしは、このサンストレアを、ベノア島全土をあらゆる災厄から護るため、大いなる神となるために行動している。いうなれば、わたしの行いそのものが救済なのだ」
マルカールは、傲岸に言い放つと、四つの翼をまたしても巨大な腕へと変容させると、セツナ目掛けて叩きつけてきた。豪腕が唸る。とてつもない速度で繰り出される四連撃は、その一撃一撃が凶悪だった。しかし、それらがセツナを捉えることはない。捉えたとしても、その瞬間には輪切りになっている。
高速飛行によって回避運動を取りつつ、黒き矛で切り刻んでいったのだ。切り裂いた直後に再生するそれらに対し、決定的な一撃を叩き込むことはできないが、無意味ではないはずだ。マルカールの再生能力が無尽蔵であるとは、とても思えない。
「白化症を患ったものは、わたしが手を下さずとも神人化する。そればかりは止められない。ならばいっそのこと、わたしの力の糧となるべきだ。そうすれば、命を無駄にせずに済む」
「治療の可能性があるから生かしてるんじゃあないのか!」
「それも、違う」
セツナが放った光芒は、マルカールの光背から発射された光線と激突し、ふたりの間で大爆発を起こした。爆音が吹き荒ぶ中、冷ややかなマルカールの声が響く。
「すべては、わたしの糧だ」
「マルカール!」
「ははははは! セツナ=カミヤ!」
マルカールが勝ち誇ったように哄笑したのは、セツナのこれまでの攻撃を尽く耐え抜けたからなのだろうが。
「それがおまえと黒き矛の力か! その程度では、わたしは倒せぬ! 滅ぼせぬ!」
「斃す!」
セツナは、マルカールの巨腕による乱打を捌きながら、勝利を確信する怪物の顔を見据えた。双眸から溢れる金色の光が超常的な存在であることこそ示しているが、マルカールには神としての挟持もなにもあったものではない、と彼は想った。野心と欲望が、マルカールを突き動かしている。救いだのなんだのは、ただの装飾に過ぎない。
彼の目的は、この地の支配者として君臨すること。
「あんたのような奴を生かしてはおけない!」
「わたしがこのサンストレアの守護者なのだぞ? わたしを殺せば、滅ぼせば、サンストレアは一時にして機能不全に陥り、神人たちに蹂躙されるだけだ。おまえにその責任が取れるのか!」
「どういわれようと、なにをいわれようと、あんたを野放しにはできない」
「その結果サンストレアが滅びてもいいというのか!」
「あんたのような偽物の神に未来を預けるよりは、ずっとましだ」
「それこそ、愚かだというのだ!」
マルカールが放つ無数の光線を掻い潜って接近を試みるものの、弾幕の物凄まじさに一端、距離を話さざるを得なくなる。マルカールの攻撃は、一撃一撃が致命傷に違いないのだ。神人の攻撃にただの人体が耐えられるわけもない。
「おまえのいう惨状を見るがいい! あれがわたしのいないサンストレアの未来なのだぞ!」
「っ」
セツナがサンストレア市街に視線を移したそのとき、閃光が視界を過ぎった。莫大な光の奔流は、セツナの上空から地上に向かって駆け抜けていき、瞬時に目で追うと、膨張を続ける神人の胴体を貫いた。一度だけではない。立て続けに降り注ぐ光線が、神人たちにつぎつぎと突き刺さり、貫通していく。
「そうだ。その通りだ。セツナ=カミヤ」
声は、遥か頭上から聞こえた。
見上げると、空と星の海との間に巨大な瞳が浮かんでいた。
「神人を野放しにしてはいけない。たとえどのような誹りを受けようと。たとえどれだけ非難されようと。たとえどれだけ辛くとも」
いや、瞳ではない。
遠方で光背が展開しているせいで、瞳のように見えるだけだ。目を凝らせばよくわかる。星空に浮かぶそれは、十三騎士の真躯であり、光り輝くその装甲は、異形化したマルカールに比較するまでもなく神々しく、頼もしかった。